
生きていることを実感するために旅に出ている。ここまで30年余、間違いや失敗は数知れずだが、人を欺く嘘はなく陥れようという邪心も持つことはなかった。妬心に駈られることはあったかもしれないが、それをエネルギーに変え狡賢く生きるようなんて思ったこともない。
傲慢はあったかも知れぬ。そう言っては何だが、ずっとグラビアの世界で体を張ってきた。自動車専門誌という狭い世界ですが、最初からカラーグラビアの顔出しで、還暦の今なおその場を与えてもらっている。露出は激減しても、ポジションは変わらないようだ。
すべては読者のお蔭だと思うし、少ないながらも存在する熱いファンの支持の賜物だと心得ている。だからこそ、一貫した立場を守り、若き日に得た確信に基づいて論陣を張ってきたのだ。さして優秀ではないので間違いは多い。
しかし、間違いは問題ではないと思っている。誤りは正せば良い。知らなかったことを知り、分からなかったことを理解する。知らないことを知り、分からないことを認識することこそが生きるということだ。罪は無知を放置し、知ったつもりの状態で人を欺くことだ。皆が言っているということを免罪符に自らの責任回避を念頭に置き、自らの頭で考えたことではない他人の言説を履くことで糧を得ようとする。
生きるためならしようがない。それは違うのではないだろうか。皆で渡れば怖くないと言い放ったタケシは天才だが、本当に心そこにあらずなのに、自分を捨ててまでして皆で渡っている輩の跋扈を見てみない振りはもうやめにしてほしい。
このブログを始めて、そろそろ丸4年になる。2008年の北京五輪はすでに遠く、ロンドン五輪も瞬く間に過去になろうとしている。北京オリンピックの直後にリーマンショックがあり、上海万博から半年を待たずに東日本大震災とタイの大洪水が追い討ちをかけた。すべては歴史の偶然かもしれないが、これを機会に変わらなければという天の配材と捉え、行動に移す。人間の保守性に根ざした既得権益を打ち破る好機はそうあるものではない。
今から30年以上も前に確信したFR絶対主義は、異なる方向性で進んで来て、その結果として地位を得た人にとっては邪魔者以外の何物でもないだろう。しかし、そんなの関係ねぇ。私利私欲を否定する者ではないが、我利我利亡者はどんなに巨人でも精々が一個の魂、一塊の肉体であり高が知れている。
僕は人間嫌いではないし、仲間を不要とする者でもないし、チームワークやハーモニーやそれによるグルーブ感覚はむしろ求めたい人間だと思っている。ただ利害得失が見え見えの、ねぇねぇおトイレにいこう♪みたいな女学生的ペタペタ感は女学校でやってくれ、なのだ。
弱みは強み、強みは弱み。あけすけのの弱さほどえげつなく強く、鉄壁の強さが弱さの前に為す術もなく霧消する。本来形がなく強度を持たない法やシステムは見えざる弱さが前提となって、誰もが守らないと壊れると思うところからパワーを発揮する。
楽しさを味わおうともせず、それに対応する身体こそが楽しさの原点であることも確かめもせず、誰かに聞いた考えを頭に刷り込んで、対論とも意見とも言えない絵空事を皆が言っている、世界がその方向で動いていると無責任なことを言う。自動車はもっとロマンチックなもので良いのではないか?
より速く、より快適に、より安全に、経済的に‥‥なんていうお利口さんぶった話ではなく、人生を豊かにするための道具として捉え、そのためならこんな使わねぇスピードのためのパワーは要らねぇ‥とか、やっぱ豊かな暮らしには空気は汚さねぇ方がいいべ‥とか、なんだかんだ言ったってドリフトは面白いんだからそれを如何にしたら形にできるか‥とか、とにかくクルマとクルマの比べっこではなく、クルマと(人間の)からだの関係で究めるのが筋ではないの? セクシーなあれやこれやを含めて。
もう、インチキな真面目野郎が、全然言葉の広がりを追求することなく、これまで通りの黴の生えた日本語の言葉遣いで、すでに終りが見えている近代西欧の合理主義やら自然観を無理から翻訳しようとしている。やるなら、それぞれの母語で議論を闘わせてきて、その結果をきちんとした日本語に置き換えたり、あるいは自前の頭で考えた言葉を駆使して伝える努力をしてくれないか。
すでに僕らが何十年にもわたってやって来た作法や言葉遣いや常套句や論法を、世代の入れ代わりだけで自分で編み出したかのようなふりをするのはやめてほしい。ハイパフォーマンスを語るなら、きっちり乗りこなせ。ドリフトを批判するなら、完璧にマスターした上でこんなもん話にならんと言え。目的は楽しむことなのであって、あれこれインチキを語ってお足を頂くことではない。
メーカーのスピーカーになるのではなく、自前の意見を持って闘えよ。俺はこういうのが面白いと思うという身も蓋もない弱々しい意見ほど、磐石を装う巨大企業のメンバーをビビらせるものはない。
世界中のクルマ何千車種全部乗ったからといって、ただ比べるだけの単細胞では人類が求める答えなど得られない。そんな唐変木が一人いるよりも、なるほどそういう嗜好もあるかという多くの異論の持ち主が喧々諤々、議論をして、陰湿な争いや喧嘩になることなく面白さの究極を目指す。
孤立を恐れず、孤高に陥らずと書いたのは、一人でもいいからそう考える馬鹿野郎か増えてくれたらなあの思いから。そういうおもろい奴となら組める。そういう一本立ちが100人いたら凄ぇぞ‥ちゅうかんじですかね。
タイトル画像は、パリ発AF128便で北京首都国際空港第2ターミナルに着いて、北京発成田行きのCA6651便(ANA運行)に乗り換えるために第3ターミナルに向かうシャトルバスから見た朝陽。
リーマンショック以降、ずっと厳しい日々を生きてますが(おっ、このブログを始めてからとも言えますな)、読者の支持があるかぎり、熱いファンの応援があるかぎりやっていくつもり。もうね、今のままでは日本の自動車本当に危ないです。メディアがちゃんと機能しないとね。これは自動車を政府、メディアをマスコミと置き換えて相似形として納得できます。
パリサロンは今から7、8年前の予兆が見えだしたデトロイトNAIASに似た、モノとしてのクルマはまあ揃っているけれど、「で、何?」先に進むダイナモを欠く印象。フランクフルトIAAのジャーマン3ほどのハッタリを利かせる勢いはルノー、PSAにはなく、ドイツは時代のコンセプトが急展開したらやはりデトロイトの轍を踏みそう。韓国は一時の日本のポジションを得ているけれど、高すぎる対外依存度と自国文化を製品商品に盛り込めない矛盾は成長スピードが早い分噴出も速そう。
日本は依然として世界をリードするチャンスカードを引きつつあるのに、国策として自動車産業を維持発展させる構えがない。鉄道や海運、航空などが既得権を主張し、満足な道路網すら構築させようとしない。東京一極集中に象徴される古い仕組みに留まりたがる勢力が、分散型の災害を含む安全保障を考えた国の構造への進化を阻んでいる。
あちこちの国に足を運び、爪に灯をともしながら自らクルマで動いてみると見えてくる日本の可能性は皆さんが考えているより遥かに大きい。
成田へは定刻よりも早く12時40分着。往復11万円台の格安券なのにプライオリティタグ付きでさっとバゲージも出てきて、京成スカイアクセスエアポート快特でビュン。途中仕事終りのオタチと品川で合流して、京急神奈川駅近くの味奈登庵で蕎麦と日本酒とカレー丼等々。
まあ、季節は冬に向かいますが、なんとか暖かくなるようにしないとね。読者の皆さん、濃いファンのあなたか頼りなので、どうかよろしく。進むべき方向性は見えているのですが、なかなか形になりません。まぐまぐ! のメルマガもまだまだ。officialblogのDRIVING JOURNALも再起動を掛けてちょっと刺激的な展開を考えるので、時折覗いてみてください。おっ、FACEBOOKとtwitter、youtubeもね。
Posted at 2012/10/04 04:45:54 | |
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