![サイボーグになろう サイボーグになろう](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/carlife/images/UserDiary/1755474/p1m.jpg?ct=a259492a1d86)
NHKで放映された,『サイボーグの衝撃』を観た。
生身の人間に機械を埋め込む。
基本的には,事故などで失った部位を補うために開発される機械。
義手や義足より一歩も二歩も踏み込んだ技術。
番組では,いくつかの例を紹介していた。
電気事故で両手を失った電気技術者。
腕への神経は切断された寸前まで残っているので,その神経を胸の筋肉に繋ぐ。
その信号を変換し,機械の腕を動かす。
胸は腕の代わりになったのだ。
実際胸を触ると,肘や手のひらを触られていると感じるという。
ある種のファントムリムのようだ。
ファントムリムとは,手や脚を失った人が,手や脚がまだある感覚だけを持ち続けてしまう現象。
肘から先が無いのに人差し指が痛む,というような現象。
幻肢。
神経とはそういうもんなんだ。
あるいは,失明した人の目の代わりをコンピュータが行う。
眼鏡に取り付けたカメラの映像を,コンピュータが処理し視覚データに変換しそのまま脳に送るという。
なんと頭蓋骨にコネクタが取り付けられていて,そこにコンピュータを繋ぐ作業を自分でやっていた。
ただし,完全に見えるようになるわけではなく,光の明滅を感じて物の存在を知る程度だとのこと。
外に出て景色を眺めると,風でそよぐ樹は光が変化するので「見える」が,動かない納屋などは「見えない」
マイクル・クライトンの『プレイ-獲物-』という小説を読んでいる。
その中で,AIにはもう発展する余地はないとある。
AI,つまり人工知能は,例外処理を組み込むのが大変難しい。
人工知能にルーチンワークをやらせるのは簡単だが,想定外の事象が起こるとたちまち対応不可能になる。
だからロボットに未来は無いのだ。
今盛んにロボットの開発が行われているが,それはどこまで人間の動きに近づけるかを競うだけであり,知能に関しては全く顧みられていない。
バカな人間を支配してくれるロボットは,当分現れてくれないということ。
会話だけなら,人工知能は良いセンまでいくと思う。
こんな定義がある。
「会話してみて,相手が人間では無いと見破れなかったら,コンピュータは知能を持ったと言える」
例えば,相手を見ることができない状態で会話を数十分行う。
相手は人間かも知れないが,人工知能かもしれないと被験者に伝え,会話した相手が人間であったか否かを問う。
被験者が人工知能を指摘出来なければ,その人工知能は人間並の知能を持ったといえる。
これくらいなら,AIにも可能だろうと思う。
AIは人工音声くらいは巧みに操れるだろう。
しかし。
ロボットにAIを積み,人間並に立ち振る舞えるかというと,不可能だ。
コンピュータがミスをすると,そのためのルールをコード化して追加される。
(コンピュータはミスはしない。プログラムがミスをするのだ)
新たなミスにまたルールの追加。
不確定要素溢れるこの惑星では,追加されたルールだけでメモリを食いつぶすだろう。
逆に言うと,人間とはそれほど数々の問題を瞬時にテキパキと処理しているのだ。
立って,歩いて,話す。
それだけでも,大変なことなのだ。
何かに躓いたロボットを想像してみて欲しい。
為す術もなく倒れるならまだいい。
姿勢を回復しようとして,六方を踏み,破滅的な突進を行いやがて…
だから。
ロボットに未来は無く,未来を制するのはサイボーグだ。
脳だけ人間で,身体は機械にするのだ。
パワースーツに身を包み,世界を席巻しようぞ!
Posted at 2006/04/27 01:45:33 | |
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