
1995年、突如としてZEV(ゼロ・エミッション・ビークル)の話題が海を渡ってもたらされた。カリフォルニア州が、同州で販売されるクルマの内、当該メーカーの販売規模に応じて、98年までに2%、2003年には10%のZEVを義務づけた、大気清浄法・通称ZEV法を施行するというのである。
そのほとんどが新聞のベタ記事レベルで、もうひとつ中身がはっきり掴めない。なら、行ってみようということで、当時始まったばかりのCS局のレギュラー番組で取材チームを編成してLAに飛んだ。もう随分昔の話なので記憶も曖昧だが、まずは現地に駐在していたホンダのキュウさん、マツダのマキオさんなどといった旧知の人々を頼って取材を開始することにした。
とても興味深い話が多かった。当時ロサンゼルス(LA)に飛ぶと空港(LAX)が近づくと遠くの山の稜線から下の空気はどんよりと澱んでいた。三方が山に囲まれ、西に海が広がる地形が、朝方は空気が滞留しやすい。地形的な条件がLAの環境問題の特殊事情を生んでいるということだった。
もうひとつ、LA周辺は基本的には乾燥した砂漠地帯。クルマの耐用年数が長く、古くなっても十分使用に耐えるクルマが多い。地形的、気候的な側面からLAは特殊な環境ということができる。
LAは、クルマを前提にした典型的なアメリカンモータリゼーションの土地柄だ。クルマがないと生活が困難とされている。これもLAの大気汚染を深刻にする問題なのだという。これが古いクルマが長持ちするということにも絡んでくる。そういう古いクルマに乗らざるを得ないのが低所得層。その多くが黒人やヒスパニックなど。そこには人種問題が横たわっている。
当時はまだ70年代や80年代前半の古いフルサイズカーが残っていて、最新モデルの10倍以上のエミッションをたれ流しているとも言われていた。それを強制的に買い換えさせることができれば、大気汚染は一気に改善される。しかし、買い換えを促進する財源はないし、強制力を発動すれば貧しい人々の反発を買う。政治問題が潜んでいるというわけだ。
さらに、実質的にEV開発促進法ともいえるZEV法には、冷戦構造の崩壊にともなって大量に発生した軍事産業に従事するエンジニアやテクニシャンやサイエンティストの失業者の再雇用を考えた施策という側面もあるのだという。環境だけでなく政治、経済から人種問題まで含む何とも奥深い内容を抱えるものだった。
ちなみに、日本の新聞によってもたらされた報道は現地の駐在員によってなされたもので、この件に関して日本から取材に来たのはお前が初めてだと言われた。
もちろん、それだけでは取材は不十分だろうということで、カリフォルニア大気資源局(CARB)のダンロップ局長(当時)にインタビューを行なった。僕の質問に対して「それがガソリンだろうが、電気だろうが、何でもいい。このLAの空がきれいになることが目的なんです」局長はシンプルに答えた。その取材映像は朝日ニュースターに残っているはずだ。
その年だったか翌年だったか忘れたが、ZEV法に対応するために開発されていたホンダのEVプラスのプロトタイプ(まだ鉛バッテリーだった)をトーランスのアメリカンホンダを基点に試した時の印象は強く残っている。パフォーマンス的にはもう何の問題もないといえるほどちゃんと走った。
問題は鉛バッテリーのエネルギー密度で、航続距離は最大で60㎞。フリーウェイをその気になって飛ばすと、みるみるバッテリー残量系の針が下降した。勇躍405(サンディエゴフリーウェイ)に乗り込んで、すぐにビビッて帰還することを考えた。同じ頃にサイプレスの三菱でシャリオのシリーズハイブリッドにも乗ったし、この後GMのEV1にもサターン本社のあったテネシー州スプリングヒルで試した。
今から15年ほど前の話だが、今頃になって声高にEVやってますとか言い始めた欧州勢のいう走りの楽しさなどというレベルは、市販というリアルな形で実現していた。
あの頃、片田舎のローカルサーキットでラップタイム競争にうつつを抜かし、あまり意味のない一等賞争いで煙に巻いていた走り屋風情が、同じチャンピオンシップのメンタリティでecologyだenergyだsafetyだと言い張っているけれど、無限の成長が信じられた1980年代のトーナメント型チャンピオンシップの頭で、解き明かせるほど直面している状況は簡単じゃない。
自由なモビリティを求め続けるのか、それとも自由を諦めてフラット化を推進するのか。一番速いクルマが偉い…的な単純明快さとは違う、万人に受けることが難しい判断を迫られている。
ZEV法は紆余曲折を経て当初の構想からは随分外れてしまった。その間、温室効果ガスが世界規模の問題として浮上し、いつのまにかカリフォルニアのZEV法と合流して現在の地球環境問題に行き着き、さらにこれにオイルピークという資源エネルギー問題が加わって、話がより複雑化してしまった。
日産リーフは、量産型EVとしては世界でも最先端を行くクォリティと走りのパフォーマンス、それがもたらす可能性を備えている。13年前のプリウス登場前と後ではっきりと時代が分かれたのと同じ状況が、すぐそこに迫っていると言って間違いはないだろう。
その意味は、ハイブリッドVS電気自動車という20世紀型の思考回路では本質に迫れない。それぞれに良くて、それぞれ問題を抱えている。それは内燃機関にも燃料電池にも言えることで、すべてを認めて評価しながら、厳しい批評を加えて行くという、本来メディアやジャーナリズムがなすべきことを、面倒臭がらずにやることを求めている。COP3や京都議定書を頭の片隅に置くのは当然で、前提条件は20世紀とは決定的に変わっている。時代が変わったという認識は重要だろう。
評価は立場によって異なる。単純に一等賞を決めることができない事態がすぐそこに迫っている。きちんとした歴史観を持ち、世界的な視野に立って、日本にとっての最善を模索する。借り物の理屈ではなく自分のからだを介して走り、その頭で考えた結果で進むべき道を模索する。そこで得た知見を外国に向けて情報発信することができたら最高だろう。
まだまだやるべきことは山ほどある。そのことを有用だと思う人がどれだけいるか。難しい時代ではあるけれど、続ける他はないようだ。
Posted at 2010/06/22 02:21:46 | |
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