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hornet:浮遊する青のブログ一覧

2006年04月26日 イイね!

サイボーグになろう

サイボーグになろうNHKで放映された,『サイボーグの衝撃』を観た。
生身の人間に機械を埋め込む。
基本的には,事故などで失った部位を補うために開発される機械。
義手や義足より一歩も二歩も踏み込んだ技術。
番組では,いくつかの例を紹介していた。

電気事故で両手を失った電気技術者。
腕への神経は切断された寸前まで残っているので,その神経を胸の筋肉に繋ぐ。
その信号を変換し,機械の腕を動かす。
胸は腕の代わりになったのだ。
実際胸を触ると,肘や手のひらを触られていると感じるという。
ある種のファントムリムのようだ。
ファントムリムとは,手や脚を失った人が,手や脚がまだある感覚だけを持ち続けてしまう現象。
肘から先が無いのに人差し指が痛む,というような現象。
幻肢。
神経とはそういうもんなんだ。


あるいは,失明した人の目の代わりをコンピュータが行う。
眼鏡に取り付けたカメラの映像を,コンピュータが処理し視覚データに変換しそのまま脳に送るという。
なんと頭蓋骨にコネクタが取り付けられていて,そこにコンピュータを繋ぐ作業を自分でやっていた。
ただし,完全に見えるようになるわけではなく,光の明滅を感じて物の存在を知る程度だとのこと。
外に出て景色を眺めると,風でそよぐ樹は光が変化するので「見える」が,動かない納屋などは「見えない」

マイクル・クライトンの『プレイ-獲物-』という小説を読んでいる。
その中で,AIにはもう発展する余地はないとある。
AI,つまり人工知能は,例外処理を組み込むのが大変難しい。
人工知能にルーチンワークをやらせるのは簡単だが,想定外の事象が起こるとたちまち対応不可能になる。
だからロボットに未来は無いのだ。
今盛んにロボットの開発が行われているが,それはどこまで人間の動きに近づけるかを競うだけであり,知能に関しては全く顧みられていない。
バカな人間を支配してくれるロボットは,当分現れてくれないということ。

会話だけなら,人工知能は良いセンまでいくと思う。
こんな定義がある。
「会話してみて,相手が人間では無いと見破れなかったら,コンピュータは知能を持ったと言える」
例えば,相手を見ることができない状態で会話を数十分行う。
相手は人間かも知れないが,人工知能かもしれないと被験者に伝え,会話した相手が人間であったか否かを問う。
被験者が人工知能を指摘出来なければ,その人工知能は人間並の知能を持ったといえる。
これくらいなら,AIにも可能だろうと思う。
AIは人工音声くらいは巧みに操れるだろう。

しかし。

ロボットにAIを積み,人間並に立ち振る舞えるかというと,不可能だ。
コンピュータがミスをすると,そのためのルールをコード化して追加される。
(コンピュータはミスはしない。プログラムがミスをするのだ)
新たなミスにまたルールの追加。
不確定要素溢れるこの惑星では,追加されたルールだけでメモリを食いつぶすだろう。
逆に言うと,人間とはそれほど数々の問題を瞬時にテキパキと処理しているのだ。
立って,歩いて,話す。
それだけでも,大変なことなのだ。
何かに躓いたロボットを想像してみて欲しい。
為す術もなく倒れるならまだいい。
姿勢を回復しようとして,六方を踏み,破滅的な突進を行いやがて…

だから。

ロボットに未来は無く,未来を制するのはサイボーグだ。
脳だけ人間で,身体は機械にするのだ。
パワースーツに身を包み,世界を席巻しようぞ!
Posted at 2006/04/27 01:45:33 | コメント(2) | トラックバック(0) | 散文 | 日記
2006年04月25日 イイね!

釣り銭のもらい方

釣り銭のもらい方今日,コンビニで買い物をしたときの話。
レジの女の子が金額を告げたとき,良く聞こえなかった。
「??十円になります」と言ったように聞こえた。
そもそも五千円札を出すつもりでいたので,別にいくらでもよかった,5000円に収まっていれば。
もちろん,余裕で収まる金額だ,それくらいは分かる。
端数が10円だと思ったので,五千円札の上に十円硬貨を置いた。
するとレジの女の子は,平然と「??10円のお返しになります」と言った。
「えっ?」
と思ったが,後に列が出来ていたので,釈然としないまま店を出た。
私が金額を聞き間違えたのだ。
レシートを見ると,お預かり5010円、お買い上げ1100円、お返し3910円とある。
計算は合っている。

しかし。

端数が10円じゃないなら,五千円札の上に十円硬貨を置いたときに,なにか一言あって然るべきじゃないのか?
私がどういうつもりで,十円硬貨を出したと思っているのだろうか。
1100円の買い物に5010円出したら,百円硬貨と間違えたと思うのが普通だろう?
レジの女の子は平然と受け取り,その十円硬貨をレジスターに入れた。
そして千円札三枚を先に渡し,さらに910円分の硬貨をレジから取り出した。
もしかしたら,その十円硬貨はさっき渡したものかも知れない。壁パスの様に帰ってきたのか?

この場合,5100円出して,千円札を4枚(あるいは二千札2枚)もらう方が,お互い楽だと思うんだが。
(硬貨を受け取る際の,女の子の指が触れるのは決して嫌いではないが。あまつさえ,両手を添えられた日にゃぁ…)

最近は,「5000円からでよろしいですか?」と,暗に端数を出せと仄めかす場合が多いし,あからさまに「100円をお持ちではありませんか?」と訊いてくる場合もある。
ややもすると,小銭入れが硬貨でパンパンになることが多いので,極力硬貨を出す努力をするが,出すべき硬貨の数が多いとやはり面倒で,札だけ出して釣りをもらってしまうことがある。



買い物の際,端数分を足してきりのいい釣り銭を貰うというのは,日本だけで有効なやり方だと聞いたことがある。
外国にはそういう習慣が無いから,概念というか,手法として成り立っていないというのだ。
外国の方は暗算,特に引き算が苦手だとも聞いた。
レジスターが計算してくれるから,引き算が苦手でも問題ないと思うのだが,何故か不安を覚えるらしい。
騙される,と感じるのだろうか。
札1枚で充分足りるのに,なぜ硬貨を付け足すのか,ピンと来ないのだろうか。
アメリカだと,ドルとセントに分かれているから,より複雑になってしまうのは確かだ。
計算が面倒だから,”チップ”という風習ができたのかも知れないが,どうか?
しかし,ドルとセントに分かれているからこそ,端数を処理してきりのいい釣り銭に丸めた方が良いのだが。
外国に行くチャンスは当分無いが,是非試してみたいものだ。
5$48¢の買い物に,10$48¢出したとき,5$丁度を躊躇なくくれるか。
あるいは10$だけを受け取り,48¢は突き返されるか。


1971年以前のイギリスでは,1ポンドは20シリング,あるいは240ペンスだった。
これは手ごわいな。
日本でも,江戸時代の通貨は1両が6朱とか4分だったりした。
こういう一見中途半端と思えるレートは,各通貨の素材の価値の違いに因る。


レジスターが無く,引き算が出来ないから,足し算で釣り銭を渡す人もいるらしい。
5$48¢の買い物に客が10$札を出したら,釣り銭を5$48¢に対して10$になるまで,1セント硬貨、10セント硬貨、1ドル札を足してゆくという方法。金額を復唱しながら。
「5ドル49、5ドル50、5ドル60、5ドル70、80、90、6ドル、7、8、9、はい,10ドル!」
途中で,「今,なんどきでぇ?」と訊きたくなってしまうな。


Posted at 2006/04/25 21:10:07 | コメント(4) | トラックバック(0) | 社会 | 日記
2006年04月24日 イイね!

それでも地球は動く

それでも地球は動く4月19日NHKで放映された,『それでも地球は動いた ~ガリレオ・ガリレイの栄光と挫折~ 』を今日観た。
『そのとき歴史は動いた』の250回記念番組だった。
VTRに録画していて,見落としていた。

以前,オモテの掲示板で遊んでいたとき,「世界の名言シリーズ」として取り上げたことがある言葉,「それでも地球は動く」そのとき書いた内容に一部誤りがあったことが判明したので,ここに書いておきたい。

つい先日,小泉首相も口にしていたが,やはり間違った状況を解釈していた。
ガリレオは,異端審問裁判の際「それでも地球は動く!」と言ってツッパッた訳ではない。
自説の地動説を引っ込め,極刑を免れているのだ。


当時望遠鏡は既にあったが,夜空をそれで覗く人は居なかった。つまりガリレオが人類史上初の望遠鏡による天体観測を行ったのだ。
ガリレオは自作の望遠鏡で,月に凹凸があることや木星の4つの衛星を発見したことから,富や名声を得ることが出来た。
木星の衛星に,あの有名な名家の名前を付けた。
メディチ星。
ガリレオはメディチ家お抱えになり,給料はそれまでの5倍を手にすることになる。
よくいる学者バカでは無かった。世渡りは上手かったのだ。
ローマ教会もガリレオを称えた。ガリレオも自作の望遠鏡を教会に贈り,教会内に支持者を獲得する。
繰り返すが,世渡りは非常に上手かったのだ。


しかし,天文観測を続け新たな真実を発見するにあたり,ガリレオの人生は岐路を迎える。
地球が宇宙の中心であるとする,聖書の教えとは逆に,地球は太陽の周りを回る惑星に過ぎないことが分かってしまうのだ。
敬虔なカトリック教徒であったガリレオは逡巡するが,聖書が間違っているのではなく,解釈の仕方が間違っていたとして,結局地動説を支持する本を出版してしまう。
世渡りは上手いはずなのに,科学者の性(さが)か。

ガリレオは教会に告発され,異端審問裁判にかけられてしまう。
この裁判でガリレオは有罪判決を受ける。
本来なら火あぶりによる死罪だが,教会側にガリレオのシンパがいたために,刑は極端に軽減された。
「地動説を支持したり流布してはならない」と命じられただけだ。


私は掲示板にこう書いている。
「無罪を言い渡されたガリレオ,立ち去り際に呟いたのが先の言葉である。しかも誰かに聞かれてもいいように,外国語で呟いたらしい。」
これは誤りだった。
まず無罪ではなく,有罪を言い渡されている。
そして,何語であれ「それでも地球は動く」と呟いた事実は無いらしい。
後世の人の脚色だろう。


裁判から十数年の時が経ちガリレオは,再度地動説を取り上げた本を出版する。
内容は,天動説を支持する人と,地動説を支持する人の議論という形にし,どちらが正しいかという結論は無い。
あざとい手法だが,教会は見逃してくれなかった。

またもや異端審問裁判にかけられることになった。
1度目のとき,ガリレオを擁護してくれた枢機卿がローマ教皇になっていた。
再び擁護を得られると期待していたのだが,最も激怒していたのはこのローマ教皇だった。
当時ヨーロッパは,カトリックとプロテスタントが30年戦争を繰り広げていて,地動説はカトリックの権威を脅かすものだった。
再び有罪判決を受けたガリレオは,自説の地動説を放棄すると誓い,死罪を免れる。
世間知らずの学者バカでは無いのだ。意味なくツッパッたりしない。

ガリレオは幽閉され,やがてそこで死んでいく。
しかし死ぬ前に地動説に関しての詳しい記述を残し,これはプロテスタントの国で出版され,その後の科学発展におおいに寄与した。

ガリレオは,「それでも地球は動く」と言わなかったかもしれないが,人生そのものがそう語っているようだ。

1992年,ローマ教皇パウロ2世は,正式にガリレオに謝罪するメッセージを発表した。

4月28日深夜1:10に再放送があるので,興味のある方は観て見ると良い。
ガリレオの自作望遠鏡の実物や,異端審問裁判の記録,ガリレオ自筆の書など紹介されている。
私も,DVDに録画し直すつもりだ。
Posted at 2006/04/24 20:59:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | 散文 | 日記
2006年04月23日 イイね!

死の予感

死の予感自分の死を予感する話を聞くことがある。
誰かが亡くなったあと,生前のその人の行動が死を予感していたようである,という噂。
当然あるだろう。
TVでこんなことをやっていた。

自宅の居間で,突然心臓の痛みを感じた初老の男が,あまりの痛さに自分の最期を予感し,傍に居た妻に自分の死後の手はずを伝え始めたと。
でも心臓の痛みは焼けるようで,話すどころではなく,あろうことか胸から煙が立ち上り始めた。
なんのことは無い,自分で吸ってたタバコの火種が落ち,着ていたシャツの胸ポケットにたまたま入りこんでいたのだ。

健康な人間でも,たまに心臓が変だなと思ったり,眩暈を感じたりすることがある。
それは実際に致命的な病気の予兆かもしれないし,なんでもないかも知れない。
左胸の痛みが何度も起きれば,誰でも心臓疾患を懸念する。
しかし実際に医者に行くかというと,行かない場合が多いのではないか。
どこかで「もしかして」という気持ちでいながら,他方では「大丈夫だろう」とたかをくくってしまう。
その「もしかして」の気分が起こす行動が,後に見て「死の予感」と思われるのかもしれない。
実際に病気で亡くなった場合,死に至る過程でなんらかの自覚症状はあった筈だ。
そんな予兆が何度も訪れたとき,ふと,「死んだときの備え」や「今までの感謝」を周囲の人に漏らすこともあろう。本気で自分が死ぬとは信じたくないが,万が一ということもあるだろう,と。

病気では無かったが,私は20代前半の頃母に「自分は30歳前に死ぬだろう」と言ったことがある。
なんとなく言った言葉だが,なかば真剣にそう思った。
いつかバイク事故で死ぬんじゃないかと,予感していた。
バイク乗るなら死を覚悟しろ,と教わっていたし。

そういう予感は当たるものだ,と言われた。
しかし他方,私は霊感,宗教を信じないと心に決めていた。
幽霊は怖いが,存在は信じない。
神社仏閣に行っても手を合わせたことは無い。
御神籤も引かないし,お守りを持ったことが無い。
(事故車を見ると必ず交通安全の御札ステッカーが貼ってある。安全運転を他力本願に頼ってはいけない証拠だ)

しかし,「30歳前に死ぬ」という自分の言葉を忘れることは無かった。
呪縛のように自分を苛(さいな)める,とはチト言い過ぎだが。

やがて30歳の誕生日を明日に控えた日がやってきた。
さすがに逡巡した。
今日,バイクに乗れば死ぬかもしれない。
今思うとバカみたいだが,その時は真剣に悩んだ。
結局,「逃げたくは無い」という気持ちでバイクに乗った。
バイク乗りなんて所詮脳天気な生き物で,走り出すと楽しくて,嬉々としてスロットルをぶん回す。
まあ,「今日は死ぬかもしれない」なんて思いでステアリング握ってちゃ,他の運転者にも申し訳ない。
「絶対死ぬワケ無い!」という強い思い上がりも危険だが,走り出すともう自分が死ぬとは全然思えない。
一頻(ひとしき)り走って,鼻息も荒く,死神に勝ったつもりで帰宅した。

30歳の,いい大人の行動ではないか…
Posted at 2006/04/23 21:20:26 | コメント(5) | トラックバック(0) | 過去の話 | 日記
2006年04月22日 イイね!

三春滝桜リベンジ

三春滝桜リベンジ先日の三春滝桜は蕾だった
1週間経ち,そろそろいいんじゃない?
と言うことで行ってきました。

いや,でも行く前から5分咲きってことは分かってたし。

道中,ニュースを聞いていたら桜前線は秋田に達したとか。
なのに三春の滝桜は5分咲き。
後は一気に開花して,GWには散っているかも知れない。

混むことが予想されたので,夜討ち朝駆けで。
夜の内に磐越道阿武隈高原SAに到着,仮眠を取る。
満を持して朝,明けぬ内に現地に到着。久しぶりに夜明け前の青い空を見た。

まだ暗いというのにもう駐車場はいっぱい。
早くも三脚を担いだアマチュアカメラマンが滝桜に向かっている。
場所取りか。
しかし5分咲きだし,と思いしばらく車内で待機。
まだ明かりが足りないから。

6時前に辺りも明るくなったので,徐(おもむろ)に移動。
しかし凄い人出。
スピーカーが駐車違反を取り締まると告げている。
時間が経つにつれ,凄いことになるんだろうな,この辺は。


三春の滝桜は日本三大桜の1本だそうだ。
後の2本は,岐阜県本巣(もとす)市の『淡墨桜(うすずみさくら)』、山梨県北杜(ほくと)市の『神代桜』だそうで。


いやぁ,季節モンは難しいなぁ。
Posted at 2006/04/22 18:39:21 | コメント(3) | トラックバック(0) | 旅行 | 日記

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「ヤマハが嫌いになった日 http://cvw.jp/b/142107/42264177/
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