大熊町 帰還困難区域の一部で避難指示解除 住民帰還など課題
06月30日 17時50分
東京電力福島第一原発が立地する大熊町の帰還困難区域の一部で、11年余りにわたって続いてきた避難指示が、30日午前9時に解除されました。
避難指示が解除されたのは、大熊町の面積の6割を占める帰還困難区域のうち、2割にあたるJR常磐線大野駅周辺の8.6平方キロメートルの地域で、震災前には、商店街や学校などがあり、当時の町の人口の半数にあたる、およそ6000人が暮らしていました。
原発事故のあと、放射線量が比較的高いとして立ち入りが厳しく制限されましたが、国が特定復興再生拠点区域に認定して先行して除染を行ってきました。
30日は、午前9時に町の防災無線で避難指示が解除されたことが伝えられ、駅前では警察や消防などによる町内パトロールの出発式が行われました。
町によりますと、この地域で住民票を登録しているのは2233世帯、5888人で、去年12月からは帰還に向けた生活再建の準備のため、18世帯49人が自宅などで「準備宿泊」を行っているということです。
しかし、町の半分の面積は、帰還困難区域となったまま避難指示が続いており、住民の帰還と新たなまちづくりをどう進めるかが課題となります。
大熊町の吉田淳町長は「11年3か月かかったが、ようやくここまで来ることができた。ただ、避難指示解除はゴールではなく、スタートラインに立ったということだと思う。かつての町の中心部がもとに戻ることはないと思うが、コンパクトで特色ある町づくりを目指していきたい」と話していました。
【帰還予定の夫婦は】。
大熊町のJR大野駅の近くに自宅がある伏見明義さん(71)と妻の照さん(69)は、帰還の準備を進めようと、3年前に避難先の田村市から大熊町の他の地区にある災害公営住宅に引っ越しました。
2年前からは、毎朝、JR大野駅の清掃の仕事をしていて、30日も、夫婦で駅の階段や手すりの掃除をしていました。
現在は、災害公営住宅にある家具などを駅に近い自宅に少しずつ運び出しており、早ければ、ことしのうちに生活を再開させたいと考えています。
伏見さんは「解除になったのはうれしいが、帰ってくることができない人のことを思うと、なんともいえない」と話していました。
照さんは「自宅に住むことができるのは、やっぱり安心する。ここまで除染してもらって、帰ることができるようになってありがたい。若い人がいっぱい住むことができるように復興をしてほしい」と話していました。
【帰還準備中の人は】。
大熊町で30日、避難指示が解除された地区に住んでいた男性は、避難先の田村市から町内の自宅へ荷物を運び、帰還への準備を進めていました。
大熊町の亀田典夫さん(70)は、7年前から田村市都路地区で一軒家を借りて、避難生活を送っています。
自宅はJR常磐線大野駅の近くにあり、去年12月に始まった「準備宿泊」を行いながら、避難先の荷物を少しずつ運び入れて帰還の準備を進めてきました。
業者に頼んで清掃してもらったり、エアコンを取り付けたり、趣味のステレオ機器を避難先から移したりして、生活できる環境が整ってきたといいます。
ただ、自宅の近くには買い物ができる店も病院もなく、すぐに生活を始めるのは難しいと感じています。
亀田さんは、商業施設などを整備する駅前の復興事業の進捗などを見ながら、自宅での暮らしを再開する時期を考えることにしています。
亀田さんは「解除したと言っても、自宅の周りの景色は変わらないので実感もない。住めるようになるには、まだいろいろ課題はあるが、自分なりにやるしかない」と話していました。
Posted at 2022/06/30 19:39:31 | |
トラックバック(0) | 日記