• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

NEOCAのブログ一覧

2014年06月22日 イイね!

旧・台北帝国大学関係の建造物を訪ねて(後編)

旧・台北帝国大学(現・国立台湾大学)については、前回のブログを参照の事。

なお今回のブログをまとめるにあたって、劉子銘ほか「Hi! NTU 解読台大的82個密碼」(国立台湾大学出版)を参考文献としたほか、Wikipediaも参照している。

また本文中に引用している古写真は中華民国文化部が運営するウエブサイト「国家文化資料庫」http://nrch.cca.gov.tw/ccahome/より、著作権保護期間が切れた画像を引用している。

なお本文中では「台湾原住民」という表記を用いているが、日本語での語感はさておき、中国語で「先住民」というと「既に絶滅した民族」という意味になることもあり、現地で広く使われている用語をそのまま尊重し使用しているものである。





青田七六の見学を終え、次なるお目当ての場所へ行こうと地図を眺めていると…

近くに国立台湾大学があり(青田七六は教員住宅なので、当然と言えば当然)、キャンパス内を通り抜けられれば、ちょっと近道が出来そうなので、大学見学を兼ねて立ち寄ってみることに。


キャンパス内は如何にも大学と言った光景で、自分の母校でも無いのに懐かしさを覚えてしまう。




キャンパス北側の、近年整備されたと思われるエリアを抜け、キャンパス中央部の歴史を感じさせるエリアへと到達。


上の写真は理学部2号館…元を辿れば1931(昭和6)年に台北帝国大学理農学部2号館として建てられた建物。

内部には当時の階段教室がほぼそのままの姿で残され、現在でも実際に使われているとの事だが、流石に立ち入って見学するのは難しいだろう。


そしてその隣が、1930(昭和5)年築の理学部1号館(台北帝国大学理農学部1号館)


なお後で知ったのだが、この1号館の「植物標本室」は大学ミュージアムの一部として一般公開されているとのこと。
(今回は事前にこの情報をキャッチしておらず、大学キャンパス見学すら当日気まぐれで決定した有様で…要は時間が無かったという話…汗)


往時の写真(中央が理農学部2号館、奥が同3号館、右が同1号館)

台北帝国大学「台北帝国大学一覧」(昭和12年)より引用(詳細は前述)


そして名物の椰林大道(椰子並木)の道を歩き


この日、卒業アルバムの撮影なのか、生憎のお天気にもかかわらず、角帽やマントを纏った学生が大勢写真撮影に興じている。まあお陰で写真を撮りまくっていても目立たないのだが(笑


そしてこの並木道、台北帝国大学時代から名物だったのだとか。(北大のポプラ並木みたいなものか?)

台北市役所「台北市政二十年史」(昭和15年)より引用(詳細は前述)


そして椰林大道の突き当たりに堂々と建っているのが総図書館(中央図書館)


デザインはレトロ風になっているものの、妙に大きくごちゃごちゃしている…それもその筈で、この建物自体は1998年に完成したもの。
但し、このデザイン…後で関わってくるので、ちょっと覚えておいて貰いたい。


そして総図書館の脇には学生活動中心という建物があり、要は福利厚生棟。



内部には全家(ファミマ)やフードコート風の学食があり、休日にもかかわらず大賑わい


フードコートには、自助餐(バイキング)や鍋貼(餃子)をはじめ、ベジタリアンなどの店まで揃っており、バラエティ豊か。(休日でいくつかの店は休業していたのだが)


一回りして、「滷味」(ルーウェィ)の店が目についたので、そちらで昼食を取ることに。


滷味については、一昨年に師大夜市でも食べているのだが…

「台湾式の煮物」として紹介されることが多く、漢方系のスープで野菜・麺・点心・練り物などを煮込んだ料理なのだが、ここの店のように「加熱滷味」と呼ばれる加熱式の場合、好みの具材をカゴに盛って店員に渡すと、その場で煮込んでくれるため「煮物」というよりも、「鍋物」や「おでん」に近い感覚になる。

ちなみにここの店は、漢方系のペーストが別に用意されており、好みの分量で味を調整することが出来る。


で、具材を選んで店員に渡し、煮込んでいる間にお会計を済ませるのだが…この段階で言葉が通じず、日本人であることがわかり…
「いらっしゃいませ。ワンハンドレット・テンね」とルー語で対応してくれ、出来上がるまでの間、英語でちょっとだけ話をしていたのだが…中国語を学びに来た留学生と思われてしまったようで、「ちょっと散策しているだけ」というニュアンスは全く伝わらず(汗


そして完成した滷味はこんな感じ。


全て混ぜて煮込んでいるので、軽い大根や油揚げばかりが目立ってしまっているが…エリンギや椎茸、餃子に餅(?)など、実は盛りだくさん。

個人的には好きに具が選べて、しかも漢方系のスープで台湾らしさも楽しめるので、お気に入りの料理の一つなのだが…但しどうしても「漢方系」ゆえのクセもあるので、誰にでもお勧めできるという訳では無い側面も否定出来ないのだが。

ちなみにお値段は、コンビニのおでんと同じで、選んだ具材の種類と個数で決まり、今回の内容で110元(≒\385)。


そしてテーブルで滷味を食べていると…年輩の女性(教授)に何やら中国語で話しかけられ、「Sorry, 我是日本人」と英中混同のルー語で返すと、流暢な英語で「あら、日本の人?滷味好きなの?どうして?」と言った具合に返事が返ってきて、そのまま会話が弾み、楽しいひとときに。


こうしてお腹もふくれたところで、再びキャンパス内を歩き始める。

そして次は国立台湾大学行政大楼(要は管理棟あるいは本部棟といったトコロ)


この建物は大正15年築の旧・台北高等農林学校の校舎で、台北帝国大学設立後に移管され台北帝国大学附属農林専門部となった。


当時の写真はこんな感じ。

台北高等農林「台北高農農学科1928第四回卒業紀念写真帳」(昭和3年)より引用(詳細は前述)


そしてこの行政大楼と、美しい庭園を挟んだ反対側が文学院(英訳を見る限り、文学部というより教養部・外国語教育施設的な機関の様子)



この建物は昭和4年築の旧・台北帝国大学文政学部の校舎。



往時の写真はこんな感じ

台湾総督府「台湾事情 昭和四年版」(昭和4年)より引用(詳細は前述)


そして更に椰林大道を歩き、次は日文系(日本語文学系所)の校舎



昭和4年築の旧・総図書館(旧・中央図書館)の建物で、往時の写真はこんな感じ

井出季和太「台湾治績志」(台湾日日新報社/昭和12年)より引用(詳細は前述)


先に紹介した1998年築の新・総図書館が完成してからは、一階部分を日文系校舎、二階部分は「校史館」として大学の歴史を扱った資料館として使用されている。

と、言うことで入館。




館内





そして校史の展示室へ

前回述べたように、ここ国立台湾大学は公式に台北帝国大学の後身校なので、台北帝国大学当時の歴史についてのパネルや、品物も展示されている。






そして旧・総図書館の建物と言うこともあり、往時の閲覧室も一部残されている。



ふと窓の外を見ると、味のある渡り廊下が



そして校史館の他、「人類学博物館」も併設されており、主に台湾原住民関係の現物資料(民具など)などが展示されている。

(室内は撮影禁止なので、廊下部分だけ)

ここで展示されている資料は台北帝国大学当時に収集され、「土俗人種学講座標本室」に収蔵されていたものを引き継いでいるものも多いとのこと。


ちなみに往時の台北帝国大学文政学部土俗人種学標本室の古写真はこんな感じ

井出季和太「台湾治績志」(台湾日日新報社/昭和12年)より引用(詳細は前述)


その他、「国立台湾大学出版中心」で発行している書籍を中心に扱う書店もあり、先述した劉子銘ほか「Hi! NTU 解読台大的82個密碼」(国立台湾大学出版)をはじめ、大学に残る歴史的建造物について書かれた本(繁体字)を何冊か買い求めることに。

書店の店員はここの学生のアルバイトのようで、ノートを開いて勉強していた手を止めて、レジ対応をしてくれる。しかし台湾最高学府の学生だけあって、実に英語が流暢。
まあ書店のアルバイトに限らず、キャンパス内で宗教系学生団体に勧誘されたりもしたのだが、日本人だというと「ヨウコソ。ワタシタチ、クリスチャン デス。プレゼント(勧誘パンフレット←中国語) ヲ アゲマス…」と言った具合に流暢な日本語が出て来きて、こちらがビックリしてしまうほど。


それらの本や校史館の展示を見ていると、大学構内に残る歴史的建造物は今回紹介した範囲に留まらず、非常に沢山現存しているほか、今回訪問した「校史館」や「人類学博物館」をはじめ、キャンパス内のあちこちに標本室などを開放した博物館施設が多く存在し、「台大博物館群」として公開されているとのこと。

正直、これらの建物や博物館を見て回ると…丸一日は必要になりそうで、また改めて訪問する必要があるだろう。今回はまあ情報収集を兼ねた「下見」程度という事だろうか。


そして二階の校史館を見学したあと、ちょっとお手洗いを借りようとすると、一階の研究室が並ぶゾーンにあるとのことで、完全に「大学の中」と言った雰囲気の廊下を歩いていく。


お手洗いそのものは、台湾としては一般的なそれなりに綺麗(まあ日本と比べて厳しい評価をしてしまうと…なのだが)な施設で、バリアフリー対応になっていたりと、なかなか。
但しペーパーが備えられていないので、用意は必要
紙どころか、ウォシュレットまで付いている日本の国立大学は贅沢過ぎなのか(汗


そんな話はともかく、日語系の校舎なので、掲示板を見ていると、日系企業や日本料理店からの求人、そして日本への留学案内などが貼ってあったりして、なかなか面白い。



こうして国立台湾大学のキャンパス内の散策を終え、正門へと出てくる。



この正門も台北帝国大学当時からの建造物で、往時の写真ではこんな感じ。

台北帝国大学「台北帝国大学一覧」(昭和14年)より引用(詳細は前述)


そして正門から外へ出ると、公館エリアというエリアなのだが、完全に学生街と言った風情で賑わっている。


学生街と言うこともあり、気軽な雰囲気の店も多く、特に一人旅の時など覚えておくと便利なエリアかも知れない。


そしてふと目に付いた看板が…


「JR」のロゴで、「MRTファッションハウス」って一体…「MRT」は台北メトロという意味で、何となく鉄分を感じてしまう看板。

そしてその下の市議会議員の看板(氏名と顔は加工している)に書かれている「現代侠女」というフレーズと、刀を持った写真もなかなか興味深いところ。


で、この公館エリアを抜けて、次なる目的地へと向かい(というか、大学構内をショートカットしてきたつもりが、完全に寄り道になってしまっている)、もう一カ所日本統治時代の近代化遺産を訪問したのだが…

<終>台湾の日本統治時代の建造物ネタには、興味のない方が多い様子なので、今回の台湾編はコレにて打ち切りにしたいと思います。
Posted at 2014/06/22 20:45:26 | コメント(4) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2014年) | 日記
2014年06月16日 イイね!

旧・台北帝国大学関係の建造物を訪ねて(前編)

今回はいきなり解説から…

戦前の帝国大学を前身とする、東京大・北海道大・東北大・名古屋大・大阪大・京都大・九州大の7大学は「旧帝大」と呼ばれ、その当時から現在に至るまで、地域における最高学府と見られている事が多い。

しかしこれらの7大学の他に、当時日本領であった台湾の台北には「台北帝国大学」、そして朝鮮の京城(現在のソウル)には「京城帝国大学」が置かれており、合計9の帝国大学が存在していた。
但しこれらの2帝国大学は、文部省ではなく総督府の下に置かれるなど、他の帝国大学とは異なる形態であったものの、学生や教官の多数は日本人であるなど、必ずしも「現地住民向けの高等教育機関」とも言い難い状況であった。
(例えば1940年当時、台北帝国大学の学生数は、日本人238名、台湾人83名、朝鮮人2名と言った具合。)

戦後、台北帝国大学は中華民国に接収され、「国立台湾大学」と大学名を改め、また本土へと引き上げた日本人にかわり、学生や教官は台湾人が主となり、現在でも台湾の最高学府として存在し続けている。
また台北帝国大学当時の施設や蔵書などはそのまま国立台湾大学へと引き継がれており、国立台湾大学自身も台北帝国大学を前身とすることを公に認めており、公式にも「1928年設立の台北帝国大学を前身とする」とされている。

そして現在でも、旧・台北帝国大学当時の建物が改修を重ねつつも現役で使われていたり、あるいは歴史的建造物として保存・公開されているケースも多いのだが、今回はそうした建物を訪ねてみることにしたい。

なお余談になるのだが、一方の京城帝国大学は、その施設等はソウル大学校へ引き継がれているものの、ソウル大学校は公式には「1946年設立の新設校であり、京城帝国大学の後身ではない」としている。しかし部局レベルでは「京城帝国大学○○学部を前身とする」としていたり、京城帝国大学出身者の同窓会への入会を認めるなどの対応をしているケースもあり、事実上京城帝国大学を引き継いでいるという側面も否定できないのだとか。

とは言え、元々日本人向けの色合いが濃かった帝国大学だけに、その後身にあたる大学との連続性の有無を判断するのは難しいのだろう。
また終戦後に中華民国が直接接収して統治した台湾とは異なり、朝鮮の場合は大韓民国へ引き継がれる前に一度米軍の軍政を経ており、歴史的に見ても連続性があるとは言えないという側面もあるのである。


なお今回のブログをまとめるにあたって、劉子銘ほか「Hi! NTU 解読台大的82個密碼」(国立台湾大学出版)を参考文献としたほか、Wikipediaも参照している。
また本文中に引用している古写真は中華民国文化部が運営するウエブサイト「国家文化資料庫」http://nrch.cca.gov.tw/ccahome/より、著作権保護期間が切れた画像を引用している。


またブログ上では、文字化けを防ぐ意味合いから、正確さを欠くことは承知の上で、「臺灣」「臺北」といった正字体では記載せず、全て「台湾」「台北」で統一している。
但し中国語表記を転記する際に、該当する日本語表記が存在しない場合に限り、オリジナルの表記を用いている。
(そのため環境によっては、その部分の文字化けが起きる可能性は否定できない)


今回のブログは、台北滞在中に訪れた旧・台北帝国大学関係のスポットをまとめて掲載しているため、それぞれのスポットの訪問日や訪問時間はバラバラであり、特に断りが無い場合は連続性はありません。





前回のブログで登場した台北賓館へ向かうために、最寄り駅のMRT台大病院駅に降り立つと…

目の前に台湾大学医学部の病院がドンと建っている。


特に事前に下調べしていたわけではなかったのだが…パッと見て日本統治時代の建物だとピンと来たので、外来患者に紛れてちょっとだけ見学してみることに。

後で調べてみると、この台大病院は1895(明治28)年に設置された台湾総督府台北病院を前身とし、この煉瓦造りの建物は1912(明治45)年に建てられたもので、台湾の気候を考慮し、湿気対策で高床式構造で作られているなど、見た目だけでなく機能面でも相当に力が入った建物である。
そして1938(昭和13)年に台湾総督府から台北帝国大学医学部へ移管され、付属病院となり、戦後はそのまま国立台湾大学へ引き継がれ、築102年を経た今でも主に外来患者の受付・会計といった機能を担っており、まさに病院の顔として現役で使用されている建物なのだとか。


ちなみに1932(昭和7)年に撮影された古写真がコレ

「台湾大觀」(日本合同通信社)より引用(詳細は前述)


正面から(画像加工あり)



内部へ入ると、まずは立派なホールがお出迎え


ホールに案内係のおばさんが居たので、英語とカタコトの中国語と身振り手振りで、「こんにちは。日本人なんだけど、建物の写真を撮っても良いですか?」と確認してみると、何とか意味が通じたようで、「どうぞどうぞ」と言ったようなゼスチャーでOKがでた。(変なセリフになっているのは…私の語学スキルの問題)

とは言え、外来患者も多い病院なので、やはり遠慮がちに撮影。


まずは中庭を取り巻く廊下



往時の古写真と見比べても、同じ雰囲気であることが解る。

中華民国文化建設委員会が公開している写真を非商業用として引用(詳細は前述)


待合室



階段



そして和洋折衷な雰囲気の中庭



高床式の構造になっていることがよく解る



まあ元々思いつきでちょっと寄り道しただけで、そもそも建物自体が現役の病院施設ということもあり、ちょっとだけ見学して、早々に退散。





そして話は変わって、台北の高級住宅街「青田街」へ足を運んだときの話。



警備員が居るような高級な住宅が建ち並び、まるで阪急沿線の山の手のような雰囲気。


その一角に青田七六という施設が存在している


ちなみに所在地は青田街7-6…だから「青田七六」という安直なネーミング。


敷地内へと入ると、味のある木造住宅が…


実はこの建物、台北帝国大学の教員住宅として建てられたもので、その後も国立台湾大学に引き継がれたものの、老朽化もあって空き家となっていたところ、日本統治時代の建築物がブームとなったことから、修復が行われ、現在は日本食カフェとして使用されている。

そしてカフェの営業開始前の時間帯を利用して、週に3回程度館内のガイドツアーが行われており、今回はそのガイドツアーで館内を見学することにした次第。


ちなみにガイドツアーは無料だが、完全予約制。(人気があるようで満員の日も多い)

予約はWebから可能なのだが、全て中国語…しかし繁体字なので、比較的解りやすく、翻訳サイトの手も借りながら、何とか申込手続きを完了。
とは言っても、Web上のフォームから、日時を選んで、名前(ニックネーム可)を登録するだけという至ってシンプルな方式。

予約に関する注意事項としては、複数名の同時申込が不可能なので、1人ずつフォームを送信する必要がある事くらいだろうか。

あと見学時の注意事項として重要なのは、「文化財保護のため、必ず靴下を着用しなければいけない」点。但し現地でも良心的な価格で販売されているので、忘れていっても問題はないのだが。
あと私の経験で一つ書き加えておくとすれば…見ての通り、緑が多い地域なので、とにかく蚊が多いので、長袖・長ズボンあるいは虫除けといった対策を考えておく必要があるだろう。


そしてこの日の参加者は10人ほど。ガイドは中国語で行われるのだが、日本語のパンフレットも用意されている。

「まあパンフレットを見ながらついていけば、何とかなるでしょ」と思っていたのだが…
台湾における“いつものパターン”で、参加者が10人も居れば、中には日本語を話せる人が居て、何かと親切にフォローして下さり、全く問題なくツアーに参加することができたのである。
(コレをアテにしていてはいけない…と思いつつも、すっかり定番化してしまっているパターン^^;)


さて、先ずは建物の外観の見学から



和風に見えて、建具などの細かな造りは洋風だったりと、見事な和洋折衷ぶり。


で、参加者の興味を引いていたのがコレ



まあ日本人からすると、有り触れた「雨戸」なのだが…台湾では珍しいのか、ガイドさんがわざわざコレをクイズにして出題するほど。


そして石張りのテラス


カフェとして使用する関係上、屋根などを設けて冷房も入っているが、当時は当然素通し。


かつての庭の部分は、カフェ関係の施設が作られており、当時の風情は失われているが…


何でも、ここに住んでいた教授(北海道出身)が体の弱かった子息のためにプールまで作っていたのだとか。
そしてそのプールで使われていた煉瓦(「MITSUI」の焼き印入り)も展示されている。


そしてお勝手側は日本的な風情



続いて内部の見学

モダンな洋風の応接間



食堂



子供部屋



女中部屋



庭に面した廊下


その他、奥の座敷(床の間なども備えた和室)なども見学したのだが、残念ながら撮影のチャンスは無し。


そして歴代の住人(当然大学教授)関連の品も展示されており…


米軍の機銃掃射を受けた仏和辞書のほか、研究室のドアのノブが置かれているのだが、これは「このノブを触ることで、教授と間接握手が出来る」という趣向なのだとか(笑


そして見学ツアーが終わる頃には、ちょうどランチの営業が始まる時間。

「折角なので、ここで食事をしていこうかな」とも思ったのだが、メニューを見る限り「天ぷらうどん」や「トンカツ」といった和食中心で(そりゃあ和風カフェなのだから当然なのだが)、何となく気が乗らずパスすることに。

こうして青田七六の見学は終了。


<つづく>次回は国立台湾大学のキャンパス内を徘徊(?)します
Posted at 2014/06/16 21:19:44 | コメント(3) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2014年) | 日記
2014年06月11日 イイね!

週末旅人モードになっていた時の話

久々の関空から日航機で出発(最近は成田ばかりだったので…)



最近ビジネスクラス続きだったのだが…流石に今回はエコノミー



関空積み込みの機内食は…いつもながら、それなり(苦笑


選択の余地もなく、ポンと渡されたのだが…メニューを開いてみると、和洋からのチョイスの筈で…
後ろの方の席だったので、機内食の品切れは想定の範囲内なのだが…それならそれで一言あっても良いと思うのだが(苦笑


帰路の機内食は…


帰路は1種類のみの積み込みなのだが、やはり台北積み込みの機内食はハズレ無し。
…それにしても往復のギャップが凄すぎ(苦笑


桃園空港から、バス・新幹線・MRTと乗り継ぎ…




今回も北投温泉に投宿するのだが…


流石に前回に続いて加賀屋に泊まるほどの余裕もなく、今回は別のホテル。

まあ台北市内でも、しっかりしたホテルは高いので、北投温泉に宿を取っても大差なかったという次第。

ちなみにお値段は、サンルート以上プリンス未満。加賀屋と比べると1/3…


駅からは徒歩2分。加賀屋とは公園を挟んだ向かい側



で、客室はこんな感じ





残念ながら公園側の客室ではなく、眺望は良くない



しかし凄いのがバスルーム



洗面台



スチームサウナ機能を備えた浴室



もちろん天然温泉



更にドライサウナまで備えており、オーバースペックぶりに驚くばかり


撮影禁止なので画像はないものの、落ち着いた雰囲気の大浴場やラウンジも利用でき、更にスタッフの対応も良く、大当たりのホテル。


で、バイキング形式の朝食は、粥や点心と言った中華っぽい品物に加え、野菜料理も多く、更に何故か台湾の朝食では定番のチキンナゲットなど、必要十分なクオリティ。



2泊目は、多少メニューが変化している


これでも台北市内のそれなりにきちんとしたビジネスホテルに毛が生えた程度の価格というのが凄いトコロ。

これなら次回以降も北投温泉に宿を取ろうかと思うのだが…難点は、居心地が良すぎて街へ出掛けたく無くなってしまう事…(大汗


そんな訳で、ホテルに引き籠もって温泉三昧…でも良かったのだが、今回のお目当ては別にあるので、重い腰を上げてなんとか出発。

MRTで台北市内へと出て、こんな立派で味のある塀のある施設を訪問。



正面のゲート



往時は門番も居たのだろうか



そして敷地内にはこんな立派な洋館が…


ここは台北賓館という施設で、要は台湾の迎賓館。

しかし元を辿ると、1901年に完成した日本統治時代の台湾総督官邸。
その当時から、台湾を訪れた皇族をはじめとした要人の宿泊施設としても使われて居たとの事。

そして今では中華民国外交部の管理下にあり、現役の迎賓館として使われていることから、内部の公開は月に1日程度に限られている。
そして今回の台湾行きはこの公開日に合わせて日程を設定した次第。…なので温泉に引き籠もる訳にはいかなかったのである。


建物が左右非対称だったりする辺りが日本的な部分かも知れない。




但し前庭は左右対称



内部へと進む




煌びやかな階段を昇り




2階のホール



そして片隅にはこんな銅像が…


ここ台北賓館は昭和27年に日華平和条約の調印が行われた場所でもあり、その様子を再現した銅像が設置されているのである。

序でに言うと、日華平和条約についての日本語のパンフレットも用意してあり…その後の日本と中華人民共和国との国交樹立や、それに伴う日本と中華民国との断交を経た現在における条約類の有効性等の解釈などについて、中華民国側の立場から主張がなされているのだが…
これを論ずるには、あまりに私が勉強不足(当然これを論ずるためには、中華民国の主張だけでなく、日本側の主張や中華人民共和国の主張もしっかりと読み込む必要があるだろう)なので、今回のブログでは割愛することにしたい。


そして各室の見学









そして最後は、この建物の修復・保存・調査の様子を中心としたビデオの上映


このビデオの中で、研究者が「日本では工業を、台湾はで農業をという、日本政府の方針があり、台湾にあるこの建物のオーナメント類には植物をデザインしたものが多い」という説明をしていたのだが…


確かに植物をモチーフにしたデザインが多いのだが…






とは言え、唐草文様など、植物をモチーフにしたデザインが一般的に特に珍しい訳ではなく…

「台湾での農業振興」云々と言ったことと関連づけて考えるのは少々深読みしすぎのような気がしてならない。

他にも案内板の「日治時期」と書かれている部分に、わざわざシールを貼って「日據時期」と訂正していたりと、ここの保存・公開に関わっているスタッフの考え方が濃厚に出ているような気がしてならない点も多いように感じるところ。

但しこれは、ここが中華民国外交部が管理している施設であることから、スタッフの考え方云々ではなく、時の政権の考え方(つまり馬カラー)が反映されているのかも知れない。


そしてバルコニーから裏側の庭園へ出てみる




裏の庭園側から眺めた建物





そして庭園は、ちょっと日本風



かと思えば、ちょっと中国風


しかし植わっている植物は南国風で…何とも不思議な庭園空間である。


そして庭園の隅には和風の別館があり


こちらは後に台湾総督の私的な生活空間として建てられたとの事。

流石に洋風の派手派手な建物で生活するのは、あまりに落ち着かなかったのだろう。


こうして台北賓館の見学は終了。

今回は他にも、日本統治時代の建造物を何カ所か見学してきたのだが…ブログが長くなってきているので、残りはまたの機会に繰り越すことにしたい。


そして最後に恒例の食べ物ネタの連発…

先ずは夕食で利用した鉄板焼の店。


日本で鉄板焼というと高価なイメージがあるのだが…この店は高級感は全くない大衆的な気楽なお店。


日本語も英語も全く通じないのだが、メニュー伝票に記入してオーダーする形式なので、漢字さえ解れば何とでもなるシステム。

今回はAセット(300元≒\1050)をオーダー。内容はメイン+海鮮3種(エビ・イカ・タコ?)+野菜2種に加え、ライス・味噌汁・冷茶がセルフサービスでお代わり自由になっている。


で、メインは「牛小排」か「菲力」のチョイスだったのだが…「排」がステーキの意味だという事は知っていたので、「牛小排」なら「牛カットステーキ」といったトコロだと推測してオーダーしてみることに。
それに「菲力」が何を指すか皆目見当が付いていなかったので、何か解る方をオーダーしたという次第。
(ちなみに後で調べてみると「菲力」とは「ヒレ」の事。言われてみれば「あーそうだ!」と言った感じなのだが)


その他に、葱入りの卵焼き(30元≒\105、ちなみにプレーンの卵焼きなら半額の15元)と、台湾ビール(50元≒\175)をオーダーし、合計380元(≒\1330)也。


先ずは野菜がサーブされるので、ご飯や味噌汁を用意してメインを待つことに。


ちなみに冷茶もあったのだが…かなり加糖された甘ったるい感じのお茶で、私の口には合わず。


そして目の前の鉄板で豪快に調理されたステーキがサーブされ、役者が勢揃い。


まあ決して高級な肉ではないのだが、目の前の鉄板で焼かれるなど、庶民的ながら雰囲気は完全に鉄板焼きの店。

そしてステーキは醤油と胡椒で味付けされ、食欲を刺激する味であり、ご飯が進んでいく。


そして写真だけを見ていると、全く台湾らしく無いように思えるかもしれないのだが…実は五香粉の香りが凄く、日本の鉄板焼きとは全く違った風味なのである。

また辛さも選べるので、控えめに「微」を選んでみたのだが…それでもココイチで言うところの2~3辛に匹敵する辛さ。


気軽な雰囲気で鉄板焼が楽しめ、しかも台湾的なテイストもあって、なかなか大満足。

但しこの店…決して高級店ではないので、地元の人はふらっと入ってきて、サッと食べて出て行く感じ。
私がビールを飲んだり、鉄板さばきを眺めてのんびりしている間に、隣の客は2回転してしまっている。

また時々、待ち客も出るほどの人気店なのだが…回転が速いので、さほど待たされることもなく、次々と席へ案内されている。(なので、多少ゆっくり食事をしていても問題はない)
あと客層は賑やかなファミリーがいるかと思えば、若い女性が一人でふらっと入ってきたりと、何でもありな客層。


そして次は、鉄板焼店の数軒隣りの牛肉専門店


地元台湾産の牛肉に拘っているとのことで、精肉コーナーも併設されているお店。

こちらの店も伝票でオーダーする形式で、漢字さえ解れば何とでもなるシステムなのだが、モツ類を中心に、漢字で書いてしまうとあまりに生々しいメニューもあって…(「煮牛脳湯」とか「炒牛髄」とか)

しかし日本人だと解ると…日本語メニューが出て来て、更にわざわざ厨房から日本語が出来るコックが呼び出されて、と至れり尽くせりの対応。


で、オーダーしたのはシンプルな牛肉麺(塩味;120元≒\420)と牛カレー飯(100元≒\350)


どちらもサッパリとした赤身肉で、肉そのものも満足。カレーの味付けもアッサリ目で程よく牛肉が引き立っていて素晴らしいところ。但し牛肉麺の方は少し味が薄すぎる感じもしなくは無いのだが…

で、後で調べて解ったことなのだが、実はこの店、台北ではかなりの有名店だったのだとか。

実は上の鉄板焼の店も、牛肉専門店も、特に下調べはしておらず、客の入り具合を見て直感的に入った店だったので、結果として大当たりで嬉しい限り。


しかし一方でハズレを引いてしまった店もあって…(大汗

日式拉麺(日本風ラーメン)の店で、かなり賑わっている店だったのだが…


沖縄そばを連想させるボサボサの麺に、インスタントラーメンのような味のスープ、それに十分な下処理がされていないアバウトな感じの海鮮…まあブログでハッキリとは書きにくいような感想しか持てないお味。

しかし台湾人には意外にウケが良いようで…やはり好みの違いなのかなぁ


そして最後は…桃園空港のフードコートにある、台南担々麺の「度小月」


実は有名チェーン店ではあるのだが、今まで食べる機会が無く、今回ようやく口にすることが出来た次第。




確かに美味しいは美味しいのだが…期待が大きすぎたためか「ああ、こんな感じなのね」とアッサリした感想しか持てず。


しかし何よりも困ったことに…飛行機に乗る前にニンニクたっぷりの担々麺を食べてしまうと…

座席の方は、機内がガラガラだった事もあり、問題なかったのだが…しかしドリンクサービスなどの時に、CAさんと話をするのも憚られてしまい…

なるべく息を吐き出さないようにモゴモゴと話すと、逆に聞き取りにくかったようで、わざわざ顔を近づけてきて…何事もなかったように笑顔で対応してくれたJALのCAさんには脱帽…(大汗ごめんなさい。以後気をつけますm<__>m
Posted at 2014/06/11 20:02:18 | コメント(5) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2014年) | 日記

プロフィール

「データ整理は間に合わず。結局普段使用していない電話番号で新規登録する形でID連携。個人情報は特に不要。但しログインの度に普段使っていないスマホを引っ張り出して、電源を入れて・・・という状況なので、ログイン回数は激減の見込み。今後は過去データの管理用のサブとしての運用になるかと。」
何シテル?   05/24 16:23
タイトルの通り、旅と温泉と酒などを愛するNEOCAといいます。気がつけば、みんカラも20年目になってしまいました。 今年から仕事上で大きな変化が起きて、少し余...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

掲示板

<< 2014/6 >>

1234567
8910 11121314
15 161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

足立ナンバーで行くマイカー韓国ドライブ 【前編】 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/02/06 21:57:51
過去の旅 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/12/27 19:30:02

愛車一覧

スバル XV スバル XV
ペーパードライバー期間を挟み、再びスバルをチョイス。 過去にレガシィやインプレッサに乗っ ...
スバル インプレッサ スポーツ スバル インプレッサ スポーツ
8年振りにスバル乗りに復帰しました。 写真は当時の販促品のミニカーのものです。
日産 エクストレイル 日産 エクストレイル
初の新車購入です。でもかなり無理をして買ったので…以来他の趣味にお金が回らない…分不相応 ...

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2010年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation