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CatDogのブログ一覧

2019年01月03日 イイね!

奥武蔵の山奥から光さざめく東京湾が Gライン随一の眺望 関八州見晴台

奥武蔵の山奥から光さざめく東京湾が Gライン随一の眺望 関八州見晴台関八州とは、関東地方全域を指す。
その全域が、この山から見えると言うから驚く。

ここは、埼玉県北部・秩父市に近い山である。

標高は千mもない。だが、遮るものもない絶好の
ロケーションなのである。




だが、近年は東京湾が見通せるのは、空気が澄んだ正月三が日位しかない。

昨日は風邪で断念したが、今日は出かけた。昨日作ったMDを聴くにはMDプレイーヤーは
Swiftにしかないが、凍結路もある山道なので、Escudoで出かけた。

国道299号から林道に入り、顔振峠を目指す。


1. 林道のポスト

林道に入ると林道には珍しいポストが立っている。何回も通った道だがポストは
始めて気が付いた。この少し先に集落がある。その集落の為のポストだろう。

1日1回だが、回収時間が書かれていた。




2. 顔振峠 Kouburi touge  
*弁慶と義経が、この峠を越えて奥州に逃れる時、峠の絶景に顔を振り向けた故事
から名づけられたと言う。*これは、嘘との定説だが・・😒。

江戸時代に造られた秩父市と越生町を繋ぐ奥武蔵林道は、戦後は車道になり
奥武蔵グリーンラインと呼ばれるようになった。

その道中、多くの峠があるが、その中で最も賑わうのが、顔振峠である。

蕎麦屋2軒を始めカフェ、フレンチまである。



*峠からの眺望



峠の様子。平九郎茶屋は、渋沢栄一の養子・渋沢平九郎最期の地のそばである。
右の蕎麦屋のみ11月撮影。


*左は寺院の建物。右は手作りパン屋さん

開放的な顔振峠を越えると薄暗い林道になる。ライト点灯で進むエスクード。



冬の高所林道は乾燥しきっている。湿度10%以下。喉にきたので車内加湿器ON。
10分位で車内は湿度50%の適湿になる。

今日は、コンデジ+望遠の2カメラである。試し撮り以外は、初の望遠レンズ使用だ。
*結論から言うと、コンデジと大差ない望遠だったな-泣。



3. 関八州見晴台入口

ここには、Gライン上、最大の茶屋があった。階下にはBBQ施設まであった。
すぐ近くに火祭りで有名な高山不動尊がある。

かつては賑わったこの茶屋も、いつの頃か閉店に追い込まれた。
3年前の今頃の姿。既に閉店して数年経過していた。



それが、今日訪れて愕然とした。


最初は解体されたのかと思ったが、よく見ると・・・・。




これは放火である。


かつては、上州-群馬県 の山々が見晴らせた展望デッキも・・・。





苅場坂峠の茶屋も、同じような目に遭って閉店を余儀なくされた。
こんな酷い事をした奴か奴らに、はらわたが煮えくり返る思いがした。

と、同時に悲しくなった。全く、情けない犯人である。



4. 関八州見晴台

気を取り直して山道を歩き始める。 ハイカー団体の後に付いて行った。
こんな山道を進んでいく。ここは平坦だが、殆どは急坂で息が切れる。




頂上-正確には尾根筋-の標高は780m。風が冷たくて手が切られるように痛い。
しかし、額は大汗の私である。

そして、ヘタレCat が、Dogのようにゼイゼイ 言いながら到着したのは




ぎぇー、ここは、まだ入り口ではないか・・。

この前にもPKがある。前回はここから歩いたのだ。今日の方が近道と思ったのだ。
しかし、見上げれば皆さん一生懸命登っておられる。この方々は平地から登って
こられた方々だろう。

それに引き換え、自分は高々、ラスト150m程の高さに四苦八苦。だらしない。


自分より高齢者も多いようなのに・・・。

年末ブログで自分に活を入れたのに、お前は本にヘタレじゃ と、もう一人の自分。

息を整えて再スタートした。とにかく懸命に登った。そしてついに山頂へ。
皆さん、既にお弁当を広げて絶景を堪能中だ。




山頂の、高山不動の奥の院に初詣でである。



山頂は360度の大パノラマである。団体さんが見ている方向は・・・。

上写真右に、銀色の西武ドームが見える。


下は、スカイツリーと高層ビル群。



だが、今日は花曇り。空気がより澄んでいないと、東京湾・房総半島は見晴らせない。

6年前の正月、光さざめく東京湾と、その後方の房総半島は、今も脳裏に焼き付いている。

昔なら、もっともっと、はっきりと見えた事だろう。まさに関八州見晴台である。
下看板写真が、本来見えるであろう姿である。


団体さんの反対方向は、左・富士山と右・武甲山である。



こうして、何とか途中でめげずに登って来た。



帰りは途中で道を間違えながらも、埃だらけのエスクードで帰宅したのだった。
食っちゃ 寝 の正月生活ともおさらば出来た。


*大田道灌・道真の墓がある龍穏寺の前を通ってきた。門前には大きな門松が。

年始に走りたい気持ちになったのは、大きな自分の収穫だ。
ブログで、自分を叱咤激励した甲斐があった。
帰宅して汗だくの下着を替えた。

2018年12月24日 イイね!

苅場坂峠の風は冷たかった

苅場坂峠の風は冷たかった3連休最後の日とは形式だけ・・。Sunday毎日の身
としては・・である。

いや、する事はあるが、今は動かない方が身の為だ。
休むも何とやら・・である。

強い風が吹くが、今日は快晴だ。空が蒼く映るだろう。



さあ出かけるぞーーと、エスク発進。


*下日本初の碑を出る時。ワックス掛けたて。歳なので、高級ファンデーションに変更した。
人間なら、とうに還暦を過ぎている。現在のエスクより二周り位、小さいが同重量だ

県道から長野県茅野市まで続く国道299号線に乗る。
秩父迄は快適なワインディングロードである。


まずは、吾野宿に入る。どうぞお入り下さい 
と、書いてあるが通り抜け禁止とも書かれている。???・・。
ここはフォトギャラなどで以前紹介しているが、数年経過しているので、今一度。



古い建物が点在する。秩父-河越を結ぶ街道の昔の宿場町である。




そして、昭和に入った近代では石灰鉱山で繁栄した街であった。
現在も吾野鉱山は稼働している。
かつては、鉄道が乗り入れていた石灰貯蔵駅。


今はダンプが運搬している。



下写真が、かつての繁栄を誇った頃の吾野町の子供達である。
昭和10-20年代の写真と思われる。



そして、これが同じ場所から見た現在の姿。見れば上写真と建物は、現在も同じである。
手前右の蔵が下写真にも右に僅かに映っている。

空を見て欲しい。巨大な山がある。削られた山の場所には青空がある。-今日の写真。
自然の前に無力とは言えない、人間の恐るべき力である。



街の横には高麗川の清流が流れる。*タイトル写真。

再び、299号線に戻り進むと、やがて正丸トンネルに出る。
トンネルの手前に、珍しい「日本初」の碑がある。




時は黒船来航の幕末。

オランダ医学を学んだ三人の若き医者達が、正丸峠を越えて秩父からやってきた。
子供は死産だったが、母親は其の後、何事もなく80数歳の天寿を全うした とある。

こんな山奥に、西洋医学を学んだ医師たちがいたとは驚きである。




正丸トンネルの手前で旧道に入る。
左が、正丸峠への県道。右は、苅場坂峠への林道である。

正丸トンネルが出来るまで、秩父へ行くにはこの狭い山道を走らねばならなかった。埼玉に
越して来た頃はまだ、観光バスやダンプが、この狭い山道ですれ違っていたのを思い出す。

それも、そんなに遠い昔の話ではない。

林道を駆け上がっていく。途中一か所だけ眺望が開ける場所がある。
この絶景である。





*狭山丘陵に位置する西武ドームが肉眼では、左手にはっきりと見える。

そして標高818mの苅場坂峠に出た。風が肌を刺すように冷たい冷たい・・。





峠の向こうには堂平山。頂上には天文台が見える。




余りに冷たい風に早々と退散。サルのように急いで山を駆け下りた。




ここは、降りた299号線沿いにある西武・正丸駅 ハイカーの出発駅兼秩父方面
にお出かけの、みんトモ会員の集合定番地点でもある。ここで小休止した。



駅横にあるハイカーの為の駐車場所。1日500円で置いておける。


この先に、西武線の正丸トンネルがある。全長は4811ⅿで、開通当時は私鉄トンネル
では、日本一の長さを誇った。*1969年開通 車用は、その後の1982年に出来た。

電車も車も、トンネルが出来て、秩父が近くなった。
それまでは、気軽には行けない辺境の地 だったのである。

15時過ぎに帰宅。走行距離 約100Kmだった。


*吾野宿の寺にある宮城県の寺の鐘。




2018年12月12日 イイね!

旧友再会 林道の廃

旧友再会 林道の廃前回は、林道レポを久々にUP出来た。
エスクの林道とスイフトのツーリングレポは、自分の
ブログ二本柱なのです。

これを、週にどちらか1回UPしていた昨年頃は、月の
PVが弐萬を軽く越えていた。

だが、その後は諸事情によりブログUPは激減した。
整備手帳・パーツのみの片肺飛行となっていた。


当然、PVも減り、今年に入ってからは二万を越える事は稀である。

だが、走ろうと言う気が起きない時期が続いた。
そろそろ、潮時かなと思った事もあった。

ようやく最近になり、林道を走りたいと言う気持ちが再び高まってきた。

久々の林道レポUPで、しばらくお見掛け出来ずにいた方々からイイね をいくつも頂きました。
友人ではないので、Myファン登録の方々かも知れない。
*自分の実働友人数は今や二十数名である。

そのほとんどが、四駆乗りの方々である。
お久しぶり 元気ですか? ありがとうございました。


まさに、旧友再会のような気持ちでありました。



さて、前回ブログで予定のフォトギャラを、ブログに変更してUPします。
どうしても八枚の写真には納まらなかった。

林道沿いに見た廃なもの のUPです。




枯葉散る林道を発進。 人の行く裏に道あり 廃な道 。

夏に紹介した、廃止された町営プールが見えて来た。

落ち葉が積もる季節は、余計寂しい風景となる。



いつもある日常が突如消える。 そこに湧き出る感情が、「もののあわれ」だと言う。

日本人独特の感性であろう。





塀際にひっそりと 見られなくても咲く椿。




坂を上り、鎌北湖に出た。


湖畔にある廃業した食堂。20年程、前までは休日には順番待ちの列が出来る程だったが、
今はこの鎌北湖に来る人も激減した。

湖奥には二軒の宿があったがまだ営業しているのだろうか? 
上写真の奥に、その一軒が見える。




*参考 ここの近隣にある黒山三滝。 江戸の昔から観光客で賑わい戦後、日本観光百選
に選ばれた地である。子供が小学生の頃の二十数年前に連れて行った時は、余りの人出
に、子供とはぐれてしまった事を思い出す。

それも今は昔。 週末でも閑散としている。特に、この時期は訪れる人は殆どいない。
参道に残るは、かつて繁栄を偲ばせる老舗旅館・レストラン・土産物屋のシャッター
通りである。

自然に親しんだ事がない親が、子供を連れていくのは人工の地ばかりとなった。
偶には自然に触れて欲しい。


*この時は若い女性が、滝に打たれて修行していた。昔から修験者の地であった。

再び車を走らせる。リアフォグ点灯テスト。車検合格の完全赤色フォグになった。


好きなダートが続く林道の様子。


前回UPの谷にある廃墟。不思議な光景  


林道脇の巨岩と拡大図と全体図。


資材小屋だったのか?中に古い丸太が沢山積まれていた。



かつて作業場のような建物が。年月が過ぎても土に帰らないプレハブ小屋。
こんな山奥でも、人の営みがあった事を示す廃屋が点在する。


時には、車も  である。 土に帰る途上のダイハツの軽トラ。

これぞまさに
 「廃ゼット」 である。



ハイゼットが置かれていた比較的、新しい工場跡。右の新しく見える車もNOは、なかった。



この林道の終点付近にも廃屋が・・。




だが、廃あれば新あり。 鎌北湖方面へ接続する直線の道が工事中だ。
50Kmの速度制限が新道路らしい。



便利にはなるが自分は、従来の道を走り続けるだろう。*最初の写真の道。

カーオーディオは、未だカセットにCD・MDプレーヤー。スマホもナビも持たない。

自分も、また時代遅れな男なのだ。あー、恰好悪い・・ 。
 



2018年12月10日 イイね!

散歩道 冬枯れの里山を行く

散歩道 冬枯れの里山を行く冬枯れの景色こそ、おさおさ劣るまじけれとは、徒然草
の有名な一節だ。

土曜はオーディオ機器の塗装・セッティングの見直し。

昨日の日曜は久々、冬枯れの里山徘徊であった。





まずは、いつもの道で鎌北湖へ向かう。
いつもは目立たない、この石積みも、冬は見事に浮き上がる。



マニュアルシフト五速ホールドで、長い坂道を登り切った。

どんよりと雲が立ち込めているが、逆に水面-minamo-がきれいに映った。



湖畔道路を奥に進むと奥武蔵Gラインの始まりである権現堂線に出る。
が・・今日は違う道に入る。

まずは一本目の林道へ。ここは好きなダートである。
履きたてはダートでは頼りなかったスコーピオン・ベルデ。
皮むきを終えると、見違えるようにダートでも、しっかりと路面を掴むようになった。



奥に進むと○○鉱山事業所の看板が、ゲートにかけられて何かの設備があった。



奥にはシートがかけられたものがある。大砲にも見える。



視線を登ってきた方向に移すと木の間から火の手が・・・。
これは大変と寄って見れば焼却炉で何かを燃やしていた。そばには人もいた。




奥は道が細くなっている。ここで、Uターンした。辺り一帯、落ち葉の絨毯である。



分岐点まで引き返し、少し戻って別の林道に入る。
白壁の豪邸が現れた。家の手前は谷になっていて、その中に大きな廃屋が見える。

これはどういう地形だろう?わざわざ谷に建てた訳でもないだろう。
奥を埋め立てて、この豪邸を建てたのかな。そう考えるほうが自然だね。



墓地を見下ろす高台に寺が立っている。



更に進むと、日本最古のゆずと言うタイトル写真の旗が1本と、カートが見えた。

*あとで調べたら桂木ゆずは、この地区のブランド柚子らしい。奈良時代に日本に入った
ゆずを、この地区では古くから栽培していたようだ。昭和の時代まで、ゆずは一般家庭
では殆ど消費されなかった。この一帯は、日本有数のゆず生産地だそうだ。知らなかった。




ゆずの無人販売であった。スーパーで1個100円くらいで売られているものが、8個入って
100円均一と随分と安かった。100円玉をカートに置かれた箱に入れて一袋頂いた。

*一袋100円也

この一帯は柚子の木が山一帯に栽培されている。


そして、またもや林道入口が出て来た。



この日、一番印象深かったのがこの古民家である。
まるで、黒澤明の時代劇に出てくる、映画のセットのようだった。




この林道は今時珍しい全線ダートであった。マウンテンバイク集団が飛ばしながら前方から
来たので、路肩に車を停めてやり過ごした。
それ以外は、何も通らず快適な林道だったが、眺望が開ける場所は皆無だった。



途中のススキ。ススキも、今年はこれが見納めだろう。


林道終点付近にあった廃小屋。過疎化が進む中で廃屋は年々増えている。




こうして半日林道ドライブは終了した。ドライブは楽しい。未だ初めての道多し。

この日は、路肩からの発進に数回四駆High にギヤを入れた。それなりの悪路もあった。 


人生 これみな旅の途上  いや終盤だな。


*廃屋や廃なものは、フォトギャラにまとめる予定です。
2018年11月25日 イイね!

1日二杯の酒を飲み、肴は特に拘らず 東秩父村に買い出し

1日二杯の酒を飲み、肴は特に拘らず 東秩父村に買い出し1日二杯どころか、桁が違った。煙草は二箱以上。
遂に身体を壊して休職、退職して今日に至ったのは、
お話した通り。

その後、10年に渡る節制と運動により、偶には酒も
OKが出るまでに回復した。
が、ご飯は一日茶碗一膳と糖質は節制を続けている。


気が付けば、11月は初めてのブログUPであります。


最近、オーディオ熱がぶり返し、毎日のようにCDを購入している。
音質はレコードに劣るとは言え、手軽に聞ける事はレコードの比ではない。

CDが増えたのでBOXも購入した。お蔭で、車のパーツにまでハンドもマネーも回らない。


*ミニカーの下が、買いたてのYAMAHA のCDプレーヤー。

中島みゆきと河島英五、双方に元気ですか? と同じタイトルの歌があるが、中身は
陰と陽の正反対である。

骨太の河島英五の歌。聴けば、歌に魂が宿っているようだ。早すぎた死であった。
繊細な女心の恨み節からスケール雄大な歌まで、中島みゆきの引き出しの多さと、
その奥行には、感嘆するばかりである。

・河島英五   時代遅れ 酒と泪と男と女 野風僧 旅的途上 元気ですか 等々
・中島みゆき  時代 糸 世情 化粧 ヘッドライトテールライト 元気ですか 等々 
以上、好きな曲の一部。  




日曜日位はエスクに乗る事にしている。今日は河島英五ではないが、二杯の酒を
飲むための、あての調達に東秩父村に出かけた。





自宅から40分も走ると、こんな田園地帯である。

真冬の山道では画面の湿度計は10%以下になり、のどがいがらっぽくなる。
今日は、まだ安全圏の50%を示している。手前のイルカは高速道路などの券を挟むもの
だが、ETCが普及した現在は無用のもの。しかし、剥がれない。ので付けたままである。

旅の目印は、このでかいマリンコンパスのみ。表示されているのが進行方向である。

埼玉県唯一のディーゼル車両が走る八高線明覚駅。関東の駅舎100選だ。
選ばれてすぐの年末深夜、放火により駅舎は全焼して再建された。

全て、ときがわ町の木材が使われている。味のある駅舎だ。




駅前から信号までは、埼玉県で一番短い県道・明覚停車場線全長120ⅿ位である。
*県道30号線と繋がる鉢形停車場線が全長43mで最短でした。訂正します。



長らく、不通だった松郷峠を越えて目指すスーパーに向かう。発破ではなく、発砲とは?

北海道で動物に間違えられての死亡事故があったばかりだが、埼玉でも山に入った
ら十分な注意が必要だ。若い頃、発砲音がして当時の愛車セルボにも散弾銃弾が
当たった事がある。ガス欠して車を押しているところだった。



松郷峠の鉱山。石灰鉱山であろう。タイトル写真も、同場所からのもの。


そして、峠を越えて、目当てのスーパーに到着。外観こそボロだが、良いものを安く と言う
スーパーマーケットの原点が、この店にはある。




大震災から2年間程、ここは被災地の野菜や魚を扱っていた。
良いものが生産者の方々には、申し訳ないほど安く売られていた。鮮度は申し分なかった。

自分も90分かけて、毎週のようにこの店に通ったものだ。寄付も何回もしたが、それよりは
支援が出来たかな と思っている。
あれから、自然災害が世界中で増えたような気がする。



*店の前は、熊谷市から秩父市まで伸びる県内最長の県道である。本店は秩父市にある。
この店だけ、どういう訳かボロだが、中身は良い。

今日は、地元では手が出ない本マグロが格安で売られていた。多少の目利きは出来る
私は、筋トロの部分を買って帰った。コップ二杯の焼酎は、いいちこだ。



*写真中央の三角山は、エスクで偶に行く奥武蔵の笠山である。

帰路に、BBQしている河原に寄って風景を撮影した。
まだ3時前だと言うのに、河原の家族のBBQはもう店じまいだ。

秋の夜はつるべ落とし。日暮れは早い。来週は、もう冬の季節になる。
毎年が早いなー。

帰宅して焼酎二杯を、本マグロ少しの充てで飲むのが楽しみである。

飲んで、また音楽を聴こう。CDならレコードのように、針を枠外に落とす心配もないから。




左端は、オーディオ部屋に置かれた、数十年前にトヨタ車購入者に対し配られた戦前の
トヨタ車のダイキャストミニカー兼ライター。貴重品である。

プロフィール

「[整備] #スイフト 再び連日の40度越 日々の熱波対策と脱落の補修 https://minkara.carview.co.jp/userid/1110056/car/855743/8338768/note.aspx
何シテル?   08/19 15:29
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