
自験の「実録」を「どぶろっく」バージョンでご紹介します。
私の中でいつしか、菊池桃子さんが、「銀河鉄道999」のメーテルのような存在になりつつなります。彼女は、私の人生の幸せを一生懸命祈ってくれるし、応援もしてくれます。精神的な支柱ともいうべき、心強い存在です。でも、常にイベントでの別れの時刻は、約束されています。
原作のメーテルと星野鉄郎の旅は、劇場版の初回作「銀河鉄道999」と続編「さよなら銀河鉄道999」の両方を観ました。両作品ともに主題歌が素晴らしく、最後の別れのシーンに流れたことがインパクト絶大でした。曲調と場面とが見事にオーバーラップしていたのです。歴史的名曲の評価を得たゴダイゴだけでなく、「SAYONARA, Don’t look back, Don’t ask why」のメアリー・マクレガーの歌唱も同じくらい素晴らしかったと思います。
ところで、少年時代に、メーテルを桃子さんと重ね合わせたことは一度もありませんでした。メーテルは、自分を青春時代の幻影だと語っており、自称「若者にしか見えない時の流れの中を旅する女」だったからです。もしも、桃子さんがアイドルを卒業して、自然に芸能界を引退していたら、偶像化という意味で、メーテル化していたかもしれません。
長らく、自分の中では、「菊池桃子は実在するのか」が、かつての水曜スペシャル「川口浩探検隊」シリーズ並みの壮大なテーマになっていました。
番組のオープニングで、緊迫感のある田中信夫のナレーションが続きます。――クレオパトラや楊貴妃の美女伝説。残念ながら、我々は、彼女達の姿を拝むことはできない。しかし、現代において、人間離れした美しさで、まるで妖怪のようだと形容される美女が日本にいる。桃乃木隊長は、その存在に対して懐疑的な見方をしていた時期もあったという。しかし、この会場に現れるという有力な情報とSS席の入場券を入手した。すぐに選ばれし男としての責任を全うしたい気持ちが強まった。もしも、桃子が本物の妖怪で、その場で命を差し出すように命じられたら、そうするしかないと話す。そもそも心拍数を正常範囲に保つことなど到底不可能で、心臓が耐えられないかもしれないのだ。前方に気配を感じて歩みを緩めた瞬間の出来事だった。隊長は、想像を絶する事態と遭遇する。もしかして、これは地獄への一方通行の入口なのか! (ピアノのガーンという効果音→CM)
さすがに、22回も拝顔の栄を浴していると、自分の中のリトル桃乃木から叱られます。――素直じゃないな。目の前に、こんなに美しい本人がいるじゃないか。幻影じゃないだろ。もういい加減認めろよ、と。
去年のディナーショーのフロアでの交流で、「菊池桃子は実在する」と確信できるようになりました。――桃子さんが私の目の前を緩徐に通り過ぎた刹那の出来事でした。このとき、彼女の左肩パットと、私のジャケットの右腕部分にできていたシワの盛り上がりが擦れ合いました。シワが一瞬寝そべったあと、跳ね上がるようにして元の形に戻っていくのが見えました。身体は、当たっていません。お互いの服が一瞬だけ接着してから剥がれたのでした。
ファンクラブでは、文芸での自分の筆名である「もものき・けんじ」を名乗っています。本名よりも大事な名前です。桃子さんは、「ケンジさん」と呼んでくれます。そこが彼女の心遣いであり、優しさなのだと思います。メーテルも、決して、「星野さん」とはいわないと思います。
実は、原作の星野鉄郎は、男冥利に尽きる言葉を、メーテルからもらっています。一度目の別れでは、「さようなら、鉄郎」といわれました。二度目には、「さようなら、私の鉄郎」になっていました。羨ましい限りです。
実録は、以上です。
ここで、「どぶろっく」師匠の登場です。
――もしかしてだけど、桃子は、ファンに囲まれていなければ、「ケンジ」と呼び捨てにして俺に甘えたいんじゃないの~。
あの人の目がうなずいていたよ
別れも愛の一つだと。
Posted at 2026/07/11 10:21:01 | |
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