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CatDogのブログ一覧

2012年12月13日 イイね!

本田宗一郎の見事な引き際と、そうでなかった人

本田宗一郎の見事な引き際と、そうでなかった人チルチルミチルの100円ライター。覚えていますか?
製造は、東海精機(現トヨタグループ)。


あの本田宗一郎が、かつて経営した会社なのだ。
かつてのホンダの本拠地は、スズキと同じ浜松だった。



1. 見事な引き際

終戦後、宗一郎は東海精機の経営を譲り、戦後の挫折感から、家で酒ばかり飲んでいた。
やがて、やりたい事があると一念発起。この時、宗一郎は38歳であった。
立ち上げた2輪メーカーを不動のものとし、N360で今度は四輪メーカーの地位を築いた。


そして、1969年 普通乗用車のホンダ1300を開発・販売した。
(タイトル写真はセダン。クーペもあった。)

当時、誰もが、アッと驚く100馬力(エンジン単体馬力のグロス値。今の90馬力程)。
1.3Lの自然吸気エンジンでは、同排気量他車の50%増の馬力だった。
だが、この車は空冷エンジンだった。音が大きく、うるさい空冷エンジン。
「もう空冷の時代ではない。」と社内の技術者は大反対。

しかし、宗一郎は「空冷こそが自然だ」と持論を曲げず、社内の反対を押して発売。
音が静かならいいんだろうとばかりに、エンジンを2重に囲うなど結果としては、
水冷エンジンより複雑な構造で、重いエンジンとなったのである。

結果は散々なものだった。販売不振により、僅か3年後の1972年生産終了。
それは、経営の足を引っ張るほどであったと言われる。


「俺も、世の中の流れが読めなくなったな。」

周囲にそう漏らし、短命だったホンダ1300販売終了 翌年の1973年、社長の座を辞した。
本田総一郎 66-67歳の頃だった。
身内も社内から引かせた。これは、後にホンダの飛躍に繋がった。

宗一郎が、その後も社長の座に居続けたら、ホンダは倒産していたと言う人も多くいた。


かくして本田宗一郎は、歴史にその名を残す事になったのだ。


*ホンダN360  後期型ー写真はみなネットから転載。


1980年代に大ヒットしたシティ&ターボ Ⅰ・Ⅱ。自分もシティとターボⅠ に乗っていた事がある。
ターボⅠは100馬力(グロス)の車重690Kg。ドッカンターボで、凄い加速だがシテイより燃費良。
街中でもL 15Km、高速巡行では、東北旅行の際、L 23Kmを記録した。



2.世襲に執念。会社を滅ぼした経営者

かつて流通業の覇者として、一世を風靡したダイエーと中○功CEO。

本社に商談で訪れる取引先に、「使い捨ての紙コップ」で、お茶やコーヒーを
出す事だけでも、合理主義の米国流であり、日本の社会常識を覆す事だった。

日本初のセルフサービス店を、大阪千林駅前に出すと主婦の圧倒的支持を受けた。
「よいものをどんどん安く。」を旗印に、やがて百貨店を凌ぎ、小売業トップの
売上高となった。ダイエーのやる事は、革新的だとマスコミの寵児ともなった。

地方と都会の庶民の服装の差を埋め、海から遠い場所でも刺身が庶民の口に入る
ような豊かな食生活になったのは、スーパーの功績が大である。
スーパーなどの流通業が、政治が出来なかった社会構造を変革したとも言える。

更に、最高経営責任者という意味の、「CEO」を使い始めたのもダイエーだった。


*かつてのダイエー本社だった浜松町芝パークビル。間口140m。奥行50m
14階建て 延床10万平米以上。東京ドームの2.5倍。
内部も見たが、その巨大さから通称「軍艦ビル」と言われる。


「流通業界のホンダ」などと、もてはやされた。

だが、出来の悪い息子に跡を継がせようとして悲劇は始まった。

当時、アメリカで流行っていた「ハイパー」と言う業態(売る方式)をいち早く取り入れたダイエー。
広大な国土のアメリカでは、数時間かけないとスーパーに行けない人もザラである。

またキッチンも冷蔵庫も日本よりずっと大きい。米国の買い物は、週に1回が基本だ。
肉も大きなポンド単位のブロックで買うのである。冷凍野菜も多く使われている。

この売り方を日本に取り入れ、各地に「ハイパーマート」を建設したのが息子(副社長)だ。
米国のような大容量を中心に据えた販売をした。
ユニットプライス(G単価)は通常のスーパーよりかなり安かった。

だが、狭い国土に小さな冷蔵庫の日本では鮮度の良いものを、毎日買うのが習慣である。
(この頃、スーパーは既に日本全国にあり、大体は自転車があれば行けた。)

一例だが、ハイパーでは冷凍の焼き鳥が、100本入りの箱売りだった。
単価は1本30円と安くても日本の冷蔵庫、冷凍庫には入らない。
刺身は、お造りは置かずに柵ばかりだった。安く売るから、自分でお切りなさいと言うのだ。


日本の購買習慣まで変えようと言う、この思い上がりが、やがて
破滅を招く事となった。



*かつてのダイエー仙台店。現在は吸収合併したイオン仙台店。

CEOに戦略の見直しを進言するものは皆、追放された。
やがて社内では、誰も物を言わなくなり、消費者もそっぽを向いた。

裸の王様の末路は、みなご承知の通りだ。
優秀な後進に道を譲っていれば、未だ覇者の座にいられたのかも知れない。


身内も一緒に引退させた宗一郎氏の潔さとは大きな違いだ。

「生活に夢を、生活を豊かに。」との志で、大きくなった二社。

自分の限界を悟り、世界に羽ばたく為に身を引いた経営者と、当初は豊かな社会の
実現に多大な貢献をしたが、最後は初心を忘れてしまった経営者の違いである。

奢れるものは久しからず。ひとえに風に前の塵に同じ(平家物語より) である。
経営者は、引き際を誤ると、従業員をも不幸にする。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。」とは、よく言ったものだ。

ホンダ車の原点N360 後編終わり 
2024.02.01 補筆・写真追加しました。





3.無念な辞めかたも・・

きれいな文章を、書いていた方が退会するとの事。
素晴らしいイラストを、描いていた方も退会しました。

これらの方は、二人とも女性です。
自分の友達ではないが時々拝見し、偶然にも最後のブログを見たのです。
お二人とも、嫌がらせを受けて退会されるようです。


一言言いたい。情けないね、卑劣だ ! 弱いものいじめして。
エンジンフラッシングするように、心もフラッシングしろ と言いたい。




昨晩UP後、この方からお礼とお別れのメッセージが届きました。
さようなら、誠に残念です(涙)。 新天地でのご活躍を祈ります。

*なお、ブログ写真は、全てネットから借りました。
2012年11月22日 イイね!

ホンダ車の原点・Nコロの話(前編)

ホンダ車の原点・Nコロの話(前編)ホンダのNワンが話題となっている。
今日は、そのルーツのN360のお話です。

ホンダN360 愛称はNコロ
発売は1967年。


まだ生まれていない方も、多いのではないだろうか。

当時の軽と言えばスバル360の独壇場だった。(正確には・・・だったようだ。)
ホンダN360発売の頃は僅か18馬力の2スト、しかし400Kgに満たない重量で
そこそこ走った。
当時、学校の先生がよく乗っていた。乗せてもらったが、運転した事はない。


*今でもファンが多いスバル360。18馬力(最終型25馬力)で、390Kgしかなかった。
デザインはワーゲンのようだったので、かぶと虫に対して「てんとう虫」と言われた。

そこへホンダが4スト31馬力を引っさげ、四輪市場に乗り込んできたのだ。
(スポーツカーのS600は、既に発売していたが高価で一般的ではなかった。)

しかも価格は、スバル360より2割以上も安い31万円だった。
(31馬力、31万円と覚えやすい。なお最大トルクも3.0Kg f-m だった。デザイン的には
イギリスのミニに範をとったと言われる。)

たちまちスバルは駆逐されて、ホンダN360は四輪販売のトップに立ったのである。


N360は若者の憧れの車となったのだ

当時、都電の車窓から走る赤いNコロを見て将来は、あの車に乗りたいと思ったのを
覚えている。Nコロには、赤がよく似合った。


時は流れ、大学を卒業して入った会社の社用車を見て驚いた。
あの「Nコロ」が、並んでいたではないか。
Nコロを運転出来たのは、それから半年後くらいの事だった。

これは、乗ってから数十年後の試乗記であります。(笑)


*後期型N360

エンジンキーをひねって最初の印象は「なんてうるさい車なんだ。」と言う事。
ホンダ得意の空冷エンジンだが軽量化の為、遮音対策は殆ど取られておらずバイク並の
エンジン音が室内に響き渡った。
最高出力は、なんと8500回転・最大トルクは5500回転で発生した。

従って、常に高回転をキープしないと走れないので、会話もままならなかった。
こんなにうるさい車は、後に乗った2ストジムニーの幌車くらいだった。
高回転で走るから燃費も13K/L台で、排気量の割りには良いとは言えなかった。

初期型は、レースにしか使われない常時噛み合せ式のドグミッションなど、2輪の技術を
四輪に持ち込んだ独創的な車だった。シフトレバーは、フロアではなく計器下から出ていた。
またコスト優先で、通常型はシートがリクライニングしなかった。
だが、この位の事をしないと31万円と言う価格は、実現出来なかっただろう。

当時は高嶺の花だった車を、庶民が何とか買えるようにしたスバル360。
しかし、走りは平凡だった。
それを高出力・スポーティな走りを実現しながら、更に手頃な価格で発売したホンダN360。



若者達は熱狂した。
車は、現在の位置付けとは異なり、皆の夢だった。
一生懸命働けば夢が叶うと言う時代に、日本が入ったところだった。
丁度、今の中国と同じである。

ホンダN360は、スバル360と共に「日本のモータリゼーション」に、火を付けた事は間違いないところだ。

Nコロに乗ってすぐに社用車は、もう時代遅れになっていたN360から同じホンダのライフ
(初代)に入替えられた。
水冷エンジンになったライフ(写真はバンタイプ)は、N360とは雲泥の差の静かさだった。




Nコロの荒々しさは影を潜め、フツーに「大人の車」になったのだ。 

*現代のNコロとなれるか。新型N-ONE

My Carを買ったのはその年の冬。ボロボロのスバル(360の後継)だった。後で分かった事
だが、クラッチは滑り、ブレーキシューは磨り減ってなかった、と言う酷い代物だった。(笑)
それでも初めての車で嬉しくて猪苗代湖まで行ったが、ゴールドラインが登れず退散した。(泣)

前編終わり。
写真は、全てネットより転載しています。
2012年10月16日 イイね!

1.解消 ! Stack overflow・・ 2.CatDogといつまでも

1.解消 ! Stack overflow・・ 2.CatDogといつまでも1. Stack overflow・・・の問題

皆さんのコメントを参考に、トラブル報告のないFirefoxをインストールしました。

するといつも出ていたもの(タイトル写真)が出ない。自分の安物PCの1GBのメモリでも出なくなった。

1人で考えるより、皆さんのお知恵を借りて正解でした。


SNSの面目躍如です。有難うございました。

現在、Firefoxはみんカラ専用として使っています。(文字サイズをIEと同じ150%位にして。)
*これもFirefoxの文字拡大方法を、SUNリンさんに教えて頂きました。

ネットでFirefoxを検索して無料ダウンロード出来ます。

お友達にもコメントを読んで、インストールした方がいます。

この題材を書いた2日で5500ものPV(全体合計)があり、関心の高さが伺えました。
*同じ問題でお困りの方が多いようです。

またトラブル対応策であるコメントが、よく読まれたようです。

コメントを見てFirefoxをインストールした方も多かったのではないでしょうか。


大体、教えられなければFirefoxを知る事もなかった。

PC買い替えは、先延ばしできそうです。感謝いたします。


2.CatDogといつまでも。

エスクの下に潜って、防錆塗装したのが5月。
出来栄えが不明だったが、今回車検でリフトアップして全体の様子がわかった。

今年5月、塗装前の様子。15年も無清掃の割りには腐食もなく、きれいなほうだろう。
悪路を走る事が多いエスクの延命措置で、防錆塗装を行なった。
スチーム洗浄をしてもらった上で、自宅で防錆塗装した。(フレームのみ塗ってもらった。)


下写真が、塗装後の下回り。思ったより上手く塗れていた。  
*詳細は整備手帳に・・。スィフトも一部実施しています。デフのブツブツは泥はねです。

3回に分けて塗ったが、最初は、有機溶剤を吸い込んでしまい気分が悪くなった。

撮影後、排気管を除く一部の塗り残しと、ホイールハウスを塗装してもらった。
待たされた分、超特価で(笑) クロカン四駆は、床下の部品をフレーム内に収めている。



メンテは、車の下にも潜り込む気合と愛情だ。
エスクDogやスィフトCatと、いつまでも一緒にいたいと思うから・・。
2012年10月12日 イイね!

補足・蛇足で支離滅裂 車検終了!?

補足・蛇足で支離滅裂 車検終了!?1.顛末 追加補足で支離滅裂。

昨夕、電話が鳴って出たら車屋さんからだった。

「車をリフトアップしたので、見て下さい。」

そういえば、エスクを先週車検に出していたのだ。

車検終了と思いきや、これから作業にかかるとか・・。

「おいおいおい・・・。」

そういえばリフトアップして、5月に下回りを塗ったが、漏れがないか
確認しようと、そう工場にお願いしていたのだった。

それにしても今日はもう出して8日目だ。まあのんびりやっておくれ。
その分安くしてもらおう。(笑)

車検終了のブログを予定していましたが、こうなりました。
車検終了時に、またUPします。
(前段を説明しておかないと、長くなりそうなので書きました。)




2.追伸 

ここまで書いて、忙中(?)を縫って朝、工場に行ったら誰もいない。
自分宛の張り紙があった。
「急用で出かけます。ご自由にご覧下さい。」 だと・・。
おいおいおい! の二乗である。(笑・憤)

*その後、連絡がないので電話したら、息子が飯も食わずに整備して、車検に
行きましたと、父親である社長の話。
飯も食わずに、今日中にやれと言った覚えもないが・・。
今度はエッーもう終わったの? である???




*工場の近所の川沿いにあるコスモス歩道。
のどかな所だが都心まで歩いて、いや電車で1時間かからない。
オフロードだが、車は通れません。
エスクDogは走れないが、本物の犬なら走れます。(笑)


3.結論 

本日車検は終了し、明日車引取りとなりました。
(コスト削減で引き取りだ。)
書き置きしてきたホイールハウス防錆塗装も済んだとの事。
しかし本日塗装依頼して、作業終了まで僅か1.5時間 ???
理解に苦しむが、色々チェックが必要なようだ。

2011年12月22日 イイね!

チョークを知っていますか?

チョークを知っていますか?今の車はエンジンに供給する燃料の噴射量、
空燃比などはCPUが制御している。

しかし、昔々のキャブレターで燃料供給する車には、
チョークなるものが必ず付いていた。

エンジンの始動時にはアイドリングがバラつく。
チョークノブを引っ張ると、濃い燃料が供給された。
しばらく、走行してエンジンが温まるとアイドリングが
安定する。そこで、このノブを戻すのです。

愛車としては写真のスズキセルボが最後のチョーク付き車と記憶している。
次に乗ったホンダシティには、チョークはもうなかった。
現代の車になったのだ。
 
*写真は、ネットから拝借しています。

と書いたのは昨日スィフトCat君に乗ろうとエンジンをかけたらアイドリングが
ばらついたからです。
始動時にチョークを引かないと、このようにアイドリングがばらついた事を
思い出して書いたのです。

エンジンが温まるとアイドリングは安定したが、新しいスィフトには初めての
症状だった。

これはずばり、インジェクションノズルの詰まりだと自己診断した。
以前エスクにも同じ症状があった。

クレのインジェクタークリーナーを、買って燃料タンクに投入。
エスクには2万Km走行毎に、入れているものだ。
スィフトには走行28,500Kmでの初投入だ。
アイドリング不良完治を祈願。

もうじき2台のオイル&フィルター(最近はオイル3回に1回)交換。
更にエスクの重いスペアタイヤを外し、リアワイパー交換もしないと・・・。



車は金食い虫ではあるが、適当なメンテは楽しみでもあります。

*上記の車の事はブログカテゴリー「車歴」にあります。
 インジェクタークリーナー写真,詳細等はパーツレビュー参照して下さい。


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眼が悪く、黒背景の文字は、読む事が出来ません。 足跡も見ていません。 以下に該当する方はフォロー不可です。 自己紹介欄に、居住地もなく、宜しくだけの方。記...
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