• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

CatDogのブログ一覧

2013年05月11日 イイね!

戦後自動車史 夢叶わず 埋もれた美しい国産初のATスポーツ・ミカサ

戦後自動車史 夢叶わず 埋もれた美しい国産初のATスポーツ・ミカサゼロ戦ブログでも書いたように、当時世界トップレベルに
あった日本の航空技術。

その後も、ゼロの倍近い馬力の重戦闘機 疾風、紫電改
等 当時 最高性能と言われた米国のP-51 ムスタングに
も劣らぬ戦闘機を造り続けた。戦争終期の低質油でもだ。

終戦間際には、ジェット戦闘機の試作機を経て 実用型の橘花を飛行させた。*実戦前に終戦。


*1945年8月 終戦間際の国産ジェット戦闘機 橘花。20機程が製造途中だった。 
ドイツ機より推力では劣った為、機体を小型化して対応した。

橘花は、ドイツで実戦投入されていたメッサーシュミットジェット戦闘機の技術供与を受けた
と言う説もある。実際は、ドイツから設計図を積んだ日本潜水艦は、帰国途上で撃沈されて、
ごく一部パーツの設計図が、別ルートで届いたのみであった。
エンジン等は、日本独自開発での製造技術が既にあり、純国産ジェット戦闘機と言える。

ジェット戦闘機はドイツが、戦争末期に実戦に使用して大きな戦果を挙げた。
イギリス・アメリカは、テスト飛行を終えた段階で日本もほぼ同じレベルだった。

日本は敗戦後、飛行機製造は禁止され、航空技術者達は、畑違いの分野で活躍した。

戦後、米軍向けにスチール家具、一般家庭向けに、鍋・釜を製造していた岡村製作所
にも多くの航空技術者がいた。
無職になった日本飛行機社員雇用の為に、設立されたのが岡村製作所と言われる。

当然、先端航空技術を持ちながら、
鍋・釜の製造では飽き足らなかった。

社長以下の技術者たちは、戦後の有望産業である自動車製造
に、その活路を見出そうとしていた。


1957年、心血を注いだ「ミカサツーリング」(タイトル写真)が完成した。
ミカサの名は、日露戦争時の連合艦隊 旗艦・戦艦三笠から取ったものだ。
このネーミングは、社長自らの発案と言う力の入れようであった。


日本初の、2速ATを搭載したFF車である。

しかもATまで、自社で開発・製造したものであった。
優れた技術力を持っていたのである。


スペック 全長 3810mm 全幅1400mm 車両重量610Kg 出力 19.5馬力 



野暮ったい当時の国産車の中にあって、今なお輝きを放つ美しい洗練されたデザインである。

だが、この車が本格生産される事はなかった


通商産業省(当時)は、今後の日本の基幹産業は自動車産業と
決め、トヨタ、日産を中核として2社に、日本興業銀行(産業育成
の国策銀行、後にみずほグループ入り)が、重点融資を続けた。


*文中当時の日本興業銀行。

そしてしばらくは外車輸入に対し重い関税障壁を設け、国内自動車産業を保護・育成した。
その上で、乱立していた自動車会社を整理・統合して体質を強化、輸入自由化に備えた。
この後、日本グランプリでポルシェを破ったプリンスを、日産に吸収合併させたのである。

この会社も、銀行に融資を申しこんだが、逆に諦めるように説得された。

メインバンクは、四輪に進出したばかりのホンダを支援する事に決していたのである。

膨大な設備投資と運転資金が必要な自動車会社に、融資なしでの経営は成立しない。

かくしてミカサは、試作車3台が製造されたのみで世に出る事はなかった。
(従ってAT車で、最初に市販されたのは同じ1957年のトヨペットートヨタとなった。)

現存する唯一の車体は、現在 同社の博物館に展示されている。(タイトル写真)


*ウィキより転載 マツダR360。

だが、このATはマツダR360に搭載されて日の目を見た。

この車は、延べ10年間生産されて6万5千台も売れた。
当時としては、ベストセラーカーの一つだった。更に、大衆車にATの搭載は、車の運転が
出来なかった障害者に、運転の門戸を開放した。


こうして、岡村製作所のトルコン技術は世に出た。

ミカサ発表3年後の、1960年の事である。
*同社は現在も、トルコンを製造しているようだ。

ジムニーも、ホープ自動車の製造権をスズキが買い取って販売したのが、そのルーツである。


生き残った現在の自動車会社には、
夢叶わなかった会社の人々の、思いが託されているのだ。



*ミカサツーリングの写真は、全て岡村製作所のHPから借用して2022.10.16 に追加。
橘花・銀行他、はネットの画像を借りました。

・参考文献・資料 
戦後日本の政治経済史 、オートメカニック、航空ファン、プロジェクトX、ウィキペディア他

2013年05月06日 イイね!

山火事の報に友の安否確認へ

山火事の報に友の安否確認へ昨夕のニュースで驚いた。
ときがわ町の弓立山が火災との報だ。

週末には、大体この近辺を通る。

埼玉県最大の樹齢1000年以上と言われる
「大くすのき」も、この山の麓付近にある。

我がワントモ君も、この麓にいるのだ。
朝、出かけて様子を見てきた。



越生町に入り、弓立山の麓まで(写真の地点)来たとき電柱のSPから放送が聞こえた。
「火災は鎮火しました。ご協力を感謝します。」 との内容だった。

けが人もいないようで一安心。午前10時30分頃の事だった。

写真中央の、山頂が凹んだような山が弓立山(標高427m)だ。
弓立と言う名前は、源頼朝ゆかりの山らしい。
頂上には、パラグライダーの発進基地がある。



*なんだか三つ目のようなスィフトCat。弓立山登り道路の直前。


写真の、すぐ先にある山登り口付近には消防車が数台いた。
消防車の横をやっとすり抜けて、中腹へ。
付近はごった返して車を止める場所もない。撮影は諦める。

中腹まで上がると、いつもの静かな風景になった。
火災は中腹より上で起きたようだ。
ここから下に降りる林道が分岐している。
ワントモ君は、この先の牧場にいるのだ。 

中腹より下の、この林道沿いは、いつもと変わらない風景が続く。
樹齢1000年以上の、ご神木がある森にも被害はないようだ。 よかった。

牧場に着くと、放し飼いのワンちゃんが吠え掛かってきた。
ここにはいつもエスクで来るので、ワンちゃんはスィフトとは初めてのご対面なのだ。

窓から顔を出すと、吠えるのを止めた。
私の足の匂いを嗅ぐと、誰だか思いだしたらしい。
このワンちゃんが、我がワントモ君だ。



しかしエスクの時だと、物珍そうに車を見まわしたり匂いを嗅ぎまわるのだが、
スィフトには興味がないらしく、一瞬後輪の匂いを嗅いだきりだ。


犬にも、車の好みがあるのかな?(笑)

持っていた煮干しを、あげたらパクパクと旨そうに食べていた。

そこに「ヒヒィーン!」 と馬の声がする。「ブー!」 っと鼻息も荒い。

振り返ると、馬が柵の上に首を出し、長い顔でジッとこちらを見ている。
何か、言いたそうな顔だ。どうも、犬と遊ぶ自分に嫉妬しているようだ。(笑)

前回も遊んでいると、こちらに対して「ヒヒィーン!」と啼いたのを思い出した。




「遊んでないで戻っておいで!」 と馬が言ったのか、ワンちゃんは馬の警護に
戻って行った。

異種の動物同士で会話が成立しているようだ。
ともかく無事を確認して一安心。





山を下りて振り返れば、そこにはいつもと変わらぬ風景があった。


*わんトモ君はエスクフォトギャラに、にゃんトモ君はトディ・スィフトフォトギャラに
登場しています。




プロフィール

「[整備] #スイフト ボンネットサイレンサー補修・付け直し https://minkara.carview.co.jp/userid/1110056/car/855743/7781022/note.aspx
何シテル?   05/04 13:40
眼が悪く、黒背景の文字は、読む事が出来ません。 足跡も見ていません。 以下に該当する方はフォロー不可です。 自己紹介欄に、居住地もなく、宜しくだけの方。記...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2013/5 >>

   1234
5 678910 11
12131415161718
19202122232425
262728293031 

リンク・クリップ

花はどこへ行った そのメッセージ by 忌野清志郎  
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/04/15 18:07:53
天国で永遠に 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/05/26 00:20:52
野良の魂 母と子の絆 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/12/19 10:54:17

愛車一覧

スズキ エスクード Escu Dog (スズキ エスクード)
錆や故障もないタフな車だ。 2019年までの22年間で、交換したのは消耗パーツのみであ ...
スズキ スイフト Swift Cat (スズキ スイフト)
故障や錆・ビビリ音は一切ない、見た目とは違う頑丈な車だ。 *その後、11年目に助手席側電 ...
ホンダ トゥデイ Wild Cat (ホンダ トゥデイ)
我が家、唯一のホンダ車。 買い物、街中のブラリ散歩用に購入した。 2003年、13年前の ...
スズキ セルボ スズキ セルボ
自分のメモ用としてフォトギャラを使用。 初めてのスズキ車にして初の新車。 写真は借り物 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation