![死の予感 死の予感](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/carlife/images/UserDiary/1734351/p1m.jpg?ct=5cdc96833a28)
自分の死を予感する話を聞くことがある。
誰かが亡くなったあと,生前のその人の行動が死を予感していたようである,という噂。
当然あるだろう。
TVでこんなことをやっていた。
自宅の居間で,突然心臓の痛みを感じた初老の男が,あまりの痛さに自分の最期を予感し,傍に居た妻に自分の死後の手はずを伝え始めたと。
でも心臓の痛みは焼けるようで,話すどころではなく,あろうことか胸から煙が立ち上り始めた。
なんのことは無い,自分で吸ってたタバコの火種が落ち,着ていたシャツの胸ポケットにたまたま入りこんでいたのだ。
健康な人間でも,たまに心臓が変だなと思ったり,眩暈を感じたりすることがある。
それは実際に致命的な病気の予兆かもしれないし,なんでもないかも知れない。
左胸の痛みが何度も起きれば,誰でも心臓疾患を懸念する。
しかし実際に医者に行くかというと,行かない場合が多いのではないか。
どこかで「もしかして」という気持ちでいながら,他方では「大丈夫だろう」とたかをくくってしまう。
その「もしかして」の気分が起こす行動が,後に見て「死の予感」と思われるのかもしれない。
実際に病気で亡くなった場合,死に至る過程でなんらかの自覚症状はあった筈だ。
そんな予兆が何度も訪れたとき,ふと,「死んだときの備え」や「今までの感謝」を周囲の人に漏らすこともあろう。本気で自分が死ぬとは信じたくないが,万が一ということもあるだろう,と。
病気では無かったが,私は20代前半の頃母に「自分は30歳前に死ぬだろう」と言ったことがある。
なんとなく言った言葉だが,なかば真剣にそう思った。
いつかバイク事故で死ぬんじゃないかと,予感していた。
バイク乗るなら死を覚悟しろ,と教わっていたし。
そういう予感は当たるものだ,と言われた。
しかし他方,私は霊感,宗教を信じないと心に決めていた。
幽霊は怖いが,存在は信じない。
神社仏閣に行っても手を合わせたことは無い。
御神籤も引かないし,お守りを持ったことが無い。
(事故車を見ると必ず交通安全の御札ステッカーが貼ってある。安全運転を他力本願に頼ってはいけない証拠だ)
しかし,「30歳前に死ぬ」という自分の言葉を忘れることは無かった。
呪縛のように自分を苛(さいな)める,とはチト言い過ぎだが。
やがて30歳の誕生日を明日に控えた日がやってきた。
さすがに逡巡した。
今日,バイクに乗れば死ぬかもしれない。
今思うとバカみたいだが,その時は真剣に悩んだ。
結局,「逃げたくは無い」という気持ちでバイクに乗った。
バイク乗りなんて所詮脳天気な生き物で,走り出すと楽しくて,嬉々としてスロットルをぶん回す。
まあ,「今日は死ぬかもしれない」なんて思いでステアリング握ってちゃ,他の運転者にも申し訳ない。
「絶対死ぬワケ無い!」という強い思い上がりも危険だが,走り出すともう自分が死ぬとは全然思えない。
一頻(ひとしき)り走って,鼻息も荒く,死神に勝ったつもりで帰宅した。
30歳の,いい大人の行動ではないか…
Posted at 2006/04/23 21:20:26 | |
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