事実上のはじめてなマクロデビュー。どこにピンとを合わせればと変換まで狂いながら、泉ピン子さんはカメラが上手なのでしょうか、春を思うと書いて思春期です。
もういっちょ。開放で撮影。手持ち撮影なので前後に体が1mmでも動くとピン子がずれるため非常に難しいです。春夏秋冬、どの季節にも花は咲きます。と後進を見ても思いますな、百花繚乱、の中につくしみたいな存在も。
つくしに「つくしは花が咲くの?」と聞いてみれば「つくし・・・」と詰まりつつ、変貌します、うまい返しです。
このような写真であれば、どこかにピントが合うだろう、ということな極楽浄土。
マクロといえば、経済。
マクロとは巨視するという意味なところ、広く俯瞰的に見るのか、あるいは拡大して大きく見るのか、後者はミクロやマイクロという表現の方が馴染みやすいですが、ミクロレンズとは言わず。顕微鏡などをミクロと呼ぶことにして区別するためでしょうか、と思い調べてみると、
同じ疑問を持った方がいました。どっちでもいいことですが。
青い木の実みたいなものにピントが合っていたと思ったのですが、あとで見ればご覧のとおり、BB弾かもしれません。マクロ開放だと被写界深度が極薄なので、構図を作ってカメラを振るだけでピントが確実にずれます。MFか、丁寧にAFポイントを移動するか必要そうです。
というわけで、ピントに集中すると構図まで余裕がなく、通った日の丸教習所のローレルが懐かしい。
ロング・ターム・キャピタル・マネジメント、略して
LTCM。
ノーベル賞を取った経済学者2名や元FRB副議長などで構成された、かつて存在した会社。
これだけの人たちが集まってもうまくいかない、難しいものです。
お世話になっているこのみんカラの大ボスたる孫氏がj-フォンという機種変をした頃、GMACという会社も同額で売りに出ていたような記憶があります。息女がハイオクは売っていない
GSにいたところで、いやいなくとも当然に情報は入っていたはずですが、GMACでなくj-フォンを買うところの眼力がやはりすごい、とその後、帽子みたいな名前に変わったあとに無くなったGMACを見て思いました。
GMACはジーマックと呼ばれ、米GMの金融子会社でした。トヨタファイナンスみたいなものです。
自動車ローン取り扱いから派生した同社は、巨額の資金で不動産投資、債券投資などを行っていた会社で、当時は世界最大の金融会社とも言われました。
ジーマックは日本の不動産でも一儲け、いや三つも八つも儲けを企みます。企み(たくらみ)、企てる(くわだてる)ことを業すると書いて企業、いいと思います、それで。同社日本法人にいた当時27歳な男の子の年間決裁額なんと2000億円。外資の任せ方は日系とはまったく異なります。ちなみに近年のファンドは、財閥系の窓口みたいなところも知っておりますが、アメリカのお金が回ってこずで、日本では大きなファンドと言われるところでも、おどろくほどにつまらない仕事で食いつないでいます。やはり米国子会社ジャパン。
彼が与えられたミッションは明確だったと思いますが、主に債権買いから入って不動産を取得することを目指していました。詳しくない人に説明しますと、
債券は国債などを買って基本的には安定的ローリスクに利回りを目指すのに対し、
債権は銀行などが有している焦げ付いた債権を買って、うまく料理すればたくさん儲かるかもしれないと、どちらかといえば仕入れを安くしたいローリスク・ハイリターンを狙う儲け方です。
いい債権を安く仕入れる、非常に難しいことです。なかなかないので決裁枠も使いきれず困っていました。たとえば銀行の不良債権をバルク買いしたところで、銀行はうまみがありそうな不良債権はグループ内のサービサーなどへ優先的に移管するわけで、うまみは期待できず、つまりはリサイクルショップを店ごと買って中にもしかしたらへそくりがみつかるかも、のような非効率な福袋は期待できないという経験則。儲け話などそうは簡単にないわけです、なので仕込むところもありますが。
当時は私もよく動いていろいろな案件と出会いました。簿価5000億円の債権が安く手に入りそうなチャンスがあったので、公認会計士、弁護士連れてデューデリ、略してDDと言う、つまりはラビットのお兄さんのように査定しに行けば、けっこう広大なワンフロア一面に財務資料。当然に見きれる量ではないので、ヒアリング頼り。これを「ガラクタ積んだダンプカーだ」と形容させて頂き価格交渉。時価は簿価の何千分の一で特価にしてほしく、どころか価値があるかどうか、だと思いました。回収するコストを考えると、バリューはマクドナルドのセットよりないに等しいと思いました。
とはいえ儲けるチャンス、かもしれない。ということでタイミングを見計らっていると、とある情報筋から「面子にかけて潰されるから、止めておきなさい」と電鉄創業家の人間性がすばらしい人から助言をもらい素直に従うことに。あとあとその通りに。報道もされるようなことでしたので大きく名を汚す寸前でした。やはり情報は重要であり、素直さは大事です。
そういえば、日本のLTCMと言ったら言い過ぎですが、広告代理店を退職した人が中心となって、某省次官クラスから石油会社へ天下り社長もし、エレキな感じのM菱系社長経験者、新幹線を外国に売っているような方などと会社を丸の内で立ち上げ、豪華な冊子まで作っていましたが、一年持ちませんでした。難しいものです。
梅。
にしてもこれだけの役職歴任者、つまり力があれば「おい」「おまえ」「きみ」と言えばいくらでもコンサル料なり、マージンなり入る仕組みなど作れそうなものですが「お金をくれ」と言えないのかもしれない安達祐実(さん)。
失敗学という本もあり、これらも読むと面白いものです。うまく行ったケースだけでなく、うまく行かなかったケースからも学ぶことがたくさんあり、かつ対比するとより大切な要素があぶり出てくるのかもしれません。
あ、そうだ
多数決原理とビジネスとの関係性において、一つ補足が必要です。
プロセスの中でも、マーケティングを行う際は、多数決原理が大切になるときがあります。これを「徹底してデータに基づいて判断しなさい」という人もいます。
ところで、マーケティングとはなんでしょうか。
ビジネスモデルが儲かる仕組みで、マーケティングが売れる仕組み、とビジネス本で訳され、いい訳だなと思っていたら、今では大学でもそのように説明されているようです。
経営学部の学生に「どんな勉強したの?」や「コトラーはどうなの?」と聞いてみても「名前は聞いたことあります」と言う学生もいれば、「コトラー?聞いたことありません」と言う人まで。
最大限に優しく言うと、実際に社会へ出て実感しないとマーケティングというものを学ぶのは、どこか雲を掴むような話のところもあるのやもしれません。言葉の一般性の割には、「戦略」と並んで社会に出てからも正確に理解できない人も多くいる言葉であり分野だと思います。ちなみに私は一般的に子供が理解しづらい学問の最たる一つとして地政学があると思っていますが、地政学に精通した高校生に会った時はびっくりしたものです。そういう子に育ってほしい。
マーケティングというものは、手法などが注目されがちですが、その存在意義を考えるに、行きつく先は組織論だと思います。いや財務論でしょ、と言った後進もいましたが、それは違うでしょ、と思いました。
法律を学んだ人間が何をと思いつつ、マーケティングとはなにか、マーケティングがなぜ必要なのか、という順番で考えると、
マーケティングというと、マーケティング活動の一つたるリサーチや広告を想像する人も多くいるかと思いますが、このマーケティングというものは学者ごとに定義も異なり、それとは別にマーケティング協会ごとに定義もありで、あるいはマーケティングの目的は「究極的にはセールスを無くすこと」と言われ、分かりにくさに拍車をかけているのだと思います。
定義を見てみると、コトラーさんは「
マーケティングとは,価値を創造し,提供し,他の人々と交換することを通じて,個人や組織が必要(ニーズ)とし欲求(ウォンツ)を満たすことを意図する社会的,経営的活動である。」と言い、
アメリカマーケティング協会は「
顧客、依頼人、パートナー、社会全体にとって価値のある提供物を創造・伝達・配達・交換するための活動であり、一連の制度、そしてプロセスである。」と定義し、
日本マーケティング協会では「
マーケティングとは、企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である。」と定義しています。
世界的権威に盾突くのも恐れ多いですが、コトラーさんのは「企業とは」での説明でもしっくりきそうな定義であり、であればなんか違和感があり、日本マーケティング協会へは「では、ローカライズは不要なのですね」と反論もしたいろことですが、
さっぱり分かりません。いずれにしても広範な範囲に及びそうです。
マーケティングとは「セールスを除くすべての活動」、という定義とはいえないような定義が一番シンプルで多くの場合分かりやすいかなと思います。
とくに各論はそれぞれ実務的な難しさや大人の世界があるのだと思いますが、総論の概要は実は難しくないと思います。
セールスとは売ることであるわけですが、わざわざ売らなくとも「売れていってしまう」、客が手にしていく状況を作る行動がマーケティングなところ、つまり客が認知をする広告や、客が欲しがるような商品を作ることであったり、そのリサーチ活動であったり、客の声を知るアンケートであったり、これらの活動がすべて一本の線で繋がって、わざわざ売らなくとも、客が手にしていく状況を作っていくすべての行為・活動がマーケティングとなる、のだと思います。
マーケティングを実施していく難しさはいくつかあると思いますが、たとえば自動車業界の日産が言っているのはゴーン氏が就任する前まではマーケティング、つまり顧客志向が足りなく反省しているところ、しかしマーケティングに力点を置いても、今の顧客志向と未来の顧客志向は異なるので、ここが難しいところです、と広報あたりが述べています。
あるいは顕在化していないマーケット、つまり未来の顧客もまだ漠然としかどういうものが欲しいのか分からない、もしくは顧客すらも気づいていない、こういうものはデータではなかなか計れないわけです。
そういうところまで行くと、実現していく真の難しさがあるのだと思いますが、
マーケティングはセールスなくして「その物を自分が買った経験」を商品企画から販売に至るまで一つひとつを紐解いていくと理解しやすいと思います。私の場合は最近で言えばキヤノンです。キヤノンはマーケティングがうまいと言われ、いや近年はソニーにセンサー(と画像エンジンもかなと思いますが)で大きく差をつけられているので、揶揄もあるわけですが、しかし顧客フォローまで含めて、やはりマーケティングがうまい会社だと実感しています。白いレンズを用意したのもその一つと言ってよいでしょう。
キヤノンの一番驚くべきところは、ある意味で対応が大手ではないところです。「大変ご不便をおかけ致しまして」がスタートです。電話もメール対応も。言葉一つひとつがまるでサービスのよい中小企業だと感じます。マーケティングのアプローチが、「対応しきれないからざっくり見切る」というほかの大手と逆に感じました。半官半民系はもちろん、財閥系では考えられない対応の良さです。さすが私が隠し子と噂されるだけの会社です、関係ないですが。いろいろ問い合わせた中では、NECが一番やるゼロかなと思います、電話をいかに繋げないかなシステムでプッシュボタンを押していったとき最後に「WEBサイトをご覧ください」、の違う動線で試してみても、同じ結果のプロフィット。にはびっくりしました。財務的に余裕がないのでしょう。
マーケティングとは相手の立場になってみる、ということでもありつつ、その相手が不特定多数化してくることと、ついつい人間は自分本位になりがちな側面があり、ここにまたマーケティングの存在意義みたいなものが一つある中で、見方を変えながら、次の話に進むと、再度孫氏にご登場願うとして、孫正義さんはマーケティングを勉強したのでしょうか、本は読んだことぐらいはありそうですが、MBAに行ってまでも勉強していないはずです。
孫氏はマーケティングを勉強していない、と言っても過言でないはずです。しかし商売の天才なわけです。
では、マーケティングの存在意義はなんなのでしょうか、とも思うわけです。
答えはカミングスーンでまたいずれ。
ドライブへ行こう、するべ。