• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

CatDogのブログ一覧

2021年03月09日 イイね!

クロスケ 虹の橋を渡る

クロスケ 虹の橋を渡る怪我を直すための手術が命取りになるとは・・。

2018年3月8日 動物病院にて額の傷の手術。
だが、麻酔から覚めずに自宅に連れて帰る。
深夜1時に、麻酔からようやく醒めた。

翌朝、ベッドでぐったりしていたクロスケを、再び病院
に担ぎ込み、強心剤を打ってもらう。
元気になってくれ。


だが、その2時間後にクロスケは静かに眠り、虹の橋を渡ってしまった。

その夜、飲んだ酒は、涙を誘う酒だった・・。


最初の出会いは、この約2年前だった。

酷い風邪で、這って家に来たのを、ゼリー食に風邪薬を少し混ぜて食べさせた。
人間用だったが大変によく効き、少量ずつ3回目を飲ませた頃、回復してきた。


*元気になったクロスケ

その半年後、今度は家に転がり込み1日中横になっていた。
何がどうしたのか分からず狼狽したが、やがておしっこがっ出ない事がわかった。


*階段で横になっていた実際の写真。おしっこが出ないと気づいたのは、翌々日だった。

医者に相談すると、「すぐ連れてこないと命を落とす。」と言われ、連れ出そう
とするが、最後の力を振りしぼり逃げようとする。

やがて、よだれが流れ始めた。このままでは、あと少しで死ぬ。
軍手をはめて身体を抱えて、言う事を聞かないと死ぬぞ と思いきり大声を出した。

すると大声に対する恐怖のあまりからか、おしっこが大量に出た。
アー良かった!これで解決だ。 30分後、楽になったのだろう。

横になっていたクロスケが私のそばに来て、ニャーニャーと大声で啼いた。
とても嬉しそうな鳴き声であった。
良くなった事、そして感謝を、伝えたかったのだろう。





この時の喜びを、今も思い出す。

こうして命の危機は脱した。2017年の夏の事だった。
以後、クロスケは家ネコとなり、この日を迎えた。

素人の自分が2回まで命を救ったが、3回目は医師でも救えなかった。
腎臓の数値が計測できない程、悪化していた。

いつも水を大量に飲んでいたから、腎臓が悪いのは承知していたが・ここまでとは・・。

2018.03.09 午前11時9分 クロスケ虹の橋を渡る。推定年齢は5-7歳だった。


*ネットから拝借しました。

ペットの葬儀社に頼んで火葬した時、ピンポン玉位の塊が2個燃えないでいた。
これは、癌細胞だと言う事を、葬儀社の方が教えてくれた。
癌は中々燃えずに、通常20分かかるのが、倍の時間を要して火葬が終わった。



小さなクロスケの身体に、こんな大きな癌が二つもあった。しばしば吐いていたのは
このせいだったか。しかし、辛さは微塵も見せずに気丈だったクロスケ。

この時、延命しても以後は、地獄の苦しみだったろう。
複雑な気持ちになるが、これが運命と受け入れるより他はない。

一緒に暮らした時間は、短くてもクロスケも私も幸せであった。(と思っている)
ステーキ・刺身など美味しいものも、食べさせてあげられた。

今日は、クロスケの三回忌である。
今は、恋人のブルーアイと同じ骨壺に入り、天国で寄り添っている事だろう。


*画面右下のリンククリップ「天国で永遠に」と「野良の魂」に詳細があります。

3か月後の6月。空き家に入れる機会があり、ブルーアイの遺体を収容、火葬した。
その火葬の最中、車のそばにいて、動こうとしなかった黒い子猫がいた。
それが、まだ幼かった「チビ助」だった。*メスである事が避妊手術の時、分かった。


*いつもお母さんと一緒だったチビ助。お母さんも、この子は特別に可愛がっていた。
 母親のブルーアイが死んで、寂しそうなチビ助であった。


*煙突から出る煙に、お母さんの匂いを感じたのだろう。


*母親のブルーアイ 2018.01.14 没 
 チビ助は、クロスケとは血が繋がってはいないのが残念だ。


どうか安らかに 
自分が行くときは虹の橋で出迎えて欲しい。 合掌



現在の様子



最近のチビ助 小さいながら、眼光鋭い成ネコに成長した。
母親・クロスケも安心しているだろう。

冬は昆虫がいないので好きな狩りが出来ない。代わりに、私とかくれんぼをしている。
どんなに上手に隠れても、長いしっぽが出ている・・。しっぽを掴んでやると・・
最近は知恵がついて、しっぽを丸めるようになった。

Big Cat とワンちゃんが、チビ助を守っている。



下写真は、チビ助専用の8畳間。奥の座椅子がチビ助のベッドでここに寝ている事が多い。
ここは、我が家で最も眺望の良い部屋だ。贅沢・・。

だが、家具に爪も立てずに、人間より奇麗に使っているのには感心する。
*家に入れる前に、室内マナー研修を数週間実施。爪研ぎは、特定場所で。
上のチビ助の後ろの家具の傷は自分が付けたもの(笑)。

クロスケもそうだったが、野良猫は良く人間を観察して、「ダメ」と言われる事はしない。
ダメ!は真っ先に覚える言葉だ。いつも話しかけていれば、簡単な会話も出来る。
先月、寒いなと言いながらこの部屋に入ると、チビ助が立ち上がり、セラミックヒーター
(写真手前)の電源ボタンを押そうとしたのには、驚いた。





ネコ嫌いの方もいるので、ブログUPはしませんでしたが、今日は特別な日。お許しを。
かく言う自分も10年前までは、ネコ嫌い。今はCat Dog の二刀流である。


UPしたら、胸につかえていたものが、降りた気がする。
最後まで、お読みいただき感謝に耐えません。
これから、亡くなった時刻に投稿します。



2020年01月22日 イイね!

フォトアルバム

フォトアルバム思えば別れの多い人生であった。

家族・友人 早くに夢でしか会えなくなったものも多い。


クロスケはペットであり、友達でもあった。

自分の言葉や気持ちをよく理解してくれた。



食事の度、自分の膝におでこを押し付けて感謝の意を表していた。
それは、死の前日、手術の前の最後の食事まで続いた。
長い野良生活では、食事にも窮した事が度々あった事だろう。

今夜は、天国へ召された愛猫を思い出してエスクフォトギャラを作りました。
クロスケと一緒に暮せたのは僅か半年だったが・・思い出は尽きない。

操作ミスで最初の1枚でUPしてしまいました。



全部で20枚UPしたので、ご覧ください。*大半はエスクの写真


芋焼酎少々を飲んで寝る事に致します。

画面右のリンククリップ上から2つが、詳細になります。
まだ、ご覧でない方は、読んでやって下さい。


2018年10月23日 イイね!

野良の魂 母と子の絆

野良の魂 母と子の絆愛猫クロスケの死後3カ月経ち、廃屋から恋ネコ・ブルー
アイの遺体を収容して、荼毘に付した6月の出来事です。

この前段は 天国で永遠 に  あります。


蒼い瞳のブルーアイは、生涯10数匹の子を産んで育てた。

餌をもらうと子供たちに食べさせ、自分は子供の余りもの
を食べる と言う姿を、何回も見かけた。


人間も見習いたい子育ての姿だと、近所の奥さん方にも評判のネコだった。

だが、ある時から野良猫増加を防ぐ為に、町内では野良猫に餌をやらない事に決した。

餌をもらえなくなった野良猫たちは、餌を求めて次第に姿を消していった。

だが、生まれたばかりの子供4匹を抱えての移動は、ブルーアイには出来なかった。


*左は妊娠中に通りかかった姿。右は産後、食べ物もなく、痩せて表情も険しいブルーアイ。

どこかからゴミ袋をくわえて来て、中にある焼き鳥の袋に付いた、たれを子供たちに
舐めさせるブルーアイの姿を見た。だが、毎回ゴミ袋に食べ物がある訳ではない。

栄養不足で、二匹の赤ちゃんネコは死んでしまい、ブルーアイと残る二匹の赤ちゃんも、
やせ細って、死を待つばかりであった。

懸命に子供を育てようとするブルーアイの姿に打たれた私は、自己責任でこの親子に
餌を食べさせようと決めた。 2016年の秋頃だったか。

毎日、最低限の餌を親子に与えた。親子は段々元気を取り戻して行った。

そして年末、今度はクロスケが庭先で倒れていた。目からは涙が流れていた。
粒状ペッフードを与えても食べようとしない。熱があるようだった。


* イメージです。

風邪と思われたので、ゼリー餌に風邪薬を少し混ぜて与えると食べた。
やがて自力で、這うように帰って行った。

翌日も餌をもらいに来たクロスケ。少し元気になり、歩いていた。
もう一度風邪薬を餌に混ぜて与えると、午後には大分元気になった。


*元気になったクロスケ  

その後、元気になったクロスケとブルーアイは、親交を深めていくのであった。
*クロスケは、下のクロネコ(現在のチビ助)の父親ではない。


*クロスケと一緒に餌をもらいに来るようになったブルーアイ。表情も穏やかになり、
ふっくらとしてきた頃。中々の美人である。

2017年の夏に、また具合が悪くなったクロスケは、我が家に入ってきて横になっていた。
最初は訳が分からず、ただ寝ているだけかと思った。全く尿が出ないと気付いたのは
、翌日夕方だった。獣医に相談に行った。すぐに連れて来て、との事だった。


*階段で二日間じっとしていたクロスケ。その時の実際の写真。
 ネコが家の中にいる初体験であった。大事に至らなくて良かった。

医者に担ぎ込もうと無理に捕まえた瞬間、大量の尿が出て窮地を脱した。
よだれが流れ始めて、死の一歩手前までいっていた。

心配したブルーアイが、外でクロスケを呼ぶ声も聞こえていた。

尿が出て30分程すると、楽になったクロスケは、私に向かってニャーニャーと大声で
啼いた。その嬉しそうな声を、今も忘れない。

自力では治らないと思ったクロスケが、風邪を治した私を頼ったのかも知れない。

その後、腎臓に溜まった砂を溶かす薬を、飲ませて再発もなかった。


クロスケが、家で寝るようになったのは、それからである。
一方のブルーアイは、人間に頼る事はなかった。

子供が生まれて育て半年強経つと、母親は子供を突き放すが、残った一匹のメスネコ
には、半年を過ぎても面倒を見ていた。

躾が守れないとブルーアイは、娘の頭をポカポカと叩いていたのを思い出す。



ブルーアイは今年1月に、クロスケは3月10日に死んでしまった。
心に穴が開いた。 


そして6月に、廃屋で眠っていたブルーアイを荼毘に付している間、部屋にいると葬儀社
の写真の方が、小さなクロネコが来て車から離れない と言ってきた。



出て見たが、何もいない。そして、荼毘が終わって遺骨を取り出そうとした時、開いたドア
から、小さなクロネコが飛び出して来た。
 


*車の煙突から出る微かな煙は、天に登る魂のようだ。

それは、ブルーアイが、可愛がっていた最後の子(娘)であった。



きっと、煙突から出る
 煙から、お母さんの匂いがしたのだろう。

胸が、キュンとなった一瞬であった。

この娘には、避妊手術を受けてもらい2匹の子猫は、地域ネコとして生きる事になった。


ブルーアイ最後の子供・白黒・オセロ兄妹。クロは避妊手術を受けた証の桜耳になった。
大分、大きくなりました。ブルーアイも喜んでいる事だろう。



クロスケもブルーアイも、天国から二匹を見守ってくれているだろう。

ブルーアイが子育ての合間、線路端の草むらで休んでいる姿を何度も見た。
あのひと時が、ブルーアイ唯一の、安らぎの時間だったのだろう。


クロスケ・ブルーアイ 楽しい思い出を、本当にありがとう。


同じ骨壺に眠る、我が心に生きる二匹のネコである。



更地となった廃屋跡。子供の白猫-上写真-が、呆然とした様子で、かつてのねぐらを
見ていた姿が、目に焼き付いている。
2018年06月28日 イイね!

天国で永遠に

天国で永遠に愛猫のクロスケには恋人がいた。
近所の野良で、青い瞳を持った可愛いネコだった。

クロスケも、長い野良生活だった。家には長く居られず
、朝は私が起きるのを待って出かける毎日だった。

啼いて起こしたりはしない。私が起きるまでじっと待っていた。そして夕方、ただいまと帰ってくる。


家の中では、家財には決して爪を立てず、私の話を理解して会話ができる。
学習能力が極めて高い、賢いネコであった。


日中は青い瞳のネコ [ブルーアイ] と、子供の2匹で家族のように一緒に
冬は日向ぼっこなどしていた。*子供の父親は、クロスケではなかったが・・。

ブルーアイも、クロスケを頼りにして、いつも寄り添っていた。


*ブルーアイ&クロスケ 二匹とも綺麗な目が印象的だった。威厳すら感じさせたクロスケ。
 ご飯を貰いに、エスクの腹下に来ていた野良時代の写真。

クロスケが、幼い子猫たちの前で穴を掘り、トイレの仕方を教えている場面を見た事もあった。

毎朝、食事に来るブルーアイが、突然来なくなったのは、今年の1月15日からだった。
ブルーアイ達、野良の住み家である近所の廃屋に、心配したクロスケが探しに入るのを見た。

翌日もクロスケは、廃屋に入って行った。
だが、程なく出てきて、そのまま自宅に戻ってじっとしていた。
夜になると、悲しそうな鳴き声を出して私のそばに寄ってきた。


*ペンギン模様が可愛いと、近所でも人気のあったクロスケ。

ああ 、ブルーアイは、あの家で死んでいたのだ と思った。

クロスケのそばでブルーアイの思い出話をした。30分程してクロスケは、気持ちが
落ち着いたらしく寝入ってしまった。


*日中は自分の椅子、夜はクロスケのベッドである。エアコンの真下にある椅子だ。

翌日からクロスケは、元気を取り戻していつもの姿に戻った。

以前と同じような生活を送った。ブルーアイが、いない事を除いては・・・。


ブルーアイが死んで2カ月も経たない3月初め、後を追うようにクロスケが死んだ。

喧嘩で出来た額の傷が化膿した。手術をしたが、翌日死んでしまった。

悲しみの中、追い打ちをかけるように災い・不幸が、これを境に雨のように降り続けた。
神社で、お祓いを受けるも、災いは止まなかった。


*家に上がる時は、足を新聞紙の上でステップして拭いていたクロスケ。

そして、母3回忌の翌朝6月24日・日曜の朝の事だ。あの近所の廃屋の持ち主が、
自宅を訪ねてきた。40年振りくらいの再会であった。

この持ち主の女性を知ってはいたが、住所が分かる人もなく、連絡が付かなかったのだ。

再来月には廃屋を取り壊すと言う話であった。

私は、女性に訳を話して中に入れてもらった。ブルーアイの遺体を探し、収容するためである。



ブルーアイは、床に横たわっていた。
死後、半年経っていたが、あの特徴ある毛並みはブルーアイに間違いなかった。

ビニール袋に収めて自宅に運んだ。悲しい程、軽かった。

すぐに、クロスケの時の葬儀社に連絡して、その日の夕方、荼毘に付した。



何回か、ブルーアイを捕獲しようとして全て失敗していた。
生前は、一緒に暮らさせてやれなかった事を、ずっと悔いていたのだ。

葬儀社から大きめの骨壺をもらい、クロスケの骨と一緒にした。



これで、クロスケに少しは顔向け出来そうだ。遅きに失したが、心が少し晴れた。

それにしても、いくら探しても不明だった持ち主が自分から現れるとは・・・。


クロスケやブルーアイの導きであったのかも知れない。



そして昨日、最後に残った懸案が解決して物忌は終わった。

お百度参りのようにパーツ・整備手帳・フォトギャラをUPしてきた。

飽きずに、お付き合い頂いた方々には、心から御礼申し上げます。


クロスケ・ブルーアイ  天国で幸せに

クロスケと暮らせたのは、たったの半年だったが、思い出は一生である。
心の宝石箱に、思い出をしまおう。

クロスケもブルーアイも、6歳前後だったと思われる。

泥水をすすり、日々の食べ物にも事欠く、野良猫の厳しい境遇が分かる寿命である。


*蓼科山・標高2000m地点から下界を眺める。クロスケをドライブに連れて行く事を
 今年は実現したかった。一緒に見たかった景色である。
 
 もう、夢でしか会えなくなったクロスケである。亡くなって一度だけ夢を見た。
 一緒に遊ぶ、楽しい夢であった。



クロスケ 楽しかった日々を心からありがとう。

ブルーアイと天国で永遠に幸せに  。



* 続編があります。
2016年02月20日 イイね!

徒然なるまま ペットのほうが長生きするなんて

徒然なるまま ペットのほうが長生きするなんて関東廃線メッカのひとつ「安比奈線」の廃止が決まった
事は、前回ブログでお伝えしました。

ご存じない、同好の士も多かったようだ。お友達以外に
頂戴したイイね!は、初めての方も多かった。

趣味性の高いものなので、興味ない方には申し訳ない
事です。自分も病気治療中なので、食物や酒の連続の
ものはスルーさせて貰ってます。



ついでに言えば、写真のないパーツ等もスルーさせてもらっています。
さすがに写真のないフォトギャラはないが・・。この場合は解説になる。

イメージが、全く湧かないもので。



・オウムの話し

最近50歳を過ぎて、寂しいからとオウムを飼う方が増えているそうだ。
言葉を教えれば喋るので、さみしさも紛れると言う訳だ。

特に子供がいないとか、連れ合いに先立たれた方に多いと言うのは理解出来る。




大型のインコやオウムは鳥類の中では、ずば抜けて知能が高いと言われる。

その知能は人間の幼児なみと言われ、言葉を覚えるだけでなく、その意味をも理解
して言葉の真似ではなく、本当の会話が出来るオウムもいると言うから驚く。

価格は小さい車並もして、その鳴き声も半端ではないので防音環境が必要だが。

人生も後半に差しかかった頃、生後間もないオウムを飼って育てる。
そして自分が80歳を越えた頃、同じ位の時期に旅立つ。

そんな、人生のスケジュールでオウムを飼うようだ。

ワンちゃんやチャンちゃんで、20年生きるのは稀であるが、このオウム君 20年後
には、ますます元気で食欲も旺盛。
ひまわりの種が主食で、この大きな嘴でムシャムシャ・パクパクと食べる。




オウムの20歳は、人間で言うと何と!やはり20歳だからだ。
*寿命の長い種類の場合。短くてもオウムは、最低50年の寿命があると言われる。

オウムの寿命を知らずに、買い求める人が多いようだ。
ショップでも、その説明はしないようだ。



そして、もう一人では生活出来ない。 面倒を看てくれる身内もいない。
施設に入ろうかと言う頃、オウム君は30歳の青年期に差しかかったばかり。

力はますます強くなり、お年寄りの手には負えなくなる。

オウムを鳥の保護施設へ引き渡し、自分は施設に入るお年寄りも多いとの事だ。

ペットは短命であるとの思い込みが、こうした事例を招いた。
これが悪い事とは思わないが・・。




昔、近隣で竹を植えたばかりの家が引っ越ししていった。
家は売れず、やがて竹は敷地中に広がった。

私が半年後、そこを買って移り住んだ。押し入れを開けるとそこに竹があってビックリ。
床下を見ると、下が土のままだったので床下は竹藪状態。
竹がこれほどに、生命力・繁殖力が強いとはその時、初めて知ったのだ。

床下に潜り竹を伐採し農薬を散布して、半年がかりでようやく竹を退治した。
エスクの床下に苦もなく潜り、防錆塗装出来たのは、この時の経験が生きていたと思う。




人間は色々なものを飼ったり、植えたりするが、その特性を良く知らないとえらい目を
見る事になると言う好例である。車の選択もまたしかり である。

共生という事は簡単だが、その実行には充分な調査が必要だ。


でも自分も、車が運転出来なくなったらオウムを飼おうかな。

お喋り好きな70歳過ぎ位のオウムを・・。


*タイトル写真は牧場にいる わんトモ君。半年に一度くらいしか会えない。
エスクがお気に入りで、行くと運転席側・後輪のにおいを、クンクンと嗅いでいる。
オウム写真は、全てネットのオウム画像から借りました。

本降りになってきた。林道行は中止だ。


西武安比奈線がある未舗装の河川敷道路。
今年9歳のペット。白内障になりかかっている。

プロフィール

「[整備] #スイフト バンパーガード位置変更と交換+ワイパーブレード交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/1110056/car/855743/8322414/note.aspx
何シテル?   08/06 11:15
眼が悪く、黒背景の文字は、読む事が出来ません。 足跡も見ていません。 以下に該当する方はフォロー不可です。 自己紹介欄に、居住地もなく、宜しくだけの方。記...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

リンク・クリップ

花はどこへ行った そのメッセージ by 忌野清志郎  
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/04/15 18:07:53
天国で永遠に 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/05/26 00:20:52
野良の魂 母と子の絆 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/12/19 10:54:17

愛車一覧

スズキ エスクード Escu Dog (スズキ エスクード)
錆や故障もないタフな車だ。 2019年までの22年間で、交換したのは消耗パーツのみであ ...
スズキ スイフト Swift Cat (スズキ スイフト)
故障や錆・ビビリ音は一切ない、見た目とは違う頑丈な車だ。 *その後、11年目に助手席側電 ...
ホンダ トゥデイ Wild Cat (ホンダ トゥデイ)
我が家、唯一のホンダ車。 買い物、街中のブラリ散歩用に購入した。 2003年、13年前の ...
スズキ セルボ スズキ セルボ
自分のメモ用としてフォトギャラを使用。 初めてのスズキ車にして初の新車。 写真は借り物 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation