宇部興産専用道路(うべこうさんせんようどうろ)は、山口県宇部市から同県美祢市に至る宇部興産の専用道路である。正式名称は、宇部興産 宇部・美祢高速道路(うべこうさん うべ・みねこうそくどうろ)。全長28.27kmに及ぶ、日本一長い私道である。
宇部市大字小串の宇部興産宇部セメント工場から美祢市伊佐町伊佐の宇部興産伊佐セメント工場までを結び、伊佐石灰石鉱山で採掘した石灰石と、伊佐セメント工場でつくったセメントの半製品クリンカーを専用トレーラーで運搬している。
後述の通り、かつてこれらの輸送には国鉄美祢線を利用していたが、昭和中期から後期にかけての国鉄の度重なる運賃値上げや労働組合運動激化によるストライキ頻発により、拠点間輸送の効率化と安定化の必要に迫られた結果として建設された経緯がある。
私道であり、道路通行を事業としていない(=工場構内などと同じ扱い)ため、道路運送法・道路交通法・道路運送車両法の適用を受けないことから、使用されるトレーラーは専用道路向けの専用仕様でありナンバープレートを取得していない。また、これらの法規に基づかないため、舗装方式や幅員等の規格が一般の道路と異なっている。(Wikipediaより引用)
もちろん“専用道路”の名が示すとおり、一般人が普通にドライブすることなど出来ない道なのだが、
宇部・美祢・山陽小野田産業観光推進協議会が企画する「産業観光バスツアー 大人の社会派ツアー」の1コースとして、この専用道路をバスで走って見学することが可能となっている。
今回は宇部市交通局主催の「セメントの道」というコースに参加し、この宇部興産専用道路を訪問することとなった。
なおこのエントリーは、
「マツダミュージアム」からの続きになります。
新山口駅から真っ黄色の電車で厚狭駅へと移動。
本当は厚狭駅近くで宿を取っても良かったのだが、新山口駅近くの方が、宿も多く、競争原理が働いた価格設定になっていたので…
厚狭駅前には既にバスが到着しており、ほぼ満席。
このツアーは、山口宇部空港で東京発の第一便飛行機から接続し、宇部市内の主要駅や停留所を経由し、ここ厚狭駅が乗車場所となっている。
また帰路は東京行きの飛行機に間に合うように山口宇部空港へと戻り、往路と同じく宇部市内を経由し、厚狭駅が終着となっている。
とは言え、東京から日帰りが可能
(本当に日帰りする人もなかなか居ないとは思うが)なスケジュールが組まれているため、全体的に少々無理のある行程であることは否めないのもまた事実なのだが…
このツアーは宇部・美祢・山陽小野田産業観光推進協議会が企画しているものの、実際の主催は宇部市交通局と船鉄バスという2社が輪番で担当しており、今回は宇部市交通局の主催。
ツアー申し込みは、協議会のホームページから可能であるものの、折り返しの連絡は主催会社(今回は宇部市交通局)であり、実際の手続きや、料金の振り込みなどは主催会社とのやりとりとなる。
で、“市交通局”と言えば、とにかくネガティブなイメージがついて回ってしまうのだが、ここ宇部市に関して言えば、事前のやりとりも、当日のバス運行も、至って常識的…いや、むしろ親切で丁寧と言って良いだろう。
(京都市交通局と比べるのが間違いか…)
そして今回、進行・旅程管理担当に協議会から2名、解説員として宇部興産のOB1名と、学術的な解説を担当する秋吉台エコミュージアムの学芸員が1名、そして宇部市交通局の運転手1名の合計5名のスタッフが同行している。
バスの車内では、主に宇部興産のOBが、あれこれ説明しているのだが、先ずは「長州の翁」(要は偉人)の話。
ただ登場人物が非常に多く、伊藤博文や高杉晋作といった有名人ならともかく、全国的にはあまり知名度の高くない人物が多く登場し、正直ちんぷんかんぷん。
まあ参加者の半数以上は、山口県かその近接地域からの参加者なので、解らないのは私をはじめごく僅かな遠方からの参加者だけだったのかも知れない。
まあ結論から言うと、宇部興産という会社そのものが、長州藩石炭局が紆余曲折を経て今日に至っているという企業であり、また地域のインフラ整備にも多大な貢献をおこなっていることから、そうした経緯で宇部興産の歴史には長州の翁が密接に関わってくるのだが、何せツアーの最初から最後までを使って、話を小出しにして解説するため、話の大筋が見えないこともあり、最初のうちは苦痛なほどちんぷんかんぷん。
やはり県外者としてはもう少し登場人物を絞って欲しいのと、「最後まで聞かないと解らない」話ではなく、予め「どんな話をしようとしているのか」を明確にして、今話していることが全体の中でどういった段階にあるのかを示して欲しいところ。(特にレクチャー形式なら尚更)
そんな話を聞いているうちに、バスは草原が広がる秋吉台を眺めつつ、大正洞近くにあるエコミュージアムへと到着。
実は宇部興産の歴史だけでなく、ツアーの行程そのものが「セメントの道」と名乗っているように、石灰石の成り立ちから、その切り出し、運搬、そして加工、更には未来へ…と言った具合の流れがあり、先ずはこのミュージアムでセメントの原材料である石灰石について地学的なレクチャーを受けることに。
漠然とした数値の羅列になりそうな地球史を、小道具などを使い、そのスケールを解りやすく伝えるなど、非常に工夫されたレクチャーだという印象。
個人的には、日本史の流れが如何に秋吉台の環境変遷と関わっているのか、と言った部分が興味深かった。
また石灰石に含まれる化石を、塩酸を使った簡便なクリーニングも交えつつ、実際に手にとって観察する機会を設定するなど、飽きさせない工夫もしっかり考えられている。
そして大正洞入口付近を歩き、石灰石地域にみられる特徴的な地形についても見学。
ただ…学芸員さんが少々自分の専門で暴走気味だったのと、ツアーそのものが詰め込みすぎと言うこともあって、ある程度の予備知識がない人には少し辛い面もあったようで、「たった1日のツアーで、石灰石の成り立ちまで詰め込んで触れる必要があったのか?」といった声も聞かれていた。
まあ私の場合、「長州の翁」についてはサッパリなものの、地形に関しては少々心得があるので、学芸員さんに突っ込んだ質問などもさせていただき、かなり満喫させていただいたのだが…
まあ「長州の翁」も「カルスト地形」もサッパリな人にはかなりヘビーな内容だったのかも知れない。
そんなこんなで詰め込み気味な午前中の行程をクリアし、秋芳洞入口近くの観光レストランで昼食。
如何にも団体バス専門と言った感じの店だったので、あまり期待はしていなかったのだが…
牛蒡やアンコウを中心とした、地元山口の食材メインの献立で、味も含め、良い意味で見事に裏切られることに。
ただ店員がやたらと放送を使って売店の商品を売り込もうとするのが五月蠅いのと、御団塊様には骨のあるアンコウが「総入れ歯だから食べられない」などとかなり不評だったのだが。
食後、若干の休憩時間があり、店員は売店へ誘導したい様子なのだが…そんなことは無視して、近くを散策してみることにし、レストランの隣の、かつての石材加工場跡を整備した秋芳洞ふれあい広場へ。
一角に大理石加工産業展示館という施設が設けられ、かつて用いた加工用機械などが展示されている。
そしてあっという間の休憩時間を終え、再びバスに乗り込んで出発。
午後の最初の訪問先は、宇部興産の伊佐工場。セメントの原料である石灰石の切り出し鉱山を併設した工場である。
敷地内へと入ると、早速専用道仕様のトレーラー(一般道は走行不可)がお出迎え。
工場内ではトレーラーが最優先であり、バスは何度も待機を繰り返しながら奥へと進んでいく。
そして途中にあるセメント焼成工場。(巨大な回転する筒で焼成する)
更に奥へと進むと、一気に殺風景な光景になり、この先が鉱山エリア。
鉱山内は、専用の巨大なトレーラーが行き来している。(確認できた範囲では46t~90t。ちなみに普通のダンプは10t。)
そしてヘルメットを着用の上、大規模な露天掘り鉱山を下車見学。
切り出し風景
巨大なダンプがまるで蟻のように…
遠くから見ると蟻のようなダンプなのだが…実はタイヤだけでもこのサイズ。
鉱山から伊佐工場を眺める
そして再びバスに戻り、敷地を出る前に洗車。(鉱山内で汚ているため、全車洗車を実施しているとのこと)
またこの工場には引き込み線もあり、鉄道での貨物輸送も一部行われている。
あ…失敗した…
そしてこの次こそ、今回の目玉である「宇部興産専用道路」の走行である。
今回のバスには、しっかり通行証が掲載されている。
「違反履歴」という欄があるのは…専用道路は私道なので、道路交通法は適応されないものの、企業内でパトロールカーを配備して、独自に取り締まりを行っているのだとか。
いよいよ専用道路へ…先ずは加速車線かと思いきや、一旦停止してから合流する規則になっている。
そして早速、専用トレーラー(効率重視で大型化されており、一般道路は走行できない)が登場。
ケンワース社製のトレーラーで、デザインはレトロだが、実はコレが最新型なのだとか。
折角なので、専用道路で見かけたトレーラーを先に紹介しておくことに。
ケンワース社製の旧型
そして国産(いすゞ製)
以前は全て国産車で賄われており、メンテナンスもメーカーに委託して行われていたとのこと。
しかし円高の影響で海外メーカー車も導入するようになり、それに伴いメンテナンスも宇部興産自社内で賄う必要が出て来たものの、そうしたコストを差し引いてもなお国産車を使うより割安なのだとか。
但し特殊性のある車両と言うこともあり、国内メーカーとの関係を継続するという意味合いから、今でもごく僅かの国産車も導入しているとのこと。
そして専用道路を走っていく。例えるなら「交通量が少なく、ちょっと荒れ気味の高速道路」と言ったような感じの道路である。
中国道との交差点(立体交差)
ちょっと走ったところで、一旦専用道路を下りて、日帰り温泉で休憩。とは言え入浴できるほどの時間はなく、専らお手洗い&産直市場メインの休息。
そして再び専用道路へと戻っていく
専用道路を走っていると、2車線道路を、中央部限定で1車線として走行するように指定されている場所がある。
これは専用道路の建設当時と比べ、トレーラーが大型化したため、設計重量の関係上、中央部を走行しなければいけなくなったためなのだとか。
また避難用なのか、所々にインターチェンジ(平常時は閉鎖されている)が設けられている。
そして途中のトレーラー整備場で一旦下車し、トレーラーの実車見学。まあ整備場と言うより、簡単なピットを備えた車庫と言った感じの場所である。
実際の運転台への乗車体験も(事前に「エンジンは回さないでね!」ときつく言い渡されている)
乗車体験はケンワース製の外国車なのだが、横にいすゞ製の国産車も用意され、乗車こそ出来ないものの、間近で見学することが可能。
ちなみに「国産車と外車、運転手さんにはどちらが評判が良いですか?」という質問が出て、おそらく「やっぱり国産車ですよ」と言った返事を期待しての質問だったのだろうと思うのだが…
しかし返ってきた答えは「やっぱり外車の方がパワーがあって運転しやすいんですよね。」との事。
こうして整備場見学を終え、出発。
それにしても連接トレーラーとなると、交差点もなかなか大変そう
そして専用道路も終わりに近づき、最後の目玉は「興産大橋」という宇部興産の専用橋。
興産大橋(こうさんおおはし)は、宇部市大字小串と同市大字西沖の山の間の宇部港内(厚東川河口)をまたぐ橋として1982年(昭和57年)3月に開通。設計・施工・建材製造の全てを宇部興産とその子会社・関連会社が行なっている。これは当時の宇部興産本体及び関連会社の富士車輌が鋼構造物工事の建設業許可を持ち鋼橋の製作を手がけていたこと、子会社に建設コンサルタント(宇部興産コンサルタント)が存在したために可能となったことである。
運河の航路を確保するために36mの高さが必要であった上、橋の起終点が平地であったため、6%の急勾配となっている。(Wikipediaより引用)
成る程な急勾配
橋の上は工事中
それにしても昨日の東洋大橋と言い、1企業がこれ程大規模な橋梁を所有しているというのは凄いところ。
そして興産大橋を越えると、宇部興産の源流でもあり、かつて炭坑で賑わった沖ノ山地区へと到着。
現在では炭坑や炭坑町は閉鎖され、専らバルク貨物の野積場として使用されている。
但し一部の産業遺産は保存されており、沖ノ山電車竪坑遺構など、車窓からも見学可能。
そして宇部興産の工場群のある地域へと入っていくのだが、写真右手の駐車場スペースは、かつての貨物線跡なのだとか。
更に踏切もあって…
しかしコレが貨物線の踏切跡なのか、あるいは宇部興産専用道路と一般道の交差点に設けられた踏切なのかは判断できず。
そして最後は、宇部興産の宇部本社に併設されている「UBE i プラザ」という展示施設へ。
宇部興産の歴史や、宇部興産の事業内容、そして宇部興産の製品が使用されている商品の紹介が行われているコーナーである。
ココでは、創業に関わった長州藩士の「鉱業に留まらず、広く工業を…」という意思を引き継ぎ、今日では化学セクターの企業となった宇部興産の現状や、現代社会から求められる役割、そしてその将来…と言った内容について、ビデオやガイドによる説明が行われる。
こうして、かなり詰め込んだツアーは終了。
先ずは東京便に間に合うように山口宇部空港で降車を取り扱うのだが、県内からの参加者を中心に、空港の駐車場に車を止めて参加している人が多く、大半の人がココで下車していく。
その後、宇部市内の主要停留所で下車を取り扱うのだが、「私の家、もう1つ先のバス停なんですけど、そちらで降ろして貰えませんか?」と言ったリクエストもあり、まるで送迎バスのように臨機応変に停車し、乗客を降ろしていく。
そして遠くに、先ほど通ってきた興産大橋を眺め
厚狭駅でツアーは解散。その後は山陽本線で下関へと向かい、ホテルにチェックイン後、ホテルで聞いた河豚料理を出す料亭へと向かい、諭吉さんとお別れして、天然とらふぐのコースを賞味。
こうして旅2日目も終了。
この後、3日目の「トイレ博物館」、4日目の「SLやまぐち号」と旅は続いていくものの…
ブログで読んで面白い内容かは不明なので、続編アップは現段階では考えていません。