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NEOCAのブログ一覧

2024年10月15日 イイね!

田辺市内を散策した話

朝、羽田空港で腹ごしらえ


最近、第一ターミナルでのお気に入りはこの蕎麦屋
味がどうのこうのというより、悪く言えばボサボサな食感が音威子府っぽくてちょっとお気に入り^^;





そしてランプバスの不足(車両なのか運転手なのかは不明)のために搭乗開始が遅れてしまう



そして離陸までの待ち時間も長かったのだが、離陸してしまえば1時間ほどでリゾート風の目的地近くへ到達



こうしてみると伊豆諸島っぽい雰囲気もある






そして「熊野白浜リゾート空港」という壮大なニックネームのついた白浜空港へ到着


名前負けかと思いきや、小綺麗なターミナル内に小規模ながらリゾート感感じる空間を設けたり、わざわざ観光案内所やバス発着場を別棟に集約して旅の出発点感を演出するなど、意外と「リゾート空港」を演出しているのが面白いところ
そして何より駅と海岸の中間という絶好の位置に空港があって、白浜町内の主要観光地なら大概車で10分程度という立地も「リゾート空港」の名に恥じない部分かも知れない


そしてこんなバスで出発


白浜空港発、紀伊田辺駅、本宮大社経由の新宮駅行きという観光色の強い長距離路線バス


しかし白浜市街を抜けていくうちに


乗客はどんどん下車していってしまい、どうも短い区間で頻繁に乗客が入れ替わっていく感じ

しかしこのバス、不慣れな外国人観光客が我先に出口へ殺到して両替だHow muchだの混乱して時間が掛かる上に、その後ろに続く日本人客はQRコード決済を利用しようとするもバス停によっては電波が悪くて支払いがなかなか進まないという有様で、どんどんどんどんと遅延が大きくなっていくという有様(ICカードの偉大さが判る気がする)






そして渋滞も無いのに大幅に遅延して紀伊田辺駅へと到着



駅前には弁慶像が鎮座


ここ田辺が弁慶ゆかりの地である(とされている)事は今まで知らず・・・


そんな訳で、急遽駅近くの弁慶ゆかり(とされている)の地を散策コースに追加することに

駅から数分歩いて、その弁慶ゆかり(とされている)地に到着



闘鶏神社という神社で、上の写真右手にも写っている参道が伸びているのかと思いきや・・・


これは道路では無く、流鏑馬用の馬場なのだとか
言われてみると確かに馬場なのだが、道路だと思う人も多く(というか言われないとそう思うかと)、バイクで乗り入れる人も居るようで注意喚起がなされている


そして馬場に面した鳥居から参拝




で、どうして「闘鶏」神社なるユニークなネーミングなのか、あるいはなぜ「弁慶ゆかりの地(とされている)」なのかと言った部分なのだが・・・

境内の弁慶父子像の説明書きによると


弁慶は熊野水軍の頭の息子であり、源平合戦の際に熊野水軍の頭である弁慶の父が源平どちらに与するかを決めるために闘鶏を行ってその勝敗を見て源氏方への参戦を決め、源氏の勝利に結びついた・・・という事らしい

まあこうしたエピソードや弁慶の出自(というか弁慶そのものも)については殆ど後世の物語によるもので、史実としての裏付けがある話では無いらしいのだが、こうした説話があったという事は今回初めて知ったところ





そして次なるスポットへ向けて田辺市内を歩いて行く

田辺市内の光景




そして田辺市内で目についたのがこの2人のポスター

※選挙前でもあるので、人物や名前については暈かしを入れています

この地域は最近ニュースで話題になっている和歌山2区
保守分裂になっており、その2名(保守系候補)のポスターがあちこちに貼られており、ポスターの貼付状況だけをみると拮抗しているのかなという印象を受ける

一方で私が歩いていた範囲で、この2名以外の候補者のポスター等を目にすることは無く、他の候補の存在感が感じられないとも・・・
もしこの保守分裂の状況で漁夫の利を得る候補があったとしても、それが地域で支持が広がっていない候補だったりすると、それで地元のためになるのだろうか・・・などと考えてしまうところ(※私が見た範囲での個人的な感想です)


そんな事はさて置き、更に歩き






住宅街の中のこんなスポットに到着


実はこれ、粘菌の研究で知られる在野の生物学者・南方熊楠の旧宅ならびに、併設された南方熊楠顕彰館という施設


先ずは旧宅から(入場料は顕彰館で支払う必要があるため、どちらにせよ先に顕彰館を尋ねる必要がある)


実際の研究や居住に用いられたスペース



収集したサンプルや機材を収納した蔵


基本的に建物内には立ち入れず、縁側から覗き込む方式
・・・なのだが、緑豊かな庭もあって、蚊の大群に襲われ、ゆっくりと見学することは困難


そして南方熊楠顕彰館(立派な建物だがこちらの入館無料)




基本的に南方熊楠の研究資料や蔵書を収納しつつ、その業績を研究するための研究施設という色合いが強い様子



しかしロビーの一角にその生涯を紹介する展示コーナーなども設けられている


とは言え、その生涯をステージ毎に必要十分なボリュームで纏められており、無料にしてはクオリティの高い展示なのではないだろうか

あと日差しの強い中の散策なので、冷房の効いて、しかも綺麗なお手洗いもある館内で一息つけるのも有り難いところ





そして扇ヶ浜で太平洋を眺めて一休みして



台場跡を眺めて(写真の建物は教会なのだとか)






川沿いのこんな公園へと到着


公衆便所が妙に城郭風なのだが・・・実はここが田辺城の城跡
とは言え、田辺城主は紀州藩の御付家老でもある安藤家で石高は3万8千石とそこそこの家格
従って、元々の城跡は広大であり、この公園は田辺城の本当の端の端に過ぎず、今では城跡の殆どは住宅地に飲み込まれてしまっている

本来はこの住宅街のやや左奥に大手門があったとのこと



で、この公園は田辺城の端っこの川沿いのごく一部なのだが、公園の片隅にこんな遺構が現存している


これは川の河口近くに設けられた田辺城の水門跡の遺構


もう少し近づいてみると、門扉があった場所がハッキリ判り、扉の軸石(?)も残っている



但し現在は城跡の外側を高架で道路が通っており、川までの距離は遠くなってしまっている


当時はこんな建造物は無く、水門から直接川へ船を出せたのだろう


川側から振り返って



公園部分に作られた塀がやや無粋ではあるのだが、この上の部分が児童公園である以上、転落等に対して安全は担保しなければならないのだろう





こうして田辺城址の見学を終え

水門が隣接する川を渡り



漁港を歩き



こんな狭道へと進み



切り通しを抜けて進んでいくと






天神崎へと到着


ここへ来るのは初めてでは無いのだが・・・
そもそも関西在住の頃、私にとって紀伊半島はドライブコースであり、海岸沿いのスポットは大凡訪問済みなのだが、車であるが故に密度の粗い訪問しかしていなかったのが実情

ましてやこの狭道を通ってとなると、車を運行することやどこに車を止めるのかといった事ばかりに気をとられてしまい、ここに至る風情ある道のりや、海岸の風景などに目をやる余裕がなかったこともあり、じっくり訪問するのは初めて


最近は「日本のウユニ塩湖」として売り出し中の様子



対岸には今宵の宿も



そして潮の関係で灯台のある丸山まで歩けそうなので



磯を歩いて島の反対側まで回ってみる



ここからは対岸に白浜の有名ホテルが・・・(詳しくはまた改めて)


しかしココ・・・徒歩で来ると自由に動ける反面、日陰が少なく意外と過酷かも





そして更にこの狭道を歩いていくと、防波堤上を歩く道への分岐点があり



防波堤の上を通って元島という島まで歩くことができる



元島には元嶋神社という神社があり、元々離島だったこともあり、参道は海上ルートとなっており、海の中に鳥居が立っている(規模は全く小さいが厳島神社のような形態)


少し角度を変えて、本土との位置関係を見てみるとこんな感じ


右手のホテルのある部分が本土で、矢印の所に海上鳥居、そしてこんもりとした田所島という小島があって、左側が社のある元島


今回は裏手の防波堤上から元島へと到達し、元嶋神社を参拝




と、ここで紀伊田辺散策はタイムアップ

バスの時間を見計らって、最寄りのバス停まで行き、田辺駅行きの龍神バスを捕まえる

バスは数分遅延してきたのだが、運行状況がリアルタイムで見られるので安心して待っていられる


・・・というか、バス停近くに日陰が無かったので、日陰に隠れながら画面でバスの接近を確認しつつ待機していたのだが

なおマイクロバスには他の乗客はおらず、終始貸切状態





そして紀伊田辺駅構内のセブンイレブンで飲料水などを買い込んで、シャトルバスで今宵の宿へと向かう



東急系の会員制リゾートで、恒久的な利用者のマンション棟と、タイムシェア利用者のホテル棟に分かれている宿(大浴場やプールなどの施設は共用)
そしてホテル棟に東急不動産に持ち分があるのか、あるいは空室の運用なのかは判らないが、一般向けにもある程度開放されており、そちらを利用

ここの系列は元々が会員制という事もあり、個人客が主体で、かつファミリーも多いのだが基本的に弁えた人たちであり、一方でやかましい外国人やツアー客が少ないという落ち着いた客層が魅力だと思っていて時々利用している

・・・のだが、何故か明らかに場違いなクラブツーリズムご一行様が滞在していてそこだけ明らかに浮いているのである(苦笑
宿側の事情でこんなツアー客まで受け入れないといけないほど利用率が低いのか、あるいはツアー側の事情で白浜エリアの衰退で居抜き系格安ホテルばかりになってしまいツアーで使えるような宿が無くなってしまい場違いな所でも利用せざるを得ないのか・・・


それはさて置き、元々がタイムシェアゆえの滞在型向けの広めの客室も有り難いところ



部屋のベランダからのオーシャンビュー


南方熊楠の研究フィールドとして有名な神島も一望できる(右側の2連の離島)


バブリーな時代を感じるインテリアではあるが、そこは東急の資本力がなせる技なのか、水回りの設備などは適宜入れ替えられており快適







そしてヌルヌルの温泉を満喫してからディナータイム

個人的に東急系列のホテルの洋食は高く評価していた(過去形)ので、今回も洋食をチョイス





元々会員制で個人客主体の落ち着いたレストランということもあって、ツアー客が明らかに場違いな感じになってしまっているのはさて置き・・・

最近感じていたことではあるのだが、コロナ禍を経て東急系列のホテルレストランの味が明らかに落ちてしまった感じなのが残念なところ
(他の東急系施設でもそんな感じで・・・例えば宮古島などは継続的に利用していることもあって、その変化が明確に判ってちょっと悲しいところ)

しかしパンが美味しく、オリーブオイル(今ではすっかり高級品)を添えてくれるという部分は変わっておらず、ちょっと安心


そして朝も早かったので、早々に就寝

翌朝はツアー客が慌ただしく出て行った事を見計らってから、ゆっくりとレストランへと向かう(バイキング形式)


練り物の天ぷらや豆腐など、ご当地ものを適宜取り入れつつ品数も豊富、何より熊野米のご飯が美味しいのがポイント大かも知れない
あと遅い時間であっても、適宜バイキングをきちんと補充してくれるのも有り難いところ


そして腹ごしらえも済んだところで・・・続きは白浜編でまた改めて
Posted at 2024/10/15 00:17:29 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅(2024年) | 日記
2024年10月04日 イイね!

鶴岡でお蚕様とお目に掛かった話

#今回はこちらの話からの続きになります
#蚕虫(幼虫)の画像が含まれますので虫の苦手な方はお気を付けください






仁賀保→鶴岡の約一時間は「豪華」だの「日本一」だの「神」だのと言われるこんなシートを利用


そうは言っても、表向きはただのグリーン車なのだが・・・
改造車ゆえに普通席2列分8席分のスペースにグリーン席は3席しか配置されていないので、空間的ゆとりは相当なもの
JR九州で言うところのDXグリーン車並のスペースで、他の人との距離があって気配を感じさせにくく、なかなか快適

折角なので、鳥海山や飛島などの景色を眺めてのんびりと過ごしたかったのだが・・・
実は旅に出てから鶴岡でこの時期ならではの見所があるとの情報をキャッチし、鶴岡到着後から翌日にかけてのスケジュールを急遽大幅変更することとし、車内では諸々の時刻表等(実際はスマホだが)と睨めっこする羽目に





そして鶴岡駅からはその”見所”へと直行することとしたのだが・・・何しろ急に決めたことでもあり、時間的に適当な交通機関が見当たらず、タクシーで直行することに


そして月山の見えるこんな駐車場へと到着



ここは松ヶ岡開墾場という場所で、戊辰戦争に破れた庄内藩士がその汚名を濯ごうと自ら桑畑を拓き、国内最大級の10棟もの蚕室を建設し、絹産業を発展に尽力したという歴史のある地
(その名残で、今でも庄内地域は国内最北のシルク産地であるとともに、日本で唯一、養蚕→製糸→精錬→染色/プリント→縫製というシルク生産工程を全て完結できる地域でもあるのだとか)




現在は5棟の蚕室が残っており、周囲の施設とともに観光地として整備されている
5棟の蚕室のうち2棟は展示室として、1棟は建物の構造を解説する施設として、更に1棟は飲食施設として利用されているのだが、残りの1棟は松ヶ岡産業株式会社の事務所として使われるとともに、現在でも小規模ながら蚕を飼育しており、毎年6月と9月には実際に蚕を見学することも可能となっている

今回、ちょうどその見学可能時期に当たっていることから、急遽予定を変更してこちらへと足を運んだ次第





先ずは元・開墾士住宅のインフォメーションで資料等を貰って見学開始



なお実際に藩士が移り住んで開墾を行った住宅内も見学可能



そして一番手前の4番蚕室から順番に紹介していきたい



ここ4番蚕室は「シルクミライ館」となっており、シルク製品の技術革新などの展示に加え、アートを含め作品の展示や直売所も設けられている


館内はこんな感じ







従来は製品になりにくかった堅い部分の糸(生皮芋)を活用した製品も紹介されている


一般的にイメージする絹とは違い、太さが安定せず、固さもあるため、繊維製品よりもスキンケア用品などの副産品の材料として使われることが多かったとのこと
しかしそのゴワゴワした感触を逆手にとって、麻のような良い意味での荒さを持ちながら絹の光沢もあるという不思議な感覚をウリにして繊維製品にも使用され、実際の製品に触れたり買い求めたりすることも出来る

一般的な絹製品と比べてリーズナブルということもあり、折角なので名刺入れなどを買い求めてみることに


また家政系の高校生が縫ったドレスなども展示されており、技術的には荒々しいのかもしれないが、凝り固まっていない発想でデザインされたドレスについつい見とれてしまう


・・・というか、これを制作する高校生も凄いが、指導する先生方もさぞ大変なのだろうな、などとも考えてしまう





そして4番蚕室の隣は貯桑土蔵との事なのだが、残念ながら内部は非公開



更に隣の2番蚕室は陶芸教室のほか、飲食店も営業しているとのことなのだが、今回は時間の関係で利用せず






そして到着した駐車場の反対側には開墾事業の本部であった(今でも事務所として本部?)「松ヶ岡本陣」と呼ばれる建物が残されている



この建物は元々鶴岡城修復の際に藩主の仮御殿として建てられた由緒ある建物
但し従来の一般公開は中止され、現在は予約制でのみの対応とのこと
今回は急に決めた訪問だったので、事前予約はしておらず外観のみの見学


そして本陣向かいの小高い丘の上に神社があり、開墾地を見下ろすように見守っている






そして再び開墾地に戻り、1番蚕室を見学


ここは「松ヶ岡開墾記念館」として、ここ松ヶ岡での開墾の歴史、養蚕技術の歴史などを展示している





そして蚕室の構造やその建材についても触れられており、埋薪と呼ばれる床暖房システムや


鶴ヶ丘(鶴岡)城の廃材を再利用した屋根瓦(藩士達がわざわざ運んできた)なども展示されている



また関連する施設の紹介もあり

鶴岡市内の風間家住宅


こちらはまだ訪問したことが無かったので・・・急遽、翌日のスケジュールに追加することに決定


そして17年前に訪れた田麦俣の住居と養蚕が一体化した古民家


こちらは訪れたことはあるものの、当時は戊辰戦争を含めた庄内藩と養蚕の関係史など全く知らず、予備知識無しで訪問したため「良い雰囲気の古民家だなぁ」で終わってしまっていたのが残念
また機会を見て再度訪問してみたいと感じるところ
(実は突然17年も前のブログを再投稿したのはこういう事情)





そんな歴史的背景を知ったところで、次は3番蚕室


一番観光地化されておらず、見た目は極めて地味


しかし何故か人の出入りは多い


そしてここの施設が今回のお目当てでもある「お蚕様」の展示が行われている「おかいこ様の蔵」

但し年に2ヶ月しか展示開放されておらず、専ら松ヶ岡産業という会社の事務所としてのカラーが強い
なので、玄関を入っても昭和の学校に紛れ込んだような場違いな感覚で、およそ観光地の雰囲気は無い

少々戸惑っていると、係の方が出てきたのでお蚕様を見学したい旨を伝えると、どうぞどうぞと蚕室内へと案内される

そして3700というお蚕様とご対面(なお蚕虫は「匹」と数えず「頭」と数えるとのこと)


係の方(社員の方)が本当にお蚕様を愛しておられる方だという事がひしひしと伝わってくるような語り口で、非常に丁寧にお蚕様について事細かく説明をしてくれる
もちろん係の方のお蚕様愛もそうなのだが、その背後にある日本古来のお蚕様へのリスペクトもしみじみと伝わってくるのである
(なぜ蚕虫を敬うか、「お蚕様」などと様付けで呼ぶのかと言った部分については、わざわざここで書くまでもないと思うので省略することにしたい)


また先ほどから「人の出入りが多い」と感じていたのは地域の学校で蚕虫の飼育に取り組んでおり、今の時期各学校の先生方が次々と蚕虫や桑の葉の引き取りにこの事務所を訪れているのだとか
確かに蚕虫の飼育となれば、社会の郷土学習、理科の変態の学習、家庭科の被服材料の学習に加え、道徳として命の学習にも使えるわけで、大変有効な活動なのだろう
(とは言え、蚕虫の繁殖はもちろん、餌の桑の葉も簡単に取れるわけでもないそうで、そうした材料集めに関わる方々はもちろん、こうしてわざわざ引渡しに訪れ、実際の飼育を指導する先生方など、この人手不足と言われるご時世に多くの大人が多大な労力を裂いているわけで、子供にそういった部分が見えているかは判らないが、そうした部分も是非感じ取ってほしいとも思うところ)


またお蚕様への餌やり体験もでき、桑の葉っぱをそっとお蚕様の上に乗せ、係の方の案内に従って耳を澄ませてじっと見守っていると・・・



下から顔を出したお蚕様があっという間にシャクシャクと音を立てて凄い勢いで葉を食べてゆく
じっと見ていても飽きること無く、段々と愛おしくも思えてくるのである(係の方がなぜお蚕様愛に溢れているのかよく判る気がする)


そして合間を見て、蚕室の構造や蚕虫の飼育過程についても話を伺う

先ほどの資料館にもあった埋薪と呼ばれる暖房設備だが、下から見上げるとこんな感じ


但し現在では灯油ファンヒーターを使用しているとのこと



・・・と、こんな具合で、時間を忘れてじっくりのんびりとお蚕様を眺めて過ごす





そして再び敷地内の施設見学を再開

3番蚕室のすぐ隣は「寄宿舎(旧酒井家蚕室)」という建物


どうやらアーティストによる工房兼ショップという位置づけらしいのだが、雰囲気的に冷やかしでは入りにくそうだったので外観の見学のみで通過





更に隣は5番蚕室があり、「蚕室構造見学」と位置づけられている



特に中に展示物があるわけでは無く、専ら建物そのものの構造を眺めるという趣向らしいのだが



何度も出てきた埋薪と呼ばれる暖房装置や



風通しの良い無双窓など


簡単なパネルや案内があるにはあるのだが、ちょっと物足りない感じ
何というか、個々の仕掛けについての説明はあるものの、全体的な建物の構造や養蚕に求められる蚕室の条件などの全体像に関するガイダンスが足らない感じなのである

事前に資料館や「お蚕様の蔵」で予習をする格好になっていたので、まだ判るのだが、いきなりこの建物に入ってきてもちょっと不親切に感じたかも知れない
逆に普段は公開されていない「お蚕様の蔵」に建物の構造に関するパネル展示があったり、資料館の展示順路からすると唐突な感じで埋薪の説明が出てきたりと(まあ埋薪の場所は固定されてしまっているので仕方ないと言えば仕方ないのだが)、建物の構造に関する展示があちこちにパラパラと散在している感じで、結局全体的に見ても中身が中途半端になってしまっている感じなのである


というか、ここの施設・・・現代~未来へ向けて技術やアートを軸とした「シルクミライ館」、養蚕が行われるようになった過程や技術革新といった歴史を軸とした「松ヶ岡開墾記念館」、そして蚕室に見られる構造上の工夫を展示した「蚕室構造見学」と3つの蚕室展示を行っているのだが・・・

この3つの蚕室がコンセプトの統一や棲み分けも無く、それぞれ独立した施設として各自で展示を作ってしまっている感じなのである
更に言うと「鶴岡における養蚕の歴史」や「シルク工業の流れ」そして「蚕室の構造」など基本的な話は何度も繰り返されており、少々飽き気味

折角1つの敷地内に3つの展示施設があるのだから、コンセプトを統一し、棲み分けるところは棲み分けて、重複を避けてそれぞれの館テーマを掘り下げつつ、全体で1つの大きな展示となるようデザインすれば、訪問者として深めやすい施設になるのではなかろうか・・・と感じてしまう





こうして蚕室は一通り見学してきたのだが、実は隣接地にもう1つ施設があって・・・

こんなブドウ畑の中に


こんな建物が存在


「 ピノ・コッリーナ・ファームガーデン&ワイナリー松ヶ岡」という、ワイナリー&レストラン

ただ残念ながら夕食に近くなってしまうという時間帯的にも、これから炎天下の移動が待っているスケジュール的にも、レストランでの食事やワインの買い求めは避けざるを得ず、干しぶどうなどを買い求めるに留めざるを得なかったのが残念なとこと

帰宅後にお取り寄せしてみようかとも思ったのだが、いわゆるネットショップではなく「お問い合わせで対応」という形になっており、ちょっと敷居が高く頼まず仕舞い
(ふるさと納税でのお取り寄せも出来るようなのだが、不交付自治体在住なので、あまりそれはやりたくないのである)





こうして松ヶ岡開墾場の見学を終え、今日の宿へ向かうのだが・・・

実はこのエリアのコミュニティバスは午前中に鶴岡市街地へ向かい、午後に市街地から戻ってくるようなダイヤになっており、旅行者には非常に使いにくい
かといって往復タクシーというのも贅沢すぎるように感じて・・・

結局、鶴岡市街から羽黒町中心部を経て羽黒山方面を結ぶ民間バスであれば、日中毎時一本程度運行されているので、そちらのバス停まで2kmちょっと歩くことに


松ヶ岡開墾場に別れを告げて



鳥海山を眺めながらのウォーキング





2kmちょっとというと遠く思えるのだが、実際は見通しの良い庄内平野
行程中ほとんど開墾場とバス停のある施設の両方が見えているので、方向や位置が把握でき、気持ち的にはまだ楽

下の写真の巨大な三角屋根がバス停のある施設






そして予定通り30分程度でバス停のある「ゆぽか」という温泉施設へと到着


有り難いことに、温泉施設であるがゆえに冷房の効いた売店やお手洗いも利用することができ、バスの待ち時間も快適(流石に入浴するほどの時間はなかったが)


そして庄内交通バスに乗車

※背景処理に一部生成AIを使用


しかしこのバスの車内・・・


妙にデジャヴを感じるのである・・・木目調の壁パネルに落ち着いたグリーンのモケット、そしてフカフカの座席・・・特に関西人なら、このエレガントな内装に見覚えがあるはずで・・・

多分アソコの会社からやってきた中古車なのかな、と想像が付いてしまうバス車両なのである
(見た目は末期色になってしまっているが・・・)


あと特筆すべきことと言えば、この庄内交通という会社・・・
「ローカルバスは遅れてくるのが当然」という勝手なイメージがある中、とにかく時間厳守の会社なのである
この後も数便利用することとなったのだが、全て時間厳守、そしてそれゆえローカルバス同士を6分で乗り継ぐことも問題なかったという素晴らしさ
(遅れることを前提に、乗り継げなかった場合の対応案も考えていたのだが、それは良い意味で無駄になってしまったのである・・・普通なら接続を取っていないローカルバス同士で6分というのはそもそも自殺行為とも思えるのだが)


で、本当は構成上、先述の「風間家住宅」訪問編もセットにしたかったのだが、予定以上に長くなってきているので、今回はこのあたりで・・・(そうは言っても、次回が寄せ集め感満載になってしまいそうで怖い)
Posted at 2024/10/04 18:57:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅(2024年) | 日記
2024年10月03日 イイね!

湯殿山と蔵王お釜へ行った話(回想)

#この記事は2007年夏の話ですので、既に情報源としての利用価値は無いものとご承知おきください
#「東北の旅報告 その11 9日目 湯殿山と蔵王お釜」(2008年1月公開→その後経年により公開中止)を、一部修正のうえ新規記事としてアップし直したものです
#今とは記事のスタイルや文体が全く違ったり、写真もネガ特有の柔らかさのある描写だったりと雰囲気がかなり違っていますが・・・(当時は今とは逆で、文章がメインで写真はオマケだったので)






● バイパスから外れて旧道へ


前夜は道の駅「月山」で車中泊。この日の天気は快晴とは行かないまでも晴れ。今回の旅では豪雨の後遺症に悩まされはしたものの、天候そのものには結構恵まれていると言えるだろう。

まず道の駅「月山」構内を散策。少し期待していた蕎麦屋は11時からの営業とのこと。まあ今日は蕎麦処である山形近辺を通るのでどこかでお蕎麦も食べられるだろう。


(写真:道の駅「月山」)

そして駐車場と国道を挟んだ、道の駅駅舎へ向かうと…何と道の駅のメインはワイナリー。
早朝だったこともあり、製造ラインはストップしていましたが、売店はフライングでオープンしていたので、晩酌用に小ボトルを購入しておきます。


(写真:道の駅駅舎)


さてここ道の駅のある国道112号は、前後を高速道路と繋ぐかたちでバイパスが整備されており、山形-鶴岡は快適な走行が楽しめるのですが、今回は敢えて旧道へ入って行きます。

先ずは道の駅のある朝日村まで移動し、少し寄り道がてら散歩してみます。ここ朝日村は出羽三山の宿坊街としの役割を果たした寺院が点在し、周囲の農村風景とマッチして良い味を出しています。


(写真:農村風景)


(写真:寺院)


そして少し山形方面へ進んだ田麦俣には茅葺き民家が2軒残っており、一軒は民宿、もう一軒は一般公開されているということなので立ち寄ってみたいと思います。

ここの茅葺き民家は「かぶと造り」と呼ばれる屋根に特徴があり、何でも屋根裏で養蚕を行うために改造されたものだとか。
そういえば利用できなかった道の駅「月山」横の蕎麦屋もこの建物をモチーフとした造りになっており、なかなか良い雰囲気を出していた。


(写真:かぶと造りの茅葺き民家)

駐車場に車を止め、先ずは民宿へ。一般公開のほうの茅葺き民家も民宿が管理を受託しているようで、民宿で入館料だけ払ってあとは無人の茅葺き民家を自由に見学するシステムになっています。
民宿の玄関で声を掛けると、つやつやした肌の元気なおばあさんが温かく出迎えでくれて、田舎っていいな~って気分にしてくれます。


そしていよいよ茅葺き民家の内部へと入っていきます。


(写真:玄関付近)



(写真:内部)

内部には昔のくらしの道具などが展示されており、その質素な暮らしぶりを見ていると、現代の豊かさについていろいろと感じさせられるものがあります。また床の間の掛け軸などからこの地域の出羽三山信仰がよく伝わってきます。


そしていろいろ感じさせられるといえば…


(写真:壁面)※画像にぼかし加工をしています。

実質無人状態で公開しているのだから仕方がない…となるのかもしれませんが、こういう事が目立つともう見学させて貰えなくなってしまうかも知れません。それに暖かく出迎えてくれた民宿のおばあさんにも申し訳ないとは思わないのでしょうか。非常に残念に思います。

再び民宿に顔を出して、おばあさんにお礼を言ってから次へ向かいます。おばあさんから丁重な旅への労いのお言葉を受けて、暖かい気持ちで旅を続けます。





● 温泉の山 湯殿山


次は出羽三山の残り一つ(月山神社は既に冬眠に入っているので、今回は前日に訪問した弥陀ケ原で月山はクリアという事にします。)である湯殿山へ参拝します。
一旦バイパスを走行し、湯殿山近くから再び旧道で湯殿山ホテル横にある湯殿山有料道路入り口へと向かいます。ここの有料道路は少し道幅の狭い山道といった感じです。


(写真:湯殿山有料道路)

有料道路は途中の大駐車場で終わり。ここから湯殿山神社までは徒歩またはバス利用になるのですが、時間の制約とバス道路を歩かざるを得ないということを勘案しバス利用としました。
ちなみにバス道路以外にも参道はあるのですが、行者道であり一般人は通行禁止になっています。


(写真:大鳥居と参篭所)

バスを降りて湯殿山神社へ向かう途中に、月山への登山口もあり、昨日の弥陀が原まで縦走することも可能なようです。


(写真:月山登山口付近)

登山口のすぐ脇に御祓所があり、そこで参拝料を支払って御祓いを受け、紙の人形を流してから参拝です。しかも参拝は素足で行います。
更にここの神社は写真撮影は禁止されています。なかなか厳格な神社だなと思いながらいよいよ参拝開始です。

#写真撮影は禁止なので、当然ながら写真はありません。今回撮影した写真は写真撮影禁止のエリア外を撮影したものであり、撮影禁止エリアは写っていないはずです。また写真の掲載にあたっては再度確認を行い、観光案内のパンフレットを基準にし同様な写真が掲載されていることを確認したうえで掲載しています。


「何故、素足?」…と思っていたのですが、その理由は湯殿山神社の御神体(ここの神社は御本殿や御本尊の類はありません)に答えがあり、お湯を踏んでその御神体に昇って参拝すことになるからなのですが…
この御神体については、昔は参拝後にそれを語ることすら禁止されており、松尾芭蕉もただ「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」とだけ詠んでいる神秘の山です。今回はそういった趣旨を踏まえて敢えて詳細な記録は避けることとします。
ただ感想を述べると、日本古来の自然信仰を感じることの出来る場所であると感じます。それに湯殿山という名の通り温泉と関わりのある場所ということでも親近感を沸く場所でした。

参拝を終えると足湯があり、神聖なお湯で足を清めて参拝終了となります。神聖な気持ちでバスに乗り込み、大駐車場へと戻ります。


さて再びエクスに乗り込み…といいたいところですが、ここ湯殿山にはもう一つ気になる施設があります。
大駐車場に隣接して参篭所お寺でいうところの宿坊にあたる宿泊施設です/上の鳥居の写真の左手の建物)があり、その中でこの神聖な温泉に日帰り入浴できるとの事なので、朝風呂に立ち寄ってみたいと思います。

受付で入浴料を支払い、階下の御神湯へ向かいます。途中に綺麗で明るい近代的浴室がありましたが、こちらは宿泊者用の普通のお風呂。目的の御神湯は地下の物置のような業務用スペースの奥にありました。
しかし朝風呂などと軽い台詞で考えていましたが、ここでの入浴は参拝の一つの形であり、独特の厳かな雰囲気の中での入浴となりました。

「御神徳に預かるための湯」なので洗い場の類は無し。石鹸類やカミソリの使用禁止、窓もなにも無く、神棚のみがある浴室で温い茶色の湯にひたすら浸かるといういかにも御神徳がありそうな雰囲気でした。
なお飲泉所もあり、こちらは浴用とは別の源泉が引かれているとの事。さらに男湯と女湯でも源泉が違うとか。東北の温泉だけあって、源泉も豊富なようです。


(写真:御神湯の説明)


(写真:浴室の神棚)


(写真:浴槽)


(写真:張り紙)

そして入浴を終えロビーへと向かう途中、階段の横の業務用スペースが見えたのですが、山菜がつるしてあったり、山菜用洗濯機があったり、胡麻豆腐を作るために胡麻摺機が作動していたり…


(写真:胡麻擂り機と山菜洗濯機)※業務用スペースなので一部のみアップにしています。

そしてこの山菜や胡麻豆腐はここの食堂で出している食事に…相当なスローフードですね…これは食べないわけにはいかないでしょう。本当は山形まで行ってからどこかで名物のお蕎麦を食べようと思っていたのですが。
と、いうわけで急遽ここで食事をとっていくことに決定。まあ朝食を食べ損ねていたので丁度良かったです。

ロビー横の食堂へ入ると、昔の国民宿舎の食堂のような設備で、係のおばさんたちが寛いでおり、食事をしたいと申し出ると、注文を聞かれた上で隣の座敷(宴会場?)へ通された。
食事が運ばれてくるまでのあいだ、湯上がりということもあり、広々とした座敷で食事が運ばれてくるまで休憩となった。

そしていよいよ食事が運ばれてきました。


(写真:食事)

見た目は地味ですが、しかしこれは「究極のスローフード」。
美味しくないはずがありません。小鉢まで含めて味付けも中々のモノです。そして山菜や胡麻豆腐は期待を裏切ることのない絶品です。
あと天ぷらに謎の具があり、後で係のおばさんに尋ねるとアケビとの事。アケビを食べたのは初めての体験でした。
当初この蕎麦定食で¥1575という価格に躊躇したのですが(これでも一番安い)、充分に納得の出来るモノでした。

最後に受付でお会計をし「斎食料」という有り難い言葉で書かれた領収書を頂いて、湯殿山を後にします。





● 庭園を眺めて板蕎麦を


再び湯殿山有料道路を経由して、国道112号まで戻り、バイパスを快適に山形方面へ走って行きます。途中の月山ICからは高速道路扱いになるので、一般道を山形方面へ走ることにします。地域的にそこまで酷い渋滞に巻きもまれることもないだろうという判断です。

高速道路と分岐してしばらく走ると、ナビに道の駅「にしかわ」の文字が見えたので、そこで休憩。月山湖のダムを眺めながら暫し休息をします。ただここの道の駅、ナビの表示では道の駅となっていますが、そういった看板も無く、ただのドライブインのような雰囲気も漂っています。


(写真:ダム)

しばしの休息の後、再び山形方面へ走り出します。そしてしばらく走ると…「道の駅にしかわ」の看板。どうやらこちらが本当の道の駅のようだ。
別に道の駅巡りをしている訳ではないが、折角なのでこちらへも立ち寄ってみます。

この道の駅には「月山銘水館」のサブネームが付いており、その名の予想させるとおり…やはりお酒の工場が併設されていました。ただ地ビール工場とのことで、これから持ち歩きを考えると購入は断念。その代わりといってはなんだが、売店で地酒がカップ酒も含めて豊富に取りそろえられていたので晩酌用に数点購入しておきます。


…そんなこんなで少しゆっくりしすぎている感があります。
いや湯殿山で予定にない食事をとったために次のお蕎麦のためにわざとゆっくりしていた節もあるのですが…。
予定では今日は蔵王のお釜くらいまで進みたかったのですが、このペースではその手前の山形近辺でのお蕎麦の計画すら怪しくなってきます。思い切って今日の行程を山形までに縮小する手もあるのですが、旅の日数も残り3日と少なくなってきているので思い切って先へ進みたいと思います。

先ずコンビニへ立ち寄ってお蕎麦屋さんの情報を収集。ここから一気に高速で山形蔵王ICまで走り、そこからお釜へと向かう途中で食べられる店をサーチします。少し営業時間ギリギリになりそうですが、三百坊というお店をチェック。とりあえず行ってみてダメなら、蔵王近辺は結構蕎麦屋激戦区のようなので、他を探してみることにします。

で、出発。これから蔵王方面へ昇っていくことを勘案し、ガソリンだけ満タンにして走り出します。ちなみに蔵王のお釜から先の行程はあまり考えておらず、宮城方面へ抜けるのか、はたまた山形方面へ戻ってくるのか、あるいはお釜近くで車中泊となるのかはまだ決めていません。とりあえずお釜だけ見て、近くの温泉を探して…それから考えようということです。


山形蔵王ICから西蔵王高原ライン方面へと走っていくと、至る所に蕎麦屋の看板が出ており、かなりの蕎麦激戦区の模様。

そんな中で、今回のめあての三百坊は脇道に入り、農道のような道を通って…少し不安になって来た頃に、ビニールハウスなどがある農家の庭先のような駐車場に到着。車を止めて、お店の方に歩いていくと…


(写真:外観)

立派な庭園に囲まれた古民家が佇んでいました。
先ずはLO時間まで5分程度となっているので、お伺いを立ててみます。声を掛けると…「一人?…う~ん、普通の板蕎麦で良ければどうぞ!」との有り難いお言葉。暖かい親戚のウチに遊びに来たような雰囲気の座敷へと通されます。


(写真:内部)


メニューを見てみると…


(写真:メニュー)

一人の場合、どちらにせよ板蕎麦しか選択肢がなかったわけで、全く問題は無かったということになるだろう。
そして庭園を眺めつつ、蕎麦茶を頂きながら、お蕎麦が運ばれてくるのを待ちます。


(写真:庭園を眺めながら)

しかし庭園も古民家も立派で素晴らしいです。静かなひとときを究極の癒しの空間で過ごすことができました。


そしていよいよ板蕎麦とのご対面。大きさがわかるようにお箸を置いてみましたが、並なのに通常のもりそばの2~3倍くらいありそうなボリュームです。ちなみに運んできてくださったご主人(?)の言によると普通の蕎麦の二人前弱との事。


(写真:板蕎麦)

そして店の方も色々と親切で、良い感じのお店だと思います。LOギリギリに駆け込んだにも関わらず…。
正直なところ湯殿山の蕎麦定食からあまり時間が経っていないこともあり、お腹は少し悲鳴を上げています。もしも残すようなことになれば…と、少し辛い気持ちになります。

しかし食べ始めると…そんな事は吹っ飛んでしまいました。いやむしろ大盛りでも良かったかと思えるくらいで…。
決して奇をてらった訳でもなく、オーソドックスな二八蕎麦なのですが、自己主張しすぎない素直な味わいでスルスルお腹へと入っていきます。
お腹は確かに悲鳴を上げているのかもしれませんが、そんな事は些細なことで…結局そば湯まで綺麗に平らげてしまいました。

味・ボリューム・接客・建物・雰囲気・周辺環境…どれもがほぼ満点なのではないでしょうか。非常に満足のいく食事ができました。





● 霧との戦い…蔵王お釜


さて腹ごしらえも十二分にして、次はいよいよお釜へと向かいます。

ただこの段階で2つほど心配事があり、1つはお釜へと繋がる蔵王ハイライン有料道路の営業時間、もう1つは日があるうちにお釜までたどり着けるのかということ。ナビの到着予定時刻はまあ問題無さそうな時間が表示されているのですが、途中の蔵王エコーラインこと県道12号が結構曲がりくねった道のようなので、予想時刻に到達できるかは全く不明です。(ナビは単純に距離÷平均時速で計算しており、道の良し悪しは計算に入っていない)

とりあえず蕎麦屋を出てすぐの西蔵王高原ラインの料金所のおじさんに聞いてみると、蔵王ハイラインは特に営業時間は存在しないとのことなので一安心。もう1つの心配事の所要時間については料金所で観光地図を配布しており、それを見る限りナビの到着予定時刻と大差なく到着できるようなので、とりあえず行くだけ行ってみることにする。
まあダメならお釜の駐車場で車中泊するくらいの覚悟はあるので…。


先の2つの心配事は解消され、軽い気分で蔵王エコーラインを走っていきます。快適な2車線道路で、交通量も少なく対向車すらあまり走ってきません。気持ちよく快走し続けられます。(エクスは飛ばす車でもありませんが…)


(写真:蔵王エコーラインを走る)


しかし標高を上げるにつれ、次なる心配事が浮かんできた。…天気は大丈夫なのか!?


(写真:雲行きが…)

最後の蔵王ハイライン有料道路に入る頃には、辺り一面の霧。完全に雲の中に突入してしまったみたいです。
肌寒い山頂の駐車場に車を止め、お手洗いを借りにレストハウスに入ると…直後に閉店の案内。ただ観光バスも多く停車していたので、観光の時間としてはギリギリ許容範囲だったようだ。

そしてお釜の見える展望所へ歩いていく途中、観光バスで来たと思われるバッヂを付けたオバサンたちが駐車場へと戻っていきます。
その中の一人が「あ~ら、あなた残念ねぇ~。今ちょっとだけ見れたのよ。ま~あタイミング良かったわ。ホント残念ねぇ、あなた。」と声を掛けてきた。そしてこの発言に大人気なく少しムッと来てしまい、意地でもお釜を見てやるぞ!という闘志がメラメラと沸き上がってしまったのだった。まあ後でこれが吉と出るのだが…。


そしてお釜が見えると思われる方向を見てみるも…(霧の中だとどの方向に見えるかわかりにくい)


(写真:お釜を見る1)

「チーン」…と言いたいところですが、オバサンも「ちょっとだけ見れた」と言っているのである。雲の動きのタイミング次第ではもう一度くらいお釜を見れるチャンスがあるだろう。あのオバサンを見返してやろう!という闘志が気長に待つというチョイスを後押しする結果となったのだった。
そして霧の中、吹き付ける風の寒さに震えながら待つこと10分(…この10分は長かった)


(写真:お釜を見る2)

少し見えてきました。…しかしあっという間に再び雲が迫ってきて、再び霧の中。
折角ここまで来たのだからと、ベストショット目指して、もう少し粘ってみることにします。いや…あのオバサンに対する闘志がこの選択をさせたのかも知れない…。

日暮れを気にしながら、しばし待ってようやく今回のベストショットとなりました。


(写真:やっと見えたお釜)

しかしこの直後に再び厚い雲に包まれてしまい…おそらくこれが今日最後のお釜展望だったのではないかと思います。

折角なので日暮れまでの間、厚い雲の中、刈田岳山頂まで散策してみます。


(写真:刈田岳山頂)


(写真:刈田岳山頂付近)

なんとも不気味な光景で、他に人もおらず…一種の肝試しのような雰囲気でした。





● 遠刈田温泉へ


お釜を見れたことに満足し、薄暗い道を宮城県の遠刈田温泉へ向かって下りていきます。日暮れの早さと風の冷たさに季節の移り変わりを感じながら…

この近辺には遠刈田温泉の他にも多くの温泉がありますが、営業時間の関係などで今回は遠刈田温泉に照準を合わせます。


遠刈田温泉に到着したときには既に真っ暗。手持ちのガイドブックをもとに公衆浴場へ向かうのですが…見あたらない!?
よく探してみると、本来なら公衆浴場があるはずの場所に「神の湯」という真新しい温泉施設が建っているではないか。駐車場も有料でしかも自動管理タイプである。更に既に閉まってはいるが観光案内所まで併設されている立派な観光温泉の雰囲気である。


(写真:神の湯)

しかしこの神の湯は綺麗すぎて、少々躊躇してしまう。何せ東北を旅し続けているので秘湯や湯治場、古典的な公衆浴場に慣れてしまっているうえ、温泉も塩素臭かったりすると今ひとつサッパリしないのである。
そうは言っても、新しい施設というだけで、何となく躊躇してしまうのも良くないと思い、思い切って突入。

すると施設こそ新築されているものの、内部はシンプルな公衆浴場そのものである。番台のおばさんに聞いたところ、昔の公衆浴場が老朽化したので建て替えたとの事。

結構賑わっていたので、内部の写真はありませんが、浴槽はガイドブックに載っていた昔の公衆浴場の浴槽を真似て作られているシンプルなもので、あつい湯とぬるい湯の2つの浴槽があり、交互にのんびり浸かります。
他のお客さんも地元の人が多く、雰囲気も公衆浴場そのもの(あと石けん類の備え付けも無いです)。新築の清潔感と公衆浴場の雰囲気を兼ね備えた素敵な温泉でした。


さて温泉でサッパリしたところで、車中泊地探しと遅い夕食にしたいと思います。
明日以降は磐梯方面へ向かう予定なので、車中泊は遠刈田温泉から少し南下した道の駅「七ヶ宿」に決定。
そして夕食なのですが、時間が時間なのでこの近辺では飲み屋しか選択肢が無さそうです。コンビニも覗いてみたのですが、ローカルコンビニということもありあまり魅力ある弁当類は無し。ただ元が酒屋のようで色々と面白い地酒があったので、特に気になった1本を買い求めます。これが今晩の晩酌となったのでした。

結局夕飯は白石の市街地まで出て食べることにして出発。しかし白石も大きな街ではあるが、この時間では郊外型の店しか無く、夕食は吉野家、その後ブックオフで立ち読みという何とも旅とかけ離れた行動をとることに…。
やはり旅も長くなってくると無意識にいつもの都会生活を求めるようになるのかも知れません。


そして道の駅「七ヶ宿」まで走って車中泊準備を完了させ、晩酌。ここ道の駅「七ヶ宿」は携帯の電波があるか少し心配だったのですが、バッチリ3本アンテナが立っています。やはり夜間の非常事態に備えて、携帯が使えない場所では晩酌は避けるべきでしょう。飲んでしまうと非常時に運転して移動することができませんから。

で、先ほど見つけた面白い地酒とはスパークリング日本酒。一昨日の旅ブログで、あるお友達の方から頂いたコメントでスパークリング日本酒が話題になっていたこともあって、地酒のスパークリング日本酒に手が伸びた次第であります。


(写真:蔵王酒造「風の乙女」)

銘柄は蔵王酒造「風の乙女」。純米でしかも低いアルコールと旅先での晩酌にもってこいです。味のほうは日本酒独特のとっつき難さは無く、日本酒というよりスパークリングライスワインとでも言うのでしょうか、ただ酒粕の存在が日本酒の濁り酒であることを主張します。「あまり日本酒は…」というひとでも気楽に飲めるお酒ですね。


さて前日に続いて、今日も湯殿山・板蕎麦・お釜と充実した旅となりました。





#オリジナルの記事に頂いていたコメントを紹介します


妙延寺さん 2008年1月28日 19:00

見覚えのある個所が沢山ですねえ。

しかし、落書きは世界に行っても悪い癖ですね日本人は。ノートでも置いておく方がいいかな。
湯殿山でのお風呂は意外でしたねえ。料理はおいしそうで、機会があれば食べてみましょう^^。
三百坊なる蕎麦屋もそうですが、一軒家みたいな座敷から景色を見ながら蕎麦をいただくのが新発見でもあります。町中の店では経験できません。
しかし、国道4号の吉野家からまた七ヶ宿に戻るのは御苦労様でした。
内容の濃い旅でまとめるのもちょっと苦労ですね^^

湯殿山は5月の連休前に除雪するので、雪の壁を体験できます。
風の乙女ですか、自分は一回で飲んだら死んでしまいます。



コメントへの返答 2008年1月31日 0:18

落書き…確かにノートとか置いておくのが良いかも知れません。個人的にこういう落書きは恥をさらしてるだけのような気がします。
湯殿山…ここは色々な意味で興味深い場所でしたね。雪壁も体験したいです。
蕎麦屋…確かに。都会ではなかなか経験できませんよね。味やサービスも重要ですが、こういう環境的な要因も店の評価に影響しそうです。
吉野家…折角遠回りしたので、もう少し凝ったものでも食べたかったのですが…。でも偶には街の空気を吸ってみるもの良いものだと感じます。

確かにまとめるのも苦労ですが、折角の旅の記録ですから、こういう形でまとめて置くのも良いかと思います。また旅先でのブログも生の声の記録ですから、みんカラをやっていたことで、旅の記録を残すには良い影響を受けていると思います。

風の乙女…日本酒らしからぬ低アルコールなので一度お試しあれ^^
Posted at 2024/10/03 19:55:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅(~2008年) | 日記
2024年09月24日 イイね!

仙台でペンギンを見た話

※今回の記事は「1日分」という設定で作成していますが、実際は「午前の部」と「午後の部」それぞれ仙台滞在中の別々の日の出来事です





朝、仙台駅から出発



立ち食いそば屋でパパッと「山形風だし蕎麦」の朝食を済ませ



地下深くから仙石線で移動

※実は帰路の写真


仙台市内の中野栄駅でこんなバスに乗り換え






そしてこんな施設へと到着


見た目は随分と地味な感じなのだが・・・こちらは「仙台うみの杜水族館」という施設
横浜八景島シーパラダイスによる運営で、それゆえ西武グループでもあり、西武関係の割引が利用できるとのこと


東北や三陸の海を意識した展示構成とのことで、いきなりホヤの天井水槽からスタート



牡蠣の養殖展示


フランス式養殖法との比較などもあり、なかなか興味深い(←結局、食べることしか考えていない私^^;)


海女に関する展示



私が関西人だからなのか、あまり三陸=穴子というイメージはなかったのだが、南三陸は穴子の名産地とのこと



そしてメインの大水槽では、鰯の大群が練り動いており、その集団行動は見ていて飽きない



またニモやクラゲなど、流行の魚も展示中




そして目玉の一つは日本では2館でしか見られないイロワケイルカ



そこそこ広い水槽なのだが、水槽一杯を目一杯に使ってくるくると泳ぎ回っており、見ていて飽きない

野生のものはフォークランド近辺に生息する小型のイルカなのだが・・・現地ではお目にかかれず
もっとも、現地では簡単にお目にかかれるものでもなく、またその小型さ故なのか捕鯨関係の展示で触れられる事も無く、全くその存在を意識することは無かったのだが


そして水族館ならではのシアターもあり、イルカとアシカのショーを開催中








そして今回のメイン(?)であるペンギンコーナー

建物側の室内水槽はこちら(すみません、お友達限定です)で見た種も多く、個人的に親しみを感じるところ

現地でも対面したオウサマペンギン



野生だと接近には制約があるが、水族館であればガラス1枚挟んだところまで接近してじっくり見学出来るのが嬉しいところかもしれない


それにしてもバランスの悪い泳ぎ方・・・


広いとも言えない水槽ではあるのだが、そこそこのスピードでジャンプも披露



そしてこれまた現地で出会ったオレンジ色のくちばしが印象的なジェンツーペンギン



泳ぎの達者な種なのだが・・・今回は華麗でスピーディーな泳ぎにはお目にかかれず仕舞い


更にユニークなコロニーが思い出深いイワトビペンギン


・・・それは餌ではないですよ^^


そして反対側の開放型の水槽にはフンボルトペンギンが飼育されている



ちょうど触れ合いタイムの一環で餌やり体験(別途整理券の購入が必要)が行われており、餌を前にペンギンたちのテンションはMAX^^;


それにしても暑い日本のほぼ屋外で開放的に飼育されており、フンボルトペンギンは比較的飼育しやすいと言われることに納得がいく光景である(それゆえあちこちの水族館で見ることが出来るのだろう)


更に建物外に「うみの杜ビーチ -PENGUIN LIFE-」というゾーンがあり、南アフリカのボウルダーズビーチ(すみません、お友達限定です)をモデルにして設計された水槽でケープペンギンが飼育されている


ぱっと見の第一印象は「そんなに似てるかな?」と言った感じだったのだが、改めて当時の写真を引っ張り出して見比べてみると、なるほどよく再現されているのではないだろうか


そしてボウルダーズビーチの記憶を思い起こしながら、しばしケープペンギンウォッチング









そしてちょうど昼時だったので、少し遠回りしてこんな食堂に立ち寄り、暖かい店員さんたちに迎えられる


水族館近辺は仙台港近くの港湾エリアになっており、観光客向けでは無い飲食店も存在しており、牛たん屋の看板を掲げては居る物の、普通のオフィス街的なランチメニュー(日替わり定食・唐揚げ定食など)の品揃えも豊富
ただ港湾エリアなので、水族館にしろ、駅にしろ、歩くと微妙に遠いのが難点だろうか


「ホヤの唐揚げ」が非常に気になったのだが・・・実はこの日の午後は所用があるため飲むわけにもいかず、素直に牛タン定食を選択


よくある牛タン定食とはちょっと違って、良くも悪くも生々しい肉感のあるお味で、好みは少し分かれるかもしれない
(肉の生々しさが無いのが牛タンの良さだと思っている方にはおすすめし難いかも)


そして中野栄駅まで歩いて戻り、ある日の午前の部は終了





そしてここからはある日の午後の部のスタート

仙台駅から地下鉄で移動


仙台駅って、意外にJRと地下鉄の乗り継ぎが遠い・・・過去の記憶にも思い当たらず・・・
よく考えてみると仙台で地下鉄に乗ったのは初めてだったかも知れない


そして終点の富沢駅まで移動



先ほど乗ってきた車両が引き上げ線で待機しているのを横目に



地下鉄の終点の先に続く非営業の高架線路を道しるべに住宅街を抜けて



再び地下鉄の非営業線路の続く先へと到達






実はココ、地下鉄の線路の先に続く富沢車両基地なのだが、この敷地内にこんな施設が併設されているとのことで、ちょっと寄ってみた次第



車両基地の一角に小さな建物が存在



館内(入館無料)は市電車両3両と簡単な資料が展示されているシンプルな施設



上の2枚の写真に写っている範囲が館内のほぼ全て


3両の展示車両





それにしても当時の車両はステップが高く、私ですら上り下りは大変なので、年配の方には相当厳しかったのでは無いだろうか



展示車両は乗車見学可能だが、運転台のレバー・スイッチ類も触っても構わないが、吊り革類は痛みが激しいので触れないように、というちょっと複雑なルールになっている




路面電車のミラーの見え方を確認する機会はなかなか無いかも



但し1号車に関しては運転席も立ち入り禁止となっており、妙に西洋風のマネキンが往時の乗務員の雰囲気を再現している



そして見学を終えて、再び富沢駅まで歩いて戻る






富沢駅から1駅だけ地下鉄に乗り、長町南駅まで戻る

そして駅から数分歩くとこんな緑溢れる一角が見えてくる



近づいていくと、周囲とはちょっと違ったような森が広がっている


この森は約2万年前、旧石器時代の仙台付近の植生を再現しているもの

実はこの一角、元々は学校を建設する予定だったのだが、事前の発掘調査の中で約2万年前の森林の跡に加え、旧石器人のキャンプ地の跡(焚き火の跡や石器)が出土したため、計画を変更してこの遺跡を保存する施設が建設されたという次第


その富沢遺跡を保存する地底の森ミュージアムはこんな建物


地下水の侵入を防ぐために巨大な筒を地面に埋め込むような形で建設されており、遺跡が発掘された層まで地下へ潜っていくようなエントランスとなっている


で、内部はこんな感じ



元々ここは湿地であり、その水分の中に保存されるような状態で当時の森林が発掘され、水分を樹脂で置き換える形で保存処理がされ、目に見える形で展示されている



つまり旧石器時代の環境がそのままの形で残された状態で保存されている、という事なのである

そんな珍しい施設なので、他の博物館の展示や文献の中で「旧石器時代の環境」と「遺跡の保存技術」どちらの文脈でもこの施設の名前を目にする機会が多かったのである
そんな事もあって、ぜひ一度は訪問したいと思っていたのだが、なかなか機会が無く、今日に至ってしまった次第


そしてここはただの森林ではなく、旧石器人のキャンプ地跡が残されていることも特筆すべき点である

焚き火の跡


石器を入れた穴(何故穴に入れる必要があったのかは不明だとのこと)


状況的に定住の跡では無く、狩猟中に日が暮れてしまい一回限りのビバークをしたような跡ではないかと考えられているとのこと


そして人間だけで無く動物の痕跡も残っている



またメインの遺跡展示の他にも展示室が設けられ、旧石器時代の環境、キャンプを行った旧石器人の行動、石器の作り方、遺跡の保存技術(現物に手を触れることも出来る)などについて触れられている


そして更に土日など一部の日には旧石器人が登場するというイベントもあって・・・


言葉が通じない旧石器人に絡まれたり(なかなか芸というか設定が細かい)、実際に石器で毛皮をカットして見せるなどのショー(?)が行われる
但し毛皮のカットは手を切りかねない事もあって、旧石器人による実演だけで見学者には体験させてくれないとのこと(・・・と、言葉の通じない旧石器人が身振り手振りでそんな事を伝えてきた)


その代わり(?)見学者向けには石器で紙を切るという体験が用意されている


こちらは現代日本語の通じるスタッフが対応してくれるのでご安心を・・・





そして閉館ギリギリまでミュージアムを見学し、仙台駅へと戻り早めの夕食

時間が早かったこともあって、いつも行列の出来ている牛タン店に行列がない・・・
尋ねてみると「他のお客さんの予約の時間までなら」との事で、待ち時間なしで席に案内される


宮城県の日本酒を飲み比べつつ



生かまぼこのフライをつまんでから



時間を見計らって牛タン定食


こちらの牛タンは良い意味で生々しくないお馴染みの食べやすいタイプ


と、こんな感じで仙台でのフリータイムは終了

なお仙台編は今回の1回完結となります(仙台の続編はありませんが、帰路の寄り道編は機会があれば・・・)
Posted at 2024/09/24 08:00:15 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅(2024年) | 日記
2024年09月06日 イイね!

国会議事堂で一杯呑んだ話?

#今回の話はこちらの記事ごめんなさいみん友さん限定ですの<中略>に当たる部分の後半になります





夕刻、大阪・伊丹空港・・・ではなく、ニューアーク・リバティ国際空港・・・でもなく・・・(某みん友さんのネタをお借りしました^^;)


本当は・・・オーストラリアのブリスベン国際空港へと到着

実は今回の避暑の旅の最終目的地からの帰路にあたるのだが・・・
最終目的地での話はまた機会を改めて別の記事で触れることにしたい


ここからオーストラリア国内線へと乗り継ぐのだが、税関の関係もあり手荷物等はここでピックアップしなくてはいけないシステム(日本と同じ)

なので入国手続き完了後、国際線ターミナル内の国内線チェックインカウンターで再チェックインして


連絡バスに乗って


国内線ターミナルに到着する頃には既に真っ暗



国内線ターミナルのエアサイドはフードコートなども充実し、かなりの賑わい


カンタスのラウンジに引きこもっても良かったのだが、エアサイドに色々なお店があり、なかなか楽しそうなのであちこち覗きながら乗り継ぎ便を待つことに


あるバーのメニューに、10年ほど前に訪れたアデレード近郊のカンガルーアイランド産のジンを使用したネグローニがあったので、一杯飲みながら一休み






そして乗り継ぎ便は久々のプロペラ機であるCRJ


バスではなく、ターミナルから直接徒歩で搭乗するシステム
そして機内はほぼ満席状態


2時間ほどのフライトで全く期待していなかったのだが・・・簡単な機内食が配られる


「人参スティック+ディップソース+クラッカー」というシンプルなパックなのだが、旅先の野菜不足もあり人参スティックは嬉しい限り
しかも最終便だったこともあってか、余った機内食も希望者に配付されたので・・・さもしくも機内食のお替わりまでしてしまう事に^^;


そしてこんなコンパクトで綺麗な空港に到着



ここはオーストラリア連邦の首都であるキャンベラ国際空港

オーストラリア独立時に、首都をシドニーにするかメルボルンにするかで揉めた末、結局両都市の中間に新しく計画都市としてキャンベラを建設して首都とすることで妥結したという経緯で首都となっている都市である
しかし計画都市として作られたが故に、その昔少年だったNEOCAに「役所と国立大学しかない小さくてつまらない街」などと教える人がいて・・・それを信じ込んで、中年になって久しい今日まで足を運んでいなかったという次第


実は今回の旅のエアチケットは諸事情により「日本-シドニー往復」と「シドニーから先、最終目的地までの往復」という2分割となってしまったのだが・・・
後者のチケットが、「往路はシドニーから直行便」+「帰路はブリスベン経由便」となってしまい、帰路に関して別にシドニー以外の空港を目的地にしても料金がほぼ変わらなかった(サーチャージは当然多少異なる)こともあり、折角なのでキャンベラを訪れてみることにした次第

実はそういう意味では必ずしもキャンベラである必要もなかったのだが・・・
帰路のフライトがシドニー発であることから、そこまでのアクセスを考えると、シドニー空港まで直通の高速バス(ほぼ毎時1本運行)で3時間そこそこで到達できるキャンベラが良いだろうという判断になった次第
あと個人的には「オーストラリアの全州を制覇してみたい」という気持ちもあり、キャンベラを訪れれば「オーストラリア首都特別地域」を制覇したことになる、という理由も一つに挙げられるのだが・・・





とは言え、キャンベラに到着した段階で23時近くになっており、この日はホテルで寝るだけ

既にバスの運行も終わってしまっているので、タクシーを使ってキャンベラ市街のホテルへチェックイン


おそらくコンドミニアムとして設計された建物をホテルに転用していると思われるのだが、キャンベラのホテルは老朽化した物が多い中で、新しくて綺麗なホテルをと思い探し当てたホテル


国際ブランドではなく、おそらく華僑系のホテルと思われ、客室は台北や香港の新しく綺麗な中級ホテルに似た雰囲気





ムードとか雰囲気とは無縁だが、サッパリしていて清潔で機能的という良い意味での中華系らしさを感じられるホテル





そしてキャンベラ二日目は丸一日市内散策に充てることに

先ずホテルの斜め向かいに教会らしき建物を見かけたので立ち寄ってみることに




見た目がかなりモダンでぱっと見で教会とは判別しにくいが、キャンベラ・シティ合同教会という教会とのこと
(※ここで言う合同教会とはオーストラリアにおいてプロテスタント系の長老派教会、メソジスト教会、会衆派教会が合同した組織を指す)

フィンランドあたりによくあるお洒落でモダンな教会である
また館内に置かれている案内等を見る限り、慈善事業などにも力を入れている様子
ただそれ故なのか、この周辺は海外旅行の経験から、やや警戒度を上げて置く必要がありそうな雰囲気であることも確か
(正直なところオーストラリアなので単独行動でも訪問しているが、これが欧州であればまず近寄らないような雰囲気)





そして近年開業したトラムを眺め

※実は翌日の写真なので天気が違う


トラムの停留所に立ち寄り


このトラム、まだキャンベラの中心街を繋ぐ路線は開業しておらず、現状では市街中心部の北の端から北部の住宅地方面を結んでいるだけ
それ故、観光客には使いづらく、今回も利用する予定はない

で、なぜわざわざトラムの停留所に来たかというと、バスの乗車券を購入しておくため
キャンベラではトラムとバスが共通券となっており、加えて車内では現金・キャッシュレスともに取扱不可、つまり事前に切符を購入しておくことが求められているのである

そしてネット上などではICカードを購入し・・・という情報ばかりが溢れていたのだが、実際に券売機を操作してみると、ICカードを購入せずとも1回券と一日乗車券を購入可能だったので、一日乗車券を購入しておくことに
なお一日乗車券の価格はICカードの一日上限と同額(確かA$10程度)で、切符はペラペラのレシート式





ここでキャンベラのおおよその地理を紹介しておくとこんな感じ

※google mapより作成、なおアイコン類は既製品を使用しているため少々不自然ですがご容赦を

キャンベラはモロングロ川の両岸を跨ぐ一辺3km程の巨大な三角形がベースになっており、それぞれの頂点に「今回滞在しているホテルのある市街地エリア」「防衛関係の役所のあるエリア」「議会など中央官庁のあるエリア」が配置される格好
更に議会から北東方面に三角形の二等分線を伸ばすとキャンベラの背骨となり、アンザックパレードという大通りに繋がり、突き当たりに戦争博物館が鎮座している(但し何故かこの線上に橋が無い)

・・・と、こんな具合


そして今日の行程なのだが、「今回滞在しているホテルのある市街地エリア」をちょっと散策してから、バスで「背骨上にある初期の入植地」へ移動し散策、更にバスで「議会など中央官庁のあるエリア」へと向かい、連邦議会の議事堂などを見学するという、時計回りにキャンベラの三角形を一回りしてくるような行程で考えている

今日の行程に登場する場所をプロットするとこんな感じ

※google mapより作成、なおアイコン類は既製品を使用しているため少々不自然ですがご容赦を





なので一日乗車券を購入したものの、実際に利用するのはもう少しあと
先ずは引き続き徒歩で市街地エリア散策を継続


キャンベラは新しい計画都市・・・と言っても、20世紀初頭の話
なので街のあちこちにレトロな味わいの建物が立ち並んでいる



これらの建物は「連邦首都様式」(Federal Capital Architecture)と呼ばれるもので、案内板によると「シンプルで優雅」「対称的」「赤瓦」「丸窓付きアーチ」といった特徴を備えているのだとか


そして今日最初の目的地に到着


「キャンベラ ミュージアム&ギャラリー」という資料館と美術館が融合したような施設で、何と入場無料
実はこの建物、見る向きによってはもっとアートな感じな箇所もあるのだが、浮浪者が居たりして、写真が撮れたのがこの角度だけ


内部もお洒落



そして第一展示室がキャンベラの歴史に関する内容


元々この地に住んでいたアボリジニの時代から、初期の入植者による小さな街だった時代、そして首都の建設と発展、といったそれぞれの時代に関する展示がある


首都建築前のキャンベラを描いた絵画や動画



1950年代のキャンベラの地図


歴史資料と並んで、歴史を手繰るアート作品も併せて展示されており、まさに資料館と美術館の融合といった感じで大変興味深く、かつ効果的な展示構成ではあるのだが・・・
私のような日本からの訪問者にとっては、前提となる予備知識が無いことに加え、ノンネイティブというハンデもあって、史料とアートの境界が認識し辛い部分があることは否定できないだろう
(まあそんな境界など気にせず、全てが歴史の流れを示す展示物と捉えて見学すれば良いのかも知れないが・・・私個人が史料なのかアート作品なのかハッキリさせたいタイプなもので・・・)


そして第二・第三展示室はアートの色合いが濃くなる(もちろん歴史や地域をテーマにしたアートが多いのだが)




更に二階の展示室はある歴史物語の原画展示






そして次の初期入植エリアへはバスで移動



ICカード利用なら前後どのドアから(連接車だと更にドアが多い)乗車・下車しても良いのだが、紙の乗車券の場合、運転手が手動でカウンター入力するため、運転席から乗車する必要がある様子


そしてリード地区という初期入植エリアに到着したのだが、現在ではこのエリアは公園の中にコンドミニアムが立ち並ぶ閑静な居住エリアとなっている



このエリアではコンドミニアムの1階が飲食店となっているケースが多く、適当に店を見繕ってランチタイムとすることに

とは言え、この段階でハンバーガーなどの定番ランチはもう飽きてきており・・・

たまたま目に付いたアジアンヌードルのレストランに入店


オーストラリアの場合、移民の多い国家でということもあり、特に何を食べても大外れというケースは少ない・・・そう思っている(但し日本食に関しては見る目が厳しくなっているので、満足度は低くなってしまうが)
なので、そこそこ混み合っていて、雰囲気も良さげな店を選んだ次第

で、味の方は・・・本場よりも少し辛さ控えめのような感じはするのだが、ココナッツの香り漂うスープと、程よい加減に茹でられた麺、となかなか良い感じ
むしろ日本人的には本場より辛さ控えめで食べやすい、とも言えるだろう





そしてお腹も膨れたところで、散策を継続

まずはキャンベラの背骨に位置するアンザック・パレードという巨大な中央分離帯広場を備えた大通り


ちなみにアンザック(ANZAC)とは第一次世界大戦のオーストラリア・ニュージーランド軍団(Australian and New Zealand Army Corps)の事で、戦勝記念日などにはこの通りでパレードが行われるので、そういう名が付いているのだとか
但しこの日は普通の平日で、ただひたすらガランとした細長い広場が存在しているだけ


この通りの南方の突き当たりには、川を隔てて旧連邦議会議事堂と、その奥に現在の連邦議会議事堂が見えている



そして逆側の突き当たりには戦争博物館がドドンと建っている



またこの通り沿いにはオーストラリアが関わった戦争に関するモニュメント類が並んでおり、例えばこちらはボーア戦争のモニュメント






そしてこの通りの側道沿いから入っていくと、聖公会教会であるSt John's Anglican Churchが存在



1845年完成とキャンベラ最古の教会で、キャンベラは遷都以前、まだ小さな街だった時代の様子を今に伝える数少ない建造物である


また敷地内にはキャンベラ遷都以前にこの地域の教育を担った付属学校の校舎博物館も設けられているのだが、残念ながら週末の午後だけという限られた開放時間のため、今回は見学せず






そしてバスに乗り、防衛関係の省庁のあるエリアを素通りし、橋を渡って中央官庁エリアへと移動



歴史を感じる味わいのある建物(省庁も含む)と、省庁とは思えないようなモダンな建物が共存するエリアである





そして何より霞ヶ関と違って、公園のような街の中にポツポツと官庁などが存在するという長閑な雰囲気が羨ましい


そんな公園のような街を歩いて






こんな建物に接近


公園の小山に埋め込まれたような建物・・・実はこれがオーストラリア連邦の国会議事堂


かなり歩いて入口まで到達


各国からの観光客と覚しき訪問者が多く、あちこちで記念撮影が行われている


ちなみに玄関前からアンザックパレード方面を見るとこんな感じ



手前の白い建物が1988年まで使われた旧国会議事堂で、現在は民主主義博物館として一般公開もされている


また突き当たりは先ほどから何度か外観を眺めている戦争博物館


空港並みのセキュリティチェックを経て館内へ


なおここ建物はセキュリティ上の理由で国会議事堂の機能だけでなく、議員会館の機能までも館内に併せて備え持っている
しかしながら、にもかかわらず、全体的にそこまで物々しい警備もなく、どちらかと言えば開放的な雰囲気の建物である
(もちろん要所にセキュリティが立っていたり、前述の通り入館には手荷物検査が存在するのだが)


先ずは大ホールと呼ばれる広間


国や議会のオフィシャルな行事にも使われるほか、近隣の大学の卒業式にも使われたり、更に個人の結婚式などでも借り受けて利用することができるとのこと


そしてアウトバックの赤い土をイメージした上院議場



さらにユーカリの緑をイメージした下院議場


その他、女王や歴代首相の肖像、アーティストによる作品展示なども有るにはあるのだが、基本的には現役の議事堂





そして「クイーンズ・テラス」というテラスが存在する



その名の通り、女王様の銅像が建っている


本当は「テラス内に立つ銅像」といった写真を撮りたかったのだが、利用者が映り込んでしまうため、こういう形の写真でご容赦を

正面にはキャンベラの背骨であるアンザックパレードから戦争博物館まで見えるのだが・・・しかし玄関の真上にあり、諸々の装飾等もあって、眺望が見通せる場所は意外に少ない感じ


で、ここのテラスにはカフェも設けられており、喉を潤しつつ一休み・・・と、思ったのだが

こんな物が目に入ってしまう


何と「連邦ジン」や「議会司書ジン」なる政府公式ジンが存在し、本来は迎賓館などで提供されるこれらのジンを使ったジントニックがこのカフェで提供されているのである


折角なのでオーダーしてみることに


それにしてもまさか国会議事堂の中でお酒が飲めるとは・・・そんな訳で「国会議事堂で一杯呑む」というとてつもなく珍しい体験をすることに


で、この先、旧国会議事堂の訪問へと続くのだが・・・
少し話が長くなってきているのと、新旧国会議事堂を同時に紹介すると混乱してしまいそうなので、今回はここまでとさせていただきます
Posted at 2024/09/06 21:45:53 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅(2024年) | 日記

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