信号待ちをしていると、ときどき原付と一緒になることがあります。つい習慣で、右足をチェックしてしまいます。――君も右足をケアしないのか、と平和な道路事情に安堵するのと同時に、少しだけ寂しい気持ちになります。
最近、右足を下ろしたり、出したりしている方が非常に多いです。今は、禁止行為ではないのでしょう。二段階右折が義務付けられた影響なのではないか、と推察しています。
私が、この気持ちになる理由を説明するには、大昔の記憶をたどらなければなりません。
――原付の免許を取得したのは、高校1年のときでした。遠距離通学を考慮した教育委員会の特例で、バイク通学が許可になったのです。当時、普通科でバイク通学ができたのは、特権に等しく、他校からは羨ましがられました。一例として、下校途中、ある高校の前を通ると、いつも横浜銀蝿のような集団からの罵声を浴び、食べかけのアイスや空き缶のようなものを投げつけられることもありました。彼らに敵意はなく、単にからかわれているだけなのは分かっていました。場所が彼らの正門の目の前で、しかも教師の監視もあったのです。からまれる怖さよりも、昼日中に堂々と乗れる愉悦が勝っていました。
この特権と引き換えに、定期的な厳しい教習が義務付けられていました。いつも白バイが10台くらい集まっていたと記憶しています。高校近くの公園が会場となり、現役隊員の方々から厳しい指導を受けていました。
当時の埼玉県は、交通事故件数が悲惨な状況でしたので、教官の熱量には圧倒されっぱなしでした。さすがに露骨な体罰はありませんでしたが、「履修態度に問題あり」と高校に通告されたらアウトですので、免許試験本番よりも緊張していました。
ここで徹底的に叩き込まれたのが、停止時の右足の置きかたでした。少しでも右側にはみ出していようものなら、注意されたものです。極度のあがり症だった同級生は、怒られれば怒られるほど、地に足が付かない状態に陥ってしまい、ついには、棒で右足を突かれていました。
「いいか、ここ出すなよ」
「はいっ……」
「分かったか、ここ出すなよ。おい、聞こえてるのか、ここ出すなよ」
「はい!」
時代が変われば、交通法規も変わるものです。乗り物の性能も変わり、文化や習慣も変化します。なのに、あの教官達の熱意と真剣さだけは、ときを超えて、あのままの状態で私の中で生き続けています。冒頭の場面に遭遇するたびに、教官達の本気度がすごかったことを、あらためて思い知らされてしまうのです。
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2023/09/07 07:15:48