
皆さん、おはようございます♪
今朝も、徒歩通勤の傍ら「朝活ウォーキング」をしてから出社しました。
先ほど、何気なくdocomoの「dヘルスケア」アプリ/万歩計で、今朝の歩数を見ていたら…
今日は、今現在で「11,117歩」歩いていました♪
この数字…下3桁が「117」となっていたので、“クルマ好きあるある”ですが、つい「いすゞ 117クーペ」を思い出しちゃいました💦
「いすゞ 117クーペ」が、販売されていた当時は、まだ国産車では「117クーペ」のような流麗なクーペフォルムを持つクルマはほぼ無く、一部のクルマ好きにとっては憧れのクルマでした♪
私自身は、「117クーペ」には乗った事は無かったのですが、学生時代に免許を取りに行った教習所のクルマが、「117クーペ」と車台を共有する「いすゞ フローリアン」でした😅
「フローリアン」は、シフトレバーがまだ“コラム式”で、ステアリングコラムからシフトレバーが生えていました(笑)
「117 クーペ」の概要(下記)を、拾って来ましたので、ご覧ください♪
流麗なデザインを備えた4座クーペであり、1970年代の日本車を代表する傑作の一つに数えられる。
1968年に発売されて以来、長期にわたり生産され、長く「いすゞ」のフラグシップを務めた。
車名の117は、開発コードネームである。
型式は1.6L車がPA90、1.8L車がPA95、2.0L車がPA96となる。
これらの電子制御エンジン車がPA90E、PA95EおよびPA96Eであり、ディーゼルエンジン搭載車がPAD96となっている。
車名の由来は開発コード番号で、117サルーンのコードネームで開発されていたフローリアンのクーペ版としての位置づけである。
そのためシャーシ、ドライブトレーンをフローリアンと共有する。
コンセプト、デザイン、パッケージ、スタイリングはカロッツェリア・ギアに委託され、当時のチーフデザイナーであったジョルジェット・ジウジアーロが担当した。
その後、ジウジアーロはギアを退社して独立、イタルデザインを立ち上げたが関係は続き、量産指導はイタルデザインの初仕事となった。
最初期のプロトタイプであるギア/いすゞ117スポルトは、1966年3月の「ジュネーヴ・モーターショー」で発表され、同ショーで「コンクール・デレガンス賞」を獲得した。
その後イタリアで開催された国際自動車デザイン・ビエンナーレに出品され、名誉大賞を受賞している。
全体のフォルムは1960年代半ばに登場したフィアット・ディーノ・クーペに極めて似ており、前後のホイールアーチに呼応してうねるフェンダーのラインは、かつてのイタリアンデザインの特徴で、「ザンザーラ(虫)」と呼ばれる小型レーシングカーやイソ・リヴォルタ・グリフォなどにも通ずるスタイルである。
大きなグラスエリアに細いピラー、半分だけヘアライン仕上げが施されたドリップモール兼用のステンレス製ウインドウガーニッシュ、リアウィンドウに直にかぶさるように閉じるトランクなど、各部に斬新で繊細なデザイン処理が窺える。
21世紀初頭の現代に至るまで、その原型デザインは完成度の高いものとして評価されている。
技術的にも日本で初めて電子制御燃料噴射装置を搭載するなどエポックメイキングな車であり、4座のラグジュアリークーペとしてのカテゴリを確立した車でもあった。
さらに特筆すべき点として、本車117クーペは、発売開始から10年経った時点で登録台数の98%がまだ現役だったという逸話がある。
長期生産にもかかわらず総生産台数は85,549台に過ぎないが、絶版から40年以上経った現在でも旧車趣味界での人気は根強く、多くの愛好家によって保有・維持されている。
(※以上、Wikipediaより)
なんだか、とっても懐かしいですね…
私達の世代にとっては、“懐かしい名車”であるが、私達より下の世代の皆さんにとっては、ほとんど知らないクルマ…に属するんだろうなぁ…😅
20代30代の皆さんだと、「いすゞ」が乗用車を生産していた事すら知らないんだろうなぁ…💦
ただ、「117 クーペ」後継モデルとなる「いすゞ ピアッツァ」(和製デロリアンとも呼ばれた)なら、初代「ソアラ」と同じ時期に発売されたので、ご存知の方も多いだろう😊

ピアッツァのCMソングは阿川泰子が唄っていた♪
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2025/06/04 10:30:00