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CatDogのブログ一覧

2013年10月24日 イイね!

ピレリ それは憧れだった

ピレリ それは憧れだった日本が、まだ自動車先進国とは言えなかった80年代。

ピレリ、ミシュランのタイヤは世界を席巻していた。

F1 で醸成された、高性能タイヤのイメージは車を
持てるようになった人々にとって憧れの的だった。
車本体の次は、パーツにも眼がいく時代に入ったのだ。

自分も、いつかはクラウンとは思わなかったが、
いつかは、ピレリを履いてみたいとは思っていた。

当時のドル・円レートは200円台。
ピレリ、ミシュランは、当時の国産タイヤの2倍以上していた。

やがて、円高はどんどん進み97年に現在のエスクを購入する頃には
憧れのピレリも国産大手メーカーと同一価格帯になってきた。


そして2000年頃だったろうか? 
川砂に、はまってホイールをサンド研磨してしまい、新規ホイール・タイヤを購入した時、
ついに、ピレリをエスクのタイヤに出来たのである。(写真は、保管中の二代目ピレリ。)


ピレリ・スコーピオンS/T 。
サソリのマークの、タイトル&上記写真のものだ。


ピレリはイタリアメーカーであるが、購入したタイヤはイギリス工場製で

Made in England。 ではなく Made in Great Britain。

と、タイヤに刻印されていた。自国の自動車産業をイギリスが失った後である。
それはなにか誇らしげでも寂しげでもあり、かつての栄光を偲ばせるようでもあった。


さて、当時は現在のように金欠ではなかったので、GSで手洗い洗車を頼んでいた時だ。

洗車してくれていたGSのスタッフが「お客さん、良いタイヤ履いてますね?
ピレリって高いんでしょう?」と、タイヤをジッと見つめながら聞いてきた。

まだ、20代前半に見える若さだった。
ピレリ神話は、車好きには伝承されているようだった。

「今は、円高になったから国産品と同じだよ。」

そう答えると若者は「エッ!そうなんですか?」と、意外だ と言う顔をした。

その後、あちこちで同じような事を聞かれた。


やがて円高は、更に進み国産タイヤは世界最高価格になってきた。
だが、性能は価格にふさわしいと言えるだろうか?

ピレリ・スコーピオンは、かのレンジローバーの純正タイヤとして採用されていた。
英国の湿った牧草地を軽快に走る為に開発されたタイヤとか・・。

それまでエスクには2台に乗り、純正はいずれもBSの四駆専用AT(全天候型)
タイヤであった。(最初のエスクは、TA-01、1600ccだった。)

ピレリは、BSが空転して走れなかった、柔らかい砂地を事もなげに走破した。
そして更に、やはり空転した新雪路をも、なんなく走破した。


スコーピオンは、ST(スポーツトラック)と謳っているにも関わらずATより高性能だった。

ロードノイズも、BSよりずっと静かであった。
全てに一日の長があった。(BS・四駆用初期製品との比較です。)

BSは、今や世界最大のタイヤメーカーである。
しかし、欧州ではまだマイナーだ。果たしてピレリのような神話を造れるのか?


高温多湿の国土で育った日本メーカーのゴム品質は、
世界最高水準にある事は間違いない。


かつて、自分らが欧州のタイヤに憧れたように
日本のタイヤが、憧れのタイヤになる事を念じて止まない。


*現在、スィフトタイヤはピレリ・BS どころではなく中国製タイヤです。
 ツルツルに近くなったので、交換しました。興味ある方は、整備手帳でどうぞ。
 スィフトも愛車100イイね!に王手です。どなたが100個めを・・・。

2013年09月25日 イイね!

自動ブレーキの誤作動で追突された!

自動ブレーキの誤作動で追突された!2013年の5月、首都高を走行中の国産高級車が
突如、急減速して後方のトラックに追突された。

原因は、高級車の自動ブレーキの誤作動だった。
車間距離が詰ったためではないとの事だった。

安全を守るはずの安全装置が、事故原因とは
ショッキングなニュースだった。


1.誤作動の原因

原因はまだ特定されていない。
だが、仮説として有力なのは、ドライブレコーダーに映っていたタンクローリー車。
この車が、急減速直前に追い越し車線で該当車を抜いていった。

前車との距離測定用に照射しているレーダー波が、このタンクローリー車に乱反射
して誤作動したと言う説だ。(この場合、機械そのものは正常に機能している。)
ローリー車のタンクは、メッキされピカピカのものも多い。納得できる説だ。

後方の車にしても、急減速するような状況ではないからブレーキが遅れたのだろう。

重大事に至らなかったのが幸いである。(同様な事故が過去に6件あったらしい。)


2.自動化の夜明け前

現在、自動ブレーキは世界各社が、凌ぎを削る運転支援システムだ。

欧州では、安全基準のひとつに自動ブレーキの項目を加えようと言う動きがある。

日本でもバス、トラックなどの商用車は自動ブレーキ機能を義務化の方向だ。
だが、今回の事故で遅れるかも知れない。

どんな安全装備でも、実用化の段階では予想もしない事故が起きる。
絶対安全は、ないのだと言う事を肝に銘じないといけない。

それらを乗り越えて、初めてシステムとして完成するのだ。
現在は、自動化運転の夜明け前と言ったところである。

狭い国土の日本。
車がひしめく場所では、今後も想像も出来ない事故が起きる可能性がある。

日本メーカーには、事故を教訓として運転支援システムの
世界標準(グローバルスタンダード)を創って欲しい。




3.自動化の方向性

自動ブレーキは、一瞬の間に完結するので作動を始めたら人間は手を出せない。
自動に頼り過ぎるなと言うのは簡単だが、この場合防ぐ手段があったろうか?

メーカーは必ず状況によっては正常に作動しない場合がある と例外を設ける。


だが、この場合、例外は即重大事故に繋がる。
例外は許されないのだ。

このシステムの開発者も、衝突防止システム作動で追突されるとは考えもしなかっただろう。   

「完全な自動化」ではなく、「運転の主体はあくまで人間である。」
として、警報に留めるのもひとつの手ではある。

高速道路で専用レーンを作り、必要なインフラを整備すれば一定の車間距離を保ちながら
隊列を組んで走行する自動運転可能なシステムと技術を、日本は既に持っていると言われる。

出来れば運転したくないが、必要だから運転せざるを得ない。
こういう種類の車・人の為にこそ、運転支援システムの優先順位は高い。

高齢化に伴い、過疎地での公共交通機関の充実も、必要性が一段と高まるだろう。

現在は、自動ブレーキ等の運転支援システムのメニューを作っている段階だ。

一つ一つのメニューが安全・安心になったら、大型・小型、商用・自家用等の
区分に応じて必要なメニューを組み合わせれば良いのではないか。
トラクターなどの農業機械も遡上にあがるだろう。


*ナンバープレートが、修整で透明になっていますがナンバーは付いています。(笑)

添付資料.「自分の場合は・・。」

エスクは、マニュアル車だしスィフトもマニュアルモードがある。
ナビも、もう10年使った事がないし、車にも付けていない。
大体、林道は地図にないものが大半だ。
車の運転支援システムには、程遠い車に乗っている。

でも衝突警報装置は、あれば大変役に立つと思う一人です。


今回のような誤作動で事故の場合、損害は誰が払うの?
保険会社? メーカー? 法整備が必要な項目も山積みだ。


*この記事は、いつの間にか自分のブログランクで上位ランクに・・。
 非常に関心が高いようなので再編集しました。
  
2013年09月08日 イイね!

やられた! スィフトのプリンとしたお尻がペコン(写真追加)

やられた! スィフトのプリンとしたお尻がペコン(写真追加)祝.2020.東京五輪 

日本が、元気になれますように。

被災地の復興が日本の元気になる。
経済効果を被災地に。



信じられない話 第一話 おかま掘られた

スィフトが、まだ新車の頃の話です。
日帰り温泉に入り、気分よく駐車場に向かった。


自分の車が視界に入ってきた。
ンーー、何か変だ・・そう思って近づくとお尻がペコンと凹んでいる。


「ウワー、やられた!」

それも、野球のグラブを広げた位の大きさだ。
スィフトの、プリンとしたお尻はチャームポイントのひとつだ。

まだ、納車されて数か月くらいだった。冗談じゃーないよ。
これだけの大きさの凹みだ。何が、ぶつかったんだろう?

本当に自分の車にだよなーと、ナンバーを見るが、やはり間違いない。
大体、お金を出しての自分の希望ナンバーだ。間違えようがない。


しばし呆然 !

ガックリしたが、とにかく荷物を車に入れようとしてリモコンボタンを押した。
あれ! ハザードが点かない。もう一度やるがダメ。おかしい、更にもう一度。


あたりを見渡すと、何と一台置いた隣の車が点滅したのである。

凹んだ車より、少し横に停まっていたので、すぐには気が付かなかった。

*イメージ写真。黒い車の隣にあった感じ。実際の現場ではありません。

エッ!と思いナンバーを確認すると、やはり同一ナンバーだ。

色も車の型番も同一だ。室内も、片付いて両車とも何も置いてない。
新車時は、純正ホイールだったので、これも全く同じホイールだ。
だが、ナンバーをよく見ると数字の頭に付く「ひらがな」の部分だけが違っていた。

来た時は、自分の周りに車はなかった。
後から来て、ぶつけられたのだろうか?
良く見れば、今ぶつけられた凹みではない感じもするがわからない。


こんな偶然が、あるんだ!

DNA鑑定の誤差率くらいの確率だ とは大袈裟だが、
そんな感じには違いない。


当てられた車には気の毒だが、とにかく良かったと喜び、帰路に着く。
(よく考えれば、ついている訳でもなんでもないのだが・・。笑)


だが「禍福はあざなえる縄の如し。」である。

「人生は幸せと不幸せが、編んだ縄のように交互に来る。」の意味だ。

この翌日、ネズミ取りで1点と罰金を取られ、長く続いたG免許は更新時には、
はく奪される事となったのであります。

しかし、あんなにぶつけられて文字通り自分が凹むよりは7000円の罰金の
ほうがまだましだ。 良くないけど、まだイイね! であります。(笑)

* 写真は本日撮影。大分、秋の空になりました。

第二話は、途中まで書いたが長くなるのでいずれまた・・。

*タイトル写真は、埼玉県境の近く、中津川渓谷沿いの道。
  右のトンネルは群馬に続く林道。途中にニッチツ鉱山がある。
  正面を進めば、あの中津川林道。全長20Kmの大部分が未舗装である。
  埼玉県と長野県が直接往来できる唯一の道だ。(両県は僅か10Kmだが接している。)
  今週末は、年2回の外泊できる日だ。(まるで囚人のようだが。)
  台風が来なければ、いよいよ中津川林道を Esuku de go!なのだ。



*紅葉の中津川渓谷 みんトモさんと一緒に(スマホ撮影)
 この少し先が、タイトル写真の場所だ。この時は、ここで引き返した。 
2013年09月01日 イイね!

Oh-My God!タイヤ交換しようとしたらバッテリーがお陀仏に 

Oh-My God!タイヤ交換しようとしたらバッテリーがお陀仏に 日常のブログは難しいので、更新も偶になっています。

さて、スィフトの給油に行ったらGSスタッフからタイヤ
が、ひびだらけなので交換をと、言われた。
オランダメーカーの中国製造タイヤを履いている。
よく見れば、そんな感じもするなー。
性能は中々のものだが、ゴム質は国産には及ばない。
購入後2万キロ近く走行。そろそろ交換の時期だ。
今度は、どんなタイヤにするかな?

そんな事を考えながら、今日はスィフトでお出かけ。
飯能から名栗湖ー山伏峠ー国道299号のツーリングルートだ。

飯能市外の狭い道で、対向車とミラーが接触。
「ポコッ!」と言う音からも、大した傷にはならないだろう。
あんなに狭い道だから、こちらは徐行したのに、あまり飛ばすなよ!

しばらく走ると広場があったので停車してエンジンを止め、傷の確認をした。
予想通り10円玉くらいの大きさの黒ずみがあった。

汚れ落としで拭いたら跡形もなくなった。イイね!
するとピーピーピー! なに?この音。

車の警報装置かと思ったが、音はボンネットの中から聞こえる。
開けて見たらこれだ。




見れば「要充電ではなく要交換」になっている。

3年保証の、保証期間をまだ7カ月残している。
このバッテリーは、ブザーを鳴らす分だけ電気を残し、ご主人に危機を伝えてくれる、
けなげなバッテリーなのだ。

しかし、チェック以外にバッテリーが自分で鳴いたのは初めてだ。
最初の鳴きが、ご臨終を告げる鳴き  とは・・。


これが本当の 「いち鳴きテンパイ」 である。(泣笑) 

この時期、エアコン稼働させての運転がバッテリーから体力を奪ったのだ。
このバッテリー、本来は高級品なのだが、「訳あり」の安さに飛びついたのだ。
いわば、自業自得なのだ。


バッテリーは生鮮品だ。
オークションで、その訳が分らず飛びついてはいけません。




名栗集落にはこんな屋根の家も多い。

なんて余裕もこれまで。写真も数枚しか撮れなかった。

セルを回すと、なんとかエンジンがかかった。
エアコンを付けていると、バッテリーの電力は、完全になくなり走行中でも停止する。

エアコンを切り、バッテリーに充電できるように走る。
車内温度は33度。その後も上がり続ける。(汗)



もう名栗湖も中止してひたすら帰路に着く。エンジンを止めたら再始動するかわからない。
こんな山奥で・・・大体携帯もないのだ・・。フォグも、当然切った。

その後、ひたすら走り続けて国道299号に出る。
車内温度は37度に上昇している。大汗が滴り落ちる。
もう限界だ。エアコンを5分だけかけて、また切って走る。

午後3時頃帰宅。バッテリーは、最後の力を振り絞ってくれた。

たどり着いたら、今度は大雨だ。(古い歌にあったね。)
もう、汗と雨で内外ともずぶ濡れだ・・・。

だが、あそこで当てられずにエアコンをつけて運転を続けていたら、
あそこでエンジンを切らなかったら(警報はエンジン停止後に鳴る。)
途中で電力を使い果たし、山中で立ち往生したのは間違いない。


「人間万事塞翁が馬」とは、この事だろう。
何が幸いするかわからない。
本当に危機一髪だった。


タイヤ交換はしばらく延期だ。

それにしてもバッテリー、タイヤ、フロントブレーキパッド、ATフルード・・・
一体いくらかかるんだ?(早急に交換が必要なもの。)
全く、車は金食い虫だ・・・が仕方ない。

バッテリーは、もう充電しても回復しないだろう。
最近は、満充電にしても翌日には放電していた。
今までありがとう。

今度は、カオスの新型80B24R(スィフト適合)を張り込みました。(ネット注文)

望遠ズームレンズ購入は、文字通り「望遠」となったのであります。


そのうち、いい事があるでしょう。 
奇しくも、今日は防災の日だった。イイね!!
2013年05月11日 イイね!

戦後自動車史 夢叶わず 埋もれた美しい国産初のATスポーツ・ミカサ

戦後自動車史 夢叶わず 埋もれた美しい国産初のATスポーツ・ミカサゼロ戦ブログでも書いたように、当時世界トップレベルに
あった日本の航空技術。

その後も、ゼロの倍近い馬力の重戦闘機 疾風、紫電改
等 当時 最高性能と言われた米国のP-51 ムスタングに
も劣らぬ戦闘機を造り続けた。戦争終期の低質油でもだ。

終戦間際には、ジェット戦闘機の試作機を経て 実用型の橘花を飛行させた。*実戦前に終戦。


*1945年8月 終戦間際の国産ジェット戦闘機 橘花。20機程が製造途中だった。 
ドイツ機より推力では劣った為、機体を小型化して対応した。

橘花は、ドイツで実戦投入されていたメッサーシュミットジェット戦闘機の技術供与を受けた
と言う説もある。実際は、ドイツから設計図を積んだ日本潜水艦は、帰国途上で撃沈されて、
ごく一部パーツの設計図が、別ルートで届いたのみであった。
エンジン等は、日本独自開発での製造技術が既にあり、純国産ジェット戦闘機と言える。

ジェット戦闘機はドイツが、戦争末期に実戦に使用して大きな戦果を挙げた。
イギリス・アメリカは、テスト飛行を終えた段階で日本もほぼ同じレベルだった。

日本は敗戦後、飛行機製造は禁止され、航空技術者達は、畑違いの分野で活躍した。

戦後、米軍向けにスチール家具、一般家庭向けに、鍋・釜を製造していた岡村製作所
にも多くの航空技術者がいた。
無職になった日本飛行機社員雇用の為に、設立されたのが岡村製作所と言われる。

当然、先端航空技術を持ちながら、
鍋・釜の製造では飽き足らなかった。

社長以下の技術者たちは、戦後の有望産業である自動車製造
に、その活路を見出そうとしていた。


1957年、心血を注いだ「ミカサツーリング」(タイトル写真)が完成した。
ミカサの名は、日露戦争時の連合艦隊 旗艦・戦艦三笠から取ったものだ。
このネーミングは、社長自らの発案と言う力の入れようであった。


日本初の、2速ATを搭載したFF車である。

しかもATまで、自社で開発・製造したものであった。
優れた技術力を持っていたのである。


スペック 全長 3810mm 全幅1400mm 車両重量610Kg 出力 19.5馬力 



野暮ったい当時の国産車の中にあって、今なお輝きを放つ美しい洗練されたデザインである。

だが、この車が本格生産される事はなかった


通商産業省(当時)は、今後の日本の基幹産業は自動車産業と
決め、トヨタ、日産を中核として2社に、日本興業銀行(産業育成
の国策銀行、後にみずほグループ入り)が、重点融資を続けた。


*文中当時の日本興業銀行。

そしてしばらくは外車輸入に対し重い関税障壁を設け、国内自動車産業を保護・育成した。
その上で、乱立していた自動車会社を整理・統合して体質を強化、輸入自由化に備えた。
この後、日本グランプリでポルシェを破ったプリンスを、日産に吸収合併させたのである。

この会社も、銀行に融資を申しこんだが、逆に諦めるように説得された。

メインバンクは、四輪に進出したばかりのホンダを支援する事に決していたのである。

膨大な設備投資と運転資金が必要な自動車会社に、融資なしでの経営は成立しない。

かくしてミカサは、試作車3台が製造されたのみで世に出る事はなかった。
(従ってAT車で、最初に市販されたのは同じ1957年のトヨペットートヨタとなった。)

現存する唯一の車体は、現在 同社の博物館に展示されている。(タイトル写真)


*ウィキより転載 マツダR360。

だが、このATはマツダR360に搭載されて日の目を見た。

この車は、延べ10年間生産されて6万5千台も売れた。
当時としては、ベストセラーカーの一つだった。更に、大衆車にATの搭載は、車の運転が
出来なかった障害者に、運転の門戸を開放した。


こうして、岡村製作所のトルコン技術は世に出た。

ミカサ発表3年後の、1960年の事である。
*同社は現在も、トルコンを製造しているようだ。

ジムニーも、ホープ自動車の製造権をスズキが買い取って販売したのが、そのルーツである。


生き残った現在の自動車会社には、
夢叶わなかった会社の人々の、思いが託されているのだ。



*ミカサツーリングの写真は、全て岡村製作所のHPから借用して2022.10.16 に追加。
橘花・銀行他、はネットの画像を借りました。

・参考文献・資料 
戦後日本の政治経済史 、オートメカニック、航空ファン、プロジェクトX、ウィキペディア他

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眼が悪く、黒背景の文字は、読む事が出来ません。 足跡も見ていません。 以下に該当する方はフォロー不可です。 自己紹介欄に、居住地もなく、宜しくだけの方。記...
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