イチロー氏 アメリカ野球殿堂入り 日本選手で初
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2025年1月22日 11時21分
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大リーグで大きな功績を残した選手などが対象となるアメリカ野球殿堂入りが21日に発表され、シーズン262安打の大リーグ記録を持つイチローさんが選ばれました。注目されていた満票での選出には1票届きませんでしたが、日本選手のアメリカ野球殿堂入りは初めての快挙です。
目次
《イチロー氏 会見で何を語った?》
背番号「51」マリナーズの永久欠番に
目次
《イチロー氏 会見で何を語った?》
背番号「51」マリナーズの永久欠番に
殿堂入り 満票選出には1票届かず
注目
イチロー氏の金字塔と功績
得票率は歴代3位
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《イチロー氏 会見で何を語った?》
イチローさんは殿堂入りの知らせを受けたあと、シアトルにあるマリナーズの本拠地球場で記者会見に臨みました。
現在も球団のインストラクターを務めているイチローさんは白いTシャツに黒のジャケット姿で登場し、現役時代から自身の通訳を務めるアラン・ターナーさんとともに会見に臨みました。
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「1票足りなかったのはすごく良かった」
イチローさんは史上2人目の満票での選出に1票届かなかったことについて「1票足りなかったのはすごく良かった」と笑顔で受け止めを話しました。
そのうえで同じく満票に1票届かなかったヤンキースのチームメートで親交の深いデレック・ジーターさんを引き合いに出し「ジーターと一緒。努力とは違うので補いようがないものだが、不完全な中で自分なりの完璧を追い求めて進んでいくのが人生だと思う。不完全であるというのは生きていく上でいいなあと改めて考えさせられた」と話していました。
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「東京ドームでの引退の時間 これからも僕の支えに」
イチローさんはこれまででいちばん達成感があった場面について問われると「いろいろな記録にまつわる数字はあるが、おそらく多くの人が経験できるものではない時間として、2018年5月から選手としてはプレーができなくなった時間があげられる。よくとしの引退につながる時間だが、10月まで次の年を信じて練習だけの時間を過ごした。あるプレーやある記録というものよりもこの経験が僕の支えになっている。さらに2019年の東京ドームでの引退の時間は、試合が終わっても球場に訪れたお客さんが待っていてくれて、あの瞬間がこれからも僕の支えになると思う」と振り返りました。
また、若い選手へのアドバイスを求められると「僕は18歳でプロ野球選手になったときに大リーグでプレーすることは想像できなかった。それが日本でプレーするうちにアメリカでプレーしたいという気持ちが芽生えてきて、徐々に段階を踏んで進んできたという感触がある。何年プレーできるかまったくわからなかったが最終的に19年プレーできて今に至る。僕が比較にはならないくらい才能ある選手がたくさんいた。 それを生かすかどうかは自分自身で、自分の能力を生かす能力があることを知っておいて欲しい。自分をどれだけ知っているかということが結果に大きく影響することを知っておいてマイナスはない」と話していました。
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「日本人野手の指標や基準にされる認識があった」
イチローさんは殿堂入りを知らせる電話を受けたときの心境について「待機してから15分を過ぎても電話がなかった時に『これはないんじゃないか』と思って、すごく不安になった。実際電話がかかってきて報告を受けて、すごくうれしかった。『やった』というよりも、ほっとしたという気持ちのほうが強かった。おそらく喜びはこれから出てくるのではないか」と話しました。
大リーグで日本の野手として初めてプレーした当時の思いについては「2001年は、日本人の野手で初めての挑戦で日本で7年続けて首位打者を取ってのタイミングだったので、アベレージヒッターにとっては僕が指標になるというか、基準にされるという認識があった。日本人の野手の評価は僕の1年目で決まるという思いを背負ってプレーした記憶がある。その後、3年プレーした時に、ようやく周りからもアメリカの人にもある程度認めてもらった感触があった」と振り返りました。
そのうえで日本選手として初めて殿堂入りを果たしたことについて「日本人選手として初めてということは、僕を表現する時に何かとつきまとうことだが、きょうの気持ちで言えば、それが何かにつながるとか、そういう風には現段階では捉えられない。おそらく時間がたった時にあれはこういうことだな、といろいろなことがそうであるように、これもそのひとつだと思う。やっぱり時間がたってからでないと、人というのは現在起きていることが正しいか間違いかとか、判断が難しいわけでこれもそのひとつだと思う」と話していました。
「2001年には地球上の誰も想像していなかった」
マリナーズ・2001年
イチローさんは「自分が殿堂入りのこの日を迎えるということは、2001年には地球上の誰も想像していなかったのではないか。あまりにも多くのことがあり、当然、いいことばかりではなく苦しいこともあったが、1歩ずつ近づいてこの日を迎えたことはことばで言い表せない気持ちだ」と感慨深そうに話しました。
そしてマリナーズの地元、シアトルのファンに向けては「2018年にマリナーズに戻ってきた時に温かく迎え入れてくれたこと。特に2018年の開幕戦は自分の中でトップファイブに入るほどのハイライトだった。一度出て行った選手をまた戻してくれたことが本当にうれしかった」と感謝の気持ちを述べました。
背番号「51」マリナーズの永久欠番に
イチローさんのアメリカ野球殿堂入りを受けて大リーグのマリナーズはイチローさんが現役時代につけた背番号「51」をマリナーズの永久欠番とすると発表しました。
球団によりますと、ことし8月9日に本拠地でセレモニーが行われ、そこで正式に背番号「51」が永久欠番になるということです。
殿堂入り 満票選出には1票届かず
アメリカ野球殿堂は、選手の場合、全米野球記者協会に10年以上所属する記者による投票で、選手としての記録やチームへの貢献などを基準に75%以上の票を得た候補者が選ばれます。
21日、ことしのアメリカ野球殿堂入りが発表され、マリナーズなどで19年にわたってプレーし、2019年に引退したイチローさんが選考対象1年目で選ばれました。
イチローさんはことしの殿堂入りの候補者の中でトップとなる、99.7%の得票率で、注目されていた満票での選出には1票届きませんでしたが、日本選手で初めてアメリカ野球殿堂入りを果たしました。
プロ野球のオリックスから2001年に大リーグのマリナーズに移籍したイチローさんは最初のシーズンから10年連続で200本以上のヒットを打ち、2004年にはシーズン262安打をマークして大リーグ記録を84年ぶりに更新する快挙を果たしました。
大リーグではマリナーズとヤンキース、そしてマーリンズで通算19年プレーし、歴代24位の3089本のヒットを打ちました。
イチローさんは今月、日本の野球殿堂にも選ばれていて外国人選手も含めて初めて日米両方の野球殿堂入りとなりました。
野球殿堂の表彰式典はことし7月にニューヨーク州クーパーズタウンで行われる予定です。
イチロー氏「とても光栄なこと」
アメリカ野球殿堂入りが発表された現地放送局の番組に出演したイチローさんは「2001年に挑戦が始まった当時は僕が2025年にきょう、殿堂入りの発表の場にいられることは想像できなかった。大リーグでプレーすることすら議論があった中で、僕個人としても日本のプレーヤーとしても初めてで、とても光栄なことだ」と喜びを語りました。
そのうえで「野球の魅力はゲームそのものはもちろんあるが、多くの人に出会えることだと思う。出会いが自分を作ってくれる、そして自分を作ってくれた。それが何よりの財産で楽しいことと言えると思う」と話していました。
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2025/01/22 11:28:53