車検のブログでもお話しましたが、長年お付き合いのあった修理工場のオヤジさんが先月末にお亡くなりになられました、享年84歳…ずっと現役の頼りになる整備士さんでした。
このお店、私の実家の斜向かいでずっと昔から営業しており、私が幼かった頃はその隣の建物で、そのまた親父さんが牛を飼育していたのを覚えてます。エンジンの音に混じって時折聞こえる牛の鳴き声…実にのどかな時代でした。
1~2分で歩いていける距離ですので、ここでの思い出はたくさんありましたね。
私が小学生高学年の頃に巻き起こったあの「スーパーカーブーム」。
実はあのブームの数年後に、ここでもそういった車が当たり前のように見られたのを覚えています。というのもこのオヤジさん、ここで修理工場を開業する前は外車ディーラーでメカニックをしていたそうで、その繋がりから主に外国車ばかりが頻繁に出入りしていたんです。
ポルシェにBMW、マセラティ、デトマソ、ベンツ、ジャガーなどが多かったかなぁ。中でも特に英国車に強かったようで、モーガン、ミニ、ヒーレー、ロータス、そして3輪車のボンドパグなんてレアなのもずっと置いてありましたっけ。あのデカいマスタング・マック1も実車をここで初めて見た記憶がありますし…とにかく日本車をメインで扱ってなかった(ように見えた)だけに、ちょっとうちの両親には敷居が高かったんでしょうけど…その分私はよくここに出入りしてました。なんたって実家の2階の窓からは、いろんなカッコいい、見たことも無い車が頻繁に出入りする光景が見られましたからね。ちょっと大き目な排気音が聞こえただけで、窓に飛びついて眺めていたもんです。
その時の写真、中学の時の下敷きに挟んでいたのが今でも残ってますが…こんなのが普通に出入りしてましたもん。
良い環境でしょ。。。
なので、こういった“ちょっと普通じゃない”国産車もちょくちょく入って来たのを見ては興奮してました。
ヨタハチやホンダのSシリーズもあればフェアレディSR、箱スカGT-Rといった名車と言われる車もちょくちょく来てましたね。後年、私の知り合いの初代シルビアの乗られてる方は、偶然ここに飛び込んだことで今のシルビアに乗り続けることが出来てるそうですからね。国内外問わず、門戸は広く開放されてたようです。。。(後日、オヤジさんから話を聞いて、それが私の知り合いだってことがわかったんですけど。)
そうそう、小学生の低学年の頃だからまだまだスーパーカーブーム前のことですけど、ここでそのトヨタ2000GTがフロント部分を事故で潰れちゃってる状態を見たのを記憶してますが、それがこの工場に出入りするきっかけになったかもしれません。ずっと眺めてたんですが…今思えば、変な子供です。
それと共にもう一つショッキングな光景がおもいだされます。中学生の頃だったかな、ここにジウジモデルのロータスエスプリS2“World Chanpoin記念”の黒ボデーにゴールドのストライプの入った個体が車両炎上した状態で入ってきたのを見たのも強烈な印象として残ってます。。。あの時は「修理するよ」って言ってましたが…どうなっちゃったんだろう?
(画像はネットからの拾いモノです。当時写真撮れば良かったなぁ…)
また、このマーコス1600GTを初めて見せてもらった時は衝撃的でしたね。
ペッチャンコで鼻の長い車…一時はオヤッさん、これ乗られてましたもん色違いのダークブルーもあったかなぁ。近年はこれにエアコン付けるんだって頑張ってたなぁ。。。
そして今でもお店の中に保管されてるのが、ずっとご愛用だった初代のロータスエラン。ご夫婦で仲良くいろんなイベントに出てたのがいろんな雑誌やネットでもよく出てたなぁ。とにかくこういった舶来モノの旧車を集めての会合にはかなり精力的に参加されてましたもんね…実に良い歳の取り方だなぁって思いました。
そんなブリティシュなスポーツカー遍歴に混じって、実はこれが最も忘れられないlクルマなんです、私には。
パブリカ・デタッチャブル。
レアでしょ…コンバーチブルじゃない、脱着式FRPトップをもったパブリカなんです。
シングルナンバーでずっと車検を切らさず、30年ほど前にはお嬢さんが引き継いで乗ってました。メーターパネルをパブリカSから移植してちょっとだけスポーティーにして、あの独特なバランバランという空冷対抗2気筒の音を響かせて走る姿はカッコ良かったなぁ。もちろんいったん屋根を外しちゃうと、置くところは困るわ、突然の雨にはお手上げになるわ…で、結局しばらくしたら、2柱リフトの上にずっと上げられたままになっちゃってて。。。
10年程前に覗いたら「あのクルマ、欲しい人に譲っちゃったんだぁ。転売しないってのを約束してたのに、すぐに売っちゃったって聞いて寂しんだよなぁ。。。」って言ってたのが思い出されますが…
実はこれが突然ヒョッコリと、この3月中旬に"とある旧車専門店"に買い取られて入ったのを偶然見かけ、この珍しい個体と当時モノのナンバーからピンと来た私はすかさず写真に収めたのがこれ。
嬉しいことに当時ナンバーも残っていれば、車体も劣化が見られるわけでもなく、それなりに大切にされていたようで…貴重な個体ですもん、ホントうれしくって!!!
そしてその2週間後に実家に立ち寄った際、約2年ぶり(前回の車検以来です)にこの修理工場にも顔出して「オヤジさんが昔乗ってたクルマ、見つけたよ!」って報告に行ったところ…
娘さんから「最近、身体の調子が悪くなっちゃってねぇ。でもこの写真見せたらきっと元気になるわっ!」って言う話を聞いて…それで病気なんだってことを知ったんです。だからこの写真が少しでもお役に立てたらうれしかったんですけどね…。
でもその翌週に、うちのオフクロからLINEが入って…「救急車が来てるみたい」
そしてそれからしばらくして…お亡くなりになられたようです。
このコロナ禍の中でしたが、幸いにも最期はご家族にも看取られながらの旅立ちとなられたそうですが、この昨今の状況を鑑みて葬儀もご家族と近親者のみで小規模に行ったとのこと。
生前はかなり外交的な方で、その交流も多岐に渡ってましたので、このコロナ騒動さえなければきっと…自動車関係の各方面からかなりの方々がお越しになり盛大な告別式になったであろうことは間違なく、ホント残念です。
(なのでご近所にも知らせず…だから私の両親すら知りませんでした。)
この先お店は…間違いなく廃業するそうです。あとを継ぐ方もいらっしゃらず、またそこで20年近く働いてたメカさんは、これを機会に別のお仕事をされると決めたとかですもん!?
実に寂しい決定ではありますが…仕方ありませんね。
そうそう、いつも言ってたっけかなぁ。
「そろそろ引退して、ゆっくりと過ごしたいんだけどね…定年なんてのは無いし、皆が来てくれるから断れないんだよ」って。
でもこれでついにゆっくりできる時が来ちゃいましたね…不本意でしょうけど。。。
オヤジさん、ほんと今までありがとうございました。。。
Posted at 2020/05/19 22:34:44 | |
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