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CatDogのブログ一覧

2017年04月02日 イイね!

自動車メーカーがクラシックカーを新車に再生する

自動車メーカーがクラシックカーを新車に再生する表題の件は、ベンツが既に実施している。
80年代の自社の部品生産を再開して新車同様に
仕上げるプロジェクトである。価格は100-300万円。
既に数百台のクラシックカーを再生したとの事だ。
*顧客の持つ車を希望があれば再生する。

ドイツは30年以上経つ車に、オリジナル状態なら
と言う条件付きながら、クラシックカーに自動車税
の減免措置を講じている。



対する日本は逆に増税措置をしている。我がエスクも通常より10%高い税金なのである。

同じ工業立国でありながら対照的な考えである。


日本には常に手本となる国があった。
ざっくり言うと遣隋・遣唐使の時代は中国。明治以降はドイツ。戦後はアメリカだ。

最近は独自の立場も表明するが、これもドイツを見習ってもらいたいところだ。

クラフトマンシップの継承がドイツの税低減の根拠であり、日本は排ガスの少ない新車に乗り
なさいと言う事なのである。

だが、これを論ずるのも今回の主題ではやはりない。

日本でもマツダ
初代ロードスターを新車状態にするサービス を、
マツダが準備中なのだ。

初代ロードスター時代には、車好きがひしめいていた。嬉しい事である。



*1989年発売の初代ロードスター。世界で最も売れたスポーツカーである。
画像はウィキより借りました。


80年代までの車をクラシッッカーと定義するならば、20年以上経つ90年代の車
は、ネオ・クラッシックカーと言うらしい。ネオとはギリシャ語で英語のNewだ。

我がエスクも10月には、ただの旧い車からネオ・クラシックカーの仲間入りだ。

自動運転の方向に向かう現在、完全人間運転の時代の車がネオクラシックカーと言う事なのだ。


そしてスイフトが今年で10歳だ。だが、エスクに較べてもまだガキのうち。
新車同様である。

50・60代で新車を買うなんて、いつまで生きるつもりだ(笑)?
なんて心無いブログも見たが、いずれそう言う本人も、同じ事を言われるだろう。



*所有していればクラシックカーの初代セルボ。これもネットからの画像です。

50・60はガキのうち と思って今後を生きたいね。
とぞ思うがぎっくり腰に・・身体は正直だ(笑)。養生中です。

スイフト・エスクードを10・20周年記念車として手塩にかけてリニューアルしました。
可能な限りDIYで行った。

興味ある方は、整備手帳をご覧ください。*敢えてリンクしません。


*タイヤ・ホイール・ダンパー 一新。プラグ交換 ボディ修復完了したスイフト。
タイトル写真はクラッシックホイールに換装したエスク。ダンパーは両車ともKYB、タイヤはピレリだ。



左は、スイフトのKYB・Newスペシャル。右はエスクのカウルトップを塗装後、乾燥中。 

今後も、場面に応じて両車を出来る限り長く乗り続けたい。

そしてDIYでのクラシックカーを目指したい。

走ってなんぼのクラシックカーを。




  
2017年02月16日 イイね!

自分にはベストな車 タイトルクリックで詳細表示

自分にはベストな車 タイトルクリックで詳細表示人には勧められないアンバランスな車。
だが、自分の使用目的には叶った車である。

悪路も舗装路も運転が楽しく、気軽に遠出可能。
満タンで遠出なら、800Kmは走れる。

*更なる詳細は、直近整備手帳をご覧下さい。




*2016.夏 諏訪方面からビーナスラインに向かう。
Posted at 2017/02/16 13:12:46 | コメント(0) | 車の話し今昔物語・車関連の偉人伝 | クルマレビュー
2016年06月05日 イイね!

燃料電池車vs電気自動車 未来はどちらに?

燃料電池車vs電気自動車 未来はどちらに?トヨタ・ホンダを中心に究極の自動車・燃料電池車を
提唱する日本勢と、米テスラモータースや日産を筆頭とする
電気自動車が、本命車と謳うグループが対峙している。

電気自動車も燃料電池車も、電気を使ってモーター
駆動がその基本だ。

テスラモータースの社名は、かつてエジソンと交流・直流戦争
を繰り広げ、高電圧で遠くまで電力を送れる交流、
つまりテスラが、勝利した事にちなんで名付けられた。



共に電気モーターが、駆動源になっている事には変わりがない。
その駆動エネルギーの調達方法が、両車は大きく違う。

1.両車の違い

大きな違いは、電気自動車が出来合いの電気を動力源とするのに対して、燃料電池車
は、車で電気を造る。

出来合いの電気は、製造過程で多くのCO2を排出する。
一方、燃料電池車はCO2の排出はほぼなく、水のみ排出する。

つまり同じ電気でも、製造過程でCO2を出しながら造った電気と、CO2は出さずに
造った電気
との相違である。

ここが、大きな違いである。



*燃料電池車仕組み ネットより借りました。

燃料電池とは、自家発電装置なのである。

燃料電池の普及が、社会を大きく変える。 と日本勢は主張している。

車に限らず、日常使う電気の在り方も大きく違うようになってくる。

当然、家庭用・工場用・オフィス用の燃料電池も登場するだろう。

燃料電池で、CO2排出が格段に減る。
そんな未来社会を、提言しているのである。

トヨタの燃料電池車「ミライ」の名も、そんな願いが込められている。


*トヨタ・ミライ タイトル写真もネットより借りました。

2.既存エンジン車との違い

石油など化石燃料を爆発させて動力を得ているのが、現在の内燃機関である。

だが爆発過程でエネルギーは熱(摩擦熱含む)に変り、トランスミッション等の補機類で
摩擦熱も生じる。

なので内燃機関車では、エネルギー効率が最も良いと言われるディーゼルエンジン車でも
取り出せる動力は、投入エネルギーの半分にもならない。
エネルギー効率は、50%以下なのである。

燃料電池車では、この爆発も摩擦熱も殆どない。
また補機類も大幅に減るから、エネルギー効率は抜群である。
つまり資源の無駄使いが、極小であると言う事だ。

この補機類が大幅に減る内容は下記の通りだ。


トルクの大きいモーターならミッションも要らない。流す電流の大小だけで済む。
モーターをホイールに1個づつ付ければ、ブレーキをモーターが代用する事も可能だ。

プラグも、オイル交換もなくなる。ラジエターも無くす事が出来る。

燃料電池車は、電気自動車に自家発電装置を積んだ車と思えばいいだろう。

電気自動車は、出来合いの電気をバッテリーに溜めて走る。
燃料電池車は電気を車が造り、モーターを駆動するのだ。


*ホンダの燃料電池車 ネットから借りました。

3.燃料電池車の行方

電気自動車も燃料電池車も動力源の電気スタンドあるいは水素ステーションなど
インフラ整備が普及のカギを握っている。

またインフラの規格統一も大きな問題である。

電気自動車には、充電に時間がかかると言う、大きな弱点もある。
だが、無接触で充電出来る技術も既に確立されていて、実用化を待つばかりなのだ。

両車のせめぎ合いが続いている。

燃料電池車が、水素社会を造ると主張する日本勢。

水素社会などは来ない。電気自動車にこそ未来があると主張するテスラモータース。


*テスラモータースの電気自動車 会社ホームページより

4.自動車産業は成熟産業ではない。

自動車は成熟産業だと言う方々もいるが、70億を越える地球人口。
免許が持てる年齢層でも、車を持っていない人々のほうが圧倒的に多い。

いや、現在車に乗っているのは、地球の一部の人間だと言っても過言ではない。
自動車産業は、未だ発展途上にある産業なのである。

かつては数々の名車を産み出して、世界の自動車大国になった日本。


車の規格についても世界の主導権を握れるか? 
これは自動車産業のみならず、日本の産業の総力戦なのだ。 


それは、今後の10年にかかっている と言えよう。
頑張れ!全日本なのだ。 

日本が自動車大国への礎を造った名車達。

フォトギャラ2

フォトギャラ1は、こちらです。


*日本車初のV8エンジンを搭載したクラウンエイト。
かつての栄光の車達が置かれる廃車置き場にて。

今は歳老いてこんな姿になったが、かつてのエースだった事に敬意を表したい。

自分は多分、ESCUD・SWIFT といつまでも・・だろうな。
2015年12月27日 イイね!

もう走れない・懐かしの南アルプスの道(旧野呂川林道他) 写真追加

もう走れない・懐かしの南アルプスの道(旧野呂川林道他) 写真追加旧いブログから自分でも興味深いものを発見。
今は走れない野呂川林道の動画がある。
林道ファンはご覧ください。2018.1.10
以下、当時のまま

南アルプスの峡谷沿いを走る道・芦安-広河原-
奈良田間が、まだ走れる時代に、1回だけ友人と
走った事がある。90年代まだ初頭であったと思う。
当時の四駆乗りの聖地でもあった。

友人と山梨県・身延山から、長野県・松本市へ旅する途中であった。
*タイトル写真は、八ヶ岳高原の常宿


当時、既にエスクの1600㏄が愛車であったが室内は狭く、乗り心地も悪いので
友人のクラウンで行く事になった。

この時、90年代になっていたので、クラウンは10年落ち近いものだった。

たしか、友人は新車時からリースしており、リース期間終了後10万円で、買い取った
と記憶している。 なので支払総額は、当時でも400万以上したと思う。

*全幅(1720mm)は、現在のクラウンに較べて随分狭い事が判る。



宿泊した宿は、小学校を改造した早川町営の温泉宿。教室を分割して客室にしてある。
当時は、写真のようなきれいな建物ではなく、山小屋のような感じだった。
窓から見えるのは、校庭と山々だった。




山梨県道37号・通称 南アルプス公園線 沿いの山中に宿はあった。



翌朝は稜線沿いに奈良田温泉・広河原・夜叉神峠を経て、芦安村(現・南アルプス市)
に向かった。上記航空写真の通り、スケール雄大な道である。*山梨県道37号

当時は、奈良田ー広河原を野呂川林道そして広河原ー夜叉人峠ー芦安を電源開発道路
などと言ったと思う。現在、芦安から夜叉人峠を経て広河原までは、通年通行規制がある。



*南アルプス林道起点近く。
起点・南アルプス市・旧芦安村-終点・長野県伊那市・旧長谷村

つまり現在は、
もう通れない道や林道を走った思い出である。

走った車は、自分のエスクではなく、上記クラウンであった。

奈良田から広河原までは悪路(下・動画参照)で、良く走破出来たと思う。
トルクコンバーターが働くATだから、エンストせずに走れた事も、支えになったと思う。



*南アルプス林道。環境保護の観点から開通時から一般車乗入れ禁止。と言うか、
乗り入れ禁止を条件に、開発を許可された林道なのだ。市営バスが夏のみ走っている。
開通年は1979・11だが、バス運行の開始は翌年1980年である。


1.宿から奈良田温泉まで。 *ここは現在も、夏なら走行可能。

宿を出て、道は更に標高を上げる。やがて未舗装路となった。風が爽やかだった。
夏だったのに暑さは感じなかった。
吊り橋が、途中に架かっていて上を歩いて見たりした。

道の状態はおおむね良好で、クラウンでも普通に走れた。

やがて、突如として集落  と言うより温泉宿などがある一帯に出た。
横にはダム湖がある。奈良田温泉である。
一度、ダムの湖底に沈んだが、温泉を再度掘り当て温泉宿を復活させたのだ。

奈良時代の女帝である孝謙天皇が晩年、湯治に来た歴史ある温泉らしい。
ネットなどで見ても源泉かけ流しで、評判は上々である。



*奈良田のダム湖  温泉宿などが、湖底に沈んでいる。

集落の先には、ゲートがあって夕方には施錠されたと記憶している。

ダムと相まって秘境に忽然と現れる、商店街のような集落には驚いたものだ。


2.奈良田温泉ー広河原

ここから北岳などの登山入口でもある広河原までは、野呂川林道と呼ばれていた。

全線・未舗装で、随所にある手掘り隧道の中は、水たまりと言うより沼地であった。
それでも、乗用車も走っているのに勇気づけられて、恐る恐る走った。
あー、エスクで来れば良かったと、この時思った。右は南アルプス林道の機械彫り。




野呂川林道・動画
*追記 現在は削除されていて見る事が出来ません。お詫び致します。


*1995年に走った貴重な動画を発見。最初の4分で十分様子が判ります。
  私が走った数年後なので、見た風景も近いものだと思う。
  ランクル40や、初代エスクも4分以内に出てくる。

3.広河原ー芦安

かつては、広河原に車を置いて南アルプスの山々に登ったが、現在は芦安の
駐車場からバスでないと来られない。

通行した時は、広河原に多くの車があったのを覚えている。



*写真はイメージです。

そして、1車線の夜叉神トンネルを越えると芦安の駐車場に出る。



*イメージです。


現在、車で来られるのはここまでだと思う。
この建物は現在もあるはずだ。多分、ここからバスは出ているのだろう。
*既に冬季通行止め期間だが・・。

現在迄
 最も印象に残る道を聞かれれば、文句なくこの道 である。

もう走れない道だと、言う事もあるだろう。

でも、一番仲が良かった友人と走った、楽しい旅行の最中だった事も大きい。

その友人が亡くなって、来年は13回忌を迎える。 旅行前の突然の死であった。

もう、夢でしか会う事は出来ない。


*鳳凰三山・白鳳三山・白峰三山などの名峰が林立する南アルプス。
 標高2位の北岳・3位の間ノ岳は、白峰三山の二峰である。
 間ノ岳の標高は、最近3190mに改定され、奥穂高岳と並び3位になった。


ご覧頂き、ありがとうございました。


*写真は、全てネット上の公開画像を借りています。
一部、名前等が違う場合も、あるかと思いますがご容赦下さい。



* 奈良田ー芦安までは数多くの手掘り隧道がある。  右・夜叉神峠からの眺望。

2015年12月21日 イイね!

ネットもみんカラもない時代の車情報は?

ネットもみんカラもない時代の車情報は?昔は写真のような雑誌で、各種情報を得ていた。
オートメカニックで、車の構造と働き・整備方法などを
2年間学んだ。

色々な四駆雑誌があったが、中でも4WD-EXは
異彩を放っていた。
他雑誌が、改造やパーツ紹介・クロカンテクニックを
中心としていたのに対し、4WD-EXは人と車の
拘わり方を、その編集方針としていた。


今で言えば「お洒落な四駆雑誌」と言うところだ。中身は、こんな感じである。






またエスクが愛車の編集部員が、定期的にエスクM/Tも開催していた。
当時のエスク・ジムニーは四駆のベスト5に入る人気だった。*下・写真参照



私は毎号のように購読したが、一般受けはしなかったようだった。
やがて四駆ブームも沈静化した1999年10月 を持って廃刊となった。

下が貴重な最終号。この中に、印象的な記事があった。





当時、若手の四駆評論家 こもだ晴雄氏である。

商売柄、複数台を所有する氏であったが、中でも最初の愛車の三菱ジープへの
思い入れは強く、
墓場まで一緒だと書いている。

自分も、こんな愛車に出会いたいと思ったものだ。

この頃、我がエスクは丁度、満2歳の誕生月だった。



当時は、この初代2Lエスクがそうなろうとは、思いもよらなかったのであった。

軽に間違われるサイズに、150馬力近いパワー。
車重も、クロカン四駆としては異例の軽さ1.23トンのフレーム付ボディ。

床下に重量物が集中しており、見た目より重心が低くスポーティ走行が可能だ。
副変速機は1.8倍のギア比だが、低速トルクもあり問題ない。

燃料タンクは、クラウンと同じ70Lで航続距離は800Kmに及ぶ。だが、何も積めない。
内装はチャチだが、足回りは当時のセルシオより高価なパーツを使っていると、トヨタ
のメカニックが、仰天したと言う逸話がある。スズキ初の2L車。力が入ったのだろう。

*仰天の真偽は不明だ。
 だが純正ダンパーは確かに、かのモンロー以上の価格で、かつモンローより太かった。
 1台当り利益が、ダントツ最下位のスズキの、面目躍如の話しではある。

更に、ホイールベースは現行ジムニーより短く、スィフトより小回りが利く。
だが乗り心地は、2スト・板バネ・ジムニーより、ましという程度か?


こんな思い切りアンバランスな車 は、もう二度と出る事はないだろう。


厳しい財政状況の中、1年がかりで買い集めた純正パーツ。

満18歳、人間なら成人だが車では老年だ。
リユーアルが必要だ。オイルシールはほぼ交換したので、今回は外装中心だ。

みんカラには、整備手帳部門志望で入社したようなものだ。
下手の横好きだが・・・。



エスク整備手帳も、メモリアルの100回目となる。
今の愛車に長く乗りたい方は、ご参考にどうぞ。


100回記念ですから・・・。

今は、みんカラのお蔭で、みんトモさんも出来て嬉しいね。
絆の輪が、増えている。

この頃は、一人で雑誌を読んで、一人で林道が当たり前だった。

殺伐としたと、言われて久しい世の中だが、悪い事ばかりではない時代でもある。

下は、上記雑誌に出ていた新発売のジムニーターボ。この型式の最終型である。



今回は、前回のブログで宣言してから速やかに実行しました。

何せ100回記念ですから・・・。




今回一番高価な、テールライトを交換したところ。18年間お疲れさま、ありがとう。

今日は、みんカラの調子が悪いのかな?
エラーがしばしば出たり、下書きしていたのにUPされたようだ。

手帳は、これから書きます。明日になるかも・・・。
この位の大きさの文字も、眼が疲れてダメ。やはり明日にします。

100回目 出来ました。 2015.12.22 15:00

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