プロ野球 阪神元監督 吉田義男さん死去 91歳 初の日本一に導く
2025年2月4日 18時22分
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プロ野球、阪神の名ショートで監督としても1985年に球団を初の日本一に導いた吉田義男さんが脳梗塞のため、3日亡くなりました。91歳でした。
吉田さんは京都府出身で、立命館大学を経て1953年に当時の大阪タイガースに入団しました。
走攻守三拍子そろった選手として1年目からショートのレギュラーで活躍し、軽快で華麗な守備から「牛若丸」と呼ばれ、1962年と1964年の2回のリーグ優勝に貢献しました。
プロ通算17年で打率2割6分7厘、1864本のヒットを打ったほか盗塁王も2回獲得しました。
引退後は阪神の監督を3回務め、2回目に指揮をとった1985年には、三冠王を獲得したランディ・バース選手、掛布雅之選手、岡田彰布選手ら強力打線を擁して球団創設以来、初の日本一に導きました。
阪神では長年の功績をたたえて現役時代の背番号「23」を永久欠番としたほか、1992年には競技者表彰で野球殿堂入りを果たしました。
また阪神の監督のほかにもフランス代表の監督を務め国際的にも活躍しました。
関係者によりますと、吉田さんは最近、体調を崩していたということで、脳梗塞のため3日亡くなりました。
91歳でした。
阪神 粟井社長「23番は永久欠番 長きにわたり球団発展へ貢献」
吉田義男さんの死去を受けて阪神の粟井一夫社長は「心よりお悔やみ申し上げます。現役時代は華麗な守備で『牛若丸』と称され、監督としても日本一に導かれるなど、多くの功績を残し、現在も『23番』の背番号は当球団の永久欠番となっております。退団後も球団関係行事へ献身的にご参加いただくなど、長きにわたって球団の発展へ貢献いただいたことに対しあらためて感謝の意を表するとともに、これまでのご功績に敬意を表し、心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。
藤川球児監督「偉大な大先輩 私たちが責任持って次の世代に」
阪神の藤川球児監督は「突然の訃報に驚いています。偉大な大先輩であり、またお元気な姿で再会して叱咤激励いただけるつもりでいましたので、残念でなりません。すばらしい先輩がたが作り上げた伝統を、私たちが責任を持って受け継ぎ、また次の世代に繋いでいきたいと思いますし、天国の吉田さんに良い報告ができるように目の前のことに全力を尽くしてシーズンを戦っていきます。ご冥福を心よりお祈りいたします」とコメントを出しました。
Posted at 2025/02/04 19:32:40 | |
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