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伏木悦郎のブログ一覧

2012年01月31日 イイね!

ドリフトのススメ

ドリフトのススメクルマの運転=ドライビングの奥義は、限界を知ることに尽きる。即座に、300㎞/h超の速度(スピード)とか、4Gの旋回(コーナリング)とか、目ん玉が飛び出すようなF1のブレーキング(制動)だと早合点する向きも多いかと思いますが、限界はそんな遥か彼方の手に届かない世界の話ばかりではありません。

そもそもマシンとかメカニズムとかタイヤといったクルマそのものの限界だけでは、限界は語れません。クルマの限界は、終局的にはクルマが路面に接するタイヤのグリップ力に委ねられますが、その手前に運転する人の肉体や精神や経験に基づく限界が存在するし、走る道路の屈曲や路面のμ(ミュー:摩擦抵抗係数)などによる限界も存在します。

多くのアマチュアの場合、経験不足による未知や無知が限界を規定してしまい、それによって走行環境やクルマの限界の遥か手前にphysicalな限界が設定されてしまいます。たとえ、1000馬力のスーパーパワーとそれに見合うグリップ力のタイヤを受け止める能力を有するクルマであっても、コース幅5mの30Rのコーナーを曲がれるスピードは知れています。

あたりまえの話ですが、情報化社会は時として具体的な身体や道路環境といった制約要件を棚上げして、単にマシンとしてのクルマの純化というか高度化を良しとする右肩上がりのベクトルを目指す傾向があります。実際に現実生活でそれは楽しめるのか?とか、自分自身にとってそれは楽しいのか?ということよりも、クルマとクルマを比べっこしてこっちのほうが速いの凄いの面白いのといった、身体(からだ)を介在させない頭の中(脳内)のイメージで分かったような気になる、そうさせることが目的になっている。

幸いなことに、僕が自動車人生を始めることになった1970年は、日本だけでなく世界中のクルマの性能がそれほど高くなく、ビギナーだった僕の身体感覚と当時のエントリークラスのクルマの性能のギャップが大きくありませんでした。僕が最初に手にしたサニー1200クーペGX(KB110型)は、SUツインキャブで83ps(グロス値)を得る1171㏄のOHVで、タイヤは6.00-12 4PRという、今の若手ジャーナリストにはチンプンカンプンのサイズ表示のバイアスタイヤであり、リアサスペンションはリーフリジッド。4速マニュアルギアボックスで、当時のJAF公認車重は忘れもしない645㎏。市販状態の車両重量は700㎏台だったはずです。

今見たら間違いなくちっぽけで、貧弱で、それこそ軽自動車やリッターカーに負けてしまうかもしれませんが、40年近く前でもチューニングを競い合うとそれはもう伝説にもなっている素晴らしいコンペティションマシンになりました。当然のことながらKB110はFRレイアウトでしたが、その素材性の高さは今の時代でも十分通用するものがあると思います。環境性能や安全性能を考えるとそのままの再現は叶わないことですが、温故知新……何が重要か? を知る手立てとしては参考になるはずです。

僕の自動車人生は、たまたまこのKB110サニークーペ1200GXのデビューの時に免許を取得し、それを手にすることで方向づけられました。5年後に中古のKB110を買ってレース仕様に仕立て、レースの門を叩いたことが、今に繋がった。まあ、漫画みたいな話ですが、運不運は人生に付き物。まだまだ先はあるはずですが、いくつもの別れ道を自分なりに選んできた結果です。

ドリフトにインスパイアされたのは、1975年の雨の筑波の日産レーシングスクールで国さん(高橋国光)の曲芸のようなドリフトを味わった助手席か、はたまたその前年GC最終戦にやって来たJPSロータス72を駆るR.ピーターソンのヘヤピンでのスライドウェイだったか。

今の仕事でやって行くと決めた1978年、SA22サバンナRX-7には手を焼かされたが、それでも12A型REのパワーは135ps(グロス)。これってほぼNAロードスターのB6-ZE(120ps=ネット)と同レベル。今で言えば、Bセグコンパクトカーにも千切られそうなレベルですが、その時のタイヤは185/70SR13。当時は筑波最速でしたが、NAロードスターの数秒落ちというのが現実でした。クルマはまだFRのほうが多い時代ですが、排ガス規制を何とか克服したモデルにスポーツを求めるのは酷。その頃のdriver誌を繙けば、とにかくフルカウンターを当てたドリフトシーンを撮ろうと筑波の第一コーナーを逆走する秘策でなんとか形にした画が残っているはずです。ブルーバード910 1800SSS-E(1979年)だったね。

FRだったら、何でもドリフトできると思ったら大間違い。僕が、国産FRで「やっとここまで来たか」と及第点を与えることができたのは、1989年のR32スカイライン。GT-Rばかりが有名になってしまいましたが、この時に登場したレギュラーモデルのタイプMこそが(パッケージングを犠牲にしながらですが)、日本車史上に記憶されていい最初のFRだったと思います。R32スカイラインGT-Rについては、デビュー当初はその狂った速さ、サーキットでもゼロヨンでもオートマチックとも言える圧倒的なスピードにヤラれ、絶賛していましたが、やがてこれはベースモデルを食いつぶすだけの奇形になるという見通しを立てて、アンチの立場を採るようになりました。結果はご存じの通りです。

どうしても手前味噌の羅列のようになってしまい、あまりハッピーな感じがしないのですが、僕がFRの根源的な魅力に目覚め、ドリフトがすべてなのだと直観したのは1983年。この年の9月に当時の運輸省が60タイヤ(偏平率60%のロープロファイルタイヤ)を認可し、市販車への装着を認めました。すでに海外向けを中心に装着する例はあったかと思いますが、日本車が実質的に高出力、ハイグリップの高性能車路線を突き進む端緒でした。

日本のスポーツタイヤ元年は、1978年の横浜ゴムのADVAN HFが嚆矢で、 翌年追うようにブリヂストンがPOTENZA RE47を発売して時代が動き始めます。僕はその時からタイヤの取材テストに関わっていて、83年の60タイヤ解禁の際には当時市販されていた(補修市場=リプレイスで)全メーカーの60タイヤをテストする短期集中連載を受け持ったことが、開眼のきっかけでした。

当時、タイヤリポートを手掛ける人は限られていました。テスト方法もこれといったものはなく、すべて自作で評価項目を考え、テスト方法にも工夫をしました。まず、クルマの駆動・旋回・制動、いわゆる走り、曲がり、止まる…ですが、それを分かりやすく抽出するには駆動と操舵が分かれたFRがいいと考えました。60タイヤに対応したシャシーを持ち、出力的にも余裕があるということから選んだのは三菱スタリオンGSR。2ℓターボでたしか145psでした。

テストモードの中にドライとウェットの定常円旋回を設定しました。そこでドリフト旋回に結びつくのですが、操舵とトラクションのバランスが取れた……ドリフトコントロール性に優れたタイヤは、単純なグリップレベルの高さということではなくトータルパフォーマンスという視点で良くできている。見て分かりやすく面白く、乗って満足、納得できる。勝った負けたではなく、皆がハッピーに感じられる。こういうの、他にある? やがて日本の自動車産業は、対欧州を過剰に意識して麻薬的なパワー競争の渦中にはまって行きますが、時代がグルングルンと2度ほど回って、さすがに300㎞/hオーバーや、そのための500psの追求では未来は語れない。西欧の対自然観の限界が見えてきたところに、新たなクルマの魅力の創造の必要性が喫緊の課題となって浮上してきました。

相変わらずアウトバーンを土台にするドイツメーカーに洗脳され、日本でのクルマのあり方を人ごとのように語る者の跋扈が続いてますが、そろそろ自分の頭で考える時ではないでしょうか。

まず、ドリフトから考える。その筋道はすでに僕の中では用意されています。このタイミングでトヨタ86、スバルBRZ、サイオンFR-Sが登場してくれたことを、心から嬉しく思っています。多くの若い世代は僕が自動車人生を始めた頃にあったような好素材といえるクルマに巡り合う機会が限られていたと思います。これまでにも、マツダ・ロードスターのような傑出した逸材は存在しましたが、86系はそれ以上に間口を拡げる入りやすさを備えています。本当はこの半分ぐらいの出力で価格も……というのが理想ですが、現在の法規対応や市場性を考えるとこれが限界であるようです。なるべく息の長いクルマとして成功し、中古車市場に出回る量が確保されるといいね。

まあ、いつも通り長くなりましたが、これでもかなり端折ったつもり。より深いあれこれの蘊蓄や、ドリフトを身につける方法……平成ドリフト研修所みたいなことも考えたり、諸々についてはDRIVING JOURNALで展開したほうがいいかもね。 異論反論、歓迎します。僕の信念が揺らぐことはありませんが、自分が全面的に正しいとは思っていないので。

ただ、未来を具体的にどうしたいのか、という視点を欠いた意見はつまらないので勘弁して下さい。
Posted at 2012/02/01 00:19:24 | コメント(18) | トラックバック(0) | 日記
2012年01月19日 イイね!

リーマンに告ぐ。旅を続ける理由(その3)

舐めんなよ‥‥という感覚は常にある。フリーランスとしてだけ生きてきて30余年。ずうっと人並みの扱いは受けてこなかった。普通にクレジットカードが作れるようになったのはこの10年ほど。会社員じゃないと人間じゃない、フリーランス?あぶれ者ですかみたいな状況が長く続いた。

国家的な戦略で、企業にぞくすることを奨励し、所得税の100%補足を考えた。霞が関の殿様方が編み出した仕組みで戦後何十年やって来た。寄らば大樹の陰 で偉そうにしているリーマンの数知れず。会社を背負うことなく、会社の看板に寄り掛かる。そんな奴らが、今の日本のピンチの元凶なのだが、彼らにその意識はない。

霞が関のかつての白皙が編み出したあらゆる施策は、すべて発展途上段階にのみ通用する前例主義に基づく石橋を叩いて渡る話。成熟期を迎え、前例に頼っていたら間違いなく沈む状況にはまったく対応できない輩の話である。国や国民の未来よりも自らの将来を考え、それで良しとする。戦後60年余に渡って営々と積み重ねた仕組みみ乗っかっている時代後れのエスタブリッシュメントのために、間違いだらけを連発しても法外な年金を受け取れる仕組みを作り上げたインチキ野郎のために骨身を削る謂われはない。

というような話を、身銭を切って海外に出て行けば、嫌が応でも、分かるって。そこを面倒くさがっているメディアには存在意義はもはやない。お金儲けがしたかったら、こんなところにいてはいけない。そんな身も心も大企業に売り渡してまで得る対価がそれかよ、みたいな。それだけインチキに魂を売るなら、フェラーリでもロールスロイスでも乗ったらんかい。みみっちい話に耳を傾けてくれるのは、経験の浅い子供だけ。まがりなりにも、自分で生計を立てている大人はそのレベルの話は見透かしている。

メルセデスベンツSLクラスの話は、けっこう示唆に富んでいる。トヨタ86、スバルBRZ、サイオンFR-Sは、ここしばらくのクルマ好きのトップアイテムとなるはずだが、あのメルセデスさえ法規対応と自らのリソースという厳しいハードルに汲々としている中、それをブレークスルーしているところにトヨバル86BRZ.FR-Sの価値がある。そんな見方をする同業はほぼ絶無とは思うが、ここにこそ日本がもう一遍世界の自動車産業の覇権を握る可能性がある。

たしかにダイムラーベンツのドイツやフォードのアメリカは自動車文化の先進国であり、技術の蓄積は膨大だ。しかし、現実生活に不必要なパフォーマンス以外に自らの優秀性を語る術をなくした国に未来などあるものか。過去は大事に振り返る必要があるが、囚われていいことは何もない。これから先まだまだ厳しい状況は続くはずですが、とりあえず、過去において失敗を犯した人々には冷却期間を差し上げた方が良い。少なくとも、議論百出する場を、我々メディアに属するものは用意する必要がある。それができなくて、なんの第三の権力、ペンは剣より強しか。

自分を鍛えるには、世界中を旅する気概を持つことが欠かせない。自分の身体を動かす困難をきちんと理解しないところに、なるほどと膝を叩ける至言はない。まあ、間違いを犯せるところが、若さのしるしか。あちこちに迷惑をお掛けするとはおもいますが、そういうつもりでやっているので、どうか穏便に。@旭川。
Posted at 2012/01/20 00:58:19 | コメント(7) | トラックバック(0) | 日記
2012年01月18日 イイね!

旅を続ける理由(わけ) その2

旅を続ける理由(わけ)  その2連載(?)に入る前に、本日の取材メモ。先週末成田から直行した幕張メッセのとなりにあるニューオータニでプリウスの下に来るトヨタの新しいコンパクト・ハイブリッド『AQUA(アクア)』の試乗会。

一昨年のデトロイトNAIASでFT-CHとして出展され、去年はプリウスCコンセプトとして現れた。北米ではそのままプリウスCを名乗ることになるようだが、その実態はプリウスの下に来る全長4メーターを切るBセグメント。トヨタのハイブリッドがいよいよエントリーレベルにも食い込むという意味で重要なクルマだ。

コスパが問われるカテゴリーとあって、FT-CH、プリウスCコンセプトの段階では、2モーターのTHS-Ⅱではなく、トヨタもついに1モーターに進出か? 先走った推測の下に分かったような気になっていたが、初代プリウスからハイブリッド開発暦17年に及ぶという小木曽CEは「実はモーターやバッテリーの開発が進んだことで2モーターのほうが1モーターより安くなっていたんです」我々が1モーターだ!!とかいって騒いでいる時(実は2モーターなんだよな‥‥)伏せるのに必死だったと聞いて、やられた、と思った。

そんなこんなのとても興味深いアクアの試乗インプレッションは本編にアップすることになっています。唸るところの多いその仕上がりについてのリポートは今しばらくお待ちください。

[昨日からのつづき]

んで、デトロイトであります。ニューヨークJFK空港からはCRJ900(カナダのボンバルディア・エアロスペース社製:CRJ=カナディア・リージョナル・ジェット)。最大90人乗りの小型機だが、デルタのゴールドメダリオンには米国内(ハワイ線を除く)には空きがあればファーストへのアップグレードが約束されている。今回は運良くJFK~DTW間往復ともに前方シートをもらえた。

ここで先入りしていたcarviewT君と合流。GM仕立てのシボレー・クルーズで僕がアメホンから借りたACURA RDXをピックアップにQWIK PARKINGに向かう。で、まずは宿泊するダウンタウンのホテルに直行。Y君がhotwireで引いたホテルは大当たりの良宿だった。旅装を解いた後、クレデンシャルを受け取りにCOBOセンターへ。ここで、GM本社のあるルネッサンスセンター周辺の取材をするというT君とは別行動。30分ほど北にあるウォルター.P.クライスラーミュージアム。僕は2年前に訪れたことがあるが、Y君はまだ。3年前はフォードミュージアムを一緒に訪れた間柄、今回はお連れ申し上げようということになった。

チャプター11を食らうまでのここ10年、クライスラーは不遇の時代を過ごしたが、ここに収められている1970年以前のクライスラー/ダッヂ車は、まさに良き時代のアメリカ車であり、栄光の過去が確実に存在したことを今に伝える。所蔵台数はそう多くはないが、見飽きませんなあ、ここのクルマ達。


2度目なのにけっこう後ろ髪引かれる思いでホテルに戻る。着替えて、ダウンタウンのウェスティンでダイムラーAGメルセデスベンツ恒例のレセプションに向かった。昨年はAクラスコンセプトだったが、今年は第6世代となる新型SLのワールドプレミアだ。

まあ、紐付きでお呼ばれの手合いに率直な批評など期待するだけ無駄だが、それだけが評価と勘違いされたらかなわない。身銭を切ってやって来る意味は、マーケティング部門のプロモーションにどっぷり漬かりながらジャーナリズムを騙ることへのアンチテーゼでもある。

官/業とズブズブの関係にあったメディアのインチキが、白日の下に曝け出された東日本大震災に端を発するフクシマ第一原発報道の大本営発表とまったく同じ構造が、身近にもある。1980年代から100を大きく上回るプレスツアーに参加してきて言うのも心苦しいが、そこに留まることを優先して語るべきことを語らず、為にすることばかり論う。右肩上がりの発展途上段階では許されても、成熟期から衰退のプロセスに入った今では百害あって一利なし。既得権にしがみつく者が大勢を占める状況に未来はない。

強がってばかりいると息が切れてしまうかもしれないが、一人でも抵抗する人間がいたほうが健全だ。新型メルセデスベンツSLクラスは、恐竜伝説の始まりを告げる象徴的存在になるかもしれない。このクラスのスポーツカーにとって何よりも重要なエレガンスの欠如は、いかな無骨や野暮がHUGO BOSSにも共通するジャーマンプレミアムの持ち味とはいっても、このシャープさのカケラもない分厚い面構え、お弁当箱みたいなプロポーションは厳しい。予兆はSLK であったが、ロードスターがプロポーションの価値や意味を問わなくなったら存在自体に意味がなくなる。

こうなる予告は、2006年にデビューしたイアン.カラムの手になるジャガーXKで教えられていた。その独特のヘッドライトとフロントマスクは、これからのスポーツカーすべてが背負う十字架だと解説された歩行者保護規制に対応した結果。天地の高いV8エンジン搭載車でボンネットとエンジン間のストロークを取るのは至難の技。XKではポップアップボンネットとのセットで何とかクリアした。その困難に、メルセデスベンツも直面している。

さすがに三点星のブランドイメージは強力だし、90%アルミ化させたボディワークやパワートレインの改善、内外装の質感、40秒で開閉動作が完了するリトラクタブルハードトップとそれを収納するトランクのハンズフリー開閉機構‥‥。メカニズム、マシンとしての作り込みにジャーマンプレミアムの矜持を感じるが、如何せんこのクラシックテイストはSLS.AMG並みに華を欠く。ある面ホンダのNSXコンセプトと共通する匂いがあるが、LEXUSのLF-LCの艶やかで華のあるスポーツカールックと並べたら、誰が見ても勝負は明らかだろう。

いつもでも500馬力だ300㎞/hオーバーだとアナザーワールドの話で煙に巻こうとしていたら、瞬く間に時代に取り残されてしまう。イメージ的には超保守的でありながら、実は前衛を好み、冒険心を忘れない。それこそが世界最古の歴史を誇る自動車メーカーの拠って立つところだったはず。1990年代初めにあれほど嫌ったクラシックテイストに戻らざるを得なくなったところに、僕はダイムラーの苦悩を見る。

新生マイバッハは約15年の短命に終わった。そこにダイムラーの力業に翳りを見る思いがする。負の連鎖がSLで加速しやしまいか。Cはともかく、S、Eと続けて思わず振り向きたくなるスタイリングからほど遠いデザインが続いている。真のブランド力がこのSLで問われることになるのではないか。乗ればとっても良いクルマ‥‥では、これからのクルマは難しい。見た瞬間乗りたくなるデザイン。勝負はここに掛かっていると思っている。

一夜明けたNAIASプレスデイ初日、デトロイト3を初めとするアメリカ勢が息を吹き返す様に目を丸くし、危機意識が投影されたトヨタとホンダのワールドプレミアに新たな風を感じながら、依然として質/量ともに充実しているが、頑な固さが目立つドイツ勢には終りの始まりを感じた。時代は間違いなくドライブがかかって新たな方向に動き出した。まだまだ大きな変革の途上ということなのだろう。

まだ続くの(?) 多分。

Posted at 2012/01/19 02:24:28 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2012年01月17日 イイね!

旅を続ける理由(わけ)

旅を続ける理由(わけ)デトロイトから戻って、ピュンと4日が過ぎた。本当はデトロイトから直帰したわけではなく、ビッグアップルに寄ってきた。行き帰りともJFKでのストップオーバーがDELTA on lineで購入した格安航空券の条件で、止むなくというか、どうせ行くんだったら楽しい方がいいじゃんという、基本ポリシーに従ったまで。



帰路は、往路と違って到着は陽が落ちてから。宿は、hotwire初のハズレとなったQueensのラマダ。行きと同じホテルだが、ジャマイカエリアというJFK空港近くのエリアで☆三つという条件で選んだそれは、空港から存外に遠かった。空港からのシャトルサービスなど存在せず、迷ったあげくタクシーにボッたくられてげんなりさせられた。

ベッドタイプを確認する労を惜しんだ結果、同行の編集者Yとキングサイズで同衾というトホホも味わった。さすがに2泊目ともなれば学習しており、空港からはAIR TRAINとMETROを乗り継いで来た日の5分の1のコストで到着。しかし、そこからマンハッタンへと繰り出す余力はなかった。さすがに疲れ果ててそのままベッドに沈んでしまい、朝までの記憶はない。

そういえば、10日ほど前にデトロイトで書いたプログでは7日に着いたその日のNYCの話が抜け落ちている。空港では前述のとおり、まずタクシーでつまずいた。そして宿のロケーションと部屋にガックリ。仕方ないのでマンハッタンに地下鉄で繰り出した。タイムズスクエアのTicketsでブロードウェイの当日売り格安チケットを買い求めるのは昨年に引き続いて。ビリー・エリオットが明日(8日)で終演という情報をネットで掴んでいたが、高値の良席を除いてソールドアウト状態。結果、4年連続で『MANMA MIA!!』をウィンターガーデンで見ることになった。昨年は同じ編集部のKと。なんだか、ツアコンだか学校の先生の気分。

本質的には、すべてが自分に返ってくる気儘な一人旅が好き。ふた回り以上離れた世代(それも男)と気を使い合うのも息苦しい。しかし、多少なりとも役に立ち、経験に乏しい彼らの成長の足しになるならそれもいい。若い人が育ってくれることが、先を行く者が楽になる早道だ。意識の薄い個性が相手だと徒労に終わる可能性もあるけれど。

できるかぎり早い時期にできるだけ多様な日本の外の国を見ておいた方がいい。メディアの一員としてクルマを語る立場にいるなら、そうしなければ伝えられないことが多い。インターネットが発達した今、東京にいても国内外の情報は机の上でも集まる。海外に足を運ぶことなく、博識ぶりを誇る者も少なくない。のこのこ出掛けて行っても、所詮蟻の目で十分に取材が足りず、不甲斐ない思いばかりが募ることが多い。

しかし、我が身を現場に運び、この目と耳と肌で確かめた事物に対しては責任が持てる。誤解や間違いはあるかもしれないが、嘘はない。言語能力や知識・経験に限りがあることから、どんな先進国の近代都市に出掛けてもアドベンチャーになってしまう。地下鉄の乗り方から、レンタカーの借方、空港パーキングでの内外メーカー広報車両の引き取り法、駐車場のシステムからガソリンの入れ方等々、コミュニケーションツールとしての言葉が使えないと途方に暮れることばかり。英語力は重要だが、英語だけが外国語じゃないからね。

この3月で還暦を迎える。現実の生活感の中で年齢を意識することはないが、還暦という節目は何か迫ってくるものがある。成人や不惑の時もそうだったような気もするが、それまで凄いことだと思っていたことがなってしまうと何てことない。不惑までは折返点という気分にもなれたが、60×2は考えにくい。幸い老いぼれた気分にはなっていないし、皺くしゃな老人風情にもなっていない。まだ身体は動きそうだし、皆で渡れば怖くないを決め込む不埒な既得権者を糺す気概は充実している。何より今年で42年の付き合いになるクルマの魅力を探求するエネルギーはいささかも衰えていない。できれば後20年は語り部として現役でいたいものだと思っている。

旅するわけは、やはり生身の自分と向き合うことができるから。まだまだありますが、今宵はこの辺で。

果てしなくつづく(笑)

ところで、近々発売予定の注目の記事(当然僕の)が掲載される雑誌の告知をここで。
ひとつは、軽キャンパー・ファンという八重洲出版のムック本。生まれて初めて我が愚妻と共演(?)した1泊の旅もの記事。必見(?)です。
それからdriver1月20日発売号。デトロイトショーの速報‥‥もありますが、トヨタ86開発陣に迫った独占インタビューの短期集中連載第一回、これは読み物として特にお薦めできる仕上がりです。それぞれご購入の上、一読を!!
Posted at 2012/01/18 02:10:29 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2012年01月08日 イイね!

デトロイトなのだ

デトロイトなのだというわけでデトロイト(いろいろあったけれど、詳らかにする余裕はない)。その辺は『はてな』やgoogleのブログに記すことにして、先進もう。デトロイト・メトロポリタン空港近くのQwikパーキングでACURA RDXをピックアップ。即ダウンタウンの宿に向かいチェックイン。

編集YのHOTWIRE仕立ては、昨年リニューアルオープンの川沿いホテル。70年代オリジナルのリバイバルは中々雰囲気のある好火照る。当りだね、これは。CVのT君を交えて、IHOPでランチ。80年代に東京にも進出したアメリカンファミレスはパンケーキなどの甘いもの(おでぶ系)が売りの店。店内のお客の体系は……。触れまい触れまい。

食後COBOセンターに向かいクレデンシャル受領、その後寸暇を惜しむようにクライスラー・ミュージアム。50~60年代の良き時代のアメ車が活いきと感じられるコンパクトで品のよいおもちゃ箱は、久しぶりにいいモノを見た気分に和んだ。

急いで戻って再びダウンタウンのウェスティン。昨年同様メルセデスの2012New Year Start Receptionは,第六世代に突入したメルセデスベンツSLクラスのお披露目。詳細は本編の別項に譲るとして、まずはご報告方々……。

Posted at 2012/01/09 15:04:22 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「撤収!! http://cvw.jp/b/286692/42651196/
何シテル?   03/24 18:25
運転免許取得は1970年4月。レースデビューは1975年10月富士スピードウェイ。ジャーナリスト(フリーライター)専業は1978年9月から。クルマ歴は45年目、...
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