まずは、私の嫁さんの実家でもあり私のフィットの車検証の住所でもある倉敷市真備町に対し、暖かいエールや浄財などたくさんの思いを寄せていただいたことに心から感謝申し上げます。
堤防が決壊して街が沈んでしまってから1ヶ月ほどが経ちますが、長いようであっという間の1ヶ月でした。
ここで自分の頭を整理し、二度と忘れない平成最後の7月を振り返りたいと思います。
●7月5日(木) 夕方
この日は愛機フィットの通算6回目の車検の入庫日。
走行距離300000kmを超えたフィットでしたが、5月中にはもう既に腹をくくり車検を受けることを決めていました(^^;
仕事帰りにホンダオートテラス岡山東に立ち寄り、愛機フィットGD3を預けて代わりにフィットハイブリッド(GP5)を受け取りました。
……この時、担当セールスの方との会話で、「週末はコンベックス岡山で大商談会だけど大雨だね~(笑)」な~んてのんきに話した事を覚えています。
●7月7日(土)
この日は車検を終えたフィットを受け取る日になっていました……が、
朝10時ごろに担当セールスから電話があり、
「……あ~、Forest-Shadowさん。実はお店のまわりの道が冠水してまして、誰もお店に出勤できないんですよ。今お店は無人です。だからもう1日代車を使ってて下さい。」
最初は実感がわかなくて言ってる意味がよく分からなかったのですが、この日の昼から徐々に入ってくる情報でびっくりしました。
私のフィットが車検でお世話になっているホンダオートテラス岡山東のすぐ西には、ちょっとの大雨ですぐ氾濫危険水位に達する砂川という川が流れているのですが、今回の豪雨のせいで堤防が決壊してしまい大量の水が街に流れてきたみたいです。
地図上でオートテラス岡山東のすぐ右隣に位置するゆめタウン平島店も広範囲に渡って水没……
平島地区一帯で広範囲に渡って水没してしまいました。
そんな中、オートテラス岡山東は少し小高い場所にあったこともあってか、奇跡的に浸水は免れました。
向かいのダイレックス平島店も無事で、大雨に備えて車を避難させていた人も助かったみたいです。
その頃、嫁さんの実家の真備では、高梁川の支流の小田川の堤防が決壊し、さらに小田川に流れ込む小さな川もあちこちで堤防が決壊してしまい、嫁さんの実家のあたりも4mほどの高さまで川の水が来てしまいました。
嫁さんの両親はというと、水位が上昇する前に近所の高い建物に避難していたので、7月7日の夜は水に囲まれ建物の3階で近所の人達と一緒に孤立したものの、その日の夜中にボートで救助され何とか無事に命だけは助かりました。
●7月8日(日)
朝になり、つながりにくい携帯に何度もかけて連絡をしてみると、嫁さんの両親は総社市のきびじアリーナに避難していることが分かったので、代車のフィットハイブリッド(GP5)で迎えにいきました。
未曾有の大災害で倉敷市真備町から大量の避難者が出る中、よその自治体の市民にも関わらず受け入れてくれた総社市の柔軟な対応に心から感謝します。
避難所に入り、嫁さんと嫁さんのお母さんがワンワン泣きながら感動の対面を果たす中、呆然と座ってる嫁さんのお父さんに私が声をかけ、とりあえず避難所から私の自宅に嫁さんの両親を代車のフィットハイブリッド(GP5)に乗せて連れて行きました。
1人2人の乗車だと若干固めの足まわりに感じましたが、大人4人乗るとだいぶドッシリしてフィットとは思えないハンドリングになりましたね。
詳細なクルマレビューはまた後日落ち着いたら書いてみます。
そしてこの日の夕方、フィットハイブリッド(GP5)をオートテラスに返して、300000kmオーバーの私のフィット(GD3)を受け取りました(笑)
●7月13日(金)
9日から12日までの間は私が仕事だったので嫁さんの両親は真備まで行くアシが無く、復旧作業に何もとりかかれませんでした。
大雨から1週間たった13日、車検終えたばかりの私のフィットにみんなを乗せて、真備入りすることができました。
まび記念病院のすぐ西隣のパチンコ屋です。
黒のワゴンRは屋根まで水没しています。
この頃はまだ災害ゴミが積み上がって行く一方でしたね。
地面を覆う泥の臭いとゴミの臭いで食欲がなくなります。
嫁さんの実家に着くと、お義父さんの愛車のカローラアクシオが待ってました。
もちろん屋根まで水没しています。
浮かび上がって車庫の中で回転したり逆立ちしてなかっただけマシです。
トヨタカローラでメンテナンスパスポートを組んでまでして可愛がっていたアクシオはもう全損です。
ひどい最期でしたが、こうしてみんカラでアップしたことでアクシオが天国に浮かばれることを願うばかりです。
そういえばこのアクシオは一般的なプレートキーだったのでハンドルロックはすぐ外せたみたいですが、スマートキーを採用する最近のクルマって、ステアリングコラムをバラさないとハンドルロックが外れないみたいですね。
しかも電動パーキングブレーキのクルマになるとさらに大変みたいです。
水没車の引き取りで大忙しの車屋さんは、手足を泥だらけにしながら1台1台回収しているので、破傷風の危険も顧みず皮膚をボロボロにしてがんばっているみたいです。
家の外から1階の部屋の様子を見てみると……
2階の床上まで浸水したため、天井の石膏ボードがふやけて落下しています。
大きい家財道具から小さな小物類まで、全部泥水に浸かってしまい、もう捨てるしかありません。
この日はもう途方に暮れてしまい、現場の確認だけで終わりました。
●7月15日(日)
1日挟んでこの日はギラギラの酷暑の下、岡山国際サーキットではTipoオーバーヒートミーティングが開催される日でしたが、とてもソレどころじゃないので今回はパス(^-^;
ソニカに乗っているツレが片付けのお手伝いに駆けつけてくれたので、フィットに乗せて一緒に真備まで出撃しました。
車庫にあったお義父さんのカローラアクシオがトヨタカローラさんに引き取られていたので、車庫にフィットを止めることが出来ました。
酷暑の中、近くにクルマがあるのと無いのとでは安心感が全く違います。
よく見るとカーポートの屋根にも何処からか流れてきたガレキが乗っかってますね……
ただ、テレビでも繰り返し警告されていた通り、暑すぎて作業はとてもはかどりません( -`Д´-;A)
しかも身体によくない菌を含んだ土埃が舞っているのでマスクが欠かせないですし、釘が飛び出たままのガレキがあちこちに散らばっているので、どんなに暑くても長袖長ズボンで作業しなければならず、ちょっと働いては同じ時間だけ休んでまた働くの繰り返しで、3時間ほど作業したらもう限界でした。
何より同行してくれたツレ達の安全を第一に考え、体力に余裕があるうちに撤収することになりました。
でも、気の合うツレ達と一緒に作業すると、俺の心が落ち着くんですよねー。
言い方は変ですが、ツレ達とこの災害を共有できたことが良かった……って言っちゃ変ですがとにかく良かったです。
●7月16日(月)
前日に引き続き、フィットで再び真備に入りました。
この日は嫁さんの両親と共に朝から作業に取りかかります。
朝8時半にボランティアセンターに出向き、この三連休を利用して駆けつけてくれたボランティアさんと合流して、泥にまみれた家財道具や畳、大型家具などを一気に片付ける予定でした。
なので実家の車庫が畳などの置き場になるため、フィットはまび記念病院に停めさせてもらいました。
隣の200系クラウンハイブリッドは完全に水没していましたね……
この日、駆けつけてくれたありがたいボランティアさんは合わせて6人。
どうやら4人組と2人組で来られたらしく、ボランティアセンターでチームを結成して来てくれたみたいです。
皆さんとても優しい方ばかりで、しかも写真を見てもお分かりかと思いますが、皆さん体格ガッチリで服装もバッチリ☆
お話を聞くと、ボランティアの経験を積まれたベテランさんみたいで、私たち被災者が途方に暮れていたゴミの片付けを、我々の作業スピードの1000倍くらいの速さでこなしてくれました。
報道では「ガレキ」や「災害ゴミ」って簡単に言いますけど、被災した当事者にとっては泥水でふやけたコミックはコミックだし、水没したテレビはテレビなんですよね~(>_<)
泥水で汚したモノひとつひとつが、被災する前の日常の空間を作っていたパーツなので、私たち被災者は片付けがなかなかはかどりません…
だからこそ、ボランティアさんの手、ボランティアさんの働きがとても助かる訳です。
何もかも泥水にまみれてしまい、思い出の品ひとつひとつを手にとってゴミ袋にまとめる作業がしょっちゅう滞ってしまう被災者の背中を、復旧・復興に向けて後押ししてくれるボランティアさん達の力は、もう何度ありがとうありがとうって言っても足りないくらいありがたいです。
なーんて気持ちをたまたま取材に来たテレビ局の人にマイク向けられてしゃべったら、この日のお昼前の全国ニュースでオンエアされちゃいましたf(^^;
しかも夜には雨宮塔子さんの後ろにでっかく映る暴挙www
結局翌朝のビビットや週末のサンジャポでも使われてしまい、会社の人や近所の人によく声をかけてもらいました(^^;
●7月18日(水)
この日は俺の親父のアクティトラックを持ち出して、ボランティアさん達が家から運び出してくれた畳や軽めの家具などを、ゴミの集積場所まで持っていきました。
ゴミの仮置き場になっている真備東中学校のグラウンドには、もうすでにゴミの山が高く積み上げられていました。
写真奥に見えるパワーショベルと比較すると、どれだけ高いかお分かりいただけるかと思います。
この中学校は真備町のド真ん中に位置し、本来なら地域の避難所の役目を果たすはずでしたが、今回の豪雨災害で浸水して大きな被害が出たため、自衛隊の前線基地となっています。
自衛隊の隊員さんも熱中症の危険があるためか、このジープの中でエアコンを効かせて交代で休んでいるようにも見えました。
アクティトラックに満載したゴミの荷降ろしを自衛隊の隊員さんに手伝ってもらい、アクティトラックのエアコンで私とお義父さんの体力を回復させた後、再び汗だくになりながらゴミを満載して、車内のエアコンで体力を回復させる……、
我々も熱中症にはなりたくないので楽な作戦をとらせてもらいました(^^;
さっきの中学校まで再びゴミを持っていこうとしたら、水没車の引き上げのせいで道路が大渋滞だったので、今度は別の集積場所に来てみました。
こちらも当然ながらゴミの山です。
信じられないかもしれませんが、ここは嫁さんの成人式をした多目的ホールのマービーふれあいセンターです。
もちろんここも1階が完全に水没しています。
今日はこの辺で作業終了~
帰りの体力も残しておかないといけません。
最後にここの仮設トイレを借りてオシッコしたら、信じられないくらいまっ黄色でした。
いくら熱中症対策で水分を摂っていても脱水しちゃうんだなーって実感しました。
●7月21日(土)
この日は仕事で私は真備に行けません。
しかし、手伝いに名乗り出てくれたツレがプリウスで登場し、お義父さんとお義母さんを乗せて真備まで行ってくれました。
後からLINEで届いた写真です。
真備町に入った瞬間、目に飛び込む悲惨な光景にツレ達はウォーッウォーッっと叫びまくっていたとか……
ここまで、実家の1階のゴミや床板はあらかた外に出され、そして畳や軽めの家具などのゴミはアクティトラックで集積場所まで運び出しましたが、まだ実家の庭には大量のゴミが残っていました。
しかも便利な軽トラもないですし、使えるトラックといったらボランティアセンターでもらったネコ車1台だけ。
私としてはいちばん面倒な作業を残してしまい、とても申し訳なく思いながら会社で仕事してましたが、真備の現地で頑張るツレ達は途中から合流してくれたボランティアさん達と共に、大量のゴミの山を全て家の外に運び出してくれました。
しかも前日に別のボランティアさん達の手で家の前まで運んでくれた冷蔵庫も、運びやすいように解体してネコ車で運んでくれたとのこと。
みんな、ありがとう~(´ノω;`)
カッコ良すぎだぜ~~
……こうして、たくさんの仲間たちやボランティアさん達の手を借り、嫁さんの実家の1階は空っぽに片付き、今は一段落しました。
ここから先は、夏の暑さが落ち着いた頃にまた続きの作業をゆっくり進めたいと思います。
車検を終えた直後のフィットは洗車もされてピカピカだったのですが……、
真備に何度も通っているうちに泥だらけになってしまいました(^^;
決してフィットで冠水路に入った訳ではないですが、現地では乾いた泥による土埃を防ぐために絶え間なく散水車が道路を濡らしているので、どうしてもこうなってしまいます。
でもこのフィットは300000kmを超えたにも関わらず、被災した家族を乗せて移動したり、たくさんの荷物を運んだりと大活躍してくれました。
豪雨災害で堤防が決壊した現場のすぐそばのオートテラスに取り残されながら、店舗の立地のおかげでたまたま水没せずに済んだこのGD3……。
まだまだずっと一緒に駆け回ってもらいます(^∇^)
最後にこのブログを読んでくれた岡山県民の皆さんにメッセージ。
最近、あちこちで「がんばろう岡山」マークを見かけることが増えました。
もともと慰霊や供養の役割もある花火大会を中止し、災いをもたらす鬼の仮装をした大群が熱中症警戒レベルの酷暑の中で街中を汗だくになって踊り回るイベントを強行しといて、何が「がんばれ」だコノヤロー!……なんて思っちゃいけませんが、あちこちに乱立した「がんばろう岡山」マークに少し戸惑いを感じます。
でもね、
こんな未曾有の大災害の時にこそ、岡山市や倉敷市、総社市や高梁市などの自治体の枠を越え、岡山県として一致団結できるスローガンが必要なハズ!
そんなスローガン……、
……あるんですよ!
昔あったんですよ!!
今から33年前、岡山県民が一体となって、明るく豊かで活力のある郷土づくりを目指して燃えあがったあのフレーズ……!
そう!『燃えろ岡山』ですよ!!
あの頃の岡山県内の活気は、この頃私もまだ小学生でしたがよーく覚えています。
「♪燃えろ岡山、明日へ燃えろ~🎵」
なーんて子供の頃に夏祭りや体育祭で踊らされた方もおられるのではないでしょうか(笑)
あの頃、この「燃えろ岡山音頭」の歌に合わせて、俺の親の世代(団塊世代)がみんな元気ハツラツとしていたあのムード…
もう一度このスローガンを引っ張りだし、岡山県民一体となってこの大災害からの復旧・復興に繋げて行きましょうや。
まだまだ私は真備で復旧のお手伝いを続けるつもりです(*`・ω・)ゞ