
カウンシルに向かう道すがら、ららぽが見えてきて「ここが昔サーキットだったとこですよね」なんて話をしていました。
そんな話を帰ってからご長老クラスに話していたら、ああ懐かしいというわけです。
1965年から約2年しか稼働せず、殆ど知られずに姿をオートレース場に変えたわけですが、よく考えるとこの写真に見える殆どの長老スーパー自動車達も、船橋サーキットは見てない事になります。
スーパーカーブームはまだ少し先なんですよね。とはいえ、ブームが来たとして母体の経営が破綻しそうだったようなので、延命で来たかは謎ですが。
https://car.watch.impress.co.jp/docs/series/oku_race/1263367.html
写真で見る限り狭い敷地に最長3.1kmのコース距離を確保する為、やたらテクニカルでギッチギチに見えますが、このページにあるようにサーキットの狼で主役のモデルになった風戸さんはデビュー戦がここだったようです。
当時、ここは船橋ヘルスセンターが併設されていて、遊覧飛行用の飛行場や人工芝スキー場やら、何でもかんでも揃っていたようです。今でいう長島スパーランドにも近い感じがしますが、スケール感と多様性ではそれのはるか上を行っていそうです。
この時代、成長しか考えてないので、とにかく夢がありますね。そして、とにかく突貫工事。出来上がるのが速いのなんの。1960年初めには首都高速が一部完成していますが、こちらも無茶苦茶な突貫工事なんですよね。
ちなみに、私の友人が当時フェアレディで出来立ての首都高を深夜かっ飛ばしていたら、MGか何か英国スポーツに追いすがられて、なんだこいつ!と応戦して、出口で「随分やってくれんじゃねぇか!」と啖呵切ったら、今は無きミッキーカーチスだったそうな。そのままカフェだかバー(その頃も東京には24時間営業みたいなところがあったようで)に行ったっていうんだから大らかな時代です。
で、船橋サーキット。
走った事ある人にヒアリングすると、これがまた印象が薄いんです。それよりも、やれあいつが喧嘩売って来たからぶん殴りに行ったとか、走っていたら同じパーツが何度も壊れてスペアが無いから京都と一日で二往復もした(どうやって???)とか、そんな話ばかり。
もはや歴史の話になりそうなので、面白いのですが、例えば船橋が出来た後に完成した富士スピードウェイなどは、恐怖の30度バンクの話など、走行した印象の話が多く出てくるので対照的と言えます。
多分ですが、日本のカーレースの黎明期なので、参加していた長老組も必死だったのかなぁと思います。
その当時、カウンシルの会場になっている幕張メッセなどあるわけもなく、船橋サーキットは跡形もなくなり、今は周辺にIKEA(これザウスの後ですよね)とららぽですから、各代の差です。
70年代になると急に自家用車の台数も増えて様相が変わるようでして、60年代というのはまだ自動車自体が少ない中での発展途上ということで、独特の面白さがあったようで、、、
僕らじゃ味わいようがない羨ましい時代だったようです。
 
				  Posted at 2024/04/21 18:09:47 |  | 
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