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CatDogのブログ一覧

2024年09月25日 イイね!

それは、スバルR2から始まった。歴代愛車と、その思い出。

それは、スバルR2から始まった。歴代愛車と、その思い出。もう1台のPCに集約していた写真。それが、故障。
ログイン不能になり、SDカードから殆ど徹夜で2昼夜
掛けて、全写真をインポート。不要写真は削除して、
年代別に仕分けした。昔の愛車写真(全てフィルム)も
出てきたので、今回のUPとなりました。

前回、みんカラ20周年記念以外では、超久々のブログ
になります。


・Myカーライフの夜明け   写真は、殆ど銀塩写真。エスク新車時も含む。

1. スバルR2 排気量360CC OHV 2気筒31馬力 駆動はRR。 

大学卒業後、その年の冬のボーナスで、待望のMy Carを 購入。スバルR2である。
*近年のR2とは別車。名車スバル360(古い!)の、後継車として発売された。

近隣にオープンしたトヨタディラーの目玉車として展示されていた。
何せ車両価格は12万。購入した1974-5年当時でも、冬のボーナスで買えた金額だ。
当然中古車だったが、車検は2年丸々ついていた。

だが、車検付きでDが売ったとは、思えない程度の酷さ。購入半年後位になると、
ブレーキを踏むと轟音がする。購入したDでない修理工場に見て貰うと、ブレーキ
パッドが完全になくなり金属同士が、擦れあう音だった。
錆びも酷く、ボンネットは解体屋に出かけて交換した。*下写真の色違い。



それでも初めての車だったので、あちこち出掛けた。
写真は、国道4号線を走って猪苗代湖を目指した途中。宇都宮の手前・自治医大前
で撮影したもの。タイトル写真と、これが残る2枚の写真だ。

初めての猪苗代湖から、磐梯吾妻スカイラインに入ったが、坂を登れない。
ローに落として、アクセルを踏むがエンストしてしまう。諦めて、平地のみを走った。
前の晩、この車で、会津若松の川べりで車中泊した。

翌日は、最初に務めた銀行を退職していた、彼女に会いに行ったのであった。
自分も、その頃、やはり彼女と同じ銀行を退職していた。



社内旅行で、朝 地引網を引いた。夜は海岸でのフォークダンスで知り合ったのだった。
*記憶がはっきりしていないが、地引網は印象深く覚えている。

会津若松駅で、待ち合わせして、現れた彼女が発した最初の言葉は・・
「こんな小さい車で、よくここまで来られたわね?」と、驚いたような顔をしていた。
その後、前述のようにスカイラインを登れず、恥をかいただけで、帰路に就いたのだった。


2. トヨタパブリカ 1200CC OHV68馬力4気筒 FR パブリカ最終型。




吾妻スカイラインが登れなかったR2を下取りに出して、パブリカの中古を購入。

初の普通車で乗り込むと、当時の軽とは大違いな重厚な雰囲気。これぞ車だと思った。
最初の遠出が、磐梯吾妻スカイラインだった。68馬力ながら700Kgを割る車重。
軽快に走り、スカイラインも楽々と登れた。
彼女は、既に結婚して東京へ戻った と本人から聞いていた。
パブリカの、R2とは段違いの性能に感嘆・満足して帰路に就いた。

この時は、収入も多少増えたので、会津若松駅前のホテルに泊まった。
当時は年10%以上の賃上げであった。少しづつだが、豊かさを実感出来る時代に入った。


3. 日産サニークーペ 1200CC OHV68馬力 4気筒FR  DIY全塗装車




パブリカは、事故で廃車になり、代わりに購入したのがスタイリッシュなサニークーペ。

知り合いから、6万円で譲り受けた。滑っていたクラッチを修理してから、DIY全塗装した。
週末のみ作業の半年掛りだった。写真は全塗装後のもの。
サニーの内装の造りは、パブリカに較べると雑そのもの。インパネに、純正の隙間😓が
あり、ボールペンを、そこに落とした事もあった。😒

当時の脚回りは、パブリカもサニーも、固定軸(リジット)板バネ式だった。
内装には劣るサニーだったが、当時多かったダートで走ると脚の差は歴然だった。
荒れ道では、パブリカの後輪はバタついてピョンピョン跳ねるが、サニーはピタリと
路面に食いついて離れなかった。

当時の日産のキャッチコピーは「技術の日産」だった。同じ形式でもこんなに違うのか? 
と、日産のパーツ品質と、セッティングの妙に驚いたものだ。当時の日産とトヨタの
シェアの差は、僅かだった。ホンダより遥かに、日産のシェアは高かった。

数年後、走行中にガタンと大きな音がした。同時に凄い排気音になった。
車を止めて、後ろを見ると、そこには何と、マフラー太鼓が転がっていた。😮
これを機にサニーは降りた。


4. スズキ・セルボ 550CC 28馬力トルクは5.3Kg/?。2気筒RR カタログ写真。


*スタイリッシュなクーペボディ。6連メーターが、スポーツ心をときめかせた。

サニーを1万円の下取りで購入した人生初の新車だった。660ccの前の規格だった。
僅か28馬力で、R2より少ない馬力だったが、トルクは1.5倍あり3人乗りで、正丸峠の
急坂を難なく登ったのには驚いた。良い車だったが、愛車中、最大の当てられ車だった。

納車翌日、停車中に横を全部擦られ、側面中央は全部塗り直しだった。
3週間の修理完了の翌日、停車中に今度はバイクが横滑りしてきて、また側面に衝突。
1年後、洗車中によく見ると、塗装がポツポツと盛り上がってきた。このままでは、
また修理だと思い、下取りに出して新車を再び契約した。新車引き取りの前夜の事。

レストランで食事中、外を見ると無人の車が、坂になっている駐車場で下にある
セルボに向かって動いていた。そのまま、バンパーにガツン!
相手は、サイドブレーキを引き忘れたようだった。
最初から最後まで、何回当てられた事か。当てた事は一度もなかったが・・。


5. ホンダ・シティ 1200㏄ 68馬力&シティターボ 1200cc 100馬力 4気筒FF
*出力はエンジン単体のグロス。以後、排気管を付けたネット表示に変更。




この奇抜なスタイルは、CMのシティダンスと共に、当時の社会現象にもなった。
車を停めていると、大抵誰かが、寄ってきて乗り心地・燃費など色々聞いてきた。

ある時、夜の検問で停車すると、そこにいた警官数人が車を囲み、傍で見ると
意外に大きいな とか中を眺めまわしていた。
結局、殆ど何も聞かれずに、ただ車を見たいから停めたのか?と思ったものだ。

燃費は街乗り13Km位で、脚はガチガチに固められ、乗り心地悪く、遠出は疲れた。


この後乗った
ターボⅠ*(詳細はリンク先にあります。)は、素晴らしい名車だった。

世ではターボⅡが有名だが、しなやかで、粘る脚は、こちらの評価が高かった。
通常のシティより、乗り心地は格段に良く、燃費も良かった。
街乗りは15Kmで、東北旅行ではL 23Kmを記録した。音も遮音装備なしでも、
格段に静かになったのには驚いた、ターボがエンジン音を吸収するかららしい。
この名車も6年経つと、各部が大分やれて、錆びも噴き出した。


*ターボⅠ カタログ写真 車両価格は100万円強程。自分のは白だった。



長くなりましたが、今少しだけお付き合いください。

6. SUZUKI ジムニーSJ30 2スト 28馬力 550CC 2気筒FR 幌→ハードトップ

子供時代からジープに憧れがあったが、当時の三菱ジープ1台で、生活を賄うのはきつい。
で、セカンドカーとしてこれを中古で購入。人が歩けるような所は、走れた凄い車だった。
だが、前後リジットの脚では、常にハンドル修正しないと直進出来なかった。
購入した幌タイプの騒音は凄く、バイクに乗っているようだった。


*こんなにきれいではなかったが、色・ホイールとも同じものである。
ネットの販売中古車写真をお借りしました。

しかし、遅く走る事が、楽しい車でもあった。購入から2週間で雪だるまが、屋根から落ちて
きて、幌は破れボンネットは潰れた。
購入店から、再購入してくれれば、20万で引き取る(28万で購入)と言われ、50万で4年落ち
の、程度良いハードトップに交換した。
数年間、シティターボと併用していた。水に浸かると前後ドラムは、ブレーキが効かなくなり
乾かしてからでないと、公道に出られなかった。


そして、2台を下取りに出してスズキの初代エスクード1.6Lを購入した。
脚はジムニー並みに固く、乗り心地は、悪かったが、走破性はかなり良かった。
ただ、舗装路での走りはカメ。シティターボに乗ってた身には、不満が多かった。
*錆びが全く出なかったのは、初めてだった。

・最終章 

20世紀から、今も乗り続ける初代エスクードTA51W。
普段使いのスイフトZC11Sは、秀逸なハンドリングで今年17歳。


そこで、エスクード初代最後の2L・TA51Wを購入した。
クロカン性能はエスクード歴代最高であり、速さもクロカン車では秀逸だった。
TA51のDOHCエンジンは、シティターボより吹け上りが良かった。
この車に、今も乗り続けている。

・1997年式 最終生産TA51W型 2L DOHC 140馬力 直列4気筒 V6の低速トルク強化版。
新車時、5速1500回転から加速。現在は、アーシング等で1000回転から加速。


*1997年式 新車時代に奥多摩湖駐車場にて。10月に満27歳になる。NO変更済。


*数年前のオフロード走行写真。未だ、錆び・きしみなし。

・2007年に購入したスイフトZC11型。普段使いに楽な、自身初のAT車であった。
ハンドリングは素晴らしく運転が楽しい車だ。未だにミラー以外、無故障だ。

*奥武蔵Gライン白石峠へ向かう。2024.05に満17歳になった。
ZC11は後型より小さいが70-80Kg重い。*うち10Kg強は、エマージェンシータイヤ。
その分 鉄板は厚く、未だ錆び・きしみなし。ATなので走りもクイック。
*購入時、CVTも新発売されたが敢えてAT(1.3L)を選んだ。


・特別付録          

こんな写真も出てきた。シティ時代の未公開写真をUPします。まだ30代前半の私です。
*秋田県田沢湖畔に停車中のジープの横で。同じシティに乗っていた友人と東北旅行。



新潟県の湖(野尻湖?)撮影者は、その時の○○〇。楽しそうでない顔が、今に繋がった。


この写真を見て、私と分かる人は皆無だろう。
私に会った事のあるみんトモさんでも、これが私とは分からないだろう。
それくらい、変わり果てました。よってここに初公開します。


*米国研修中にロスのスーパーで見たエスクTA01W。


*当時世界最大の客室数(5500位?)だったラスベガスのMGMホテル。
故・プレスリーショーやマイクタイソンなどの世界戦もあった。
宿泊したのは、ここの前にあった中級ホテルだった。そこのカジノで20万負けた。

少年老い易く、学成り難し。
長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。


2020年06月03日 イイね!

エスクードで30年越え 初代TA01W の話

エスクードで30年越え 初代TA01W の話当時乗っていた2ストジムニーSJ30とシティターボを
下取りに出し、購入したのが初代エスクードの初期型
TA01Wだった。当時は3ドアのみだったと思う。

1990年2月の事だから、あれから30年以上エスクード
に、乗っている事になる。

しかも、現在のTA51Wも、初期型の最終モデルである。


錆びない・故障しないし、気にいって買った車だからだ。
しかし、TA01Wも錆びない事では、初の車であった。故障もしなかった。
買い換えたのは、大きな不満があったからである。


エスクードには、ジムニーとシティターボを両立させたものを求めた。
オフロードを苦もなく進み、舗装路では軽快に走る。


こんな車が理想だった。


⋆エスクードのオリジナルモデル TA01W の初期型 これに乗っていた。

・中々のクロカン性能だったが、オンロードでは大分物足りない性能だった。

低速トルクが太く、1速アイドリング状態で前進出来た。最低地上高も200㎜を確保。
ジムニー程ではないが、悪路の走破性は中々のものだった。

一方、オンロードでは1.6L 82馬力(ネット)13.2Kg-m のエンジンは伸びがなく、
アクセルを踏んでも、回転は上がるだけで、うるさくゴーゴーと唸るだけ。
車速は、じれったい程伸びずに、加速はSJ30 の28馬力と変わらなかった。
おまけに、脚はガチガチに固められ、同乗者が車酔いを起こした位だった。
その固い乗り心地も、当時の板バネジムニー並みであった。

軽快とは程遠い、動力性能だった。

ただ、オンロードでは較べる相手も悪かった。
何せシティターボは、690Kgの軽量ボディに100馬力(グロス値)15Kg-mのトルクだった。


当時、市販車同クラス世界最速のスプリンター・シティターボ。自分が乗ったのは白。
全長は3.380mm、全幅は1580mm。燃費も良く、長距離では20K/L越えだった。
通常のシティより乗り心地が良く、音も静かで徳大寺有恒氏も絶賛した車だった。
後のターボⅡよりも、評価は高かったくらいだった。
安い・早い・燃費良しの、吉牛ターボと言われた?

タイムラグのあるドッカンターボは、効き始めるとまるでロケットだった。
1.2L市販車では、当時世界最速と言われた車だ。その後、あのターボⅡが出た。

エスクードに乗って「ホンダのエンジンに比べると、まだまだだな ・・。」 
と、当時は思ったものだ。


だが2車両とも7年程、乗ったが手放す時は、評価が一変していた。
シティは2代乗ったが、手放す時はやれが大分あった。ワックス掛けも当時は、まめに
していたが、それでも錆は噴出していた。ターボパワーも衰えていた。

一方のTA01は、ボディは亜鉛メッキされて錆は全く出なかった。
ボディのきしみも一切なかった。エンジンも非力ながら、新車時と変わらぬ状態であった。


*今見てもスタイリッシュな幌オープンカー。

最も当時のTA01は、SUZUKIにしては異例の高額車であった。
当時ならアルト4台か、シティターボが約2台買えた。

今も乗るTA51Wより50万円も高かった。SUZUKIの小型高級車であった。
*シティターボの頃は、まだ亜鉛メッキ鋼板は一部の車だった。

そしてこの後に、初代最終型・最終ロットの自身初のDOHC直列4気筒J20Aは、
同じボディのTA01Wの80%増しもの馬力があった。
そしてDOHCエンジンは、シティターボより吹き上がりが早かった。

出来の悪かった初期型1.6Lエンジンからは長足の進歩であった。
このJ20Aはその後、3代目まで使われた息の長いエンジンとなった。

ここに、「ジムニー+シティターボ」の脚と動力性能を、併せ持つ車に出会えたのである。


以来23年間、TA51Wに乗っている。



狭いが、当時の家族3人で旅行にも行けた。雪道も平気であった。
70Lの大容量タンクは、無給油で大抵の旅行先への往復が出来た。

ところで、このTA01とシティターボの写真だけが自分の車歴の中で1枚もない。
*タイトル写真は、TA01Wの後期型100馬力バージョンのカタログ写真。
シティターボも、同じカタログ写真である。



パート2  ミニカー紹介   パーツ予定でしたが、ブログにて集約します。

これのミニカー、特にTA01を欲しかったが、トミカ20台分以上の価格では手が出せない。
今回、ようやく手にする事が出来た。ヤフオクで新品を納得できる価格で落札できた。

届いたミニカーを見ると、その精巧さに驚かされる。
地面の上で撮れば本物に見える。




形式も塗装も当時乗っていたTA01W そのままの姿だ。

インパネに置こうと思ったが、トミカより大きくて置けない。(1/43スケール。)
ここはトミカジムニーとした。



下の台にSuzuki Escudo (1992) と、書かれているものは売値に拘わらず、皆同じものだ。




ひとりごと

脚の負傷もあって、最近はひねもすポチリポチリかな であった。
10万円をあてにして買った。ようやく申請書到着、即日提出した。
最近は、だぶついて値崩れ状態の中国マスク。
それでも届かぬアベノマスク。もうイイヨー。

脚の怪我も大分回復してきた。ミニカーから実車に移りたい。  




総括 
Cat Dog の名前通り、猫も犬も好き。

車も四駆ならOn RoadとOff Road 両方の走りが良い事。
以下、乗用車でも四駆でも下記が、自分のこだわり項目である。

・ハンドリングが良い事。
・林道でのジャストサイズ 全幅 1700mm、全長 3980mm 以下である事。
・容積率の高い2BOXである事。車輪のオーバーハングは最小な事。
・室内や荷室の広さや燃費は10Km/L 以上なら問題にしない。

これが、自分の車選択基準であります。



2019年07月10日 イイね!

消えゆく初代 ESCUDO の表札を降ろす日

消えゆく初代 ESCUDO の表札を降ろす日気が付けば、ひと月以上、ブログUPしてなかった。

少数になった初代エスクード乗りに向けて、時々
整備手帳を借りて情報発信をしている。

今回は、トレイマットの保全と代替品の情報である。

だが、今回はいつもより訪問者が大幅に少なかった。



不審に思って初代オーナーを訪問して見れば最初の5人訪問した中で、3人までが
最近、エスクードを降りていた。後継は、全員乗用車であった。

・私のエスクード歴

最初にエスクードを購入したのは、1990年2月の事だ。
当時はSJ30とシティターボに乗っていたが、都心の本社に転勤になり、車通勤できなくなった。

週末のみ運転で、2台は不要だ。そこで、当時都会派四駆で売り出し中のエスクード1台に
まとめたのである。ガンメタの3ドアを購入した。


*初代エスクード 1600cc TA01


*初代 1600cc TD01 ノマド

*購入した形式は、上写真のハードトップ3ドアである。


だが、低速トルクが太くクロカンは面白かったが、舗装路ではからっきしダメ。
アクセルを踏んでも、回転は上がるが速度が付いてこない。煩いばかりの82馬力
エンジンだった。*その後、Ⅱ型は改良されて100馬力を発揮、パワフルに。

その前に乗っていたシティターボは、今の軽より軽い車重660Kgに、1.2L 100馬力のパワーと
15Kgf・mのトルクが急激に盛り上がるいわゆる「ドッカンターボ」であった。
加速時は、シートバックに身体が押し付けられた。較べる対象が悪かったのだ。

後発ながら、当時売れまくっていたトヨタ・ラブ4 に対抗して2L V6エンジンが搭載
された型が追加された。
145馬力のパワーを発揮したが、低速トルクは今一であった。

そして、初代のライフサイクル最後の10カ月に生産された、低速トルクも十分な直4を搭載
したTA51 に乗り換えた。1997年10月購入。二代目が出た月であった。


*初代エスクードの最終型 TA51W 3ドア 4ドアはTD51W。

噴けが良く加速も心地よく、オフにも難なく行ける。
狭いのと乗り心地以外は、自分には丁度合う車だった。

以後、これが欲しいと思う車は出てこなかったので、22年後の今でも乗っている。

途中、スイフトが欲しくなり買ったが、エスクードを手放してと言う程でもなかった。
何よりATは楽である。*スイフトが初のAT車なのである。歳を取るとMTはきつい。

エスクードは時代遅れのボールナット式ステアリングだが、舗装路ではダルなこの
ステアリングも、ダートでは一変してシャープになる。

逆にスイフトのラック&ピニオン式は、林道の段差などでハンドルが高速回転する事がある。
突き指した事もある。ラック&ピニオン方式の宿命であろう。



クロカンはもうやらないが、止む得ない場合も、この後輪の動きは歴代随一。
*レンジローバーとエスクード初代だけが持つA型アームサスペンションだ。
 その後は街乗り重視で、オフロード用のこのサス形式は、初代限りで廃止になる。

以上の写真は、ネットのカタログ写真と画像を借りました。
って上の画像は、自分が撮ったものではないか。いつの間にか転載されていた。

今なら現行シェラを追加したいが、経済的にも物理的にもこれ以上は無理だ。



さて、話を戻してトレイマットだが、まだお乗りの方に聞けば、長く乗るつもりだった
ので、在庫してある  との事だった。

自分の場合は、当時ここまで乗るとは思わずアクセサリーの類は在庫なし。
相変らずの行き当たりばったり であった。

そして、途中は省略するが遂に
  

ESCUDOのエンブレムを降ろそうと決めたのである。

エンブレムは、家の表札のようなものだ。新しい表札にかけ替える決心をしたのだ。

そして本日、新しい表札を受け取りに行った。



下が22年間使用したエンブレム。てっきりメッキ仕上げが薄くなり、この色になった
と思いきや、最初からくすんだシルバー塗装だった。

追記 話を聞いた初代オーナーのエンブレムは確かにメッキ仕上げだ。リンク不能。



何か変わり映えしないなー。だが、汚れを落とせば新品に見えるから、塗装の質は良い。

つまらない落ちで恐縮です。



左手キー穴横のSUZUKIのエンブレムも外し、到着待ち。
右の2Lを示す2.0は、磨けば済む事が分かったので、そのままとする。
SUZUKIエンブレムは、同じ純正でも小さめのものを選んだ・。
終活突入記念エムブレムである。

ESCUDO・SWIFT は、いよいよカーライフ終活の領域に入ったのであります。

その前に、何とか眼が回復して、来年の免許更新が出来ますように・・・。



・以下 付録



パーツセンターでエンブレム受け取りの帰り道。大勢の観光客が撮影していた橋。
ここは新河岸川。河越城の外堀である。



上は、明治時代の水門。NHK朝の連ドラのロケ地のひとつだ。*県重要文化財。
TVで見るまで、自分も知らなかった水門である。

・絶滅危惧種ではなく、絶滅寸前の初代。

奥多摩に行く時、通る青梅市の農家に置かれていた初代エスクも、10年前に姿を消した。
東秩父村の林道を走ると、大抵出会ったTA51W. いつもフォグランプを灯けていた。
姿を見なくなって5年以上が経った。

今や、越生の街中の商店街の一角に、1台のTA01 。僅かにその姿を見るのみである。

絶滅寸前の初代エスクード、出会ったら手を振って下さい。



*TA01W 1600㏄ 3ドア

2019年05月16日 イイね!

洗車・今昔物語 消えゆくコイン洗車場

洗車・今昔物語 消えゆくコイン洗車場車が、まだステータスだった昭和の時代。

「車を買いたい」が、働くモチベーションのひとつだった
時代である。自分の場合は、オーディオにはまっていて
車は二の次であった。

当時、乗っていた中古車の洗車の記憶がない。
洗車の記憶は新車から。最初の新車はセルボであった。
この頃から、コイン洗車場に通う事となった。


自宅で洗車を除けば 1.コイン洗車場 2.GSで機械洗車 が一般的だった。

更には、車がコンベアに乗り、洗車・拭き取り・ワックスの各工程を通過していく
洗車専門工場のような建物も出来ていた。


*ネットのフリー画像より

車好きはコイン洗車場に、手早く済ませる派はGSの洗車機とに分かれた。



*カタログ画像  自分にとって初の新車。コイン洗車場に通い始めた頃。

セルボは、低い車高と6連メーターで、スポーツカーの雰囲気が味わえた。
2サイクルのトルクは、現在の軽とも同等で、正丸峠の急坂を3人乗りで軽く登れた。
*車重は、僅か600KG台の半ばくらいだった。

お気に入りだったが、大変な当てられ車。

納車翌日に、走行して来た車に側面全部を擦られる。
3週間の長い修理終了後、車を引き取り、帰宅途中に横滑りして来たバイクに、
修理箇所をまた当てられた。

次の車の下取りの前日、ファミレスPKでサイドブレーキ引き忘れのマークⅡに当てられた。
全て停車中の出来事であった。

乗り換えようと思ったのは洗車後、ボディを拭き取っていると修理したドアの塗料面に
、たくさんのブツブツが出来ていたのに気づいたからだ。

自分で、洗車したからこそ気付いた事であった。これでは、いずれ塗装が剥げる。

その足でHONDAのDに向かい、当時大流行した赤いシティを契約した。



*シティR 足回りが異様に固く、旅行では疲れが溜まり、若かったのに宿に着くと
バタンキューだった。シティターボは、しなやかな脚で疲れる事はなかった。
停まっていると警察官を含め、いろんな方々から質問を受けた。写真の時もスバル
のオーナーに乗り心地などを聞かれた。ここは巾着田前の高麗川の河原である。

1980年の前半だったか。バブル景気の前夜であった。

この頃、コイン洗車場は絶頂期だった。洗車のみで帰る人は稀で、室内清掃に
ワックス掛けのフルコースをDIYで、行う方が多かった。

当時はネットもなく、ドライブ情報も限られていた。ドライブより洗車・メンテの
方が多いなんて言う方々も多かった。趣味は洗車などと公言する人々もいた。

大抵が一人できて、黙々と洗車・ワックス掛けに励んでいた。


*セルボの前に乗っていた最後の中古車サニークーペ。DIYで半年がかりで全塗装した後。
交差点中央でマフラーの太鼓が脱落してセルボに買い替えた。先日、同じ車が中古専門店
で、150万の値札が付いていてビックリ。 

この頃のコイン洗車場の週末は満員で、順番待ちも珍しくなかった。
洗車後の時間が長いので、待機スペースの広い洗車場は人気があった。

半日300円で過ごせる週末のイベントであった。

3-4年乗って、シティターボに乗り換えた。バブル景気が始まる頃だった。
*この後から、ジムニーに始まる四輪駆動車に乗り続ける事になる。

この頃から、自分の手を汚さないGSの機械洗車が増えて来た。

コイン洗車場も泡・イオン水などメニューも多彩になったが、料金もバブリーとなった。
DIYでやって千円(当時で)を遥かに超えるとは・・。

*ネットのフリー画像  

そしてバブルは崩壊した。車はもはやステータスではなく、移動のツールになった。
だが、コイン洗車場が料金を下げる事はなかった。
GSの自動洗車の方が、安くなれば、当然皆そちらに動く。

こうして、コイン洗車場は次第に姿を消し、GSの機械洗車に列を成す車が増えたのであった。


*ネットのフリー画像  泡洗車 まさにバブルであった。   


さて、本題はここからである。

GSの自動洗車機の柱に紙が貼られていた。下記の文言が記されていた。
「ダイハツ○○〇 ホンダ○○〇は、ドアミラー脱落の恐れがあるので、入れないで下さい。」

ミラーが脱落とは・・・機械洗車の圧力は、そんなに凄いのか と思った。
絹のような滑らかタッチで、車の塗装を傷める事はありません と謳っていたのに。

そう言えば、機械洗車を続けていたエスクの塗装が、少しくすんで来た気がした。
*表面には洗車傷がビッシリ付いていた。その後、コンパウンドでくすみ取りをした。

そして、以後GSでの機械洗車は止めて、DIYで洗車するようになった。
まだ、7-8年前の事で、割と最近である。



だが、四駆など下回りの洗浄が欠かせない車は、やむなく高いコイン洗車場に行く
しかなかった。

そんなある日、買い物途中で渋滞を避けて入った裏道に、コイン洗車場発見!
そこは、まるで昭和以前にタイムスリップしたような雰囲気のコイン洗車場だった。

見つけてから、2年経つか経たないか位の最近の事である。


*洗剤付き5分コースは200円。これが1台。


*水のみ3分で100円。これが2台、計3台の小さな小さなコイン洗車場である。

昭和にも見た事がなかった、オンボロ洗車機である。壊れたらもうお仕舞かと
思っていたが、故障しても次に行くと修理してある。有難い事だ。

自販機の飲料も100円以下だ。
知られていないせいか、週末を除くと殆ど人がいない。

ここは、まるで異次元の空間のようだ。

まさに、子供の頃の秘密基地である。


昨日は三カ月ぶりにスイフトを洗車・ワックス掛けを行った。

ここでの作業は何だか楽しい。昔のコイン洗車場の雰囲気を思い出す。



10円の水を備え付けのバケツに入れ拭き取り。その後、ワックス掛けだ。


*少しだけ林道仕様のMY SWIFT 。ワックス掛け終了まで90分。いつもなら60分。

タイヤワックスで、タイヤもピカピカに。




ここは、自分の中の歴史的景観保存地区なのである。 



イイね!昭和の空間!!



2017年11月04日 イイね!

愛車と連れ添い20年

愛車と連れ添い20年1997年10月22日 の初度登録から
とうとう20年が、経過してしまった。

同じ車に、こんなに長く乗ったのは初めてだ。

理由は?と聞かれても、特に乗り換えたい車が
なかったから  と答える他はない。




・自分的四駆の歴史    最初に乗った四駆はジムニーSJ30だった。

実はこのエスクの前もエスクであった。TA01で、TA51のオリジナルモデルである。
排気量は1.6L 82馬力 最大トルクは、ガソリン車としては低い3500回転で出した。
発売時はバブルの中。エアコンを付けると軽く200万を越えた。

軽自動車+αのサイズで、30年前としては高額で、SUZUKIには珍しい事だった。


*カタログ写真をネットから借りました。

当時のカタログ写真。今見ても十分にスタイリッシュである。
販売台数も、パジェロに次ぐ2-3位であった。
スマートな街乗り四駆を定着させ、今日のSUVジャンルのルーツとなった車だ。

スズキが、世界でヒットさせた最初の普通車である。
これで自信を付けたスズキはインドに進出。アメリカ一辺倒だった他社とは
異なる道を進み、成功を収めた。そして後にスイフトが、インド・欧州で大ヒットした。



私は、屋根のあるハードトップを購入して7年半乗った。
よく出来た車だったが、不満もあった。低速トルクは強いが、高回転ではまるでダメ。

3500回転(最大トルク発生)を越えると、エンジンは轟音を発して、ただ回っているだけ。
速度が、付いていかなかった。

何せこの前は、シティターボに乗っていたから、動力性能の不満は当然だった。

そこにTOYOTAのラブ4が出てきた。本格四駆ではないが、2Lエンジンで1.6Lエスクードより、
かなり安い価格で、売り出されて売れに売れた。


*カタログ写真をネットから借りました。

スズキも対抗して、2LながらV6エンジンを搭載して価格も下げたモデルを展開した。
だが、このV6は低速トルクがやや細く、評価は今一だった。
*TA01も、100馬力にパワーUPされた。

TA51は、低速トルク不足を解決した直列4気筒を搭載していた。
このエンジンは、3代目の初期モデルまで使用された名機J20Aであった。


*3代目(初期)まで搭載された直列4気筒J20A。
 点火コイル上に貼るアルミテープは効果的だ。

こうして動力性能は互角か凌いだが、室内の狭さはいかんともしがたく、2代目に
モデルチェンジをしたのである。

TA51は、初代エスクの最後の10カ月のみ生産された希少車でもあった。

オリジナルに較べて、押しの強いフロントマスク・トレッドを広げるためのオーバーフェンダー
など、よりアグレッシブなスタイルとなったTA51W。

オリジナルモデルとデザインは共通だが、パワーは1.8倍あった。更に低速トルクも
大きな不足はなく、自分的には理想の車だった。日本の林道にはジャストサイズである。


*先日取り付けたドアミラープロテクターが、林道脇の草や小枝をかき分ける。



初めてのDOHCエンジンは、シティターボより吹けが良かった。
加速も100Kmまで10秒を軽く切った。

やや細かった低速トルクも、自分なりのスープアップで5速の使用範囲が広がった。
加えて車の防錆処理が素晴らしく、錆は車体内外とも未だに皆無である。

車体は、モノコックとは別次元の本格ラダーフレームで酷使にも耐える構造だ。
フレーム構造では、ボディはフレームに乗っているだけなので、ねじれやすいがすぐ元に戻る。
モノコックは、ねじれにくいが一度歪むと、もう元には戻らないのとは対照的である。


*ネットから借りました。右がモノコックボディ。

ラダーフレーム付きは乗用車では、既に日本にはなく、四駆でもランクル・ジムニー
などごく少数になった。*エスクードも現在はモノコックである。

自分の車選びは、まずサイズありき である。燃費は、10K/L以上あれば良い。
全長4m以下の中から、デザイン・性能・価格で選んでいた。

どうしても乗り換えたいと思わせる車が、なかっただけだ。 


*新車時代、台風一過を忘れて中洲ではまった。
  脱出出来なかった唯一のスタックだった。

レスキューに来てくれたJAF等の数台の四駆も近づけなかった。
最終的にはパジェロのウインチワイヤーを、最大の30m出してエスクのフックに
掛けて脱出出来た。以後、クロカンには興味をなくし、止めた。
この頃は、20m程の崖から落ちたりしたが、車は奇跡的に無傷だった。

その後の緑の増加や浄化活動で、川は鮎が遡上するほどの清流になった。




ダートを楽しむ。エスクより少し若いパジェロミニと遭遇。
車に興味ない人からは、「これパジェロミニ?」とよく聞かれた。
全然、似てないと思うがね・。*昨日の写真。

走行距離99,650Kmで満20歳を迎えた我がエスクードである。

20年ではまだクラッシックカーには入らない。人間でも銀婚式にもならない。
*20年記念は磁器婚式と言うらしい。紙婚式に始まり、段々固いものになる絆だ。
私生活では、もはや銀婚式になる事もないが。

ようやく、ネオ・クラッシックカーに入る事が出来た。

ブログUPはひさしぶりだが、整備手帳・パーツはUPを続けていた。




20年記念に、ご当地・希望・五輪ナンバーに変更した。内装と合ったグレーの革巻き
ハンドルカバーも付けた。今でも、弄りの楽しみがある車である。



冒頭のカタログ写真の影響か、同じアングルでの撮影が多い。*前回ブログ写真

自分が走れるうちは一緒に走る。走れなくなったら自宅に飾りたい。


ナンバー変更で代車を借りたが、インテリジェントキー始めアイドリングストップ・モーターアシストなど
別の乗り物のような気がした、21世紀の車・スペーシア。ハンドルが格好良い。



対して我がエスクード。ラジエター冷却ファンは、エンジン駆動。
化学合成油は、旧いエンジンのオイルシールに悪影響があると言われるので、鉱物油を入れている。
ナビもなくコンパスが進路を示す。あるのは、カセットレシーバーのみである。

これは、まさに



人間が運転する20世紀の車なのだ。
ビバ エスクード! 今後も、よろしくお願いしますよ。


追記.以前のブログで、お友達以外だが、イイね!を付けてくれた方は、何と
    37年間、同じ車に乗り続けておられた。  恐れ入りました。

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「[整備] #エスクード 中国製ヒューズ残を国産品に交換 醜いバイザー貼り直し https://minkara.carview.co.jp/userid/1110056/car/855706/8286387/note.aspx
何シテル?   07/03 12:36
眼が悪く、黒背景の文字は、読む事が出来ません。 足跡も見ていません。 以下に該当する方はフォロー不可です。 自己紹介欄に、居住地もなく、宜しくだけの方。記...
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