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CatDogのブログ一覧

2012年11月29日 イイね!

富士が見えなくなる? スィフト汚名返上

富士が見えなくなる? スィフト汚名返上1.絶滅する東京の富士見坂

昔は、各地の坂から富士山が見えた。
(一番遠くから見えるのは、和歌山・福島県らしい)。
富士山が見える坂は、「富士見坂」と
名付けられて親しまれてきた。
        




*ネットからのイメージ写真です。

都内では高層ビルの出現で、現在も富士が見える富士見坂は、
荒川区の日暮里ーにっぽり(京浜東北線・日暮里と西日暮里駅の中間地点)
のみとなった。

その国の最高峰が、首都から見えるのは世界でも日本だけと言われる。

その日暮里の富士見坂の前方にも、高層ビルが建つ計画が出来て
昨年認可された。(今まで、なかったのが不思議と言えるくらいだ。)

文字通りの「富士見坂」なのは、あと数年くらいのようだ。

近くを通られる方は、見納めに是非ご覧下さい。

以後都内では、ビルの中層階以上でないと富士山は拝めなくなるようだ。
江戸の粋が、またひとつ消える。

前回、埼玉県民だと言ったのに、東京の心配かと思われるかもしれない。
江戸っ子の定義は、3代続けて都内に住所がある事らしい。
祖父は、神田の生まれで自分はその3代目。
一旦は、江戸っ子になった時期がある。
江戸っ子のDNAが、まだ残っているのかも知れない。(笑)


何れにせよ、昔からの風情がなくなるのは寂しい事だ。

自宅は、富士山麓から約100Kmの場所にある。
かつては、自宅の2階から富士が見えた。

ここのすぐ上流の橋では川の真上に見える。
川に高層ビルが建つ事はないだろうから、将来も変わらず富士が見える事だろう。

快晴で強風の日は、よりはっきり見える。一昨日の富士山。
(肉眼で見る程、ハッキリ映らないのが残念だ。)


富士の見える、心休まる風景だ。 
*川は、さいたま市境界で荒川に合流する入間川。


2.スィフトCat 汚名返上

先日、吸排気・電装系スープアップ完了した。
パワー・燃費ともに向上しただろうと、ブログ・整備手帳にUPした途端に
、購入以来最低燃費になった事は報告しました。

その後、中津峡への紅葉ツーリングでの往復200Kmで、二人乗りながら
Cat史上最高の17.1Km/Lを記録した。
(秩父市内の、渋滞がなかったら更に伸びたろう。)

なお最低燃費のほうは、分母の給油量が間違えていて、10Km/L でなく
13km/Lだった。  訂正してお詫びします。



*中津峡側路の人専用つり橋。

やはり、間違いなくパワフル&省燃費なCat君となったのであります。 更に、より静かにもなった。

現在は、ヘッドライトカバーが曇る「車の白内障予防対策」に取り組んでいます。
*タイトル写真は、お馴染み・山中湖の富士。(おすすめスポットより)
2012年11月25日 イイね!

我が街は (自分の街は好きですか?)

我が街は (自分の街は好きですか?)来月一日に、市制施行90周年を迎える川越市は、埼玉県では最初の市である。

東京から引っ越してきて、優に30年を超えた。


街の最初の印象は、決して良いものではなかった。

東上線最大の街だと言うのに駅のトイレは、なんと男女兼用。
(東上線川越駅の話。小江戸と言われるだけあって東武東上
線、西武新宿線、JR埼京線、JR川越線、地下鉄有楽町線など
が乗り入れており、市内には合計10以上の駅がある。)

当時でも、男女兼用トイレは殆ど見かけなかった。
(現在は、立派な駅ビルに東武も西武もなっています。)

街は荒れた感じで、今の蔵造り商店街(下写真)も閑散としていた。
かろうじて、百貨店がある駅前からの近代的商店街だけは、そこそこの賑わいだった。

市長が変わると歴史的資産を活かして、観光地としての街造りを20年以上に渡り、

市民・行政一体で続け、県有数の観光都市となった。(今年2月のブログで紹介)

川越警察も、駅前の横断歩道前での一時停止の取り締まりを来る日も来る日も、
数年に渡って続けた。

結果、市内を走るドライバーのマナーは向上して横断歩道に人がいれば、殆どの
車が停車するようになった。




*蔵造りの街並み。週末・早朝の川越一番街。



*日本100名城・川越(河越)城 本丸御殿(いずれもおすすめスポットより) 

自分は、いわゆる埼玉都民だった。
サラリーマン時代には、寝に帰るだけの日々だった。


今でこそ緑の中を走り、自然の中を散策する事が好きで、帰りに日帰り温泉は
休日のセレモニーだが、サラリーマン時代は同じ街でもネオン街だった。

住民・行政が真剣に取り組めば、街さえも変えられる事に大きな驚きを覚えた私。
心ここにあらずと、傍観者だった自分を反省している。

ここの暮らしが長くなり、生まれ故郷でもないこの土地が郷土だとの思いが強くなった。
池袋・新宿・銀座など全て直通で60分以内。
また同じ60分で、猿、鹿に会える山にも行ける。

病気以後、目指すライフスタイルに合う良い環境だと思うようになったのは退職後の事だ。


自分も、ようやく埼玉県民になれたような気がする。

「灯台下暗し」の例え通り、TVでよく放映される菓子屋横丁も人力車が走る
大正ロマン通りも歩いた事がない。


今度は、ゆっくりとそれらの通りを、歩いてみたい。



*数年前から始まった小江戸川越マラソン。本日開催でした。

タイトル写真は、川越のシンボル・時の鐘。今なお時報を、街に響かせます。
2012年11月22日 イイね!

ホンダ車の原点・Nコロの話(前編)

ホンダ車の原点・Nコロの話(前編)ホンダのNワンが話題となっている。
今日は、そのルーツのN360のお話です。

ホンダN360 愛称はNコロ
発売は1967年。


まだ生まれていない方も、多いのではないだろうか。

当時の軽と言えばスバル360の独壇場だった。(正確には・・・だったようだ。)
ホンダN360発売の頃は僅か18馬力の2スト、しかし400Kgに満たない重量で
そこそこ走った。
当時、学校の先生がよく乗っていた。乗せてもらったが、運転した事はない。


*今でもファンが多いスバル360。18馬力(最終型25馬力)で、390Kgしかなかった。
デザインはワーゲンのようだったので、かぶと虫に対して「てんとう虫」と言われた。

そこへホンダが4スト31馬力を引っさげ、四輪市場に乗り込んできたのだ。
(スポーツカーのS600は、既に発売していたが高価で一般的ではなかった。)

しかも価格は、スバル360より2割以上も安い31万円だった。
(31馬力、31万円と覚えやすい。なお最大トルクも3.0Kg f-m だった。デザイン的には
イギリスのミニに範をとったと言われる。)

たちまちスバルは駆逐されて、ホンダN360は四輪販売のトップに立ったのである。


N360は若者の憧れの車となったのだ

当時、都電の車窓から走る赤いNコロを見て将来は、あの車に乗りたいと思ったのを
覚えている。Nコロには、赤がよく似合った。


時は流れ、大学を卒業して入った会社の社用車を見て驚いた。
あの「Nコロ」が、並んでいたではないか。
Nコロを運転出来たのは、それから半年後くらいの事だった。

これは、乗ってから数十年後の試乗記であります。(笑)


*後期型N360

エンジンキーをひねって最初の印象は「なんてうるさい車なんだ。」と言う事。
ホンダ得意の空冷エンジンだが軽量化の為、遮音対策は殆ど取られておらずバイク並の
エンジン音が室内に響き渡った。
最高出力は、なんと8500回転・最大トルクは5500回転で発生した。

従って、常に高回転をキープしないと走れないので、会話もままならなかった。
こんなにうるさい車は、後に乗った2ストジムニーの幌車くらいだった。
高回転で走るから燃費も13K/L台で、排気量の割りには良いとは言えなかった。

初期型は、レースにしか使われない常時噛み合せ式のドグミッションなど、2輪の技術を
四輪に持ち込んだ独創的な車だった。シフトレバーは、フロアではなく計器下から出ていた。
またコスト優先で、通常型はシートがリクライニングしなかった。
だが、この位の事をしないと31万円と言う価格は、実現出来なかっただろう。

当時は高嶺の花だった車を、庶民が何とか買えるようにしたスバル360。
しかし、走りは平凡だった。
それを高出力・スポーティな走りを実現しながら、更に手頃な価格で発売したホンダN360。



若者達は熱狂した。
車は、現在の位置付けとは異なり、皆の夢だった。
一生懸命働けば夢が叶うと言う時代に、日本が入ったところだった。
丁度、今の中国と同じである。

ホンダN360は、スバル360と共に「日本のモータリゼーション」に、火を付けた事は間違いないところだ。

Nコロに乗ってすぐに社用車は、もう時代遅れになっていたN360から同じホンダのライフ
(初代)に入替えられた。
水冷エンジンになったライフ(写真はバンタイプ)は、N360とは雲泥の差の静かさだった。




Nコロの荒々しさは影を潜め、フツーに「大人の車」になったのだ。 

*現代のNコロとなれるか。新型N-ONE

My Carを買ったのはその年の冬。ボロボロのスバル(360の後継)だった。後で分かった事
だが、クラッチは滑り、ブレーキシューは磨り減ってなかった、と言う酷い代物だった。(笑)
それでも初めての車で嬉しくて猪苗代湖まで行ったが、ゴールドラインが登れず退散した。(泣)

前編終わり。
写真は、全てネットより転載しています。
2012年11月15日 イイね!

のぼうの城とともに (名勝玉淀を行く)

のぼうの城とともに (名勝玉淀を行く)映画「のぼうの城」がヒットしているようだ。

戦国末期、天下統一間近の豊臣秀吉は意に従わぬ
北条氏を討伐すべく、本拠地の小田原城を攻めた。

それに呼応して、小田原城の各支城を同時に攻撃した。

上州(群馬)の松井田城、武州(埼玉)の岩槻城、江戸
(東京)の八王子城は、わずか1日で陥落。

しかし忍(おし)城、鉢形(はちがた)城は、頑強な抵抗を受けて容易には落とせなかった。

のぼうの城は、この忍(おし)城の事である。
2城とも武蔵の国・武州(埼玉県)にあり、それぞれ小説化されている。

ここ武州鉢形城(寄居町)は、北条氏・支城の中でも関東の要害として重要な位置
を占め、城下町は大いに繁栄したのである。

現在、国史跡・日本100名城の1つに指定されている。(タイトル写真)

それ故、秀吉は討伐軍最大の兵力、忍城攻略の数倍の軍で攻めた。
一説には、6万とも言われる大軍勢だった。

城を守るは、僅か3000の兵。その大半は、普段は農業をしている雑兵だった。
だが雑兵たちの忠誠心は高く、勇敢に大軍と戦った。
奮戦空しく、1月後ついに鉢形城陥落。
関が原の戦いの、10年ほど前の事である。

以後、僅かに本丸跡を残して荒れるに任せていたが、近年城跡全体が発掘され、
広大な城址公園となっている。自分の散歩コースのひとつだ。
自宅から車で1時間強のところにある。




*タイトル写真の門内から外を眺める。
ここは城兵が出陣するとき使う「虎口」と記されていた。

城は崖上にあり、下を荒川が流れる。すぐ上流が名勝「長瀞」だ。

*対岸からの眺め。この河原に豊臣方真田軍が布陣したと言われる。
山頂(真中の岩の直上あたり)に、鉢形城本丸があった。




*ここでアクシデントが・・

写真撮影後、戻ろうとしたら、河原の砂に足を取られ、エスクDogが傾いた。
四駆にするもタイヤは空転する。エンジンを停止し、降りて状況確認だ。
砂に柔らかい部分があったようで、後輪助手席側のタイヤが沈んでいた。

河原の上の公園で、お弁当を食べていたおばあちゃんの団体が、箸を止めて
見ている。

*今日(14日)は、埼玉県民の日のせいか人出が多かった。


ここで、エスクDogの最終兵器起動。
副変速機を使い、四駆ローギアに切り替える。
普段は隠しているDog君の爪である。


これでギヤ比は半分の低さになり、2倍近い駆動力が絞り出せるのだ。

バックすると、すんなり脱出出来た。おばあちゃん達の拍手・喝采が聞こえた。(uso)

お年寄りの前で、とんだショータイムだった。(汗)

「ほうほうのてい」で、砂から逃げ出すDog君。
川幅が狭く見えるが、実際は200m位ある。





*再び対岸へ渡り、本丸跡に登れば、明治の文豪・田山花袋がこの悠久たる
景色を讃える碑が立っている。

「つわものどもが夢の跡」を流れる荒川は、昔と変わらぬ美しさを今に伝えているようだ。

2つ上の写真に見える橋上から望む荒川・名勝玉淀河原




歴史のロマンを感じる、心安らぐ城址公園だ。
紅葉も、あっと言う間に終わりに近づいた。

良い時代は、長くは続かない。
鉢形城の、栄華の如しであります。
2012年11月08日 イイね!

奥秩父・紅葉の中津峡を行く

奥秩父・紅葉の中津峡を行く埼玉県は秩父地方以外は、まっ平です。

唯一の山岳地帯である奥秩父、かつての秘境中津峡に紅葉狩りに行きました。
週末の大混雑を避けて、今日に都合を付けた。

日帰りとしては、久々のロングツーリングなのだ。

自宅を9時発。
国道299号で秩父市に出て、正午前に到着。ここまで約100Km.


今が、まさに見頃。平日にも拘らず、大勢の人出だった。

まさに紅葉の最中だ。

>
アマチュアカメラマンの砲列・・。
しかし、皆様良い機器を、お持ちですなー。
それに較べると、私のはタカラトミーの玩具のようだ。
[と、実際に言われた。(泣)]

しかしキャリア・・・年で頑張ります。
腕で勝負じゃ(笑) ! (まあ画質は叶いません・・。デジイチ欲しい。)




関東の四駆乗りで、ここを知らない人は潜りとまで言われるポイント。
右のトンネルを潜れば「金山(きんざん)志賀坂」林道で上州へ。

直進すれば武蔵の国・武州と信州を繋ぐ唯一の車道で有名な
「中津川」林道だ。来月には冬季閉鎖になる。
ここでUターンして、帰路に着く。


タイトル写真の大ループ橋。
20年前は、秘境だったこの地を乗用車が走れるようになったのだ。
ループ橋は、下写真奥の滝沢ダム堤防上空付近を通過している。


いやあ、ドライブは本当に楽しい !
心が晴れ晴れ、気分爽快になりました。
Cat君、快調でトルクフルな走りでした。
中津峡までの勾配を、へこたれずにグイグイと登った。
今度は燃費も良さそうだ。

腹が減ったが、お昼はご馳走といかないのが辛いところだ。
コンビニのおにぎり2個と、お茶で我慢する。これも身から出た錆だ。



*フォトギャラは写真整理後、別視点・別写真・違う場所含めて後日UPします。
三峰駅の廃列車、秩父の街など・・。


プロフィール

「[整備] #エスクード 補修中に眼前でトラックが自損事故 https://minkara.carview.co.jp/userid/1110056/car/855706/8466574/note.aspx
何シテル?   12/11 11:47
眼が悪く、黒背景の文字は、読む事が出来ません。 足跡も見ていません。 以下に該当する方はフォロー不可です。 自己紹介欄に、居住地もなく、宜しくだけの方。記...
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