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2024年09月25日

それは、スバルR2から始まった。歴代愛車と、その思い出。

それは、スバルR2から始まった。歴代愛車と、その思い出。 もう1台のPCに集約していた写真。それが、故障。
ログイン不能になり、SDカードから殆ど徹夜で2昼夜
掛けて、全写真をインポート。不要写真は削除して、
年代別に仕分けした。昔の愛車写真(全てフィルム)も
出てきたので、今回のUPとなりました。

前回、みんカラ20周年記念以外では、超久々のブログ
になります。


・Myカーライフの夜明け   写真は、殆ど銀塩写真。エスク新車時も含む。

1. スバルR2 排気量360CC OHV 2気筒31馬力 駆動はRR。 

大学卒業後、その年の冬のボーナスで、待望のMy Carを 購入。スバルR2である。
*近年のR2とは別車。名車スバル360(古い!)の、後継車として発売された。

近隣にオープンしたトヨタディラーの目玉車として展示されていた。
何せ車両価格は12万。購入した1974-5年当時でも、冬のボーナスで買えた金額だ。
当然中古車だったが、車検は2年丸々ついていた。

だが、車検付きでDが売ったとは、思えない程度の酷さ。購入半年後位になると、
ブレーキを踏むと轟音がする。購入したDでない修理工場に見て貰うと、ブレーキ
パッドが完全になくなり金属同士が、擦れあう音だった。
錆びも酷く、ボンネットは解体屋に出かけて交換した。*下写真の色違い。



それでも初めての車だったので、あちこち出掛けた。
写真は、国道4号線を走って猪苗代湖を目指した途中。宇都宮の手前・自治医大前
で撮影したもの。タイトル写真と、これが残る2枚の写真だ。

初めての猪苗代湖から、磐梯吾妻スカイラインに入ったが、坂を登れない。
ローに落として、アクセルを踏むがエンストしてしまう。諦めて、平地のみを走った。
前の晩、この車で、会津若松の川べりで車中泊した。

翌日は、最初に務めた銀行を退職していた、彼女に会いに行ったのであった。
自分も、その頃、やはり彼女と同じ銀行を退職していた。



社内旅行で、朝 地引網を引いた。夜は海岸でのフォークダンスで知り合ったのだった。
*記憶がはっきりしていないが、地引網は印象深く覚えている。

会津若松駅で、待ち合わせして、現れた彼女が発した最初の言葉は・・
「こんな小さい車で、よくここまで来られたわね?」と、驚いたような顔をしていた。
その後、前述のようにスカイラインを登れず、恥をかいただけで、帰路に就いたのだった。


2. トヨタパブリカ 1200CC OHV68馬力4気筒 FR パブリカ最終型。




吾妻スカイラインが登れなかったR2を下取りに出して、パブリカの中古を購入。

初の普通車で乗り込むと、当時の軽とは大違いな重厚な雰囲気。これぞ車だと思った。
最初の遠出が、磐梯吾妻スカイラインだった。68馬力ながら700Kgを割る車重。
軽快に走り、スカイラインも楽々と登れた。
彼女は、既に結婚して東京へ戻った と本人から聞いていた。
パブリカの、R2とは段違いの性能に感嘆・満足して帰路に就いた。

この時は、収入も多少増えたので、会津若松駅前のホテルに泊まった。
当時は年10%以上の賃上げであった。少しづつだが、豊かさを実感出来る時代に入った。


3. 日産サニークーペ 1200CC OHV68馬力 4気筒FR  DIY全塗装車




パブリカは、事故で廃車になり、代わりに購入したのがスタイリッシュなサニークーペ。

知り合いから、6万円で譲り受けた。滑っていたクラッチを修理してから、DIY全塗装した。
週末のみ作業の半年掛りだった。写真は全塗装後のもの。
サニーの内装の造りは、パブリカに較べると雑そのもの。インパネに、純正の隙間😓が
あり、ボールペンを、そこに落とした事もあった。😒

当時の脚回りは、パブリカもサニーも、固定軸(リジット)板バネ式だった。
内装には劣るサニーだったが、当時多かったダートで走ると脚の差は歴然だった。
荒れ道では、パブリカの後輪はバタついてピョンピョン跳ねるが、サニーはピタリと
路面に食いついて離れなかった。

当時の日産のキャッチコピーは「技術の日産」だった。同じ形式でもこんなに違うのか? 
と、日産のパーツ品質と、セッティングの妙に驚いたものだ。当時の日産とトヨタの
シェアの差は、僅かだった。ホンダより遥かに、日産のシェアは高かった。

数年後、走行中にガタンと大きな音がした。同時に凄い排気音になった。
車を止めて、後ろを見ると、そこには何と、マフラー太鼓が転がっていた。😮
これを機にサニーは降りた。


4. スズキ・セルボ 550CC 28馬力トルクは5.3Kg/?。2気筒RR カタログ写真。


*スタイリッシュなクーペボディ。6連メーターが、スポーツ心をときめかせた。

サニーを1万円の下取りで購入した人生初の新車だった。660ccの前の規格だった。
僅か28馬力で、R2より少ない馬力だったが、トルクは1.5倍あり3人乗りで、正丸峠の
急坂を難なく登ったのには驚いた。良い車だったが、愛車中、最大の当てられ車だった。

納車翌日、停車中に横を全部擦られ、側面中央は全部塗り直しだった。
3週間の修理完了の翌日、停車中に今度はバイクが横滑りしてきて、また側面に衝突。
1年後、洗車中によく見ると、塗装がポツポツと盛り上がってきた。このままでは、
また修理だと思い、下取りに出して新車を再び契約した。新車引き取りの前夜の事。

レストランで食事中、外を見ると無人の車が、坂になっている駐車場で下にある
セルボに向かって動いていた。そのまま、バンパーにガツン!
相手は、サイドブレーキを引き忘れたようだった。
最初から最後まで、何回当てられた事か。当てた事は一度もなかったが・・。


5. ホンダ・シティ 1200㏄ 68馬力&シティターボ 1200cc 100馬力 4気筒FF
*出力はエンジン単体のグロス。以後、排気管を付けたネット表示に変更。




この奇抜なスタイルは、CMのシティダンスと共に、当時の社会現象にもなった。
車を停めていると、大抵誰かが、寄ってきて乗り心地・燃費など色々聞いてきた。

ある時、夜の検問で停車すると、そこにいた警官数人が車を囲み、傍で見ると
意外に大きいな とか中を眺めまわしていた。
結局、殆ど何も聞かれずに、ただ車を見たいから停めたのか?と思ったものだ。

燃費は街乗り13Km位で、脚はガチガチに固められ、乗り心地悪く、遠出は疲れた。


この後乗った
ターボⅠ*(詳細はリンク先にあります。)は、素晴らしい名車だった。

世ではターボⅡが有名だが、しなやかで、粘る脚は、こちらの評価が高かった。
通常のシティより、乗り心地は格段に良く、燃費も良かった。
街乗りは15Kmで、東北旅行ではL 23Kmを記録した。音も遮音装備なしでも、
格段に静かになったのには驚いた、ターボがエンジン音を吸収するかららしい。
この名車も6年経つと、各部が大分やれて、錆びも噴き出した。


*ターボⅠ カタログ写真 車両価格は100万円強程。自分のは白だった。



長くなりましたが、今少しだけお付き合いください。

6. SUZUKI ジムニーSJ30 2スト 28馬力 550CC 2気筒FR 幌→ハードトップ

子供時代からジープに憧れがあったが、当時の三菱ジープ1台で、生活を賄うのはきつい。
で、セカンドカーとしてこれを中古で購入。人が歩けるような所は、走れた凄い車だった。
だが、前後リジットの脚では、常にハンドル修正しないと直進出来なかった。
購入した幌タイプの騒音は凄く、バイクに乗っているようだった。


*こんなにきれいではなかったが、色・ホイールとも同じものである。
ネットの販売中古車写真をお借りしました。

しかし、遅く走る事が、楽しい車でもあった。購入から2週間で雪だるまが、屋根から落ちて
きて、幌は破れボンネットは潰れた。
購入店から、再購入してくれれば、20万で引き取る(28万で購入)と言われ、50万で4年落ち
の、程度良いハードトップに交換した。
数年間、シティターボと併用していた。水に浸かると前後ドラムは、ブレーキが効かなくなり
乾かしてからでないと、公道に出られなかった。


そして、2台を下取りに出してスズキの初代エスクード1.6Lを購入した。
脚はジムニー並みに固く、乗り心地は、悪かったが、走破性はかなり良かった。
ただ、舗装路での走りはカメ。シティターボに乗ってた身には、不満が多かった。
*錆びが全く出なかったのは、初めてだった。

・最終章 

20世紀から、今も乗り続ける初代エスクードTA51W。
普段使いのスイフトZC11Sは、秀逸なハンドリングで今年17歳。


そこで、エスクード初代最後の2L・TA51Wを購入した。
クロカン性能はエスクード歴代最高であり、速さもクロカン車では秀逸だった。
TA51のDOHCエンジンは、シティターボより吹け上りが良かった。
この車に、今も乗り続けている。

・1997年式 最終生産TA51W型 2L DOHC 140馬力 直列4気筒 V6の低速トルク強化版。
新車時、5速1500回転から加速。現在は、アーシング等で1000回転から加速。


*1997年式 新車時代に奥多摩湖駐車場にて。10月に満27歳になる。NO変更済。


*数年前のオフロード走行写真。未だ、錆び・きしみなし。

・2007年に購入したスイフトZC11型。普段使いに楽な、自身初のAT車であった。
ハンドリングは素晴らしく運転が楽しい車だ。未だにミラー以外、無故障だ。

*奥武蔵Gライン白石峠へ向かう。2024.05に満17歳になった。
ZC11は後型より小さいが70-80Kg重い。*うち10Kg強は、エマージェンシータイヤ。
その分 鉄板は厚く、未だ錆び・きしみなし。ATなので走りもクイック。
*購入時、CVTも新発売されたが敢えてAT(1.3L)を選んだ。


・特別付録          

こんな写真も出てきた。シティ時代の未公開写真をUPします。まだ30代前半の私です。
*秋田県田沢湖畔に停車中のジープの横で。同じシティに乗っていた友人と東北旅行。



新潟県の湖(野尻湖?)撮影者は、その時の○○〇。楽しそうでない顔が、今に繋がった。


この写真を見て、私と分かる人は皆無だろう。
私に会った事のあるみんトモさんでも、これが私とは分からないだろう。
それくらい、変わり果てました。よってここに初公開します。


*米国研修中にロスのスーパーで見たエスクTA01W。


*当時世界最大の客室数(5500位?)だったラスベガスのMGMホテル。
故・プレスリーショーやマイクタイソンなどの世界戦もあった。
宿泊したのは、ここの前にあった中級ホテルだった。そこのカジノで20万負けた。

少年老い易く、学成り難し。
長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。


ブログ一覧 | 車の話し今昔物語・車関連の偉人伝 | 日記
Posted at 2024/09/25 12:06:05

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この記事へのコメント

2024年9月25日 20:10
こんばんは♪
歴代の車、時代を感じますね👏
私が知っているのはシティからでした😅
愛車と歩んだ人生、まとめて振り返るのも良いですね☺️
コメントへの返答
2024年9月25日 21:14
こんばんわ。

これも自分の終活の一環になります。
Jeep ラングラーや、ランドローバーは、エスク購入当時、300万台でした。今は800万から1000万になり、遠くの月に行ってしまったようです。 
2024年9月25日 23:53
こんばんは。
歴代愛車、とても興味深く読みました。
それぞれの車の良し悪しや性能の変遷などが面白く、長文でも飽きずに読めましたよ。
当てられ車のセルボのエピソードは、とてもお気の毒でした(^_^;)
コメントへの返答
2024年9月26日 7:25
おはようございます。

ありがとうございます。
セルボは、最初の車検でシティに乗り換えましたが、サイドの修理跡から塗装が浮いてこなければ、もっと乗りたかった車でした。

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