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#通貨について:この旅行記では、ニュー台湾ドル(新台幣)を“元”、日本円を“円”と表記しています。なおこの旅の段階での為替は1元≒2.6円を目安にしてください。
● “台北の原宿”こと西門町へ
北投温泉での入浴を終え、台北市内へと戻り、“台北の原宿”とも呼ばれる西門町へ。
見ての通り、日本で言うところの原宿・渋谷と言った街で、台湾におけるファッション・サブカルチャー・オタク文化の中心地になっているとの事。
ちなみに元々は日本統治時代に日本人向けに発展した繁華街で、西門“街”ではなく、西門“町”と書かれているのがポイント。
日本語では「街」も「町」も似たような意味合いで使われているものの…
中国語では「町」に「town」の意味合いは無く、「田畑の境界のあぜ道」という意味になってしまうため、「西門町」という地名は日本統治時代の地名ということになるのである。(中国語で書くなら「西門街」となるはず)
但し実際には中華民国による接収後に住所表記が改められ、現在では住所表記上は「西門町」という街(地名)は存在しないのだが、この地域一帯を示す愛称として今日でもこの名前が使われ続けているということらしい。
そして台湾最後の夜はこの街で夕食をとることにして…
近代的な街並みで、ついつい日本にいる気分になって、こんな店にフラフラと
入っても良かったのだが、つい二ヶ月前に香港で“海外の吉野家体験”をしており、香港の店舗とそんなにメニューも変わらないようなのでスルー…と、言うか、帰国前日にわざわざ吉野家でも無いだろう。
そして「台湾らしいお店」ということで、有名店でもある「鴨肉扁」というお店へ入店。
「鴨肉扁」という店名にも関わらず、鴨の肉は扱って居らず、実態は「ガチョウ専門店」。
何でも昔は鴨専門店だったのだが、鴨の固さや癖を嫌う人向けにガチョウを提供し始めたところ、こちらが名物になってしまい、いつの間にか鴨を止めてガチョウ専門店になってしまったとのこと。
有名店にもかかわらず、日本語は全く、そして英語も殆ど通じない店で、ゼスチャーと中国語の単語だけでオーダー。
先ずは「麺」(小麦麺)か「ビーフン」(米麺)かを訊ねられ、麺類が運ばれてくる。今回は「麺」をチョイス。
もちろんスープはガチョウから取ったスープ。ちなみにお値段は50元(≒130円)。
そしてゼスチャーで、「肉は要るのか?」と言ったことを訊ねられ、もちろんオーダー。
ガチョウの燻製で、お値段は100元(≒260円)と台湾にしては高級な料理。
まあ日本円で考えるとそんなに高くもないのだが、台湾の物価になれると、この100元というのがとてつもなく高く感じてしまうのもまた事実。
味の方は、柔らかさの中に、燻製らしい歯ごたえと香りが同居しており、また皮の部分のうま味も楽しめてナカナカ。
但し骨抜きが少しいい加減で、食べていると直ぐに骨に当たってしまうことだけが残念だろうか。
あとこの店でユニークだと思ったのは、メニュー立てのような金具を「割り箸袋置き」として使っているところ。
台湾の割り箸は必ずこうした袋に入っており、清潔な反面、あちこちに袋が飛んでしまって厄介なのだが…なかなかユニークなアイデアでなかなか素晴らしい。
(そしてこの金具をきっちり使って、袋を散らかさない台湾の人々も流石)
更に他の牛肉麺の店へもハシゴして、更に台湾グルメを満喫。
この店には日本語メニューもあり、「揚げ豆腐の中華煮」というメニューもオーダー。
しかし中華煮とは言いつつも、完全に日本的な味付け。
台湾の食文化は日本の影響が強いので、一週間滞在していても「日本食が恋しい」などという事も無い。
そして近代的なビルの並ぶ西門町の一角にレトロな煉瓦造りの建物を発見。
何でも日本統治時代の市場として作られた建物で、今でも西門町のシンボルとして残されているとのこと。
内部には簡単な展示コーナー(日本語解説あり)もあり、当時の写真なども展示されている。
日本統治時代は、日本人向けの市場として、また映画館が多く、台湾における芸能の中心地として栄えたとのこと。
そして現在でもオシャレなショップなどが内部で営業中。
中には縁起物の切符やキーホルダーなどを扱う、鉄道系のショップも
但し「鉄道系」とは言っても、いわゆるグッズショップではなく、縁起駅名の切符やキーホルダーなどが中心で、なかなかオシャレな雰囲気。ここでお土産用に縁起駅名の切符などを購入。
● “スネ夫号”に乗車
こうして西門町の散策を終え、台北駅近くのホテルへと戻る。
宅急便のトラックを横目に見て(現地企業がヤマト運輸からのライセンスにより営業)
ビルの谷間に日本統治時代の建物があったり
日本統治時代以前に存在した台北城(日本による再開発のため棄却)の数少ない遺構を眺め
ホテルの客室へと落ち着く
中級ホテルで、客室が狭かったり、眺望がないなど、決して豪華ではないのだが…
リーズナブルな価格と、台北駅へ徒歩圏内という立地、そして流暢な英語を話す親切なスタッフ(道順など色々とお世話になった。更に一部のスタッフは片言の日本語も話す)…と、ナカナカ穴場なホテル。
すっかり気に入ってしまい、この4ヶ月後にバンコクへのトランジットで台北に滞在した際もこちらのホテルを利用した次第。
そして朝食バイキングも豪華ではないが、ツボを押さえた献立でナカナカ。
中華粥を中心に、お粥とのマッチはもちろん、日本人の口にも合うおかずが揃っているのが嬉しいところ。
(お粥そのものも香港と違ってジャポニカ米なのも嬉しい。)
しかもスタッフがこまめに料理の補充やテーブルの拭掃など行っており、気持ちよく食べられるのもポイント大。
そして最終日は昼のフライトなので、チェックインや出国手続きの時間を考えると、ホテルで焦らず朝食を取って出発するとちょうど良い時間。
これで台湾ともお別れ。
駅へと向かう途中の本屋に張られていたポスター
※諸事情により写真を削除しました
「特別収録 酒井法子給台湾読者的 真情告白」などと書いてあるが…
ここ中華民国も、大陸と同じくアヘン戦争の記憶から薬物には厳しい国。
実際、桃園空港には「中華民国へ薬物を持ち込むと、死刑もあり得るぞ!」と言った文言が目立つように書かれているわけで…
何を考えているのか知らないが、下手に彼女がこの国で復活してしまうと、「日本って、薬物にはマンモス寛大で~す!」などという誤ったメッセージを送ってしまいそうで怖い。
そしてリムジンバスで直接空港へ向かっても良かったのだが、多少時間に余裕があるので、一般の交通機関を乗り継いで行くことにする。
まず台北駅から板橋駅まで、区間車(普通列車)で移動。
ちなみに板橋駅というのは、東京で言うと上野駅のような駅で、台湾高速鉄道の開業当初の始発駅でもある。
そしてやって来た列車がコレ。
EMU700型という電車で、ユニークなルックスから「阿福号」と呼ばれている車両。
ちなみに「阿福」というのは、ドラえもんの「スネ夫」の中国名であり、日本語で言うと“スネ夫号”ということになるのだろうか。
しかし見ての通り、あまりに強烈なルックスで…
現地で買い求めた「台湾鉄道文化志」という本には
「完全無視火車線條流線形設計概念的台鉄通勤電車塗装、為典型的失敗代表作。」(大さっぱに言えば「ラインと塗装が変」という事か?)とまで書かれている有様。
ちなみにこの本では、台湾の鉄道文化(車両、閉塞から、時刻表、駅弁に至るまで様々なテーマ)を、日本の鉄道文化との比較で扱われており、
(これはこれで興味深い書物なので、また改めて紹介したいと思う)その中でN700形は
「是超来超奇特余怪奇」(「超エキゾチックで、超奇妙」と言うことか?)との事。もちろんこの後に機能的な意味合いについての補足はしっかりされているのだが。
で、「何処の国で作った車両だよ、コレ?」などと思っていると、何と
日本製…(正確には初回納車分のみ日本製で、それ以後は台湾でのノックダウン生産)
しかも納入に関わった日本の某商社が「日本で実績のある通勤電車をベースに、交流化した車両…」などと書いているではないか。
「日本にこんな不細工な車両は無いぞ!」と思っていたのだが、何とベース
JR東海の313形との事…
313形自体はJR西日本の221・223・225形と並ぶ、快適で良くできた通勤電車だと思うのだが…このあまりに恥ずかしいデザインだけは何とか出来なかったのだろうか。正直こんな車両が「日本製」だとは思われたくない。
しかし車内は、何となくではあるが313系の趣がなきにしもあらずのような気もしなくは無いような感じも全くしないというわけでもない(笑
そして板橋駅で台湾高速鉄道(台湾新幹線)に乗り換えて桃園駅へ
高鉄の乗車体験については
以前に記載しているので割愛するが、1駅だけなので自由席で十分…と思ったのだが、ガラガラの指定席に対し、2両しかない自由席は満席で立ち客もいる有様。まあ1駅だけなのでデッキで過ごすことに。
更に高鉄桃園駅からは連絡バスで桃園空港へ。近いうちに桃園にもMRTが開通するとのことで、鉄道で直接桃園空港までアクセスできる日も近い様子。
● 台湾との別れ
こうして台湾での全行程を終え、台北桃園空港へと到着。
チェックインを終え、まだ時間があったので、フードコートで最後のランチ。
まあ、ここ桃園空港の食事は「高い」と評判で…実際、台湾の市価から考えるとビックリするほどの金額。
正直、直ぐに機内食が待っているわけで、少し迷ったものの…結論から言うと、食べておいて正解。
そして空港内にある、故宮博物院のサテライト(?)に立ち寄り
特に文化財そのものが展示されているわけではないのだが、VR的なお遊びで所蔵品の世界に触れられるという趣向。
まあ、正直「お遊び」程度なのだが…今回の台湾の旅で、故宮博物院はもちろん、一般的な観光的な要素が全く無かったので、一応これで「故宮博物院を訪問した」と言うことに…と言うのは無理があるだろう(汗
そして出発ゲートへと向かうわけだが、定刻12:50分発の大阪(関西)行き中華航空機は、出発が13:20に変更。ゲートで待機することに。
ようやくB747-400に搭乗。
スカイチーム加入を記念した特別塗装機で、内部のリニューアルも行われており、往路に搭乗した同型機よりも数段快適。
(搭乗体験や、機内食については、往路でまとめて書いているので割愛)
そして定刻より随分と遅れてスポットを離れたかと思いきや…
直後に桃園空港の滑走路が閉鎖になり、そのまま誘導路で待機。しかも一時的なものではなく、滑走路の点検などで完全に閉鎖されてしまい、誘導路上でドリンクサービスまで始まる始末。
結局、滑走路での離発着が再開したのは15時過ぎ。しかも誘導路上に多くの飛行機が待機し、更に着陸待ちの飛行機もあったわけで、離陸までの順番待ちもあって、実際に離陸できたのは15:20頃と、約2時間もの間待機していた事になる。
(どうも私は桃園空港との相性が悪いようで、かなりの高確率で「離陸待ち」「着陸待ち」を体験することになる。実際この4ヶ月後には
バンコク→台北線で桃園空港に着陸できず、高雄上空をグルグルと旋回し続ける羽目になってしまっている。)
そしてようやく離陸したと思えば…
僅か1時間後には九州上空。

※日本と台湾の時差は1時間なので、到着地(日本)が17:22なら、台湾は16:22
但し雲が厚く、日本の地は未だ見えず。
東行きの飛行機は速いとは言え、台湾と日本は驚くほど近いのである。
まあ考えてみれば、異国とは言っても、
与那国島のすぐ隣な訳で、絶対的な距離も近いのである。
結局、飛行時間よりも、離陸待ち時間の方が長かったというオチが付いて、飛行機は無事に関空に到着。
そしてラッシュの逆行となるよう、リムジンバスで少し遠回りして、上り列車を利用して自宅へと向かい、今回の旅も無事に終了したのだった。
台湾一周・鉄道文化を訪ねる旅 報告<完>
最後に
全20編、写真850枚オーバーの「台湾一周・鉄道文化を訪ねる旅」にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
僅か1週間の旅にも関わらず、このボリュームになってしまい、しかも1年近くに渡る長期連載、更に途中の中休みも多く…毎回読んでいただいている方には本当にじれったく感じられた事と思い、申し訳なく思っております。
しかし毎回、興味を持って丁寧に読んでくださり、更にコメントやイイね!を頂戴し、そうしたやりとりを励みに、楽しく作業を続けることが出来ました。皆様には本当に感謝しております。
ただ「台湾一周・鉄道文化を訪ねる旅」という、壮大なタイトルを付けてしまったことは少し反省で…
どちらかと言えば、「公共交通で台湾一周することで、とりあえず旅の感触を確かめてみる旅」といったほうが正確で、今回の旅を通じて台湾の交通事情や、宿、食事、その他旅のノウハウをようやく掴みかけた…そんな旅だったかも知れません。
しかも“鉄道文化”と掲げておきながら、
台湾原住民文化園区や、
温泉など、明らかに鉄道とは関わりないスポットも多く、旅のテーマから逸れて「NEOCAが行きたいところへ行っている」事が多く、読んでくださっている方には「そんなの興味ないよ」と言われそうではあるのですが、この点に関しては「プロの旅人」ではなく、あくまで「個人旅行」ということでご容赦いただきたく思います。
今回の旅の最大の成果は「台湾(特に地方)の勝手がわかった」こと。
実際
4ヶ月後のバンコクからの帰路のトランジット滞在でも、短い時間で効率的に動けていた訳で…
また鉄道以外にも、温泉、食、日本統治時代の産業遺産、台湾原住民…色々と興味深いテーマの一端を垣間見ることが出来、次回以降の旅でも、こうした中から何か軸となるテーマを設定し、今回身についた(?)“台湾の旅のノウハウ”を活かして、楽しい旅が出来そうな自信すら感じています。
「鉄道文化」という意味でも、まだまだ突っ込んだ探求が出来そうですし、何より台湾は日本と距離的にも、文化的にも、予算的にも、精神的にも近い国でもあるので、もっともっと台湾に足を運んで、いろいろと探求してみたい…
今回の旅は、そんな今後の足がかりとなるであろう旅だったのでは無いかと思うところです。
最後に、重ねましてではありますが、長きにわたるお付き合い、本当にありがとうございました。
2012年10月28日 NEOCA