どーも、ほいさんです。
新車で買ってからちょうど10年。31歳の自分にとって決して短くない期間身体を預けたかけがえのない存在。
廃車にしてしまった現実に向き合うのがつらくてなかなか筆が進まなかったけど、最後にしっかり気持ちを締めくくるためにも追悼ブログを残すことにしました。
自己満足の長文自分語りになりますが、一緒にあいつを偲んでくれる方がいればどうぞお付き合いください。
アクセラに出会う前の自分は、今からは信じられないほどクルマも運転も全く興味なしの人間でした。
うちは農家で軽トラ乗る機会も多いというのもあってMT免許を取ったものの、初マイカーは母親からお下がりで貰ったE11型初代ノート。車にこだわりなかった事もあってとりあえずで乗ってました。
その頃の自分にとってクルマは、通勤と趣味のゲーセンに通うだけの単なる足。
休日となれば昼まで寝て、適当に袋麺煮て食べて(麺活趣味もまだなかった)、ゲーセンで夜まで遊んで帰るだけの毎日。
それでもたま~~~~に友人などと遊ぶため、年に数回程度だけど市外までドライブをすることはありました。
その時には悪名高いE11前期の、通称”食パンシート”のおかげで小一時間も乗れば足も腰も痛くなるし、燃費重視のためか一瞬でオーバードライブに入って全然思うように加速してくれないおバカ制御の4AT(e-4WDのため当時ウリだったCVTは非搭載だった)に、クルマ素人ながらかなり不満でしたね。
運転とはこんなつらい思いをしなきゃならんものなのかと。
流れが変わったのは、当時中古で安く手にいれたPS3で何を遊ぶか迷った末になぜかグランツーリスモ5に手を出した時。
GT5は収録車種も非常に多く、一台一台詳しい長文解説も付いてくるのもあって、走らせるより解説読むのが楽しかった。
車に関する知識、用語のほとんどはGT5から学んでます笑
そこでやっとリアルの車にも興味が向いたわけですね。世の中ノートより面白くてかっこいいクルマ沢山あるんじゃん!と。(E11オーナーの方にはごめんなさい)
当初こそまだ新車で買えたインプGRBやらエボXやらZ34やらがいいかもなんて思ったものの、すぐに値段や維持費が収入に見合わない現実に気づいて消滅w
その後はギャランフォルティススポーツバックやらコルトRラリーアート、インプG4とか見てましたね。
いろいろ悩んでいるうちに迎えた2011年9月、ここでマイナーチェンジして後期型になったBLアクセラにやっと出会うわけです。
最初に見たのはテレビCMだったかネット広告だったか...SKYACTIVの出始めだったのもあってわりと多めに広告打ってたはず。
まずあの端正な顔立ちにおっ?と魅かれ、調べてみたらべらぼうに高くもなく手が出せそうな価格帯。
親族や友人乗せる機会多いため普通に5人乗れるのは必須。トランクスルーでそれなりに荷物も載る。レギュラー仕様だし燃費はカタログ値17.6kmと十分。速さはないにしても脚は欧州で評価されるいい出来らしい。ミッションはなんかすごいらしい新開発の6速ATを搭載。
価格&性能&実用性が全て求めていた範囲内でバランスしていたんですね。
そして何より第一印象でビビっときた。
気が付けば他の候補はサッパリ忘れ、アクセラのことしか見えなくなってました。
とはいえ人生初めての百万円単位の買い物。きっかけが無く決心つかないままじわじわ貯金だけ貯め続けて約一年。
当時施行されていたエコカー補助金が2012年9月に終わってしまうということもあり、購入に向けてとりあえず試乗だけしてみようかな~とDへ初訪問したのが7月4日。
一度触れて乗ってカタログ手に入れてしまうとそこからは早いもんで、8日にはハンコ押してました笑
最上級グレードに当たる20S。本体価格215万、オプション一切なし。値引き交渉はしなかったけど勝手に10万引いてくれて乗り出し225万。
100万頭金入れて、残りは5年ローン。
担当氏は「他の車種と競合させずアクセラください!って指名買いしてったの、あの型でほいさんだけでしたよ」と言ってました。人気なかったからねw
ちょっと話逸れるけど、最近Googleストリートビューで過去の撮影データを遡って見れるようになったんですよ。
そこで何気なしに2011年の地元Dを覗いてみたら、店先に当時乗ったBL試乗車が置いてありました。
色をインディゴライトマイカにするか、グラファイトマイカにするかで最後まで悩んでたんだけど、ここの屋根下の日陰でヌラリと輝く姿に惚れてグラファイトに決めたんですよね。
もしここにあった試乗車がグラファイトでなかったら、どちらかといえば気持ちが傾いていたインディゴ乗りになっていたかもしれません。
(まさかそれらが不人気カラーツートップだと知るのはまた別のお話...)
それからほぼ毎日夢に見るぐらい楽しみに待つこと約三週間。
自分の手元にやってきたのは2012年8月1日の昼過ぎのことでした。
本当はもう数日後の予定が、もう準備できたからと連絡来て夜勤明け飛び起きて向かったのを覚えてます。
納車後初めて撮った写真。このあと秒で剝がされた環境ステッカーが残る貴重な一枚。
オプションレスだからパネルなんかこんなんww
事前にナビは買ってあって、すぐに知り合いのYH店員にお願いして付けてもらったけどね。
当時はもう嬉しくて嬉しくて、どノーマルなのに暇さえあればガラケーで写真撮りまくって。
昔のフォルダ漁ってたらこういう若気の至りな黒歴史もチラホラ出てくるww
一時期みんカラで一大ブームを巻き起こしたパイピングバイアステープ、しっかりやってたよ!!
とりあえず赤の差し色入れとけばかっこいいと思ってたあの頃。丸一日かけて塗った赤キャリパーは最後まで残った後悔ポイントだった...
みんカラは納車したその日の夜に登録。
そしたら偶然ほぼ同時期に東北アクセラオーナーズクラブが立ち上がったところで、当時管理人だったtotetoさんに誘っていただいて加入。まだ10数人ぐらいしかいなかった頃の初期メンバーでした。
オフ会も精力的に開かれており気になっていたものの、当時の仕事が水木固定休で盆暮れ正月もないような工場勤めだったので泣く泣く掲示板での交流に徹しました。
翌年8月、転職途中で宙ぶらりんだった時に秋田でお盆オフが開かれることになり、納車から丸一年経ってやっとのオフ会初参加!何回見ても懐かしいなこの写真w
まさかこの後10年近く経っても一緒に宅飲みやら遠征やらする仲が続くとは思いもしてなかった。
ここでついに同じ車が好きな人間同士集まって並べて一日中喋る楽しさを知ってしまい、どんどんオフ会に参加してどんどん走行距離のタガも外れていくことになるのでした。
以下、特に強く記憶に残っているイベントをピックアップ。
第一回目から皆勤賞で参加している”マツダファン東北ミーティングinSUGO”
ツイッターで活動する人たちとの交流がメインになった、2020年の”富士山麗オフ20”
ミストルさん、クマさん、ましろさんら気の合うヤツらと付きっきりの大遠征。
行く先々で広島、四国、近畿のアクセラオーナーズクラブの皆さんとオフ会したり、アクセラの生まれ故郷である山口防府工場へ里帰りしたり、道中のグルメや観光も全力で楽しんだ間違いなく人生で最高の一週間でした。
外装については、純正の雰囲気を活かしつつ個性化するをコンセプトに地道に弄り続けて、最終的にはほぼ理想形なスタイルに仕上がりました。内装は大きく弄らなかったけどこだわりのオーディオも組んで満足感は高かった。
心残りがあるとすれば、ブレーキキャリパー&ローター大径化計画を立てて必要部品と費用まで出しておきながら急にロド買ったせいで断念したことと、同じく費用の問題でダウンサス止まりになり車高調での走りを味わえなかったこと、ですかね。
パーツに関してもこれだけ沢山の人たちに協力してもらって、おかげでここまで走ってこれました。
北は青森竜飛崎、南は山口角島まで本州内はほぼ制覇。北海道と九州行けなかったことは心残り。
やり残した事、走れなかった場所、沢山あって未練タラタラだけど10年18万km付き合ってくれた相棒にはとにかく感謝しかありません。
雑魚寝しながら丸一週間付きっきりの旅行したり、年越しのために寒い中肩寄せあってキャンプしたりなんかができるぐらい仲のいい友人らができたのもアクセラのおかげ。運転が好きになり一日何時間何km走っても苦痛でなくなったのも、ドライブがてらの麺活で年間100数十杯食べるほどラーメンにハマったのも、物怖じせず初めての人と喋れるようになったのも、全部アクセラのおかげ。
決して大げさではなく、アクセラに出会って人生が変わったと言っていいと思ってます。
もしアクセラ以外の車を選び、今の交友関係もなかったら...一人では何もできないやらない自分のことだから、きっとかなり残念な20代を過ごしたことでしょう。
なのでこいつを通じて知り合えた皆さんにも本当に感謝です。ありがとう。
そしてそんな友人の中の一人の伝手を頼り、おかげさまで次の相棒も無事に決まりました。
雪深い山形北部でロドスタ一台で戦うのはどうしても現実的ではないので、いろいろ悩んだ末に保険金を使って代わりの一台を迎えることになりました。
順調にいけば来週末あたりには納車になる予定です。
何になるかは...とりあえずまたのお楽しみということで。
何に乗ろうと、アクセラを愛した気持ちに変わりはありません。
言うてロドスタにも浮気してるくせにね!
というわけで、あまり語る機会がなかったアクセラに出会ったきっかけを中心に長文乱文100%自分語りになっちゃいましたが、追悼ブログでした。
これを持って自分のアクセラ人生は一区切りとなります。長い間本当にありがとうございました!!!