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2015年07月30日 イイね!

無料UP グレード Windows10 起動!追補

無料UP グレード Windows10 起動!追補昨夜のニュースで、Windows10の配布開始が出た。

販売開始ではないのは、Windows7以降のユーザー
は無料(来年7月まで)で、UPグレード出来るからだ。

数ケ月前、初期画面にWindowsのアイコンが出現。
Windows10の、無料UPグレードの予約アイコンであった。
マイクロソフトのビジネスモデルの大転換でもある。




予約方法、UPグレード等について記述に不十分な点があったので、追記・補足しました。

以前のUPグレードでは、本体以外のアプリ(office、プリンタードライバー等)を入れ直す必要が
あったが、今回は不要だった。写真等データの格納場所も変更なくUP後の操作も楽だ。

かなりの数の閲覧があり、興味の高さがわかります。
馴染めない場合は、元(7・8・8.1)に戻せる機能も付いているようだ。

*UPグレードを考えている方は、もう一度お読み下さい。


1.導入の手順    PC任せで意外に簡単。

まずは、予約アイコンから予約をする。*無料対象PCには予約アイコンが表示される。
使用中のPCの空き領域が少なく、10の必要ファイルがコピー出来ない場合は、UPグレードは
無理と表示される。可能な場合は、予約成立が出る。

いずれも、クリックしてすぐ表示される訳ではないので、数日‐1週間程度待つ必要がある。



さてニュースを見て、そのアイコンをクリックすると、ダウンロードの準備が出来たと表示された。

ダウンロードして数時間が経つと「UPグレードの準備が出来た。」と表示される。

時間は11時。寝る時間なので後日にする事も出来たが、ここは「すぐやる」を選択。

二時間かかってUPグレードが完了。インストール開始からは合計3-5時間位か。
タイトル写真が、Windows10の初期画面である。使っていたものが踏襲される。

Windows8から8.1にUPグレードした時は、エクセル・プリンタードライバーなどが無効になり
再インストールした事が、気になっていたが10ではそのまま使えた。

バックグラウンドで数時間準備をしていたのは、そのような理由だろう。


2.主な変更点

下写真は、Windows8のスタート画面。初期画面から切り替える必要があった。
実際には、この画面は殆ど使う事がなかった。




今回の変更点では、Windowsの自社ブラウザEdge(エッジ)が目玉であろう。
*画面下の左から二番目 e の、ロゴマーク。

Webにそのまま書き込みが出来て、メールで送れたり、共有が出来ると言うもの。

現在、みんカラ用にはFirefoxが、IEより早いので使用している。

ただヤフーメールやヤフーBOXは、うまく動かないのでIE(インターネットエクスプローラー)
も使っている。*ブラウザを、既存設定にせず都度使い分けている。

私の場合は、今回Edgeへの移行はしなかった。(PCが聞いてくる。)

下は、今回復活したスタート画面。クリックで大きく展開する。
日ごろ良く使うものは、画面下に並んでいるので、電源OFF以外には使いそうもないが・。



*スタート画面右下に、派手なイラストがあるが使いそうもないので、早くもアンインストールした。

また、パスワードの他に顔認証も使えるようだが、私のPCカメラレンズにはテープを貼っている。
遠隔操作ウィルスで、覗き見が多いとの事での対策である。

また最後には
 新機能の一覧 が表示されて (写真は自動で整理・集約される等)
、すぐ使うかを聞いてくる。すぐ使いたい機能にはチェックを入れれば終了だ。

*前述のように、ブラウザのEdge(エッジ)への移行は今回、見送った。
移行しても「お気に入り」「ブックマーク」の内容は、自分で入れ直すようだ。


3.使い勝手

Windows8は、従来とは大きく異なり、操作を覚えるのに少し時間がかかった。
PCメーカーでは有料で、操作講座を設置した程だった。

しかし、今回は
 何の違和感もなく、直感的な操作が可能である。

Windows8に較べれば、非常に使い易くなっている。
詳細は省くが8.1に較べると同じ機能でも洗練され使い易くなった。
全体は7に近いようなので、7からでは殆ど違和感なく使える筈だ。



*Windows10の初期画面。壁紙は、以前のまま継承される。

上のアイコン群は、1クリックで画面に出す・消すの切り替え可能。消したのがタイトル写真。

ただ新規導入アプリも多く、それだけ重くなっている。
作業速度は変わらないが、電源OFFまでの時間は、あのビスタと変らない位に戻った。

8の時は、ビスタからの乗り換えだったので、ビスタより驚くほど早くなったものだ。
しかし、更新の度に新しいアプリも入り、次第に遅くなっていった。

今後は、不要なアプリを選別して、無効にしたり削除して速度を早めたい。
その一方で、便利そうなものは使っていきたい。



4.便利と危険は隣り合わせ   ここから下は変更なし。

WindowsのOS使用のスマホと共通OSとなり、相互乗り入れが出来るようになった。

データを、スマホと同期させたり色々な事が出来るようになった。
*スマホを持たない自分には関係ないが・・・。

しかし、スマホもPCも共通OS(Windows10)の場合は、便利だが攻撃側からも便利に
なった事を認識しなければならない。


特にインターネットバンキング・電子マネーなどは要注意である。

インターネットバンキングは、システムの脆弱性が指摘されていて、万一の場合の補償も完全では
ないようだ。インターネットバンキングについてTVで解説していた専門家も、自分の口座は開設
していない と言っていた位である。




Windows7からは、スパイウェア・ウィルスを除去するディフェンダーと言うセキュリティソフトが
標準で付いている。市販のもののように、更新料も不要だ。

上記は、ディフェンダーでスキャン中の写真である。
但し自動ではやってくれないので、自分でクイックスキャン位は、毎日やる必要がある。

スタート画面の全てのアプリの中から選び、画面下にピン止めしておくとやり易い。

今の所、サクサクと動きが快調だ。但し、8.1と同程度の速度。

PCは、
みんカラ用「写真保存・原稿作成・投稿機」です。

ウィルスに、汚染されないようにしたい。



家でPC弄っているより、こういう道を走っていたいが、何せ暑くて暑くて・・。


*こんな場所で、のんびりしたいねー。

今や、埼玉県は熱帯のような暑さである。連日、体温以上の気温が続く。
昔は東京より数度平均気温が低かったのに、現在は逆になっている。


暑中お見舞い申し上げます。

体調管理を十分にして、猛暑を乗り切りましょう。

*この所、腰痛が酷く、ドライブも出来ない・・。
2015年07月24日 イイね!

カーライフの中のレトロなものと愛車回想 軍畑鉄橋補足

カーライフの中のレトロなものと愛車回想 軍畑鉄橋補足
愛車が、殆ど登場しない私のフォトギャラ。
*特にスィフト君には御免なさい。

フォトギャラは、画像8枚の定型詩のようなものだ。
5.7.5の俳句の世界にも通じるものがある。

今回は、フォトギャラ風に書いて見ました。




1.昭和レトロなコイン洗車場

今の中国の目覚ましい経済発展は、昔の日本だ。
当時の日本の若者の夢は、自分の車を持つ事だった。

ここに、たった三台のレトロな洗車機が置いてある。
料金を見て欲しい。本当のワンコインである。
洗車機が壊れたら修理は無理だろうな と思っていたが最近1台が壊れたが修理された。


嬉しい事である。



2.昔の若者が・・・

やっと手に入れた中古車。週末になるとコイン洗車場に通い、車の手入れをした。

当時は、走るより手入れの時間の方が、みな多かった。

自分と同世代か、少し上の昔の若者が洗車している。





3-4.当時の愛車 パブリカ最終型  1200cc

パブリカ最終型。やっと普通車が中古だが買えた。既に製造は終了していた。

初期型の空冷が有名だが、これは水冷の1200cc。色は白。
それまで乗っていた軽とはパワーばかりか、内装等も雲泥の差であった。

これが本当の車だと思った。*現在と違い当時の軽と普通車は、大いなる格差があった。

パワーは当時のグロス値で、68馬力(ネット換算で約62馬力・トルク9kg‐m)だったが
車重は、今の軽より軽い680Kg前後で、現在に比べても軽快に走り、燃費も良かった。

あれから随分と時が流れたが、まだ同じクラスの車に乗っている(笑)。

福島の猪苗代・五色沼が好きで、当時はよく行った。磐梯吾妻スカイライン・ゴールドラインを
スイスイと登れて感激したのを覚えている。*当時の軽では、よく登れなかった。



*パブリカ・サニーともに、ネット画像より借りました。



パブリカ廃車後に乗ったサニークーペ。(写真とは違い、内外装ともオンボロだった。)

当時の乗用車は、殆ど後輪が四駆のようにリーフリジッド(板バネ・固定軸)だった。
このサニーも、サイズ・パワーともパブリカと同じだった。

同じリーフリジッドながらサニーは、未舗装路でもバタつかない脚だった。
対するパブリカは、バタついた。だが内装は、パブリカの方が遥かに上質に見えた。
サニーのインパネは隙間が多く、内装仕上げはトヨタに較べて雑であった。

当時は、トヨタ・日産の二強時代で、両社のシェア差は10%以内だった。


5.パブリカの形見       車載工具の向こうに時代が見える

このパブリカも、免許取立ての未熟な運転者(自分)により事故で廃車となった。
購入後、僅か1年の寿命であった。

下は、直近のエスク・パーツレビューの写真を、トリミングしたものだ。




左のパーツが、当時の車載工具と共に付いていた。
「輪留め」である。パンク修理の際、使うものだが製造当時の道路事情が分かる。
最も、自分の購入時には、幹線は全て舗装されていたが・・。

現在は、エスクのトランクに入っている。



6.スィフトの洗車

梅雨入り以来、初の洗車だ。雨に晒されて、ルーフなどは水も弾かなくなっていたので、
ガラスコートをボンネット・ルーフ・バックドアの上部に施工した。
前回施工は4月中旬。連日の雨の中、三カ月持ったのは上出来だろう。

キャブレター仕様の昔の車は、十分な暖機運転が必要だった。
天気によって、エンジンの吹けも変化した。現在はその点、ばらつきがなく楽である。

しかし、CPU(ECU)はどの位もつものなのだろうか?
山手線の大量の電車の、CPUが狂ったのが数年前。25年位経過したCPUらしい。

また皇室のセンチュリーも、その頃やはりECUが狂い、修理に出されている。



このコイン洗車場は、通りに面していないので、知られていない。

子供時代なら
「僕たちの秘密基地」とでも、呼んだであろう場所なのである。

しかし、洗車・ガラス樹脂掛けも、昔の半分以下の時間しかかけないようになった。
メンテの頻度も、昔とは比較にならない位少ない。


車の位置付けが、昔とは大きく変化したからだろう。

7.LEDランタン     偶には希望の灯も・・

最近、購入したLEDランタン。意外に明るい。

スィフトはオーディオレスで購入し、後付けで純正オプションのケンウッド(現・JVCケンウッド)にした。
CDプレーヤーと、製造中止になったMDプレイヤーが付いている。
このレシーバーも、レトロの仲間入りである。




8.奥多摩の軍畑鉄橋    脳裏の光景は?

前回の軍畑鉄橋だが自分が最初に出会った時の、高い橋桁の迫力が感じられない。

自分の、脳裏の光景と違うのだ。その場所を探してネットを、検索するとありました。

迫力ある、最初に出会った場所からの写真が・・・。
①特徴ある橋脚が、ふたつ映っている事。
②道路の下から伸びている橋脚の高さを感じられる事。

*下画像二枚はネットよりお借りしました。自分で撮影後、差し替えます。
自分で撮影したものより、ずっと迫力があると思う。
一番最初に見た頃は、建物も平屋があるだけで橋脚が全て見えていたと思う。



このブログを、リンクして頂いたgaku1さんのお気に入りのアングルも、多分この場所であろう。(ドランク天使さんにもリンクして頂きました。)



もう少し坂を下れば、この場所に出たのだが・・・。帰宅して気が付いた。


しかし、梅雨明けしてから連日の猛暑。1週間も経たないのに早くも夏バテだ。
2015年07月19日 イイね!

奥多摩に余部(あまるべ)鉄橋あり 写真追加

奥多摩に余部(あまるべ)鉄橋あり 写真追加東の信越本線・碓氷峠のめがね橋と並んで有名だった
、山陰本線の余部鉄橋。
*東北の石造りの銀河鉄道のモデルの橋も素晴らしい。
惜しまれながら取り壊されて、新橋が架けられた。

めがね橋の橋脚は煉瓦積、余部は鉄骨の橋脚である。
双方とも明治時代に造られていて、明治の気概を感じ
させる建築物になっている。



余部鉄橋は、橋桁が鉄骨製で、トレッスル方式と言うのだそうだ。
朝、余部鉄橋の写真を見ていたら、どこかで見た光景だった。


そうだ、前回・エスク&スィフトフォトギャラでUPした奥多摩に、それはある。

今回フォトギャラには、いつもにも増してお友達以外のイイね!も多く頂きました。

ここで改めて御礼致します。
以前も書いたがスィフト乗りには、本当に黒背景の方が多い。
黒背景・極小文字は読めないので、御礼も出来ませんが、悪しからずご了承下さい。

本日は、この余部鉄橋に似た
鉄橋の写真を撮ってくる事にした。

先ずは飯能市に出て、小沢峠に向かう事にした。

飯能からは、初めての道を見つけてそこを走った。
名栗川沿いの景色の良い路だった。




走るうちに、林道の風情になるのは、いつものパターン。
この辺りは、どの林道も似たような雰囲気だ。金太郎飴のようだ。



上記道の横には名栗川がある。台風の影響で、今日は清流とはいかない。
消防車が数台、空き地に駐車して川ではこの風景。消防団員のラフティング訓練だろうか?

下は、川辺にあった弁財天を祀るお寺。徳川幕府から俸禄を頂いていた事が書いてある。
つまり、徳川幕府の直轄寺であったと言う事になる。
しかし、その禄高は僅か5石で、寺の維持も厳しかっただろうと思われた。


*江戸時代、住職が検校(けんぎょうー盲目公務員の最高位)になったとも書かれている。

やがて、東京都道53号から埼玉県道53号に変るこの交差点に出る。

直進は、県道53号で有間ダム・秩父市に至る。
左折は、小沢峠を越えて青梅市・奥多摩町に至る。

この交差点には、3週連続で来た事になる。今日は、左折して奥多摩方面に出る。




標高約450mの小沢峠を貫く小沢トンネルとスィフト。
埼玉側は急勾配が続く。急坂ではマニュアルモードが活きる。



またトンネルがある。
ここを越えれば奥多摩街道に続くのだ(スィフトフォトギャラ画像1‐奥多摩の橋々)。



*車内からの画像は全て停止して撮影。

目指す橋の手前の旧道には、こんな昔ながらの駄菓子屋さんが・・・。


そして下り坂の途中に存在感ある、その鉄橋は姿を現した。

青梅線・奥沢橋梁 通称・軍畑(いくさばた)鉄橋である。



軍畑鉄橋は全長105m。完成は昭和9年。橋桁の構造が、余部と同じようだ。
こちらは、建設後86年。今なお現役の橋梁である。

山間の急坂の途中にあるので、橋が見える範囲が狭く、撮影には苦労した。
全体を俯瞰できる場所もない。側道に入ったり、坂を登ったりして撮影した。


だが、改めて見れば素晴らしい橋である。

以前から、どこかで見た橋だと思ってはいたが、余部鉄橋であったか。
ここを通るたびに感じた心のモヤモヤが、晴れた日となった。



下は、明治45年に完成した余部鉄橋建設中のものである。
*余部鉄橋の下二枚の画像は、ネットから借りました。

全長は310m、高さは41.5m。完成当時は、東洋一の規模の橋だった。
写真に写る、明治時代の集落の、建物様式も興味深い。



完成後の近年の姿。単線の鉄橋である。人家の密度も、明治時代と変わらぬ感じだ。



坂をあちこち移動しながら撮影した。その中で雰囲気が伝わりそうな3枚です。

帰りはいつもの場所で日曜恒例・海鮮丼、いや今日はマグロ丼を食べて帰宅。

一昨日から猛烈な暑さだ。ついでに風呂にも入って汗を流した。


「関東地方が梅雨明けしました。」

との放送を、帰宅途中の車内で聞いた。
いよいよ夏本番か。

2015年07月12日 イイね!

山里にバブル遺跡発見 ルート53 快適ワインディング

山里にバブル遺跡発見 ルート53 快適ワインディング
ようやく、雨が上がった。
やや霞がかっているが、久々の太陽だ。

今日は名栗湖の奥から出ている、もう1本の林道を
走りたい。飯能から県道53号に乗って名栗湖に向かう。

*タイトル写真は、名栗湖入口にある、さわらびの湯。
 建物の形からUFOの呼び名もある。



名栗川沿いに快適なワインディングロードが続く。


青梅市に出る小沢峠への分岐路を過ぎると、名栗湖はもうすぐだ。

有間ダムの堰止湖が名栗湖である。
今日は大勢のハイカーが歩いていた。

途中のカヌー工房でも会員たちがカヌーを造っている。
湖奥の渓流釣り場の駐車場もほぼ満車の盛況であった。



湖畔道路にある滝には、今日は小さなカメラマンが・・。


1.林道

先週は、釣り場を右折して有間峠へ向かったが今日は直進する。
大名栗林道や有間林道経由で、先週と同じ道に出る筈なのだが。

しかし、1Km程走ったところで二本の林道とも封鎖されている。
しかも、チェーン等で固定されている。



左が大名栗林道への分岐路。右は滝の入線と書いてあるが、有間林道の筈だが。


昨年来た時は、右にはゲートがなかったが・・・。丸太で、ガッチリと固定されている。
林道レポは諦めて退散する。

草原に休む我がエスクDog。先週の小雨の中の走行で泥だらけだ。



2.山間の集落に うたかたの夢の跡を見た。

名栗湖を出て、再びルート53へ戻り、秩父方面へ。
途中から、先週も走った天目指峠を越える事にした。

峠を越えて、つづら折れが続く。コーナーを、曲がるエスク。



この地点に、写真の公衆トイレがある。

石積みの立派なトイレだ。地元の方々の旅人への心遣いが感じられるトイレである。



この集落の風景。橋には何と家紋がある。写真に見えるお宅の家紋らしい。
つまり、自費で橋を架けたと言う事か?



この風景のすぐ先に、以前から気になっていた場所がある。ここだ。
前の道路は、林道規格で1.5車線もない。四輪同士のすれ違いも難しい。



路肩に車を停めて、階段を上がって見た。こんな光景が、目に入ってきた。


ここは、戦時中の防空壕だろうか? いや違う。穴は、車のガレージなのだ。
ここは、分譲住宅の予定だったのだろう。


実際に、この先に同じ地形の建売住宅群が二箇所ある。
ここは、第三期分譲にするつもりだったのだろう。

バブル期、住宅はどんどん値上がり、こんな山奥でないと庶民には手が届かなくなっていた。


それにしても、周囲の自然とは似つかわしくない光景である。
サラリーマンが、職場に通える場所とは到底思えない。*別荘でもない生活住宅群だ。

ローンを組んで払えなくなったら、(家を)売ればいいや と皆ローンを組んだ。
*価格がどんどん上がっていたので、ローンを払えなければ売って差益を出す。

また銀行も、どんどん貸した。

皆、泡沫(utakata)の夢に浮かれていた。ここは庶民の夢の跡である。


バブル時代の遺跡である。



そしてバブル抑制の為、不動産融資規制がされてバブルは崩壊。
日本の歴史上、初めて土地の価格が下がったのだ。それも大暴落となった。
ここを分譲するつもりだった不動産会社も、倒産したのだろう。

いつも割りを食わされるのは、我々庶民である。

現在は、購入時の20‐30 % 程度の相場だろう。
金利を含めて当時住宅を購入したものは皆、大損をした。

バブル到来の前にローンを組んだ人々は、浮いたお金で株式投資。

やはり、大損をした方々も多い。財産を全て売っても数千万の借金が残ったなんて
方々も、自分の周りにも結構いた。*自分も後に仲間入りしかけたが。



しかし、バブル崩壊後でも日本のGDPは停滞したが、殆ど落ちなかった。
失業者も、巷には溢れなかった。
政府が、公共投資等の財政出動を毎年行い、一定の雇用を維持したからだ。

だが、そのつけは1200兆円と言う天文学的数値の国・地方自治体の借金となった。

結局払うのは、我々庶民なのである。

自分にとっては、給料より物価の上昇が激しく、暮らしにくい時代だった。
*当時の住宅ローン金利は何と年8.8%であった。払えども元本は減らなかった。
恩恵を受けたのは、一部の人々だろう。


懐かしい時代とは思わない。金さえあれば良いなんて時代だった。

現在のほうが車で走り、自然に触れる事で以前よりは、心豊かになった気がする。
身体を壊した事も、大きな転機となった。

お金はとても大事なものだが、それが全てではない。
健康と心の財が一番大切と自分は思う。

この遺跡もまた、そう教えているようだ。 バブルを知らない世代への伝承である。

帰りはいつもの所で、恒例・海鮮丼を食べて帰宅。全く1週間が早いなあ。


先週から続けての名栗湖通いで、撮った写真は200枚。
紹介しきれなかった珍しい場所や建物は次回、フォトギャラにて。

2015年07月10日 イイね!

オンロード?からオフロードへ  180度の方向転換

オンロード?からオフロードへ  180度の方向転換法事の為、久々に電車に乗って池袋へ行った。
通勤していた頃の東武線は、池袋が終点であり
埼京線が、新宿・大崎を抜けて新木場まで行っていた。

到着した電車は、何と「横浜中華街・元町」行きだった。

銀座・新宿・渋谷・有明など現在は、都心の主要繁華街
に、乗換なしの直通で行けるようになった。
*タイトル写真は、浜松町‐羽田の東京モノレール。


だが、全域に行けるようになってから、どこにも行っていない と言うのも、皮肉なものだ。



1.池袋サンシャイン60

ほんの30分足らずで池袋に到着した。

サンシャイン60は、東京都庁が出来るまで20年間、日本一の超高層ビルであった。
*その後、横浜ランドマーク・大阪あべのハルカスと続く。

場所は駅から徒歩10分。旧巣鴨プリズンの跡地に立つ。
東条英機などA級戦犯が処刑された場所でもある。

右がプリンスホテル、左端の青い丸いビルはトヨタショールームである。



このサンシャインのすぐそばに、我が家のお墓がある。

私は、いわゆる「ブクロ生まれのブクロ育ち」(正確には・・の近くだが)なのです。
*池袋・三越(現・山田電気日本総本店)の屋上には池袋が沼地だった時代の沼の
神様(大蛇)を祀る神社があった。今はどうなっているのだろう?)

三代続く江戸っ子だったが、埼玉に越した時点でその資格は喪失した。

元・勤務先の本社も、この近隣にあり、何かとご縁のある場所なのだ。

墓のそばには鬼子母神がある。丁度夏市をやっていた。
下町の縁日は、風情がある。

雨でもあり、カメラを持参しなかった。都会の写真は、全てネットから拝借です。

若き日の手塚治虫・赤塚不二夫などの、そうそうたる漫画家が住んだアパートもすぐ傍にある。




そして、お墓とサンシャインの間には、見慣れぬ超高層ビルが出来ていた。
先日、ニュースでも放映された豊島区役所である。右手は、サンシャイン60。

下部が市役所、上部が民間用マンションに分譲されたビルで区民の税金を使わず
に建てた超高層ビルとして話題になった。



法事を終え、都会の雑踏の中を駅まで歩く。雨が少し強くなって来た。

墓地から幹線道路までは、曲がりくねった細い道だが、身体が道を覚えていた。
何も考えず全く迷わず駅に出て、電車に乗り、帰路に着いた。

いつも、フラフラしているお山の半分の時間で、池袋に着くが疲れは二倍以上だ。
お山から帰る時の、リフレッシュされた心とは随分違う。


2.180度の転換

「初めての道を行く。」とは、現在のドライブにおけるモットーであるが、サラリーマン時代は、
オンロードの初めての店に行く  がモットーだった。

夜行性の蝶が飛ぶ店も多かった。
○○も健康も顧みず、そんな事をやっていて身体を壊し休職‐そして退職。

退職して病気療養、起業そして廃業  と、目まぐるしい生活の変化であった。


そしてカントリーロードに、安らぎを見つけた。

秩父・奥多摩に(車で)行き始めたのも、40を過ぎてからだった。

法事のお坊さんの講話で「いくらお金があっても、健康でなければ意味がない。」

健康を損ね、働けない時期を過した者には、より心に沁みる言葉である。


「物の財より心の財が一番。」 

喰うや喰わずの生活では、心の財も成せないだろうが、何とか生活が出来れば
心の財は、創る事が出来る。*物の財も、あらかた無くなったので・・(泣・笑)。

ここから下は、自分の写真となります。上の、プロの写真とは較べないで・・。

高層ビルより山中の集落が好きだ。
名栗湖そばの旧道にある、手入れされた廃屋。



都会の雑踏より、緑の中の林道。


カフェより東屋 

*自分の学生時代にもカフェと言う呼び名は有ったが、大正時代の言葉で古臭いと
云われて喫茶店と言った。 言葉も巡り巡って、また喫茶店の時代が来るだろう。



一般の舗装路にも素敵な道が・・・。飯能市の丘陵地帯の並木道。


現在の林道は、四駆だけのものではない。スィフトでも、気軽に行けます。


みんカラ会員の共通項は、「走る事が好き。」であろう。
運転マナーの悪い者にも怒らず、いらつかないようにありたいが・・・。
といつも思うだけだが・・? この高みに、いつかは達したい。  


走る度に、心の財を積み重ねよう !  
諦めなければ、必ず報われる。心豊かなカーライフを。


*法事の後は、総合癌検診。全ての検査項目が終り、先程帰宅しました。
 いやあ、疲れた。下剤を飲んで自宅待機中(笑)。

 久々にエスク整備手帳もUP予定です。出たらね(笑)。

 実はこれから大変な事になり、UPが今朝(7.11)になりました。
 今度はスィフトにUPしてしまう。書き直ししています。トホホ・・・。

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