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2012年12月08日 イイね!

日本の航空100年 会ってきました ゼロ戦に

日本の航空100年 会ってきました ゼロ戦に会ってきました。ゼロ戦に。

航空公園は、日本初の飛行場である。
明治末期の開設で、日本の初飛行は
ここで行われたのである。




*初飛行した機体のレプリカ。ゼロ戦よりずっと大きい。
飛行時間は4分もなかったが、見学の観衆の大歓声に飛行場は包まれたそうだ。


ゼロ戦は、展示館の特別室にあった。

飛行機の常時展示スペースは狭く、練習機、ヘリコプター等がひしめいていた。
展示されている飛行機は、魂の抜け殻のようであったが、ゼロ戦はさすがまだ実働機だ。


凛とした佇まいで、見る者を圧倒する。
懐かしいような・・不思議な気持ちだった。




開戦に最後まで反対しながら、連合艦隊の指揮を執る事になった  山本五十六司令長官の言葉だ。

兵を100年養うは、戦の為にあらず。ただ平和を守る為である。

軍隊は、戦争をするために存在するのではない。
戦争を、防ぐ為に存在するのだ。 と言う意味だ。


子供達が、見学に来ていた。自分も、しばし童心に返る。

戦争が終わって以後、日本は実戦経験がない事を、誇りと
しなければならないだろう。

子供達みんなが、大きく育ちますように・・・。




実際に、飛行するゼロ戦の勇姿をご覧下さい。

*動画もUPしたので容量ギリギリです。他はフォトギャラ等で別途UPします。
なおゼロ戦の、詳細はこの前のブログにあります。

地震のお見舞いを申し上げます。我が家のある所も、震度4でした。
2階の雨どいが垂れ下がり、本日、屋根に上がり修理しました。
昨年の悪夢を思い出す長い揺れでした。
2012年12月05日 イイね!

ゼロ戦 来(きた)る 平和の翼に・・

ゼロ戦 来(きた)る 平和の翼に・・
埼玉県所沢市・航空公園に「ゼロ戦」が来た。

保存されているアメリカから。
世界唯一の実働機である。


この名前を知らないと言う人はいないだろう。

太平洋戦争・開戦前年に登場した。



速度、攻撃力、航続距離、運動性能どれをとっても、
当時世界最高の性能だった。

*飛行中のゼロ戦 吊るしているのは増加燃料タンク。
これを使って戦闘機としては常識外の2000Km以上の航続距離を誇った。
(後期型を除く)

ゼロ戦の後方についても、くるりと回転され逆に後ろに付かれて敵機は
撃墜された。

また、本体重量は現在のランクルより軽い1.8トンしかなかった。

その軽さゆえ、旋回半径も最小であった。
驚異の旋回性能を可能にしたのは、無重力状態になってもエンジンに
オイルが行き渡る強制潤滑の「スカベンジングポンプ」だった。
世界初の装備であった。


これは、ゼロ戦のエンジン設計者によって、後に日本GPでポルシェ
を破って優勝したプリンス・R380に受け継がれたのである。


そのゼロ戦の強さゆえに、米軍は「ゼロ戦とは1対1では戦ってはいけない。」
と言う軍命令を出したほどである。

米軍のサイパン島占領時に、ほぼ無傷のゼロ戦が捕獲された。
米軍は、このゼロ戦を徹底的に研究し、弱点を発見したのである。


ゼロ戦の弱点は、防御力がほぼ皆無に等しかった事である。
全てを軽量化に振り向け、搭乗員の安全性は無視した。

防弾ガラスもなければ、燃料タンク、搭乗員の座席後方の防弾板もなかった。
被弾すればたちまち火だるまとなった。(後期型ー今回公開の機体は一部
防弾板あり)

ここが、搭乗員の安全性を重視した米国と設計思想が大きく異なる点であろう。

また軽いから、逆に高速での急降下が出来ない。(無理すれば空中分解する。)

やがて米軍は、ゼロ戦対策をした新鋭機を送り込んできた。

さしものゼロ戦も戦争末期には、時代遅れとなったのである。

だが、ゼロ戦誕生時の日本の航空技術は、まぎれもなく


世界最高水準だったのである。


*ネットより転載。タイトル写真もネットより。

そしてサイパン島で捕獲されたゼロ戦こそ、今回米国から里帰りしている
ゼロ戦なのである。

丁寧なメンテナンスを受け、過去2回の里帰りでは飛行を披露した。
しかし、老朽化が進みもう無理らしい。

製造から70年も経っている栄エンジンは、今やエンジンを回す時間も
制限されるほど衰えた。

今回、展示の初めと最終2日間(来年3月30、31日)のみエンジンを動かすようだ。

子供の頃、デパートの屋上で一度ゼロ戦を見た事がある。

太平洋を席捲したこの航空兵器は、戦後も世界各地を飛んだ。

「平和の翼」  として。 


実戦がない事こそ、平和を守る戦闘機として最高の栄誉だろう。

平和こそが、人類最高の幸せである。

ともあれ、再会が楽しみで心ときめく。

実働するゼロ戦との対面は、これが最後となろう。

*興味あれば、おすすめスポット「日本の航空・発祥の地 航空公園」も
、ご覧下さい。


2012年12月02日 イイね!

近郊の不思議発見 !

近郊の不思議発見 !いまにも泣き出しそうな天気。

どんよりと雲が、立ち込めている。

今日は目的地を定めずにブラリ

途中下車の旅ならぬ、ふらりドライブだ。





1.太平洋セメント

田園地帯に、突如現れる巨大工場。
太平洋セメント日高工場である。

製品原料の石灰は驚く事に、なんと秩父市の武甲山から
23.4Kmと言う長大トンネルを通って、ベルトコンベアで
工場に運び込まれるのである。

コンベア全線が開通したのは、まだ最近の事だ。
最後の区間は、高麗川駅から引込み線で工場内に運搬していた。
この引込み線の地下にトンネルを掘り、コンベアを敷いたのだ。

引込み線敷地は日高市に寄付され、市はこの軌道跡を遊歩道に  
整備するようだ。

太平洋セメントは、日本最先端のゴミ処理システムを構築した。
そして埼玉県としては、最初に被災地の瓦礫処理を引き受けた
のが、この会社の秩父工場なのである。

次は、この工場で処理すると自治体・住民も受け入れに前向きだ。


2.不思議な お城



五層の天守閣。これは何と言う城かな?
実は、個人の住まいなのです。(驚)
自分の城と言う表現があるが、まさに自分の「城」なのである。




お城の横にはガレージと洗濯物が・・。何とも、微笑ましい風景では
ある。この城のお殿様は、どんなお方だろうか。

3.つかの間の晴れに、お宝の広場を発見

途中で、一瞬晴れ間が覗いた。
竜巻のような、不思議な雲が天に向かって伸びていた。




埼玉の平野部では、紅葉がまだ見頃だ。
もう雪の地方に較べれば、のどかなものでありんす。
ここは、江戸幕府軍が武州(埼玉)に逃れて本陣とした飯能市能仁寺。






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