今日は2度目の投稿です。
8月15日、、
言うまでもないですが、今日は終戦の日。
広島、長崎の6日、9日に始まって今日まで、毎年この時期になるとTVでは特集を組んで戦争の悲惨さを訴えます。
まして今年は終戦から80年という節目、、
いつになく報道にも力が入っているのを感じます。
確かに戦争の愚かさ、悲惨さを伝えていくのは大事なことです。
ただそれを見る度にいつも憂鬱な気持ちになる、、
何故、、?
・・・
私ね、ホントはあまり戦争については語りたくないんです。
何故なら、、
戦後の高度成長期に生まれ、バブルで青春を謳歌した世代には全くわからないから。
語りたくないというより、語れないのが正しいかな。
ベトナム戦争真っ只中の70年代初頭[戦争を知らない子供達]という歌が流行りました。
でもその頃この歌を聴いて育った世代 (団塊世代) は当時の世相を考えれば、間接的にも実体験としての戦争はまだ理解できたと思います。
私も両親から空襲や疎開の話は多少なりとも聞かされはしました。
戦死した叔父もいます。
でもそれを聞いてもそれは遥か遠い昔の話で、ただ相槌を打つだけ、、
不謹慎かもしれないけど、本当の意味で実体験をしないとわからないのが戦争だと思う。
世界では今でも戦争が続いてます。
でもそれをTVを通して観てる我々は、この平和な世界でエアコン効かせて美味しいもの食べながら観てる訳です。
戦争がいけないことだと言われてそこに共感するのは、今平和を享受して安穏に暮らしている我々にとって裏を返せばそれは偽善に近いもので、それこそが人間の不条理ともいえます。
確かに今のこの平和な世を作りあげたのは、戦争でこの国の為に戦った先人あってのもの。
その英霊に感謝の意を表することは当然のことです。
ただ、、
やっぱり本当の悲惨さはわからない。
わからないから伝えようもない訳です。
この暑さで如何にこの夏を乗り切るか?
なんて呑気な悩みがある一方で、自然災害で被災して明日のことも考えられない方々、、
そんな現在までの80年という歳月はもはや戦後という言葉まで風化させてしまってます。
私が知る限りでも世間を震撼させた様々な大事件、事故、災害がありました。
安保闘争に始まり、あさま山荘事件、地下鉄サリン事件、日航ジャンボ機墜落事故、東日本大震災、、
でも今あるのは目の前の現実、、
そんな目の前の現実に追われて疲弊しているのが今の日本です。
きっと戦争の悲惨さはこんなものとは比較にならない凄惨なものだと思う。
(あくまでも思うだけです)
原爆で被爆された方、空襲を実体験された方々の話は、それが体験談であるが故とてつもない説得力があります。
ただそれをホントの意味で後世に伝えることができるのか?
戦争にならない為にどうしたら良いかを考えるのは当然です。
それが私達の使命ともいえるでしょう。
ただ、、
それがいつかはわからないけど、、
いつの間にかこの国が戦争に巻き込まれていく悪夢を見てる自分がいる訳です。
実体験で戦争を知っている方が皆いなくなって、戦争を知らない世代ばかりになった時、、
その時初めて本当の悲惨さに直面する現実の怖さ。
容赦ない現実に対して、今はそうならないことをただただ祈るのみなのです。
・・・
ホントはこの話題には触れたくなかったんだけどね。
この平和な世を生きる以上、正直な気持ちを記すのも大事だということでこの場をお借りしました。
気分害された方いましたら何卒ご容赦ください。
Posted at 2025/08/15 23:10:28 | |
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