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CatDogのブログ一覧

2011年10月30日 イイね!

スィフトアルミホイール修復中

スィフトアルミホイール修復中写真が傷の状態です

スポーク2本に渡る中央付近の傷。
拡大して下さい。
表面が幅25-30mm位、削られています。
周囲は全体の半分位がガリガリと、ささくれ
だっています。



しかし擦った時の衝撃音の大きさに較べたら、よくこれ位で済んだなと
言う感じです。

現在3回のパテ塗り込みと乾燥が終わり、塗装に入る所です。

作業時間より乾燥時間のほうが10倍位、多い感じだ。

写真は1回目のパテ塗り後、、ヒーターで乾燥させている所。


*タイヤ交換は整備手帳にUPしました。

現在パテ塗り3回と表面磨きまで終了。あとは塗装と仕上げです。

しかし3ヶ月振りに、整備手帳、パーツレビューなど書きましたが、1日の足跡が
画面には入らない位の満員御礼。
やはり車のSNSだなと感じます。

6月にUPした「スィフトの擦り対策」2本など、整備手帳にするのも、
おこがましい簡単さではありますが、この「擦り対策」2本の累計PVは
1500越え真近です。
スィフトはスポイラー下が擦れ易く、対策に皆さん悩んでいるのが分かります。
しかも、私でも出来る範囲の事なのでそれが良いのかも知れません。

閲覧して頂いた皆様に感謝します

ほんの15年位前はネットはまだ一般的でなく、みんな孤独な作業をしていた。
情報は車雑誌からしか取れなかったし、仲間もいなかった。
それが今は、すぐ情報が全国に、いや世界に広がる。

世界の独裁者たちも、ネットに倒されるとは思わなかっただろう。
Posted at 2011/10/30 08:16:10 | コメント(5) | トラックバック(0) | 車弄り・用品購入 | 日記
2011年10月24日 イイね!

フェンスの向こうのアメリカ

フェンスの向こうのアメリカご無沙汰してます。
最近PC不調で、先週は不動状態でした。

先日、柳ジョージさんが亡くなられました。
ご冥福をお祈りします。

FENCEの向こうのアメリカ。
いい曲でしたねー。 


歌のように海はないけれど、東京都福生(ふっさ)市の国道16号沿い、
横田基地を通る度、この曲が思い出されました。

* 写真は広大な滑走路部分。
大型輸送機が発着しているが、この日は日曜とあってか、見当たらなかった。
中が見えるのは滑走路部分だけ。9.11テロ以降は全て目隠しされた。

圏央道が中央道に繋がるまでは信州方面は八王子ICを使った。
その際は、必ず横田基地を通ったのだが、今は圏央道で直接上野原に出る。
なので基地を通る事もなくなった。

そこで久々に横田基地周辺を歩いてきました。(10.23)
自宅から30分で国境に到着。

*日米国境のゲート、その向こうはアメリカだ。
カメラを向けるとゲートの米兵が鋭い視線を・・・。
 


* ゲート前の16号沿いに、異国情緒ある店が並ぶ。


*コンビニもアメリカンだ。
 この近所には日本で初めてピザを出したレストランもある。
 
 柳ジョージさんのこの曲を初めて聴いたのは、もう遥か昔に。
 それから色んな事がありました。

 
改めて安らかにお眠りください。

2011年10月16日 イイね!

歴史散歩 河越夜戦 (後編)

歴史散歩 河越夜戦 (後編)前編は9.26 ブログです。
歴史好きは無論、そうでない人もどうぞ。

前段の説明

力あるものだけが生き残る、下克上の戦国時代、
小軍が大軍を打ち破った歴史上重要な戦いがあった。
日本3大奇襲と言われ、有名な桶狭間の戦い、厳島の
戦い、そして最大規模の河越夜戦である


*写真は本日行われた日本100名城のひとつ武州鉢形城
(埼玉県寄居町)の北条祭


河越の戦いは相模の1大名だった北条氏が、広大な武蔵の国
(神奈川県の一部と東京都と埼玉県の全域)を支配下に置く、
天下の有力大名となった戦いである。
北条氏康の名を天下に轟かせた戦だ

1.関東管領の河越城奪回作戦 (現在の埼玉県川越市にある日本100名城のひとつ)

1545年10月に時の関東管領 上杉氏、古河公方 足利氏の連合軍が、
北条氏に取られたかっての居城、河越城を奪還しようと連合を組み、
河越城を包囲した。

連合軍兵力は8万と言われた

対して城を守る北条軍は僅か3000であった。

上杉氏は同時に駿河の今川義元とも同盟し、今川氏は北条支配下の
長久保城を包囲した。
かくして北条氏は河越城に援軍を出せない状況となった。
しかし、北条氏は攻め取った今川氏の旧領地の返還を条件に今川氏と和睦。
翌年春にやっと河越城への援軍を出す事となった。
しかし、全軍を出せば今川氏に背後をつかれる。  

そこで大半の守備隊を残し、僅か8000の兵を北条氏康
自ら率いて河越城の救援に向かった。

下記写真は河越城富士見櫓と建物規模が近い、諏訪湖畔の高島城。




2.北条氏康の知略

1546年5月(旧暦の4月) 北条の援軍は河越(現。川越市)と隣の
現・狭山市に陣を敷いた。
しかし上杉軍の攻撃に会うと、すぐ兵を府中あたりまで引いて戦おうとしなかった。
これを何度も繰り返し、更に降伏を申し出た。

人は1,2回、相手が負けたからと言っても本当かなと疑う。

しかし3回も4回も逃げるのを見れば、相手は自分達を恐れているんだ
と信じるようになる


そして北条が降伏を申し入れてきた時、上杉連合軍はすっかりその気になった。
降伏は許さんと断ったものの、すっかり連合軍の士気は緩み、各隊への連絡
や斥候も出さないような「ていたらく」となった。

北条氏康の狙い通りとなったのである。

小田原から8000の兵を連れて、降伏しにくるバカはいない

5月19日 氏康は8000の兵を4隊に分けた。
そして1隊を残し、3隊を突撃隊として足利、上杉本陣に突入させたのである。

攻撃の前に兵の鎧兜を脱がせ、俊敏に動けるようにした上で、
夜陰に乗じて奇襲をかけたのだ。

まさかの奇襲に上杉、足利連合軍は大混乱に陥った。さらに奇襲の連絡を
受けていた、城の綱成軍3000も呼応して城門から:討って出、足利晴氏の
本陣を急襲した。

軽装備で俊敏な北条軍の前に、寝入っていた連合軍は逃げまどうばかりだった。

北条随一の猛将として恐れられた綱成は馬上から「勝った!勝った!
と叫びながら戦場を駆けた。

連合軍は上杉朝定が戦死。そのほかにも

有名武将30名が討ち取られる大敗北を喫し、上杉憲政は上州に逃れた

 * 明治時代の道路工事で戦場の一部から、この戦いで死亡したと思われる
   槍、刀傷の付いた人骨500体以上が発見された。
   この時の死傷者は13000人に登ると言われた。

3.その後の天下統一

上州にも北条の追っ手が迫り、武田信玄との戦にも破れた上杉憲政は越後
の長尾景虎のもとに亡命。
長尾景虎は上杉の養子となり、上杉謙信を名乗り、関東管領となった。

その後、1603年に徳川家康が徳川幕府を開いて天下統一を果すまで、
激動の戦国時代が続くのである。

天下統一を夢見た北条、武田、今川はいずれも夢果せず滅亡した。

1554年    北条、武田、今川の3国同盟成立
1560年    桶狭間の戦い
1561年    川中島の:戦い
1569年    今川家滅亡  北条家、武田家 同盟破棄 戦争状態となる。
1582年    武田家滅亡  織田、徳川、北条連合の攻撃受け、武田勝頼自害
          同年 本能寺の変 織田信長自害
1585年    豊臣秀吉関白就任  豊臣の世となる 

1590年  数万の豊臣軍の前に武州鉢形城落城  北条家滅亡

明治に入り起きた秩父事件の指導者達は、この鉢形城から落ち延びた武士達
の末裔と伝えられている。まさに歴史の縁(えにし)です。

*鉢形城落城の様子を今に伝える北条祭が行なわれる河原より。。
 (祭も参加者の高齢化により、今年は武者隊が組めなかったと地元の人が言っていた。)



2011年10月09日 イイね!

日本最古のホテル?

日本最古のホテル?縦穴式住居の復元? ではありません。

ホテル? 旅館? いずれにせよ、これは
れっきとした宿泊施設なのです。

全体写真は下記の通りです。



釣り、バーベキュー、古民家風のそば屋(写真左端)等の設備、近くにキャンプ場があります。


奥多摩湖を過ぎて山梨県に入った所にある 原始村。
山梨県小菅村の施設です。

そばは地元で採れるそば粉を、村のおばちゃんたちが目の前での手打ちで、
中々美味しかった。
訪れた時は休日にも拘わらず、人出はまばら。
宿泊施設にも泊まり客なしとの事でした。
上の写真の如くで、窓もなく、日中は室内にいる気はしないでしょうね。


* 写真は春。4月下旬ー11月下旬の営業 
 但し、そば屋は不定休で原則週末のみの営業らしい。

*松姫峠  歴史悲話を今に伝える峠名

 原始村から大月方面への道を行くと、松姫峠(標高1250m)に出る。
 武田信玄の娘、松姫がかつての婚約者がいた織田軍に攻められ、
 逃れようと越えた峠と言われる。
 織田の軍勢に追い詰められ、武田勝頼が自害した武田家滅亡の数日後である。
 写真は松姫峠手前(小菅村側)のもの。真木小金沢林道が近くに走る。
 現在、峠の下を通るトンネルの工事中で来年3000m級のものが完成する。
 
 完成後は峠を訪れる人もまばらになるだろう。
2011年10月06日 イイね!

四駆に乗り始めた訳は(我が心のジープ) ー再編修

四駆に乗り始めた訳は(我が心のジープ) ー再編修何故、いつまでもそんな車(エスク)に乗っているのか と、聞かれる事がある。

悪路を走っても普通乗用車とは比べものにならない、安全マージン。

遠くまで見通せる高い座面、悪路で走破性の高い、パートタイム・
直結四駆システム。

三つ子の魂百まで。 幼い頃の思いは、今でも消える事はない。



昔々のお話です。

幼い頃、両親に連れられて、初めて海水浴に行った。

砂浜からコンクリート製の、かなり幅広の階段があり、それが道路へと続いていた。

* 写真は四駆歴最初のジムニーSJ-30 ハーフメタルドア
  (2サイクル28馬力 5.4Kg-m 705Kg )


そこへジープが砂浜からやって来て階段をヨッコイショと登っていった。
今ならマナー云々と言う所だろうが、子供の自分にはそんな考えが浮かぶはずもなく、只只、


「ジープって凄い車だなー!」 と感嘆した。
(近所に米軍基地があり、ジープは知っていた。)

自分が何歳かも、どこの海かも覚えていないのに、階段を登るジープのその姿は、子供の脳裏に鮮明に焼きついた。 


「いつかはジープに・・。」 

 この時、そんな思いがあったのだろう。

やがて月日は流れ、車にもなんとか乗れるようになると、この思いが再び頭をもたげて来た。
しかしこの頃には、ジープは特殊な車である事もわかってきて、1台で全ての用途を賄う事は
無理と承知していた。

そこで選んだのが、初のセカンドカーとして維持費も安いジムニーだった。
(メインはシティターボ)
それも写真のハーフメタルドアを選んだ。色も写真と同じ赤。中古で30万円位だったと思う。
2サイクルエンジン独特のボロボロと言う排気音通り、かなりのボロ車だった。


感想? いやはや凄い車だった。いや車とは呼べないかも知れない
「ジムニーと言う名前の乗り物」だったと言うべきだろう。


音性は殆どなく、エンジン音は室内に響き渡る。走り始めると会話、ラジオ聴取不能。
(後に乗ったハードトップは多少の遮音性があった。)まるで2輪に乗っているようだった。
ビニールの窓は擦れて透明度がなくなり、ファスナーで窓を閉めると外が見えなくなる。
高速道路を走っても平坦地で90kmがやっと。正に、わが道を行くである。
おまけに乗り心地は最悪。

固い足回りは衝撃の吸収という事を知らず、道路の起伏通りに車体も上下左右に揺れた。
特にハンドルをしっかりと握っていないと、平坦な舗装路でも左右に蛇行するのには閉口した。

短いホイールベースに、前後りジッドの足回りが関係した直進安定性のなさであった。


しかし一方で、走破性は桁外れと言う言葉が相応しい。

ある時、草原(くさはら)を走っていて「ドカン」と何かに当たった気がして停車。
下を見ると折れたコンクリート製の電柱が、腹下にあった。
見事に電柱を跨いで、車体のどこにも当たってはいなかった。

発進するとすんなり電柱を乗り越え、ストンと着地してやはり車体のどこにも触れなかった。
無改造のノーマル車で、このような障害物を乗り越えられる凄い各種アングルであった。

その当時は水にも入ったが帰り道、止まろうとしてもブレーキが効かず驚いた。
ドラムブレーキは、水が入ると乾燥が遅く、乾くまでブレーキが効かなくなると言う事を、
初めて知った。

*本文と写真は関係ありません。

その後、ディスクブレーキが普及した所以(ゆえん)でもある。
まあ、そんな事を除けば、


凄いと言うより、呆れる程の走破性だった

軽量なボディとも相まって、ジープをも凌ぐ悪路の走破性だったのではないか。

ジムニーは遅く走るスポーツカーだった。

しかし購入後数ヶ月して、屋根の雪の巨大な塊がジムニーの上に落ち、幌骨、ボンネット等
が無残に潰れ、手放す事となりました。その後2年ほど、ハードトップに乗った。

下は、現在乗っている15年ものの初代エスクード.大分、車らしくなりました。


*現在は、もうクロカンには興味はありません。
 林道をゆったりと走り、良い景色のところで車を止めて歩くのが好きだ。


*入会四ヵ月後のブログを再編修・補筆して再UPしました。
当時からのお友達には、既にイイね! を頂いています。
最近のお友達にも読んでもらいたく、再編修したものです。

思い入れ深いブログなので、お許しを。

プロフィール

2ストSJ-30からTA-01W,TA-51Wと乗り継いで います。オフロードも絶滅寸前。 力を発揮する場所も段々なくなる一方で、歳を取りMT疲れ。 エス...
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