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CatDogのブログ一覧

2014年07月22日 イイね!

人気のドライブロード県道53号線 後編

人気のドライブロード県道53号線 後編関東の梅雨も明けた。
道すがらのトウモロコシ畑にあった数本のヒマワリ。

連休中日の県道53号線のレポの後編です。

碧空かと思ったらコーナーを曲がると雨なんて
当日は、非常に不安定な天気だった。




前篇で、あちこち寄り道したので先を急いだ。
荒川に続く入間川上流・名栗川の清流だ。

水遊びの家族連れで賑わう河原の様子。いよいよ夏本番だ。





そして間もなく、名栗湖のある有馬ダム入り口に到着した。

入口看板に数多くの見所等が書かれているが、走行中に全て読むのは不可能だ(笑)。
左がダム方面、右が県道53号線だ。




いつの間に書かれたのか、壁画もお出迎えだ。


もう100回は、走行している道だが、看板の一部しか行った事がない。
看板にも書かれているが、右隣にもある鳥居観音を道から撮影すべく更に進む。

少しだけ進むと、山頂の巨大な観音像が見えてくる。
全高33m。それが山頂にあるから、最初に見た時は何かと思った。

写真中央の山頂に、かすかに見えるのが三体の観音像だ。



白雲山・山頂の観音像の望遠写真と、麓にある中国風寺院。
山には、中国、インド、タイ、ブータンなどにあるような様式の寺院群が展開しているようだ。



まるで、東洋各国の寺院展示場のようだが運営法人は、無宗派と言うのが面白い。
ここは北野武監督の映画「Dolls」のロケ地でもある事は、余り知られてはいない。
私は見た事はないが、モスクワ映画祭で賞を取り、かの地では大ヒットしたらしい。



写真の寺院の横から、参道を車で山頂に上れる。
拝観料は、車の場合で500円と書いてある。


元々は、埼玉銀行(現.埼玉りそな)の初代・頭取がこの地の資産家で母親を
弔う為に建てた施設だとか。

個人で、こんな巨大なものを造るとは恐れ入る。(現在は法人管理)

さて、下の説明看板と写真の中国風寺院を見て、再び名栗湖に向かう。

53号線はこの先、山伏峠を越えて国道299号線に合流する。
途中に、正丸峠・天目指峠への分岐路もある。

また天気が急変してきた。空が、どんどん暗くなる。




これが名栗湖、水が随分と少ない。奥の山の向こうは東京・奥多摩方面だ。
地元産の木材を使ったカヌー工房が有名だ。

奥には渓流釣り場や、林道入口がある。
だが、湖畔道路は土砂崩れで通行止めだった。




道路脇の名栗川(河原の写真の少し上流)で、釣りを楽しむ人がいた。




*雨雲と信号グランプリ

またもや雨が降ってきた。ここは早々に引き揚げる。
前方に、スコールのような猛烈な雨が降っているのが見える。
境が、レースのカーテンのようになっている。

そのレースのカーテンに入るとそこは豪雨だった。
猛烈な雨だ。しかし、少しすると雨の地帯を抜けた。そこは雨も降っていない。




だが、信号待ちをしていると雨雲に追いつかれ、猛烈な土砂降りを浴びせられる。

53号線沿いに雨雲が移動しているようだ。
飯能市から日高町に出たところで53号は終る。

その途端に青空がご覧の通りだ。ここでは全く降った気配もない。



*入浴と体重

ここで、市営の入浴施設に入った。秩父の時とは違い、無事に入浴出来た。

ここで体重を測れば、ついに72K台に落ちていた。
肥満度の簡便測定法の「身長-105」 と、ほぼイコールとなった。
ドライブがてらの散歩も、奏功したと思う。

20代の頃の体重に落ちた。1kg痩せると体内の毛細血管が、2Km短くなるそうだ。
当然、血圧も下がると言う訳だ。
減量して、体内の毛細血管総延長の26Kmをも縮めた事になる。

成人病のデパートと言われ、治療の為の減量に取り組んで早7年。
努力の甲斐があった。
血圧も血糖値も標準値に近づいてきた。

 
万歳!

お祝いに、風呂のレストランで遅い昼食だが海鮮丼を食べて帰宅した。
  (いつもは、おにぎり二個か昼食抜き。)

*不出来で渋い前篇は、この前です。
  しかし、全体を通せば、初めて見える景色もあります。
  
  フォトギャラは、別の視点で後日UPします。
2014年07月20日 イイね!

有数のツーリングロード ルート53  写真等追補版

有数のツーリングロード ルート53  写真等追補版県道53号線は、埼玉では人気のルートだ。

運転心をくすぐるワインディング。

沿線の観光スポット。どれも、豊富で飽きる事がない。

この道は、秩父と奥多摩の間を縫うように走っている。
天候不順の中、走ってきました。ルート53。



知らない道を、ドライブ中に一回は通る事。

とは、自分のドライブ時の決め事である。

未知なる遭遇と、発見がそこにはある。




ルート53に向かう途中のバブル期に開発された大規模団地の外れに
見つけたオフロード(実は、ハイキングコース)。
当然ながら、入口は柵で囲われ車は入れない。

この団地も、ご他聞に漏れず高齢化が進んでいる。
坂道は、若い頃は憧れだが歳を経ると苦痛に変わるのだろう。




しばし、ハイキングを楽しむ。数人のハイカーの方々とすれ違う。
「こんにちはー。」 の挨拶が心地よい。


コースを切り上げて車に戻り、53号線を目指すとまたまた気になるところが・・・。

*不思議な場所

「滝不動」と書かれた、のぼりがはためいている。
以前から気になっていた場所だ。滝は好きなので立ち寄る事にした。




入口には、普通車とバス用の駐車場と庭園があった。
その先の橋を渡ると、そこには不思議な世界が・・・。




妙にリアルな羅漢像がある。
川越・喜多院の五百羅漢像を思いだす。



だが、お目当の滝はなかった。

草生した道の途中には廃屋もあり、開発を途中で断念した様子が見て取れる。
崩落した道と、途中に置かれていた作業用のキャタピラー車。
この崩落した坂道の上に、何か施設があるようだったが進む事が出来ない。




だが、池の鯉などは丸々と肥えているし、のぼりもきれいである。
メンテは、されているようだ。

宗教的色彩の強い施設のようだが結局、何の施設か分らずじまいだった。

飯能市には、銀行頭取が母親を弔う為に建てた「鳥居観音」と言う巨大観音を
中心にした施設が名栗湖近くの山頂にあるが、これが無宗派と言うのが面白い。

滝が目当てだったのに、見られず道草を食った。再びルート53を目指す。 
今日は、とりわけ湿度が高い中を歩き回ったので、もう汗みどろである。

そしてこれがルート53、山深き快適なワインディングロードである。

先日走った東京都・桧原村の道にも似ている。




途中で見かけた歴史あるお宅。


入間川の上流・名栗川。

左正面が小沢峠。これを越えると、東京都・青梅市に出る。
奥多摩への道である。



少し先に、大名栗林道入り口があるが、近年いつも通行止めである。

雨が降ってきた。

本日の目的地・有馬ダム・名栗湖(タイトル写真)は、もうすぐである。

後編に続く。


愛車一覧の写真を、全て直近のものと差し替えました。
緑の背景に統一しました。

どこでも整備手帳も、UPしました。
エアコンフィルターは交換しましたか?
2014年07月14日 イイね!

凄いお友達と千葉の想いでと整備手帳と

凄いお友達と千葉の想いでと整備手帳と1.凄いお友達と、千葉の思い出

「ブログを拝見して自分も行って見たくなった。」
とは、コメントの常套句・社交辞令のようでもあるが

千葉のジムニー乗り・お二人は有言実行。
本当に来るから凄い。隣の県とは言え、秩父方面は
千葉県から入ると殆ど埼玉県縦断に近い。
狭い埼玉県とは言えど、優に100Kmは超す。

また、広い千葉県の移動だけでも大変だ。恐れ入りました。ありがとうございます


千葉県は、学生時代の一時期を過した思い出深い地なのだ。

千葉港のタクシー会社でバイトしたり、夏休みは鵜原、安房小湊などの海で遊んだ。

銚子電鉄にも乗って、終点の港町・外川で泊まった事も。
銚子電鉄の経営危機は、気になるところでもある。

*ネットで借りました。

また、普段の休日は京成線に乗って葛飾・青砥で友人と映画を見たりした。

卒業後は、遠距離恋愛で休みの日は朝6時に埼玉の自宅を出て、遥々八日市場
あたりまで車を飛ばしたものだ。

この恋は九十九里の波のように、はかなくも砕け散ったが・・・。

どれも、懐かしくも遠い想いでである。



*千葉市にも、お城の天守閣があったような・・。亥鼻(いのはな)城だったかな。
 これは、長野県・諏訪湖畔の高島城(おすすめスポット)。 2011.10 撮影

さて、現状では当日にならないと、遠出出来るか分らない状況だ。
事前の約束が出来ない事も辛いところではある。

先日も東京のお友達と偶然同じ場所にいたらしいが、僅かの差でお会い出来なかった。
現状では、会う偶然に期待するしかない。


この方々はじめ、低迷の時に支えてくれたお友達に感謝致します。


*緑の中、車を走らせるのは気持ちが良い。

2.整備手帳は、みんカラの創業部門

入会当初は、みんカラ前身のオートビレッジ時代からのお友達もいたが、現在は
殆どが退会されている。

企業に創業部門があるように「整備手帳」も、みんカラの創業部門だ。

自分の入会動機のひとつには、車弄りの事を書いてみたかった事があげられる。
それもドレスアップではなく、維持するのほうである。
keep it original が自分のポリシーだ。 


でも自分を含めた一般素人が出来る事は、たかが知れている。
せいぜいフロントブレーキ・キャリパーの塗装くらいまでだろう。
キャリパーまで外せる人は、少数派だろう。

しかし簡単でも、車と拘わる事が嬉しく楽しくもあるのだ。


*色んなシールが、貼られているスィフトのリアガラス。もう、どれもボロボロだ。


例えば、イオンデポジットの除去には、高価なケミカルが必要だ。

しかし、日用品で代用できるものを発見すれば多くの方々が見てくれる。
PVが多くなるから嬉しいのではなく、多くの人の役に立ったと思うから嬉しいのだ。

それも、年数が経っても検索されて読まれ続けるのである。

リモコン電池・エアコンフィルター交換方法なども、ニーズの多さに驚いたものだ。
ある意味、みんカラ整備手帳のこれが真骨頂だと思う。

今後も、月に一回位は簡単な整備手帳をUPして行きたい。




灯油をつけながらシールを剥がしている所。誠に泥臭い整備?だ(笑)。
いくらやっても剝がれない。車庫証明は、シールを車検証に入れた。

右は、お友達に教えられて、ある事を実施したら簡単に剝がれた写真。


このある事(情報とノウハウ)の公開と共有化こそが、
                みんカラ整備手帳の真髄だと思うのだ。



*私は色付背景(特に黒)のものは、読み取りが出来ませんので悪しからず。

  なお、千葉のジムニー乗りとはsinnchan(将軍)、おやじ少尉さんです。
  東京で行き会う寸前になった方は、gaku1さんです。
  整備手帳は、ぞぅさんに教えて頂きました。
  いずれどこかで、お会いしましょう。

*ネコギャラ新作は、愛車3番目ホンダトディにUPしています。  
2014年07月08日 イイね!

奥多摩周遊後編 ロープウェイや SLが走っていた昔の奥多摩 

奥多摩周遊後編 ロープウェイや SLが走っていた昔の奥多摩 1.奥多摩周遊道路

前篇の桧原村と奥多摩町は、隣町ながら間に千mを
越える山々が立ち塞がり、車の通行が出来なかった。
このため、奥多摩周遊道路が造られたのだ。
(秩父の正丸トンネルも同じ理由である。)
現在は観光道路の色彩が強いが、この道は地元の
悲願であり、1973年に開通した。



そして、1990年までは有料道路であった。

その名残の料金所があったはず(タイトル写真)だが、ないない・・・。
桧原村側にも奥多摩町側にもなかった。
前回の訪問時には、確かに両側に料金所遺構? が、あったのだが・・。

今日あるものが、明日もあるとは限らない。
自分のカメラにも一枚の写真も残されてない。


何事も、一期一会の気持ちで臨まない といけないと思った。

タイトル写真は、もう見る事の出来ない料金所跡。(東京都建設局HPより借りました。)
写真の奥多摩側が昨年12月、桧原側は一昨年撤去されたとの事だった。

周遊道路を登り始めると、対向車線は歴史的名車やスーパーカーのオンパレードだ。


*近隣に長く、放置されているケータハム?セブン。 本文とは関係ありません。

黄色のカウンタック、ロータスヨーロッパ、その後にはアメリカのコブラが来た。
コブラは、60年代の車のはずだがピカピカ過ぎる。
アメ車独特のV型エンジン音とも違う感じだ。レプリカだろうか?

国産車ではマツダ・ロードスターが隊列を組んで走行中だった。


桧原側から来て大正解だった。

こんな車達に、後ろに付かれたらドライブを楽しむどころではない(笑)。

我が車線は二輪(オートバイ、自転車)軍団が大半だ。
オートバイには道を譲り、自転車は追い越しながら快適なワインディングが続く。
しかし、周遊道路の頂上付近では一面のガスが立ち込め始めた。

周遊道路の最高地点、標高1,146 mの、風張駐車場からはガスしか見えない。
下写真.周遊道路随一の眺望の月夜見第一駐車場(標高933m)から奥多摩湖を望む。

下界では蒸し暑く30度近かったが、ここでは19度。肌寒い位である。




2.奥多摩ロープウェイ

奥多摩湖は、都民の水瓶として戦前から開発が始まり、1957年に竣工した。
そして生まれた人造湖を渡るには現在も残る、この浮橋(ドラム缶橋)を使うしかなかった。



そこに湖横断用に、一時期ロープウェイが湖上を運行していた。

その遺構が現存している。当時のままの姿で・・・。
タイトル写真のすぐ近くにPKがあり、この鉄塔が目に入る。
最初見た時は、高圧線用の鉄塔かと思っていた。これは、ゴンドラをつるすケーブルを
支える鉄塔なのだ。ゴンドラが休止して既に半世紀。
錆びてはいるが、堂々とした佇まいを見せている。







鉄塔のケーブルは、道路上の崖に消えて夏は緑で見えないが、冬は上写真の通り。
二つしかない駅のひとつ、三頭山(みとうさん)口駅だ。
右は、対岸の川野駅のゴンドラ。(下二枚は、数年前の撮影です。)

そして、湖上を運行中の勇姿が下写真(ネットより貴重な絵葉書写真を借りました。)
ゴンドラ後方に鉄塔が映る。(昭和34年前後と推測)



現在は、橋を車で渡れば1分もかからないが浮橋では1時間。
ロープウェイでも20分はかかったと言われる。

対岸の駅にはもう一台のゴンドラが休んでいる。

運行時、毎日湖上ですれ違った二台のゴンドラは、もうすれ違う事はない。


当時の暮らしの厳しさが、偲ばれる遺構である。

このロープウェイの話は、過去にもしているので、これ以上の詳細は省きます。

*私の好きな蜂谷橋。橋の赤と湖水のエメラルドグリーンのコントラストが見事だ。
対岸に渡れる橋が、完成したのはダム完成の10年以上後の事であった。




3.奥多摩をSLが走った。

奥多摩駅を過ぎて湖に向かう途中に、こんな高架橋が時々見える。
青梅線は、奥多摩駅が終点なのに・・・と最初は思った。

しかし、その奥にも鉄路は続いていた。
ダム建設の為の資材運搬の貨物線(水根貨物線)が、かつて走っていたのだ。



昔の冒険少年は崖を登り、ふらつきながらも線路に出た。

奥多摩は、長年行っているが初めて廃線跡を見た。


隧道に突入する。ヒンヤリとして気持ち・・・悪い(笑)。


そして、最後に超貴重写真を日経電子版よりお借りしました。

現役当時のSLの勇姿(昭和30年前後)です。ネットにも、おそらくないでしょう。
*起点の奥多摩(当時は氷川駅だったか?)駅に向かうSLの美しい姿。
小河内ダムの建設資材を、ダム画像のそばの終点駅まで運搬していた。
写真の高架橋は、多分全てが現存している。モノクロ・フィルム写真も美しい。



建設から50年以上経った高架橋であるが、頑丈に造られていて朽ちてはいない。
この鉄道はダム完成後、西武鉄道が買収して観光路線と考えたがマイカー主体の
レジャーが主流となり断念したようである。

しかし、この廃線跡は気に入った。今度は、ここをメインに探検したいものだ


首都圏のオアシスとなって多くの人を癒す奥多摩だが当時は秘境であった。
奥多摩に行かれた時は、思い出して下さい。
そして、現在の便利さの陰にダム建設の為に移住した6000人の村人の事を・・。
その方々の、その後や奥多摩周遊記最終編は、スィフト・フォトギャラでUP済です。
*殆どの村人が清里に移り住み ここの開発に携さわり、日本有数のリゾート地を造った。



*Swift Cat で、快適な奥多摩ツーリングを堪能出来た。 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。‥
2014年UP時比較で、文中の〇〇年前となります。2024年では、+10年して下さい。
*前篇は、この前にあります。

 
2014年07月06日 イイね!

奥多摩周遊記  緑と水の宝石 前篇

奥多摩周遊記  緑と水の宝石 前篇週末になると奥多摩か、秩父に行く事が多かった。

自宅からは双方とも等距離、むしろ奥多摩のほうが近い
かも知れない。それが、奥多摩からいつの間にか足が
遠のいて、もう二年くらいは行っていない。

みんトモさんのブログを読んで、行ったような気になって
いたのである。



広がる空が開放的な奥多摩と、山々が間近に迫り厳しい自然を感じさせる秩父。
どちらも、森と水が美しくお気に入りの地域である。

本日は、梅雨の合間の五月晴れとはいかないが、雨も上がったので久々に奥多摩へ。

今回は、埼玉県・飯能市から東京都・青梅市に入り秋川街道を進み五日市、桧原と
進み、奥多摩周遊道路に乗って奥多摩湖一周のコースとした。



*飯能市と青梅市の境にある都バスの折り返し所。日曜朝の風景。
バスの運転手用のトイレと水道があり、時々利用させてもらう。これより東京だ。

若い頃は、奥多摩を抜け柳沢峠を越えて山梨県の南アルプス夜叉神峠まで行ったものだ。
現在は、南アルプス林道は一般車は立ち入り禁止となったし、そんな元気もない。

早朝と言っても、8時に自宅を出れば渋滞には撒き込まれない。

GSでガソリン補給する。また、ガソリンが上った。レギュラーでもL・170円近い。
20Lを、もう配給のような感じでタンクに注入する。

飯能を抜けて、成木街道を走ると青梅七福神の寺がある。
以前、行った時は歌手の南こうせつ直筆のものが掲示されていた。

中々、風情のあるお寺である。家族が健康である事、平和である事を祈って出発。



青梅駅前の昭和レトロを感じさせる商店街の一軒。伊豆の踊子の映画看板がある。
もう日本に数人しかいない青梅在住の映画看板絵師が書いた看板が商店街に並ぶ。

右は、五日市に至る秋川街道の模様。信号待ちをしている時。おっと、青になった。
かつて、中曽根首相がレーガン大統領と親交を温めた日の出山荘(バイク横に看板)がある。
*この先を右折して山道を登る。今日は寄らず。



立川発・五日市線の終点・武蔵五日市駅。現在は、あきるの市である。
右は、有名な料亭の看板と廃屋。盆堀林道の入り口付近。いや、今日はスィフトだった(笑)。



道は、どんどん山深くなっていく。東京とは思えない景色が広がる。



やがて、東京都唯一の村である桧原村に入る。
奥秩父の村々は財政難から秩父市に編入されたが、観光収入の多い桧原村は
独立路線を歩んでいる。

左が、桧原村役場、写真・右手に郵便局が併設されている。
村役場のイメージとは異なる瀟洒な建物だ。

右は、桧原村の観光名所のひとつ、払沢の滝・入り口の豆腐の銘店。
相変わらずの繁盛ぶりだ。以前、最廉価のものを食べたが、プリンのように甘く美味しかった。
店の前の街道の奥には神戸(かのと)岩‐ 100mの高さを誇る一枚岩がある



この付近にはラーメン通には有名な「たちばな」がある。
毎回、🍙2個では味気ないので今日はラーメンにしようと思ったがまだ10時30分。
開店には30分もある。結局素通りした。旨いラーメンだ。チェーン店価格の倍するが・・。

日帰り温泉「数馬の湯」を通り過ぎ、隣の山梨県に出る道の分岐点を奥多摩周遊道路方面
に曲がり、進むとこの建物が出てくる。温泉一軒宿である。

蚕を飼う為に屋根の中を通風を良くする為に多層化した兜造りと言われる家である。
江戸時代に、甲州(山梨県)から入ってきたと言われる。





*林道風の枝道でのショット。周遊道路ではありません。

そして道は、奥多摩周遊道路に入る。 後編に続く

タイトル写真は、奥多摩湖の浮橋(通称ドラム缶橋)。

橋もない頃は、このドラム缶橋で対岸を行き来した。
現在も、架け替えられ観光用に残されている。(実際に人が歩いているー要・写真拡大。)

プロフィール

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何シテル?   08/12 08:43
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