とてもローカルな話題で申し訳ない。
小学校入学直前まで亀戸に住んでいた。
亀戸天神のそば。もうじき藤の季節だが,亀戸天神には見事な藤棚がある。
そして亀戸天神の池には,沢山の亀がいる。
だから亀戸なのか?
当時は家の前に野球場があった。
家は野球場の1塁線のファールエリアにあたる。
かなり高いフェンスが張ってあったが,たまにフェンスを越えた打球が家の窓ガラスを直撃した。
子供だったので,飛来した軟球を手に入れるのが嬉しかったが,母はそうはいかない。
軟球を回収しにきたユニフォーム姿のお兄さんに,窓ガラスの弁償を要求する。
もちろん,侘びの言葉とともに窓ガラス代をくれるわけだが,当然のように軟球は返さないといけない。
それが子供心に残念だった。
4歳か5歳頃のとき,台風が来て大雨が降った。
そんなときなのに,何故か一人で出かけた。台風が嬉しくて彷徨っていたのかも知れない。
帰り道,家はもうすぐなのに雨が特にひどく,車道は水浸しで歩道にまで溢れていた。
普段は交通量の多い十三間道路も,そんな日はたまにしか車は走らない。
それでも,横断歩道を横断するのは怖くて出来なかった。
車道を濁流が勢いよく流れている。
なす術も無く,ただ泣いていたら,通りかかった背広姿のおじさんが,「渡りたいのか?」と訊いてくれ,うなずくと,抱き上げて渡ってくれた。私の靴が背広を汚すのも気にしないで。
なのに私は礼も言えない子だった。胸の中は感謝の気持ちでいっぱいだったのに。
江戸川区に越してからも,ときどき亀戸には行った。バスで30~40分ほどの,小学生にとっては長い道のりだった。乗り物好きだったから,路線バスですら乗るのは嬉しかった。バスはアポロ型のウィンカーがかっこよくて好きだった。
亀戸で贔屓にしていた理髪店が安く,バスでの往復運賃を引いても安いので,小遣い稼ぎになった。
さらにバスを使わず,歩いていくとバス代も小遣いになる。
兄に連れられ,近道を何度も通った。近道と言っても,片道1時間半くらいかかっていたと思う。
近道の途中,当時走っていた都電専用の橋を渡るポイントがあった。人が渡る橋ではない。
線路と枕木,それを支える柱だけで出来た橋で,枕木をひょいひょいつたって渡るわけだが,枕木を踏み外すと下は川だ。
枕木の間隔も,子供にとっては微妙に広い。つまり勢いが必要で,勢いがつくと途中で止まるのは難しい。
ほぼ走り抜けるように,枕木を渡っていく。等間隔の枕木を渡っていくと,ときどき目の錯覚が起きる。
枕木が動いているように見えたりする。停止しているエスカレータを,降りていくときに感じる錯覚に似ている。
なんとも危険な都会のゲーム。
渡っている最中に都電が来たなら,撥ねられ川に落ち流されていくのだ。
その川を下ってみると,轢死体や溺死体が累々と...
亀戸と言えば舟橋屋の葛餅。
十三間通りの角に老舗の豆屋さんがあるが,やはり子供には葛餅だ。
黒蜜ときな粉をかけて頂く,和製スイーツ。
今では甘いものはあまり得意ではないが,葛餅はときどき無性に食べたくなる。
そういえば,川崎大師も葛餅は有名なのかな。
京急の駅の売店で葛餅が売られている。
今度,買ってみようかな。
Posted at 2006/04/20 20:04:33 | |
トラックバック(0) |
過去の話 | 日記