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CatDogのブログ一覧

2022年06月05日 イイね!

母の七回忌 子供の頃、遊んだ飛鳥山 そして渋沢栄一 

母の七回忌 子供の頃、遊んだ飛鳥山 そして渋沢栄一 4月以来、三カ月ぶりのブログです。
6月4日は母の七回忌だった。
2016.6 に亡くなってから、早いものだ。
施主としての役割を終えてホットしている。

池袋での法事を終えて、昔遊んだ飛鳥山に向かった。

江戸時代に徳川幕府が、庶民の娯楽を提供すべく桜を
多数植えて、やがて都内有数の桜の名所となった。


だが自分の子供時代には、荒れ果てた山で桜も殆どなかった。その後、北区はここを
観光資源として再開発し、現在は大勢の人々で賑わう観光地として復活を遂げた。

川越から東武東上線で池袋着。コロナ禍で、電車に乗ったのは実に3年ぶりの事だ。
サラリーマン時代は、毎日この地下道を通って、丸の内線に乗り換えた。

あの地下鉄サリン事件の日も乗っていた。自分が乗った10分後の電車に犯人の一人
が乗り込み、途中駅でサリンの袋を傘の先で穴を開けた。
霞ヶ関他、数カ所の地下鉄駅で事件は起こった。恐ろしい事件だった。
会社員時代の同僚の姉は被害に遇い、今も寝たきりだと言う。



ここは、池袋駅東口前。東口に西武デパートがあり、西口に東武デパートがある。


サンシャイン60に向かって歩くと、途中に雑司ヶ谷霊園や墓地・お寺がある。



お寺で七回忌の法要を済ませて、墓参り。墓参も3年ぶりになってしまった。
申し訳ないと、墓前で手を合わせた。
卒塔婆の間から、サンシャインが見える。ここは、土一升、金一升の地べたである。



帰りは、都電に乗ろうと少し歩いた。都電停留所そばにある鬼子母神。





都電に乗り、飛鳥山に向かう。かつては、多数の路線があった都電だが、今はこの
荒川線1路線のみ。路線の大半が専用路面である為だった。
下は、飛鳥山前の王子駅。JRは、すぐ横にある。





東京一低い天然の山は愛宕山の標高25.7m。飛鳥山はそれより40Cm低い事が
国土地理院の測量で判明したが、国土地理院では、何故かそれを公表しない。
飛鳥山のある北区では、再三発表の要請をするも未だに公表されてはいない。



JR王子駅前に、登山用のアスカルゴ乗り場がある。北区の運営で何と無料だ。
車内には北区出身で、中学の先輩でもある倍賞千恵子さんのナレーションが流れる。
だが、この日は健康の為、歩いて登った。JRに近い谷側から登ると標高は倍近い。
左の道路部分では、車と一緒に都電が走っている。




公園内を歩いて博物館に向かう。途中、自分が学生時代の都電やD51が展示されている。





ここに紙の博物館など3つの博物館がある。この日は、渋沢栄一資料館が目当てだ。
渋沢栄一は、数少ない埼玉県出身の偉人である。
近年まで、ここに居を構えていた事も知らなかった。
昨年のNHK大河ドラマで、彼の生きざまを見て、感銘を受けたひとりである。


屋敷は、太平洋戦争中の空襲で焼失。鉄筋造りの書庫と、この洋式茶室(いずれも
国重要文化財)だけが残った。*写真は、北区ホームページより

資料館にある彼の年譜を見れば、人が一生かかっても出来ないような事を毎年の
ように実現している。国立第一銀行、王子製紙、セメント、鉄道等々、数多くの今に
残る日本の代表的企業を毎年のように、しかも複数社ずつ創設している。


まさに日本資本主義の父である。

更に、貧しい人々の為に養育院を創設。しかも自費で終生 運営もしている。
資料館内では、本人の肉声を聞いたり、映写フイルムも見る事が出来る。

この偉人の前では、自分の年譜など白紙に等しい と思えてくる。

土産舘で買った中央の訓言集の一枚を最後に御覧頂こう。
右の新書版は、数カ月前に購入、未だ読み終えてはいない。





付録 

1. 王子稲荷神社 

飛鳥山の通り向こうにある。時代劇にも落語にも出てくる王子の狐。




2. 音無橋
  
 子供の頃、この橋を渡って飛鳥山に行った。建設は昭和の中期。
戦火にも耐えた名橋だ。王子稲荷は、この橋左のすぐ右にある。
 


橋の下には音無川があった。石神井川の事だが、地元では音無川と呼ばれる。
中学生時代に、強い台風で上流から家が流されてきたのが強く印象に残る。
現在は、流路を変えて暗渠にし、このような親水公園になっている。
*規模は小さいながら、日本の都市公園100選に選ばれている。



3. 子供の頃、パンツ1枚で水遊びした「名主の滝公園」も健在だった。


江戸時代の地元の名主が造った、現在で言うリゾート施設で無料開放されていた。
現在は、都立(区立?)公園となっている。



・お断り  
カメラを当日、持参しなかったので渋沢栄一関係以外は、コロナ禍前の写真です。
最近、ブログUPの気力がなかったが、渋沢栄一年譜に感銘を受けた為、UPを思いつく。
どうか、お許しを。


2020年03月13日 イイね!

日和田山初登り 低山でも舐めると滑落 負傷・発熱?

日和田山初登り 低山でも舐めると滑落 負傷・発熱?山登りと言うよりは、山歩きが正解だろう。
標高305mの低山ながら、絶景で知られる日和田山。
巾着田の正面に位置するお山である。*タイトル写真

機会あれば登って見たいと思っていたが、山歩きの
趣味が、ある訳ではなし。
今回、山歩きが好きな知り合いの大工さんが、遊びに
きたので一緒に登る事に。
*埼玉はスタート地点の海抜が低いので標高分登る。



タイトル写真は、彼岸花時期の巾着田から見た日和田山である。

巾着田の前にある豪壮な古民家を見たいと、彼が言うので立ち寄った。
しかし、ここも御多分に漏れずに閉鎖中であった。


*現在は、日高市の所有・管理で内部を無料公開している。

ここはスルーして、しばし高麗川の河原で休憩。
昨年の台風被害からの復旧作業が続いていた。




夏はBBQで賑わう清流・高麗川の河川敷き。歩くのは連れの大工さん。
日和田山登山口へまでは車で2分程だ。

登山口駐車場に到着。50台位収容の駐車場は平日だと言うのに、ほぼ満車だった。
無人の料金所に300円を入れて歩き出す。




時間は正午少し過ぎ。木漏れ日が眩しい。


大工さんと言う職業柄もあってスイスイと山道を歩く。自分は日ごろの運動不足が
もろに出て、駐車場入口から100mのこのトイレ前のベンチで早くも休憩タイム。

山頂までは山道を2Km、約1時間の所要時間と書いてあった。

途中で男坂と女坂に分岐する。
名前からして険しいだろう男坂を行き、帰路は女坂とした。

分岐路手前に、眺望が開ける場所があった。
新宿の高層ビル群や、スカイツリーがはっきりと肉眼で見えている。



大工さんはスイスイと歩いていくが、自分は200m毎に腰を下ろして休憩である。

さて、自分としては相当に歩いたので、途中すれ違ったご夫婦に頂上まではどの位
かと聞いて見た。「ここは、まだほんの入り口ですよ。」
と、言われガックリして進んだ。
もう20分以上歩いた気がするのだが・・。

ここから、更に15分、やや険しい山道を過ぎると丸太のベンチが数脚あった。
休んでいる年配の方に、また頂上までの時間を聞くと
「あと10分くらい、もうすぐですよ。」 と嬉しい答えがあった。

まだ入り口と聞いてから15分くらいしか歩いていないのに、本当かな?と思った。
だが、この言葉は本当だった。




ここの岩場から下を見下ろせば巾着田が俯瞰できる。
空中から見るのは初めてだが、なるほど巾着の形をしている。




そして、この岩場の横を登ると絶景が眼前に迫る・・。



新宿の高層ビル群、その奥にスカイツリーが見える。
下写真中央奥には日本100名山、山梨の名峰・瑞牆(みずがき)山が霞んで見える。
*肉眼では何とか見えたが、写真では霞んでいる。




心も晴れやかになる景色である。

だから、人は山に登るのだろう。

実は山頂は、ここから10分程上がったところにある。

自分は疲れ切り、大工さんが単独で頂上に上がった。しかし、後から上がった人が
降りて来ても、大工さんは降りて来ない。もう30分近く待っている。
かいた大汗が、冷たくなって身体が冷えて来た。



するとようやく、頂きから降りてくる彼の姿が見えた。先に行って下さいと言っている。
身体を動かして暖めないとまた風邪を引く。帰路は緩やかなはずの女坂を下った。

途中、岩場の落ち葉を踏むと一面の落ち葉がまとまって座布団のように、滑り出した。
片手に上着、もう一方はボトルを持ち、両手が塞がった状態だった。
設置されていた金属柵の下を、身体がすり抜けようとしていた。


*先の絶景ポイント上にある屋代。


危ない!ボトルを投げ出し、片手のひじを曲げて柵に引っかけた。

グキッ! と、ぶつけた脚膝横の骨が嫌な音を立てた。が、何とか滑落は免れた。
ペットボトルは、下の道を越えて、遥か崖下へ飛んでいった。

滑落すれば不幸にもだが・・幸い誰もいなかった。こんな低山で滑落とは恥さらし。

だが、ここだけ金属柵がある訳も分かった気がする。
その場で休んでいると、大工さんが追い付いて来た。

立ち上がるが、不思議にも痛みはない。
それ以降は、快調に下山出来た。

満車だった駐車場の車も少なくなっていた。
今日のお供の車? この右端の・・。




ではなく、SUZUKIの軽トラさんであった。



帰りは近くの真言宗・聖天院の山門の左右を守る雷神・風神像と久々のご対面。
いつ見ても、素晴らしい仁王像である。誰の作なんだろう?
山門横にある高麗王の墓にお賽銭をいれて帰宅。

帰路もあれだけの衝撃だったのに、膝が痛まないのは不思議だった。
仁王様のご利益か?




帰宅後、すぐ熱いシャワーを浴びて汗を流した。下着も変えてスッキリした。
・・したら、いよいよ出ました。膝がうずいて来た。

翌朝は寝床から中々、起き上がれず・・。四輪駆動ならぬ四足駆動の有様・・。
あとは、休息のみ・・・。

今朝は恐れていた発熱が・・・。咳が出ないのが、せめてもの幸いだ。

市販薬では効かないので、かかりつけのお医者さんへ無理して行った。
自分の山を舐めた格好が天罰を受けたのだ。四駆乗りの恥である。

そんな訳で、UPが少し遅れました。


*シーズンONの巾着田。復旧はそれまでに間に合わせたいと市の広報。

下は、巾着田の彼岸花畑前方のそば畑。奥には、いつも見ていた日和田山。
中央には最初の写真の古民家が見える。


掻き洩らした事がひとつ。頂上は、360度の大パノラマ。
絶景スポットより更に絶景とか。但し、道は岩場ばかりで登りにくいと大工さん。

帰宅して頂上付近の写真を見たが、文中写真のような岩場が続いていた。
自分には無理だったろう。それでも頂上には20人位いて驚いたと大工さんは言っていた。

*クライミングクラブの写真を借りました。この横を行くようだが確かに自分には無理だ。

ようやく登れたひわださん そして大工さん、お世話になりました。  完




2019年04月10日 イイね!

平成の桜散って 春の雪

平成の桜散って 春の雪寒い! 昨日のポカポカ陽気が遠い日のようだ。
20度の昨日から一気に、気温下がって今3度。
あと一回分の灯油をいれようと外に出れば、


何と雪だ!

昨年程、厳しい寒さではなかった今年の冬だが、
その分を四月で帳消しにする程の寒の戻りである。 



さて、昨日は天気も良く、風は少し強いが暖かい。
平成最後の花見に行こうと、近くの公園に出た。
ここは近いが、来るのは久しぶりだった。


公園に入る前に咲いていた枝垂れ桜。桜並木の露払いである。



公園に入ると、甲高い女性の大声が響いている。中国語のようだ。

平日なので、週末の人出には程遠く、ゆるりと花見には丁度良い。

昨日の雨と今日の風で桜散る と思いきや、まだまだ桜たる面目は保つ並木が続いている。
*ここの桜並木は、1Km以上に渡っている。




スマホ片手に桜バックに自撮りだろう。数人の若い中国人女性だった。
どうやら、桜を喜んでいる様子。結構結構ですね。

しかし、広い公園中に響き渡る大声を、数人でしかも長時間出し続けられる事に
中国人のバイタリティを感じないわけにはいかない。少し煩すぎだが・・(笑)。



遊歩道に入ると、風に桜の花が舞っている。

道には花びらが雪のように積もっていた。路肩は全て花びらの吹き溜まりになっている。

文字通り

平成の桜、最後の花道である。



池辺のメタセコイヤは、まだ丸裸である。



下は昨年の同じ場所。上昨日写真の一週間後4月17日の写真である。
桜は完全に散っているが、メタセコイアは新緑である。

今年の春が、大分遅いのが分かる。






真冬の頃の池。カモがいっぱいだ。


池辺のベンチに座り、鳥の生態見物も面白い。これは上記群れの中での出来事。
カモ同士で口喧嘩をしていた。ギャーギャーと、延々とわめきあっていたたのが愉快だった。



こちら、カモの天敵のカモメ。餌が撒かれる食べようと泳ぐが、空中から隼の如く急降下して
餌を横取りしてしまう。今は、もう帰ったようだ。




昨日見た、カモと鳩のコラボ写真。
池辺にスックと立つ鳩を、珍しそうにカモが近寄って見ている。

この時、二羽は何を考えているのか、頭の中を見て見たい(笑)。



今は、まばらになった渡り鳥。残るカモも数羽を残して帰る頃である。
残る数羽が通年ここで過ごすカモであろう。




しばしの間だったが、散る真際の桜を堪能出来た。

桜は、この公園開設時に植えられたもの。今、20歳位の桜盛りである。

染井吉野は、寿命約50年で20-25歳くらいが花が一番きれいらしい。
薄いピンクが、透き通るような美しさである。こんな、きれいな桜の花は余り見ない。
今や有数の桜の名所になっている。

生涯の中でも、一番美しい花を咲かす時期の桜並木が見られて幸せだ。
桜以外でも、池辺の小さな花壇がきれいだ。



菜の花も、もうじき終わりだ。


GSに着いて1タンク分の灯油を入れた。

春の雪は雨に変わっていた。


桜散って平成が終わり、新緑の令和が始まろうとしている。


*最初のいきなりUPは、下書きを使わずの操作ミスでした。
2018年10月29日 イイね!

観光案内 廃れた「おすすめスポット」コーナー 一部紹介

観光案内 廃れた「おすすめスポット」コーナー 一部紹介2011年の入会時、整備手帳と同じく力を入れたのが、
おすすめスポットであった。

関東圏にお住まいの方向けに、埼玉県を中心に
主に日帰りドライブスポットをUPしていった。

以前は、画面上のヒストリーの欄に独立していたが、
現在は右端のメニュー欄に含まれている。


メニュークリック → 一番下おすすめスポット クリック 。
だが、最新UPが上にある訳ではない。日時順に組み換えを選ぶか、Newマークを探す。

このように、たどり着くまでの手順が長い。*更新情報からも入れる。

ドライブの見所を埼玉県中心にUPしていった。私のは、全て観光部門である。
ドライブの参考にしてもらえれば、UPの甲斐があったと言うものです。

フォトギャラは八枚。おすすめスポットは
たった1枚の写真での表現だ。

五七五や軽自動車の世界にも通ずる、限られた僅かの範囲での表現である。

だが現在は、訪問者もUPする人もいない、廃れたコーナーになっている。

そのほんの一部をご紹介します。なお、説明文は一部のみ抜粋しました。


1. 所沢航空記念公園  日本・航空発祥の地 



我が国、初の飛行場で、明治45年日本初の飛行が行われた場所。
陸軍・徳川・日野大尉が操縦する複葉機が日本で初めて空を飛んだ。

初の飛行を見ようと全国から数万の人々が押し寄せた。
空を華麗に舞う飛行機の雄姿を見た観衆は、感動と興奮のるつぼとなった。


2. 堂平山天文台   星空のロマンを  車で行ける山頂の天文台



奥武蔵グリーラインの堂平山山頂にある元国立東京天文台。
現在はときがわ町の観光施設になっている。近年まで現役だった宇宙望遠鏡が覗ける。
宇宙望遠鏡で見る東京の夜景は、夢のような美しさだと言う。
写真は2011年頃。映る少女は、もう成人しただろう。


3. 八ヶ岳エコーライン  標高1200ⅿの八ヶ岳山麓の常宿に行く時、通る道。


残雪の八ヶ岳の絶景が広がる。真っすぐな道がどこまでも続くようだ。



4. 中津川林道   長野県と埼玉県を結ぶ唯一の車道


*みんトモさんのデリカ。三国峠標高1800m付近。折れ曲がったガードレールに注目。

意外に知られていないが、長野県と埼玉県は、僅かではあるが県を接している。
中津川林道は、車が通れる唯一の道である。埼玉県秩父市と長野県川上村を結ぶ。
中津川林道を使わずに、秩父市から川上村に行くには100Km近い迂回が必要だ。
現在、路面崩壊で一昨年から通行止めが続いている。*2024.07 現在も同様


5. 河越城 本丸御殿  現存する本丸御殿は、ここと高知城のみ。見学可能。



江戸城築城で有名な大田道真・道灌 親子が手掛けた城。日本100名城。
政務を司る本丸御殿が現存するのは、ここと高知城のみである。


6. 名栗湖  埼玉県飯能市  林道の起点・終点 災害防止ダム



湖奥から秩父市への林道が出ている。標高千mを越える有馬峠を越えて秩父市に至る。
四季折々の風景が美しい。台風シーズンは雨水を貯めて下流の洪水を防ぐダムだ。


7. 清里高原 吐龍の滝



清里高原傍、鉢巻道路沿いの森の中にある滝。龍が炎を吐くような姿が、名の由来だ。
駐車場に車を停めて、森の中を10分位、歩くと到着する。

森の中のひんやりした空気は、夏に訪れると心地よい。
NHK大河ドラマのオープニング画面にも使われた。


8. 日本通貨発祥の地  秩父市黒谷



和銅開珎 かいちん・かいほう は、日本最初の流通通貨である。
今でも辺鄙な秩父の山中にある。通信・運搬は徒歩・牛・馬のみの時代に、こんな
山奥まで、奈良朝廷の支配が及んでいたとは驚嘆する。
あの明治の秩父事件蜂起の場所である、椋-むく神社そばにあるのも、何かの因縁か。

記念碑後方の崖に当時の手彫り銅山が残っている。ここの銅を奈良まで運んだのだ。


9. 長瀞河原  秩父鉄道・荒川鉄橋  SLが走る撮影スポット



日本地質学発祥の地・長瀞 かの宮沢賢治も、大正時代にここを調査。
持ち帰った石は、今でも岩手大学に展示中らしい。
この鉄橋に、SLパレオエクスプレスが走る。観光雑誌定番の撮影スポットである。
腹下の高い四駆でないと、河原に降りるのは難しい。


10. 都幾川桜堤  桜と菜の花のコラボ  埼玉県ときがわ町


埼玉県では、幸手市の権現堂堤が有名だが、こちらも中々である。
桜の季節には是非どうぞ。権現堂ほど混雑しません。


11. 鎌北湖 奥武蔵グリーンラインの起点



権現堂線から始まる奥武蔵Gラインの起点である。
昭和初期の恐慌対策の灌漑工事で、全国に造られた農業用ため池である。
*奥蓼科の、みしゃか池も同様だ。

ドライブの前に、思い出したら参考にして下さい。

追加  探していた写真がようやく見つかった。

サラリーマンを早期退職したが、有給消化日が1カ月程、あった。
会社の山中湖保養施設で、勤め人 最後の日に撮影した冠雪の富士。

撮影した日は覚えているが、写真が見つからない。
ようやく、ブログUP用写真の中に、見つけた。
撮影日は2009.02 で、UPはみんカラ入会年の2011年だった。

それから起業、そして廃業と激動の時を過ごした。


12. 冠雪の富士  サラリーマン人生最後の写真



人生第二ステージ・スタートUPを、祝うような快晴の富士だった。
富士には月見草より、やはり冠雪が似合う。この日以来、山中湖を訪れていない。


13. 上高地 河童橋付近  2018.10 2度目の訪問で快晴。夢の中の景色だ。



*2024.07.18 再編集後、上高地追加 タイトル写真も上高地。


2018年10月08日 イイね!

秋晴れの上高地 2-2 河童橋 - 明神池

秋晴れの上高地 2-2 河童橋 - 明神池帰宅後の台風被害によりUPが遅れました。
河童橋- 明神池 までのハイキング記録です。

まずは、天下の絶景 河童橋からの眺望です。

奥穂高連峰を望む、日本屈指の絶景である。



前回の雨から3年を経て、待望の景色を眺める事が叶った。本望である。




河童橋食堂でそばを食べて、出発したのは12時30分。橋を渡り、まずは少し遠回り
コースで明神池を目指し、帰りは直線コースで帰路に着く事にした。

連続する絶景に、進むより見とれて、撮影時間のほうが多いくらいだ-笑。
どんな美女でも、この景色には叶わないだろう。



やがて道は森に入っていく。参道を進んでいく。
実に爽やかな高原の空気である。

下界より10度も低い16度。歩くにはちょうど良い気温である。

水の中に立ち木が林立する噴火による堰止湖のような場所に出る。
10年後には土砂に埋没して、消滅する運命の大正池より、立ち木が多いこの池である。





森の中を、しぶきを上げて、荒々しい渓流が流れている。



流れの緩やかな所には、ヤマメだかイワナが多数泳いでいた。
ニジマスではない事は確かである。

前回、同時期の来訪だったが、紅葉は大分色づいていた。今年は全く見られない。
下が、2015.9.25 の森の中の湿原である。*この日は9.28 である。


急に眺望が開けて絶景が望めた。


歩くこと、約5Km。撮影しながらゆっくり歩いたので90分を要した。


・神降臨伝説の池。

そしていよいよ目的地の明神池前まで来た。ここからは神域である。

鳥居をくぐり、中に進んでいく。鳥居は、中央を通らず端を通る事。
中央は、神様の通り道だ。この写真でも、中央を歩く人はいない。



TVなどでよく放映される「かもんじ」小屋がある。



山小屋兼食事処のような場所だ。大勢の方々が、食事を楽しんでいた。



そして、小屋の隣の建物が受付になっていて拝観料300円を支払い中に進む。
池全体がご神体なのである。

そしてこれが明神池である。






息を飲むような美しさである。


ここが
 神降池 神が降りた池 かみこうち 上高地の語源 なのである。

参道が途切れ岩場となり、足場の悪い地形になったが、せっかく来たので池の最深部
まで行ってみた。これが、明神池の最深部である。紅葉が僅かに見える。


これで、今回の目的地である明神池を存分に堪能した。
帰りは明神橋を渡り、梓川沿いの直線コースを取る。



上下写真の山は、明神岳2931m である。

ここで、パーツで紹介した単眼鏡を取りだし、明神岳山頂付近を望んだ。
何やら人影が見える。登山者であろう。山小屋への食糧補給と思われるヘリも飛行していた。

意外に良く見えて驚いた。

さて、後はひたすら河童橋のターミナルを目指して歩く。



疲れはないが、初めて履く靴で親指の爪がぐらぐらしてきた。
我慢して歩いた。
ここで、驚いたのは外国人、それも白人の多さである。
殆どが気さくに、すれ違いに「コンニチワー」と、流ちょうな日本語の挨拶。

下写真も、白人ご一行である。




歩くこと1時間以上。4時間とたっぷりあったはずの散策時間も、バスにたどり着けば
集合時間ギリギリの15時30分であった。

万歩計を見れば、何と2万歩を遥かに越えている。
自分の、1週間分近い歩数である。

希代の雨男の私が行ったのに、雨の合間の唯一の晴れに当たったのは、同行した
彼のお蔭である。

彼が旅行するところ、雨は一度もない。これまた、希代の晴れ男なのである。
事実、私も彼と同行した日には、ただ一度の雨もなかった。




彼と昨日、会ったが素晴らしかったを連発していた。
自分も同感である。15Km以上歩いたのに疲れも出なかった。

素晴らしい天気の中の素晴らしい景色は、何より優れた栄養剤である。

自宅の、近く発のバス観光なら毎年行っても良いな と彼も自分も同意見だった。


素晴らしき上高地でありました。

おわり

*参考  梓川右岸道で明神池に向かい、左岸道で河童橋に戻った。


*大抵の場合は、1回では大正池- 河童橋- 明神池 までは行けない。
大正池-河童橋 か河童橋-明神池 のどちらかを選ぶ事となる。

どちらかひとつを選べ、と言われれば断然、今回の河童橋-明神池コースである。

プロフィール

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