ここが尾高城跡(おだかじょうあと)だと分かる愛車のサムネ画像は撮れませんでした。 梅園駐車場に停めて、この後ろ辺りの森林が越ノ前郭になると思います。
尾高城跡が国史跡に指定されたことを記念して土日2daysイベントで
1日目シンポジウム&2日目現地ウォークが開催されました。
1日目のシンポジウムに続き、2日目の中井先生と歩く現地ウォークにも参加しています。(事前申込先着30名)
発掘調査の様子も分かる尾高城跡の新しい説明看板が立ってました。
尾高城は大山山麓西伯耆に築かれた中世城郭で、戦国期には毛利と尼子の戦いの舞台でした。
尾高城跡の縄張り図です。
城域は南北約400m、東西約300mの範囲に広がり9つの郭が配置されています。
四角い郭の方形館跡です。
東と南に土塁がある南大首郭です。
南大首郭の西側にある櫓跡。
滋賀大学名誉教授の中井均先生が詳しく説明してくださいます。
南大首郭と中の丸との間にある空堀。
両側に切岸が切り立つ。
中の丸です。
土塁と空堀に囲まれた郭。 桜の木やベンチがあり公園化されてます。
中井先生の解説を聞く。
中の丸と本丸との間にある空堀を歩いて奥に進みます。
ここから先の本丸と二の丸は私有地であり普段は立ち入り禁止になってます。
この日は現地ウォークイベントであり特別に入ることが出来ました。
本丸に上がりました。
土塁と堀に囲まれた広い空間。
本丸の発掘調査箇所です。 トレンチと呼ばれる四角い溝が掘られてます。
米子市文化振興課の担当者さんが発掘調査について説明してくださいます。
柱の穴。
庭石? 尾高城跡の本丸には庭園があったのかも?
中井先生が解説中。
本丸北側と二の丸南側との間の空堀。
この空堀の両側から石垣が発見されてます。 だけど、その前に二の丸を見学します。
二の丸に来ました。 本丸よりも段が低くなってます。
二の丸の発掘調査箇所です。
米子市文化振興課の担当者さんが発掘調査について丁寧に説明してくださってます。
それでは改めて、長らく土の城と思われてた尾高城跡で大発見された石垣です。
本丸北側と二の丸南側との間にある空堀の両側から石垣が発見されてます。
土でできた山城から石垣を持つ近世的な城郭への移り変わりが分かる大発見といえます。
石垣は崩れています。 一国一城令で破城となり人為的に石垣が崩されてます。
本丸北側と空堀と二の丸南側、発掘調査により大きな石がたくさん見つかりました。
石垣の内側に詰める栗石(くりいし)と呼ばれる小石もたくさんあります。
米子市文化振興課の担当者さんが立つすぐ後ろに崩されてない石垣が横に並んでました。
あの場所が本来の石垣があった位置。
空堀には柱の穴も見つかりました。 本丸と二の丸に架かる橋があったのかも?
二の丸南側にも石垣が見つかってます。 破城で石垣が崩されてます。
中井先生が解説中。
再び本丸に戻って発掘調査箇所を見て回ります。 掘ってみたら空堀が出てきたという謎の場所。
発掘調査箇所をいくつか見て回ります。
米子市文化振興課の担当者さんが発掘調査について丁寧に説明してくださってます。
そして本丸の西側で見つかった石塁(石を積んだもの)です。 これも発掘調査の大発見。
この石塁が基礎になって本丸の西側には築地塀が建ってたものと考えられてます。
現地ウォークではこの石塁の上を歩いてみることができました。
石塁が途切れる場所は門跡と考えられてます。 四角い石は五輪塔などの流用か?
本丸から南大首郭に戻って現地ウォークは終了解散です。 中井均先生による締めの挨拶。
たっぷり約2時間の現地ウォークでした。 尾高城跡は発掘調査により土塁の城から石垣の城へ変貌した様子が分かりました。 私有地で普段は立入禁止の本丸や二の丸に行けたこと、後に埋めてしまう発掘調査箇所や特に大発見の石垣と石塁を見れたこと、極めて貴重な見学になりとても勉強になりましたね。 大変ありがとうございました♪
夕方のローカルニュース番組で尾高城跡現地ウォークの様子がニュースになってました。
自分もちょっとだけ映ってました。
尾高城跡現地ウォークは撮った画像が多くてブログに無い画像もフォトアルバムにまとめてます。
フォトアルバム
尾高城跡現地ウォーク 1of2(67枚)
フォトアルバム
尾高城跡現地ウォーク 2of2(37枚)
No.4018
Posted at 2023/11/28 18:27:14 | |
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