5D mark3 + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE
デニムの風合いを見ると5D3も性能が上がったように見えます。そして仕入れてすっかり忘れていた靴。レンズの場合はそのようなことはありません、たまにしか。なおな
かな
か五十音の「
か」が覚えられず足踏みしています。まさかこんなところで詰まるとは。予想していなかった試練です、それが人生。英語に異様に興味がある「ハッピー」も覚えた子供に置いて行かれています。家人の要望で前に仕入れてみたディズニーの英語教材がお蔵入りですが、youtube無料コンテンツのほうが優秀だと思います。これも時代の趨勢です。
RX100M4
その昔「私は貝になりたい」という所ジョージ氏が主演を務めたドラマを見たことがあります。「私はクロネコヤマトになりたい」正確にはそのセールスドライバーですが、と思っていると、そんな件は関係なく、数日前と同じ光景が、デジャヴです。
7D mark2 + シグマart35mm
カールツァイスオータスが叩きだす、いや心に投げ入れてくるその描写、つまり透明感や色、コントラストにボケの具合、解像度にときに極めてナチュラルな風合い、ときに織りなす立体感、とにかくすべてに諸手で惚れてしまい、子供が小さい今のうちに室内撮りで引いた写真も量産したい、素早く前後する動体相手にMFができる視力な年齢のいまのうちしかない、早い取得の方が結局長い目で見るとコスパがいい、ということで
7D mark2 + シグマart35mm
カールおじさんの親戚、カールツァイスオータス1.4/55、煩悩を除去するための新たな修行アイテムです。繰り返しますが友人は多い方で、これは千日回峰行という過酷な修行中に使う杖のようなものです。物欲とは対極に位置する無心。ちなみに私はいわゆる無宗教ながらあえて千日回峰行は三回ほど達成しました。手前味噌ながらこの点のみ優秀だったせいか三回とも即日完遂しました。
7D mark2 + シグマart35mm APSに35mmを付けると、キヤノンの場合は1.6倍で換算56mmに。ちなみに同じくAPSに50mmを付けると換算80mmになり、フルサイズ85mm装着とほぼ同じように撮れます。
写真学校の学生でも卒業までに2~4万枚前後の撮影数だそうですが、独学ゆえ効率悪く、思うところの一つたる「けた違いの量は分水嶺を超えると質に転換する」に基づき、1年5ヵ月目で39万7千枚超撮影し、このブログも写真掲載数だけだと
一日一鉄も越えて、それでもまだまだ知らない基礎知識もたくさんある中で、あるいは差や違いを実地で知ることで知識も深めたく、つまりは好奇心で機材も多く仕入れてきました。例えるならば、参考書ばかり買っている「第一志望は平成帝京大学、健康メディカル学部です」という22浪中の中年浪人生みたいなものです。
※学校学部名は実在したキャバ嬢のものを参考にさせて頂きました。
7D mark2 + シグマart35mm
今回は、知的興味は皆無で、純粋にこのレンズがほしい、という一心だけで買いました。加えて、そうやってカメラに取り組んで来た甲斐があって、すばらしい出会いをしました。それは虹彩(こうさい)です。虹彩とは「眼球の前面、ひとみの周りにある円盤状の膜。伸縮してひとみの大きさを変え、網膜に達する光の量を加減する」ところです。これが本当に美しい。虹の彩という字が充てられているだけあります。光の当たり方で55mmのレンズで、しかもファインダーから見ることができました。85mmでも撮れますが、最短撮影距離との兼ね合いで撮影倍率が若干大きい55mmだとファインダー内でも大きく見えるゆえ、気づいた次第です。
1DX + Carl Zeiss Otus 1.4/55 ZE
カメラオタクが一度やってみたかった、カメラでそのカメラを撮る、つまりカメラの自撮りです。この55mmは最短撮影距離50cmで、使ってみれば実用上十分寄れる中で、瞳孔ではなく、
輝く諧調豊かな、いや本当に美しく煌びやかな「虹彩」がまさに
このような感じで、しかもファインダーでそれが見え、大変驚いた次第です。虹彩というものは大変美しいのですね。「よし、他の機材ではどうだ」とシグマartで追い込んだピントで瑞々しく輝く瞳に反射するまつ毛が見えても、D810で追い込んだピントを拡大して撮影している私が写っているのを確認できても、それとは何かが違います。もっと早くに気づいてあげ、撮ってあげたかった次第です。そこまで瞳が見えてくると撮影している私も吸い込まれるように、まるで「君の瞳に恋をする」とはこういう意味なのか、と思うような感覚になります。このレンズにそれを教えてもらってからは、他のレンズでも子供を撮るときのピントの追い込み具合が、少なくとも静的なときは変わってきました。
7D mark2 + シグマart35mm
スタジオ風景。以前に
三面鏡を使って撮ったときも同じくですが、鏡の中では二重三重に像がぶれて、結像していないのがわかります。多くの鏡は真正面から見たときに結像するように作られていますが、斜めからの光は一点に収束しません。レンズの収差も像を歪ませたり、色を滲ませたり、いろいろとあるわけですが、ざっくり言えばこれと同じようなことがレンズ収差です。「周辺が流れる」という表現も独特ですが、要は画像の端が収差でボケることを意味しています。すると、全画面澄み渡るような解像感溢れる絵になりにくい、ということになるわけです。あるいは広角レンズなど歪みがあり、これを歪曲収差というわけですが、構図として端にメインの被写体を持って行ったときにボケたり、歪んだりすることになります。多くの広角レンズでは歪みがまた味になるわけですが。推測ですが、おそらくドイツ語の影響で単語が分かりにくい当て字になったのだと思われます。
1DX + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE
という中で85mmでの絵ですが、一瞬だけ雲の切れ間から月が。これは夜桜を前ボケにして、枝葉の間からおぼろ月を撮りました。こんな場面でWBを変えて、バウンスさせても面白いかもしれません。
1DX + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE
少し歩くとまた月が。ボケで月が大きくなっています。もう一つ絞ったほうが円が綺麗に出ました。両方とも、露出や構図など反省点が多々ありますが、アイディアは面白いかもしれません。月明りの中で輝く目も撮ってあげることができるようになりました。MFで追い込むピントというものが分かりました。状況が許せばAFをしたあとにも、ピントリングを動かすこともするようになりました。
5DsR + Carl Zeiss Otus 1.4/85 ZE
ボケた月光を歪ませてみて。
1DX + Carl Zeiss Otus 1.4/55 ZE
WBは変えてみたものの、手前の柵にピントが間に合わず、都会の孤独を中井氏流で。55mmはまだあまり使っていないので、少しずつ。
1DX + Carl Zeiss Otus 1.4/55 ZE
記憶の貯蔵庫この日のトピックスはトーマスのキャラクターをほぼ全域覚えていることが判明したことと、この積み木にはおどろいたことと、ハイラックスサーフの玩具を
ここで買ったことを覚えていたこと、そしてこの日アマゾン氏より届いた中井精也氏の本見れば同氏を把握し私に教えてくれたことです。デフォルメされた似顔絵の中井氏も識別していました。なんとかというトーマスのアニメキャラはすきっ歯で把握しているようです。だんだんついていけません。1歳少々からずっと掃除も好きで最近はとくにクイックルワイパーで入念に掃除してくれます。来月からいよいよプレ幼稚園。週に一度ですが、少しずつ離れていくのは嬉しくも寂しいものです。それにしても本というものは、ネットが1だとすると、10知れます、その人を。そして体系的に知るにはやはり本しかないように思います。
1DX + Carl Zeiss Otus 1.4/55 ZE
この夜は、
ある日散歩して仕入れた1,000円代な安ワインが美味しくご機嫌も一入。安いながら大き目のグラスで飲んだほうが香りが立ち、味も美味しく感じます。「このグラスいくらしたの?」と聞いてみれば「やすもん、やすもん」と横飛びの反復系でおそらく1000円前後な予感がします。そんなワイングラスにピントを合わせたいのはやまやまながら、だいぶ飲んだ後で汚れが目立つため見送り。そして40年生きてきて、はじめて知ったのがワインとこのえび満月せんべいがおどろくほどに合うことです。チーズが無くなっておせんべいを掘り起こした甲斐がありました。そしてもう一つのお気に入りが、CP+でもらった総合カタログパンフレット。面積、手触り、厚み、そして応答性と、マウスパッドとして一級品です。
次回はMFレンズ持って
ドライブへ行こう。
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カメラ | 日記
Posted at
2016/03/23 11:39:26