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CatDogのブログ一覧

2015年12月19日 イイね!

エスクDogのリニューアルと、こんな事あんな事 (完)

エスクDogのリニューアルと、こんな事あんな事 (完)
いよいよ、時が来たようだ。

旧車パーツは、年々値上がりすると言うので
ストックしていた主に外装パーツ交換である。
タイトル写真は、昨日到着したシフトノブ。

*事情により今回も、脳内ブログとなりました。



ストックしてきた外装パーツ(一部を除く)。


中央に缶スプレーが見えるが、これは無塗装黒樹脂パーツ用の専用塗料だ。

今年初めか昨年末に購入して、暖かくなったら塗ろうと思いつつ春が過ぎ、夏も過ぎて
とうとう季節が一回りしてしまった。
宣言でもして自分を鼓舞しないと、中々始まらない(笑)。

昨日は、ボンネットインシュレーターと言う通常は、余り見られないパーツも届いた。
注文したから当然? いやいやそうでもない。既に、ないものもあるのだ。

下写真の一番下に映るパーツである。大きいのは、スィフト・ボンネット裏用防音シート。



取敢えずシフトノブを交換して見た。
手に持っているのが旧品でピカピカ。こちらが新品のようでもある。

素材はABS樹脂の塊と思っていたが、交換して表面が合皮のようなもので覆われて
いる事が、初めてわかった。*サイズは、違うように見えるが同じだ。

人間にも、あるきっかけで相手の心が初めてわかる時があるように・・。




自分は手先が不器用だが、整備も写真も下手の横好きである。

今回は、2015.整備総集をUPしました。フォトもあります。
整備に興味ない方もいるので、興味ある方のみどうぞ。


・Escu Dogとは自分の車の愛称だ。
ESCUDOがスペルなので、それを分解してH/N にちなんだ。
以前みんカラで、愛称を登録しようと言う活動があったのだ。

・エスクの今日まで        Since 1997

今は、保存活動に熱心に思えるだろうが、それは車歴が10年を過ぎてからである。
それまでは、クロカン四駆に相応しい使い方をしていた。




ここは、かつてのクロカンメッカの河川敷。よく遊んだものだ。
こんな事にもなった事がある。


*写真はイメージで、本文とは関係ありません。

1.川にはまる

お出かけ前の練習とばかり、川岸の砂地を走り回った。
しかし、突如スタックしてタイヤは空転するばかり。
降りて見ると、足がずぶりとめり込むほどの状態だった。

台風が通過して間もない時の出来事だった。台風など忘れていたのである。
常なら必ず降りて路面状態を確認するが、慣れた場所だったので油断したのだ。

携帯電話が、まだ普及していない頃だった。

懸命に歩いて橋までたどり着き、橋の欄干から車を見ると傾きが酷くなり、増水してきた
川の水に、エスクが水没しそうに見えた。


夕日がエスクを照らしていた、あの光景を忘れる事はない。


*写真中央の左川岸の突き出た辺りだった。時期は秋だった。

まずJAFに電話したが、四駆のレッカー車はないと言って来てくれない。

その頃、入会したエネオスカードに、ロードサービスが付いていたのを思い出し連絡した。
親切に対応してくれた女性は、四駆のレッカー車を派遣してくれた。

しかし、レッカー車もスタックしそうになり、エスクには近づけない。

再び電話をかけて待つ事、数時間。

深夜になって遠路・茨城から、ウインチ‣M/Tタイヤ装備のパジェロと、レッカー車が来てくれた。

途中のオフロードでパジェロがスタック、私が運転を代わった。河原に到着。
しかしパジェロは、エスクの2倍近い重量。M/T 装着でも、近づく事は出来なかった。

パジェロ装備のウインチのワイヤーを伸ばし、もう限界と言う所でエスクに届いた。

リアフックにワイヤーを掛けて巻き上げてもらい、ようやく脱出出来た。
水は、既にフレームを浸していた。 夜明けまでは、持たなかっただろう。

本当に助かった。



*その時にワイヤーが擦れた傷が、リアガードバンパー(リアフォグ横)に残っている。

「こんな凄い場所に来たのは初めてだ。(こんな所に来れるとは)凄い車ですねー。」
レスキューしてくれたパジェロのドライバーが、感心したように言ったのを覚えている。

普通なら鼻が高いが、この時は恐縮するばかりであった。

時間は、もう午前1時近くになっていた。週末だったのは、不幸中の幸いだった。

後に請求が来てビックリ。延べ3台のレスキュー車の代金は、約8万円也。

エネオスカードに、事故の前週に入会したばかりだった。年会費は500円だった。
それが請求の10%で済んだ。公道ならば無料だったようだ。助かりました。

この時の窓口の女性は、本当に親身に対応してくれた。忘れた事はない。

あれ以上、経ったら車が流されていたでしょう。本当にありがとうございました。

御礼の意味を込めて、敢てカード会社名を書きました。




2.土手から落ちた

雨の荒川土手道路を走行中、対向車を避けて路肩に寄ったら、そのまま路肩が崩れた。

とっさにハンドルを谷側に切り、真下を向いたので横転は免れた。

しかし、着地してそのまま沼地にはまり、身動き出来なくなった。

そこへピックアップトラックが来てくれた。確か、またも三菱のストラーダ(四駆)であった。

手持ちのソフトカーロープが役に立った。オーナーは、オーストラリアンラリーに出た事があると言って
ハンドウインチを見せながら話が止まらない。

しかし脱出してからは、土手を登る道に至るまでストラーダは二度スタック。

今度は、こちらが引っ張った。お礼を言って、ランチ代を受け取って貰い別れた。

その後は、このストラーダを見かけた事はないが、オーナーはお元気だろうか。



*この位の新雪ならば、A/T タイヤで走れる。八ヶ岳山麓にて。

その後も、まだ未舗装だった群馬の御荷鉾林道の山中で、猟師に銃を突き付けられ
たり、遠くから散弾銃を撃たれ、破片が車に当ったりと、散々な目に遭った。

最近は、健康の為もあり「林道走行+徘徊?」が、楽しみとなっている。


楽しみ方は違えど、林道が好きな事には変わりがない。

今後もエスク・スィフト兄弟で、出来るだけ長く走りたい。

それだけに、近年の不法投棄(時に遺体まで)には、危機感を感じているひとりである。
2015年07月24日 イイね!

カーライフの中のレトロなものと愛車回想 軍畑鉄橋補足

カーライフの中のレトロなものと愛車回想 軍畑鉄橋補足
愛車が、殆ど登場しない私のフォトギャラ。
*特にスィフト君には御免なさい。

フォトギャラは、画像8枚の定型詩のようなものだ。
5.7.5の俳句の世界にも通じるものがある。

今回は、フォトギャラ風に書いて見ました。




1.昭和レトロなコイン洗車場

今の中国の目覚ましい経済発展は、昔の日本だ。
当時の日本の若者の夢は、自分の車を持つ事だった。

ここに、たった三台のレトロな洗車機が置いてある。
料金を見て欲しい。本当のワンコインである。
洗車機が壊れたら修理は無理だろうな と思っていたが最近1台が壊れたが修理された。


嬉しい事である。



2.昔の若者が・・・

やっと手に入れた中古車。週末になるとコイン洗車場に通い、車の手入れをした。

当時は、走るより手入れの時間の方が、みな多かった。

自分と同世代か、少し上の昔の若者が洗車している。





3-4.当時の愛車 パブリカ最終型  1200cc

パブリカ最終型。やっと普通車が中古だが買えた。既に製造は終了していた。

初期型の空冷が有名だが、これは水冷の1200cc。色は白。
それまで乗っていた軽とはパワーばかりか、内装等も雲泥の差であった。

これが本当の車だと思った。*現在と違い当時の軽と普通車は、大いなる格差があった。

パワーは当時のグロス値で、68馬力(ネット換算で約62馬力・トルク9kg‐m)だったが
車重は、今の軽より軽い680Kg前後で、現在に比べても軽快に走り、燃費も良かった。

あれから随分と時が流れたが、まだ同じクラスの車に乗っている(笑)。

福島の猪苗代・五色沼が好きで、当時はよく行った。磐梯吾妻スカイライン・ゴールドラインを
スイスイと登れて感激したのを覚えている。*当時の軽では、よく登れなかった。



*パブリカ・サニーともに、ネット画像より借りました。



パブリカ廃車後に乗ったサニークーペ。(写真とは違い、内外装ともオンボロだった。)

当時の乗用車は、殆ど後輪が四駆のようにリーフリジッド(板バネ・固定軸)だった。
このサニーも、サイズ・パワーともパブリカと同じだった。

同じリーフリジッドながらサニーは、未舗装路でもバタつかない脚だった。
対するパブリカは、バタついた。だが内装は、パブリカの方が遥かに上質に見えた。
サニーのインパネは隙間が多く、内装仕上げはトヨタに較べて雑であった。

当時は、トヨタ・日産の二強時代で、両社のシェア差は10%以内だった。


5.パブリカの形見       車載工具の向こうに時代が見える

このパブリカも、免許取立ての未熟な運転者(自分)により事故で廃車となった。
購入後、僅か1年の寿命であった。

下は、直近のエスク・パーツレビューの写真を、トリミングしたものだ。




左のパーツが、当時の車載工具と共に付いていた。
「輪留め」である。パンク修理の際、使うものだが製造当時の道路事情が分かる。
最も、自分の購入時には、幹線は全て舗装されていたが・・。

現在は、エスクのトランクに入っている。



6.スィフトの洗車

梅雨入り以来、初の洗車だ。雨に晒されて、ルーフなどは水も弾かなくなっていたので、
ガラスコートをボンネット・ルーフ・バックドアの上部に施工した。
前回施工は4月中旬。連日の雨の中、三カ月持ったのは上出来だろう。

キャブレター仕様の昔の車は、十分な暖機運転が必要だった。
天気によって、エンジンの吹けも変化した。現在はその点、ばらつきがなく楽である。

しかし、CPU(ECU)はどの位もつものなのだろうか?
山手線の大量の電車の、CPUが狂ったのが数年前。25年位経過したCPUらしい。

また皇室のセンチュリーも、その頃やはりECUが狂い、修理に出されている。



このコイン洗車場は、通りに面していないので、知られていない。

子供時代なら
「僕たちの秘密基地」とでも、呼んだであろう場所なのである。

しかし、洗車・ガラス樹脂掛けも、昔の半分以下の時間しかかけないようになった。
メンテの頻度も、昔とは比較にならない位少ない。


車の位置付けが、昔とは大きく変化したからだろう。

7.LEDランタン     偶には希望の灯も・・

最近、購入したLEDランタン。意外に明るい。

スィフトはオーディオレスで購入し、後付けで純正オプションのケンウッド(現・JVCケンウッド)にした。
CDプレーヤーと、製造中止になったMDプレイヤーが付いている。
このレシーバーも、レトロの仲間入りである。




8.奥多摩の軍畑鉄橋    脳裏の光景は?

前回の軍畑鉄橋だが自分が最初に出会った時の、高い橋桁の迫力が感じられない。

自分の、脳裏の光景と違うのだ。その場所を探してネットを、検索するとありました。

迫力ある、最初に出会った場所からの写真が・・・。
①特徴ある橋脚が、ふたつ映っている事。
②道路の下から伸びている橋脚の高さを感じられる事。

*下画像二枚はネットよりお借りしました。自分で撮影後、差し替えます。
自分で撮影したものより、ずっと迫力があると思う。
一番最初に見た頃は、建物も平屋があるだけで橋脚が全て見えていたと思う。



このブログを、リンクして頂いたgaku1さんのお気に入りのアングルも、多分この場所であろう。(ドランク天使さんにもリンクして頂きました。)



もう少し坂を下れば、この場所に出たのだが・・・。帰宅して気が付いた。


しかし、梅雨明けしてから連日の猛暑。1週間も経たないのに早くも夏バテだ。
2015年06月12日 イイね!

幸運・不運  ジムニーがセルボが・・・。追悼 車谷長吉さん

幸運・不運  ジムニーがセルボが・・・。追悼 車谷長吉さんついている人、ついていない人があるならば
自分は、間違いなく後者だ。

200人の収容人員に対して応募が毎回205人前後
の抽選に毎年申し込まなければならない事情がある。
外れるのは、毎回数人だけなのだが・・・。
何と、6回連続その抽選に外れた。

確率計算すると、数千万分の一である。


物心がついた頃から、自分はついていないと、思うようになった。

子どもの頃、じゃんけんで負けた人が、嫌な事を行うなんて皆さんも経験あるでしょう?

必ず、負けました。中学の時は、工作の材料を配られると、自分のだけ欠品があった。




社会人になっても旅行に出れば浅間山が、数十年ぶりの噴火で車が火山灰で覆われた。

1時間に往復4本しかない電車の踏切で遮断機は、通るたびに降りた。
会議等で配られる昼食の弁当には、自分のだけ箸や醤油さしが付いていないなど

当たり前のことだった。等等々・・。


ツキは順繰り。人生を慣らせば皆同じと言う人もいるが、ツキのサイクルは、数百年
単位で周回しているので、つかない人は一生つかない  の説もある。

この説に、賛成である。

最もいつも最悪を想定して行動しているので、それを苦にしてはいない。
備えをしていて、良かったと思う事も多いのである。




ところで最近は、車にもツキの有無があるような気がするのだ。

1.納車1カ月で手放したジムニー

子どもの頃、川を渡ったり階段を登るのを見て憧れだったジープ。

オンボロだったが、中古の幌仕様のジムニーを買えた。
ネットからの写真だが、色も仕様も全く同じSJ-30である。
小馬力を補う為に、超ローギア比であった。その為、高速道路では、いくらアクセルを踏んでも
80km/h 止まり。高速を使う意味がなかった。



その後の大雪の翌日。2m四方くらいの雪の塊が、二階の屋根から落ちて来て大破。
ボンネット、幌は潰れて修理費用は購入費用位。結局、手放す事となった。
購入してから、ひと月経つかどうかだった。




2.当てられ車  セルボ

ジウジアーロデザインの初代のボディ幅を拡幅した当時の新型セルボ。
6連メーターはスポーツカーの雰囲気だった。
色は、オレンジがかった赤。ネットから借りた、この写真と同じ色だった。

2サイクルで、28馬力(上記ジムニーと同じエンジン)しかなかったが、トルクは現代の
軽なみで、ディーゼルのように低回転で最大トルクが出た。
正丸峠の急坂を、3人乗りでスイスイと登れたのは感激だった。



*写真では、リアエンジンとは思えない。

それまで、中古車しか買った事のなかった自分にとって、初めての新車だった。
初めて嗅いだ新車の匂いは忘れる事がない。

しかし、よくぶつけられた車でもあった。
納車して初ドライブで停車中に側面を全部擦られた。

修理が終わり車を引き取った帰りに、停車中にバイクが横滑りしてきて、また工場に逆戻り。




*気分はスポーツカーだったセルボ。ネットで見つけました。

それから1年。

洗車中に、擦られた側面一帯に細かいブツブツが噴出している事に、気が付いた。
錆が、出初めていたのだ。当時の修理塗装技術は、こんなものだったのだろうか?

そのままホンダディラーに持ち込み、当時売れに売れていたシティの下取り車とした。
結局、1回の車検も受けずに手放したのだ。

下取りに持ち込む前夜、ファミレスでサイドブレーキを引き忘れたマークⅡが、少し傾斜のある
PKを無人で下って来て、駐車中のセルボに衝突したのである。

最後の最後までツキのない車だった。ご縁がなかったのだろう。


3.ホンダ トディ  リコールがツキを変えた?愛車の守り神。

原付のトディが、我が家に来てから、もう13年が経つ。
ホンダ初の中国製造のバイクであった。どうせすぐ壊れるだろうとの、世評に応えて ?
3度のリコールがあった。

その為、エンジン以外の主要部分は、全て対策部品に交換済みであるが。
特に3度目だったか? のリコールは、ミッションの交換でバイク屋さんが、代車を貸して
くれ、1日以上かかった位の大修理であった。



*ここで、ようやく実物写真です。

三度のリコールでホンダは、中国での製造の問題点を潰して、その後のリコールは聞かない。
リコール費用は発生したが、以後の現地生産のノウハウを吸収したと思う。


バイクもお蔭で、未だ故障知らず。
故障ではないが余り走らなかったので、ガソリンが腐った事が二度あった。
*半年乗らないと、ガソリンは腐る。特に夏場は、注意である。

最も購入以来の走行距離も、まだ2600kmに満たないが・・。



*ライト類、ミラー、メーターカバー等を、メッキしたアメリカン仕様車。

不思議な事だがトディの最後のリコール以来、我が家のエスク・スィフトは、一度の事故
にも遭わず、今日まで来られました。


言わば、愛車の守り神と言ったところである。

まだ一度の転倒もなく、ボディもピカピカである。
しかしワックスは、もう5年位掛けてないかな。

トディに感謝を込めて洗車・メンテ致します。
余り読まれる事もない、バイクの整備手帳をUPします。



エスク18歳 スィフト 8歳 トディ 13歳

どれも、初代の車である。


*奥秩父・丸神の滝そば スィフトは東京都桧原村 奥多摩周遊道路に向かう途中。

まさに、現在の長寿大国・日本のようであります。

*来週は、みんトモさんと滝巡りツアーだ。雨でなければいいが・・・。
 何せ5月の函館行もあの季節のまさかの台風、まさかの雨続きであったからね。
 雨が降らないように、お祈り致します。


 ガォー!



追悼  車谷長吉(kurumatani cyoukitu)さん

日本の文学賞を総なめにした、この小説家を不覚にも知らなかった。
知ったのは、先日亡くなったからである。
最近は、本にはご無沙汰であった。

その破天荒な経歴に興味を持ち、読んだらこれが面白い。

思想・信条が違っても、人間的な魅力はまた別物のようだ。
あと二冊を残して、みな読んでしまった。

下足番・タコ部屋などを経験した生粋の文士。
死ぬるために生きた男の、体験に基づく凄い小説である。

ご冥福をお祈り致します。 合掌。

「人生の救い」と言う身の上相談集も、破天荒な内容だ。
*本人は人生に救いはない  とおっしゃるが・・。
キンドル版も、あります。


2014年02月14日 イイね!

オフロードの前に破壊されたジムニー。苦い思い出。 大雪追加写真あり

オフロードの前に破壊されたジムニー。苦い思い出。 大雪追加写真あり写真はSJ‐30・ハーフメタルドア。
四輪最後の2ストロークエンジンである。
色もこの色だった。初めて乗った待望の四駆だった。

さて、現在の雪の状況が下写真。
昨日、被せた新品カバーである。
落雪でカバーが破れないようにカバーをカバーする
板、ダンボール等を載せて完全防備である。(笑)




このカバーの、パーツレビューに頂いたコメントを見て思い出した。

以前は、ここにジムニーを置いてあったのだ。

子供の頃に憧れたのはジープだと、前回ブログに書きました。
しかし、実用性を考えればジープ一台で、全てを賄うのは難しい。

当時の車雑誌に、ジープを買いに行ったらディラーの人に
「普通の車とは違うので、試乗して良く考えた方がいいですよ。」

などと、言われて驚いた事が書かれていた。
実際、興味本位で買ってすぐ手放す人も多かったらしい。

当時は、80年代半ばくらいだったかな。


なので、普段はシティをメイン(当時は車通勤だった。)として、休日用に
維持費の安いジムニーを、セカンドカーとして手に入れたのだった。
ジムニーをセカンドカーに持つ事は、当時の夢でもあった。

確か、コミコミ32万位の幌車(タイトル写真のハーフメタルドア)・赤だった。
傷や凹みのオンボロ・ジムニーだったが嬉しかった。
当時でも、既に時代遅れの2ストロークエンジンの馬力は僅かに28馬力だった。

しかし、トルクは5.3Kg‐mと現在のNAの軽と同じ位あり、しかも低回転で出せた。
嬉しくて休みを待てずに会社に乗って行った。

幌なのでエンジン音が直接入ってくる。
オートバイに乗ってるような騒音に驚いた。

ポンポンポンと、蒸気船のように啼く2サイクル独特のサウンドだった。

そして、路面の起伏が直接身体に伝わった。乗り心地などとは、無縁の車だった。

当時は、高速道路を使っての通勤だった。
現在のように自動ではないので、乗る時に券をもらい降りる時に料金を払う仕組みだった。

料金所で窓を開けようにもドアハンドルがない !!

それも当然で、写真のようにドアはガラス窓でなくビニール窓だった。
ファスナーで窓を開けるのだ。いやあ面倒臭い !!

また28馬力なので、いくらアクセルを踏んでも90Km手前でメーターの針は止まる。

勾配があると更に速度は落ち、高速を使う意味がなかった。(笑)

この車を運転したのは、これが最後となった。



*現在の雪 下にいるのはSwift Cat 君

さて、楽しみにしていた休日の前に大雪が降った。
記憶する限りでは、最大の大雪だった。


明け方に、ドカン!ドカン ! と大きな衝撃音が、二回聞こえた。

外に出ると両手を広げた位の大きな雪の塊が、二つジムニーの上に落ちていた。

ボンネットは、無残に半分に折れたように凹み、幌のステーは全て折れ曲がり
幌は、破けて車内に雪の塊があった。

雪をどけたが、酷い破損状態だった。
買ったばかりで、任意保険はこれから掛ける所だった。

購入店に電話すると、また買ってくれるなら25万で引き取りますよ。
と言う。(この頃、勤務先の子会社には車のディラーもあり、ここで買った。)

買値との差額分は7万程。幌を交換しても、そのくらいはかかるだろう。
この話に乗る事にした。

今度は、普通に使えるようにシルバーのハードトップにした。



このハードトップは幌と違い、音も多少は五月蠅くなくなり、ガラス窓だったので
エアコンはないが、それ以外は普通に使えた。

ノーマルでも走破性は凄く、草むらに捨てられていた電柱に気付かずそのまま乗り越えた
が、車体のどこも接触しなかったのには驚いた。
まさに魚クンである。ギョッ ギョッ!!

この車は、おおいに四駆ライフを楽しませてくれた。

幌車が、手元にあったのは僅か一週間くらいだった。

今でも、記録にも記憶にも残る短命な悲運な車であった。(自分が悪いのだが。)
ジープのように、幌を外して走りたかった・・・。


やがてバブルの到来。四駆ブームの幕開けが始まり、
各社から続々と新型車が発売されるのであった。


*ジムニー写真は、ネット画像から借りました。



*上記写真の6時間後。午前2時でもまだ降り続いている。
  バイクは完全に雪に埋まった。埼玉南部で、こんな雪は初めてだ。
  一度起きたがまた寝る。早く雨になれ。


屋根下に置いても雪だるま。午前2時の姿。
朝起きたら更なる積雪。門も開かず外に出られない。
さてどこから、掻くかな ?
2014年02月01日 イイね!

トヨタvs日産の販売戦略 盛衰を決めたマーケティングとは

トヨタvs日産の販売戦略 盛衰を決めたマーケティングとは車に乗り始めた頃は、トヨタ・日産の二強体制だった。

戦後、日本政府は産業の柱を自動車産業に定め当時
の国策銀行である日本興業銀行を通じて二社に重点
融資を行った。トヨタ・日産を柱に据えたのだ。

昭和50年代頃の乗用車の販売シェアはトヨタ30%強、
日産25% 位と記憶している。


Dの数でトヨタは、当時からダントツだった。

ホンダは当時シビックを発売、シェアを伸ばしていたが日産には、まだ遠かった。

当時、トヨタ・日産車に続けて乗っていた事があった。
パブリカ最終型(水冷)とサニークーペだ。
大学を卒業して働いて、やっと持てたMy Car だった。

当時は新車など買えるはずもなく、サニーは当時でも格安の5万のオンボロ車だった。
パブリカの程度は、年式は同じながら高い分、サニーよりずっと良かった。

排気量・馬力・年式は、ほぼ同一だったが両車には大きな性能差があった。


*最終型パブリカ 1100cc(横幅は現在の軽と同じ。) 色は白だった。

当時は悪路も多く、脚周りにはトラックで主流の板バネ式が使われていた。

パブリカは、悪路ではリアがばたついてピョンピョンと跳ねた。

しかし、その後乗ったポンコツサニーは同じ板バネながら、ばたつく事もなく路面に
吸い付くように走った。メーカーによって随分違うな と感じた。
エンジンの吹き上がりも、同じOHVながらパブリカに較べ遥かに軽快だった。

余談だがある日、交差点を過ぎると爆音がした。
ルームミラーを見ると、太鼓が交差点中央に転がっていた。
これを機にサニーは、セルボに買い換えた。初めての新車だった。
以後、ホンダ2車、スズキ3車と乗り継いできた。


*二代目サニークーペ 1200cc 色はブルーメタに、自分で全塗装した。

但し内装はパブリカのほうが、ずっと上質に見え工作精度も高かった。
サニーは、インパネが隙間(ボールペンが入った。)だらけで質感も良くなかった。

日産は、1966年に優れた技術力を持つプリンス(画面右下さらばゼロ戦参照)を
合併して「技術の日産」とのキャッチフレーズを掲げていた。
翌年、1500ccの市販車としては世界最高出力の88馬力スカイラインを発売した。

同年にトヨタも、「トヨタ2000GT」を発売したが、DOHCエンジンはヤマハ発動機、
高級な内装はヤマハ製であった。


しかし、この事がその後の両社の運命を大きく変える事となる。

トヨタは、大衆に受け入れられる車はどんな要素が必要かを徹底的に調べた。
その間にも、日産に技術で追いつくべく研究を重ねたのである。

ヤマハで、内装技術を学んだトヨタは工作精度の高い高級感ある内装を造った。
タイヤは、若者受けするようにスポーティ車には、日産より太いタイヤを履かせた。

そして、販売台数を更に増やしていった。
技術の日産にたいし販売力のトヨタの図式だった。

歳月が流れ、エンジン技術も日産に追いたトヨタはハイブリッドなどの先進技術
では、日産に水を開ける事となった。

対して日産は、マーケティングを十分行わず高性能のみを追及した。


高性能なら黙っても売れる。
との独りよがりに陥ったのである。


エンジン、足回りは素晴らしかったが質感・精度が今一のインパネ・室内、細くて貧弱に
見えるタイヤ、

一部の愛好家こそいるが一般受けしないデザイン(当時)。
日産の大衆の好みを無視したような車造りは、徐々にシェアの低下となって現れてきた。
末期には、逆に方針をころころ変える迎合主義も見られた。
車のコンセプトも不明確だった。時折、ヒットも見せたが開拓したその市場(SUV等)
は後から参入してくるトヨタに、ことごとくシェアを奪われた。

そして1999年、二兆円の負債を抱え倒産寸前の経営危機に陥り、ルノーの傘下に入る
事となったのである。
*その後、ゴーン社長の経営手腕で、見事立ち直ったのはご承知の通りだ。

表面上は、現在の持ち株が同じの為、日産・ルノー連合となっているが実際は
ルノーが日産を救済合併したのだ。


一方のトヨタは、躍進を続け世界一の自動車会社となった。
グループ合計で日本車の約半分のシェアを確保。
日産は、逆に13%前後と半減した。

マーケティング重視の車造りと、ぶれないポリシーで顧客の
要望に応えたトヨタ。
片や、独りよがりに陥りマーケティングは軽視して経営が傾く
と迷走した日産。 
情報を重視せず(戦争に)敗北した、かつての日本のようだ。

この違いが、企業の盛衰を左右したのだ。


企業ばかりでなく個人も同じだ。
相手が、何を望んでいるかを知る努力が、ビジネス・対人関係でも重要となる。

くれぐれも、独りよがりにならない事である。


2.現在の自分の車のお話

エスクード、スィフトともスズキ車だが、特にスズキ党と言う訳でもない。
買換えの際、乗りたい車、イイね!と思った車が、たまたまスズキだっただけの事だ。

殆ど、全メーカーの車に乗った。
現在のように、自動車鋼板に亜鉛メッキがしてなくて、当時の車は錆びが早かった。

エスクード1600ccは、7年半乗ったが錆の発生が皆無だった初めての車だった。
*亜鉛メッキが、車体全体に施されていた。




何故か、いつもパジェロミニと間違えられるエスクード2000cc。
(ジムニーと言われた事はないがミニが有名なんだろうな。似ていないが・・。)

軽より狭い室内に、DOHCの大馬力エンジンとフレーム付の軽量ボディ。
燃料タンクは、クラウン並の70L.
歴代エスクで最少ボディながら歴代最大の燃料タンク。
後続距離は800Km以上。フレームには分厚い防錆塗装。肉厚の足回り。
ホイールベースは、現行ジムニーより短い。
オーバーハングが極限まで短い事も、各種アングルを向上させて走破性が
高い事に繋がっている。

スィフトより小回りが利くのだ。
まさに四駆のゼロ戦と言ったところか。

このアンバランスさがたまらない。


もう、こんな車は出ないだろうし、出しても全く売れないだろう。(笑)

物好きの車だ。なのでここ数年は無茶をせずに乗っている。
16年過ぎても錆は皆無だ。

ただ最近は出かけると、どこかしら怪我して帰ってくる。
寄る年波か?若い頃の無茶が祟った?
オーナーに、似ているな(笑)。

*最初の1600ccは、価格も同クラスでは高かった。
エアコンもオプションだった。
当時、四駆ブームの最中であり、値引きはゼロ円だった。
バブルの残り香があり、Dも美味しい商売が出来た時代だった。
現在の2Lのほうが安く買えた。

*エスクフォトギャラも、UPしました。秩父高原牧場・周辺林道散策。




ミラノデザインのオリジナルモデルZC11型。マニュアルモード付のAT仕様だ。

価格が手ごろ、コンパクトで運動性能が良いと言うのが決め手だった。
また、デザイン性も大きな購買動機である。

現行スィフトより一回り小さいが、重量はこちらのほうが60Kg程重い。
しかし、僅かに排気量が大きく、現行型より低い所で最大トルクを発生する。
マニュアルモードを使えば、より俊敏な走りになる。
スズキ車の特徴である短いオーバーハングで、エスクよりずっと室内は広い。
スズキの世界戦略車で、ハンドリングは定評のある車だ。

エスクが、老体となり出番が増えている。
スポイラー下は、擦り対策のゴム板を貼っている。
車高も、数ミリだが高い。スィフト林道仕様車だ。(笑)

*タイトル写真は、初代パブリカオープン・空冷800cc。実車は見た事がない。
 パブリカ・サニーの写真は、「wikipedia」より借りました。 
 日産の項を、追記しました。

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