
自験の「実録」を「どぶろっく」バージョンでご紹介します。
MOMOKO KIKUCHI 40th Anniversary FINALが終わりました。2日連続の興行で、のべ45曲を歌いあげた見事なステージでした。
2日目の大詰めを迎え、主要曲は出尽くしていました。
「桃ちゃん、あの曲は、やらないのか?」
ステージに向かって語りかけ続けていました。自分が一番好きで、一番聴きたい曲がスルーされ続けていたのです。隠れた名曲であり、ファンが埋もれさせてしまった部分もある痛恨の名曲でもあります。この話をするには、10年前の出来事に少し触れなければなりません。
2015年のコンサートツアーMOMO CAN SHAでは、ファン投票でセットリストが決められました。ベスト10形式でした。4位になった曲を歌うのに、桃子さんは、戸惑いを見せ、苛立ちのようなものも見え隠れしていました。ラ・ムーの4thシングル「青山killer物語」という曲で、セールスは、2.1万枚に終わっていました。アイドル時代には、30万枚をコンスタントにセールスしていた桃子さんは、この不振により、いったん歌謡界からの退場を余儀なくされたのです。
ステージでの桃子さんは、「ラ・ムーを応援してくれなかったじゃない」という趣旨の愚痴を繰り返していました。「私、人前では、この曲を4回しか歌ったことがないんだよ」とも語っていました。私は、この様子を会場となった大阪サンケイホールブリーゼの最前列中央で目撃しており、細かな表情までよく見えていました。
あの奇才、小室哲哉をして、「アイドルにこんな曲を歌わせていいのか」と仰天させたといいますから、時代をかなり先取りした音楽でした。当時の自分も、ブラック・コンテポラリーと称されたソウル系の音楽にはついていけませんでした。かつての女神が、7人から構成されるバンドのボーカルに格下げになった感覚を払拭できず、どうしても以前のような感情移入ができなかった記憶があります。
ラ・ムーが世間からコミックバンド的な扱いを受けても、古くからのファンとして支援できなかったのは、痛恨の極みです。多くの桃子ファンは、ラ・ムーも支持していたと語りますが、セールスの数字「2.1/30」がすべてを物語っています。
イベントでの約束事でしたので、10年前の桃子さんは、プロに徹して、ラ・ムーの「青山killer物語」を熱唱しました。自分は、全力で手拍子をしながら、ずっと懺悔している感覚でした。でも、あのとき、桃子さんは、ステージ上で何かを感じたと思います。ファンのラ・ムー待望論は、本物だったのです。
――あれから10年が経ちました。
2日間に及んだ40th Anniversary FINALで、通算45曲目の〆に選ばれたのは、ラ・ムーの「愛は心の仕事です」でした。
「待ってたよ、桃ちゃん、やっときたぜーっ!」
狂喜乱舞しました。この曲を初日のオープニングからずっと待ち続けていたのです。
和製ホイットニーの才能を持つコーラスがキレキレになり、ベースとギターは飛び跳ねながら演奏していました。20代のスタジオミュージシャン達にとっては、まるで持ち歌のように、とてもしっくりくるリズムだったようです。
桃子さんは、歌唱に没頭しつつ、会場の異様な盛り上がりに、この曲が自分の代表曲になったことを強く認識したと思います。そして、自信を深めたことでしょう。
実録は、以上です。
ここで、「どぶろっく」師匠の登場です。
――もしかしてだけど、俺を焦らすためにわざと45曲目にしたんじゃないの~。
I-My-Me-Mine, My Boy
Posted at 2025/04/26 08:36:25 | |
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