「幼稚園でカメラの絵書いたよ、Aちゃんも描いてピースしているよ」と業務日報を聞きながら、沿線に停めてものの10秒、特急の出迎えを受け、
めっきり乗らなくなったS400、普段は近場に停めてあるところ、出張に備えて乗り換えにきました。
入れ替えた一台のほうは車止めをしてくれて、
埃まみれになった放置車両と化している当該一台を「Uさんのところ?」とこの店舗には異動でいなくなってしまいましたがよくお世話をしてもらってきた方もいたGSへ洗車機に入れさせてもらいました。
この子の性格か給油口蓋を開けてまで、そしてどこで小耳に挟むのか「しあげ」という単語を持ち出して、「もうちょっと仕上げしたい」などと言ってくれ、よく拭き上げしてくれました。このGSは洗車機でも店員氏が拭き上げをしてくれるなかなかに有り難いサービス付きな上に、タオル類も充実していて仕上げスペースもあり、重宝させて頂いております。しかも洗車カードを買うとシャンプー洗車なら250円というリーズナブルな特典級価格で弊社営業車共々、ベビーユーザーとして利用させてもらっています。
大阪で友に「4年も経ったクルマに見えない」と言われてみれば、なかなかに綺麗な状態かもしれません。ちなみにタイヤ交換はこちらのスタンドでお世話になり、合わせて法定費用を控除すれば、ディーラーで受けた車検費用は保証プランもあり数千円程度でした。
特別サービス、での仕上げをもらい
洗車した後にコンビニ行く、という事前の要望に沿ってプチドライブは続きます。「まさかアイスは買わないよね」と最近は「まさか」、返事はいいよやわかったよりも「もちろん」が多い最近の日々。
トマト、そして三ケ日みかんを追加購入しに再び店内へ行き買い物するのを見守ります。
甥っ子殿が1歳というこちらの店員様にも普段からよくしてもらいながら、このときも「えらいね」とお声と温かいマインドのご協力頂き、買い物という社会勉強ならびに人との交流という対人スキル向上を目指した取り組みのお付き合いを感謝致しながら頂戴しました。
濡れた靴で通る通路という車内の汚れは、
靴下で拭いて最終仕上げとしてくれました。出張の車中、1歳になる姫君の話しでこの子の1歳を思い出せば、ハザードつけて、サンルーフあけても理解してお願いすればスイッチを押しクルマの計器をさわって、ハンドルを回してから散歩コースしていたのを懐かしく思います。
歩き出して間もない1歳で下り坂も走りたがるのでそのまま走らせていたのを思い出し、ただしその頃は体の数センチ前に手をかざしながら、こちらは中腰の後ろ向きで坂を一緒に下ることになるわけですので、何でもやらせる、やらせてみる方針とはいえ、当時は必死なだけでしたがなかなかに見えない努力もしていたのだと思い返し、しかしそれもよき思い出ですので、子育てが大変とはいえ手伝いという名の元、思い出の機会損失にならぬよう周りが大変そうでもあえてほぼ手伝わないようにしたいと自らにいい聞かせます。なお下り坂は頭が重い幼児バランスの中、毎度危なっかしくも、一度も転んだことがなく、短い坂でしたが毎日楽しそうな笑顔で下り切っていました。
そのような思い出した事項を家人へ話しているとばぁばに「昔パパもテレビ割ったよ」と伝えていたといい、何の話か思い出してみてるとやはり子供が1歳の頃、作業中に寝かせておいたPCに私が重量物を落としてしまい液晶が割れたことがあったのを思い出しました。当時以降そのような話題をしたこともなくすっかり忘却しておりましたが、すごいね、と続けてしかし怖いね、というのを三セットは言い合ってしまい、この子の記憶力、正確にはエピソード記憶はどうなっているのか、未曽有にすら感じます。ちなみに「パパも」の「も」というのは、子供がばぁば宅のテレビを倒して盛大に画面を割ったことがあるのを意味しています。
他方で
三歳の頃も一緒に幸楽苑へ二人で行っても、自分で食べてもらい、あるいは1歳、2歳と転んでも自ら起き上がるまで手は貸さず、しかし起き上がれば抱きしめて、という方針を採用してやってきました。起こさないのが当たり前故、友人の子供が転んでも、その子を助けず「転んだ顔を写真撮っていた」と最近でもいじられる様相のときもあります。
「パパと同じに思っていいよ」と伝えることができる大好きなHちゃんと登園させてもらい、我々はいざ西へ。はじめは写真でも楽しみながら一人気楽なドライブでもして出張しようと企み、して頂けるという切符の手配を辞退してみれば、一緒に車でいくことになり、往復10時間超という車中、仕事やお互いの子供のこと、その将来のこと、あるいは昔話しに留まらず、宇宙や物理の話までする機会となり、思ってみれば人生そう何回もあることではないと貴重なひと時だと味わいました。
盟友でもある後進にも特段にその存在を有難く思いそして感謝しつつ、向かう先で待ち受けてくれている今では同じ釜の飯を頂いている、我が友にも特段の感謝とそして尊敬です。
出張をさせてもらえばその先に、社としてまさか一年半で、こうして近畿・中京に拠点まであろうとは、友がいなければ、関東だけで手一杯でまだまだ西日本の拠点まで手が回っていなかったと思います。
登園タスクを入れてしまったので時間がタイトです。運転を交代し、夏の頃車内会議で買うと決議したFJクルーザーをそのまま電話注文した岡崎SAを懐かしく思いながら、仕入れたお弁当を後進に召し上がって頂きます。
一人だとそこそこ長く感じる500km。運転は交代しながら、話しは尽きないながらだと、あっという間に大阪です。
友は知らぬ間に近畿・中京統括という肩書をこしらえており、120名の中から友が見込んで頂いた、所長3名の一週間研修というのをいつの間にやら企画実施してくれたその最終日、友が統括に就任してくれるまでは三か所の立ち上げと所長を兼任してくれ、春には九州を開拓してくれる東京から奈良へ異動してくれる方合わせ、同じときを過ごしました。
大阪が昨2018年3月立ち上げ、4月スタートぐらいですから、10ヶ月、9ヶ月でよくぞここまで整えてくれ、しかも「京都だしていいですか」「名古屋だしていいですか」「大阪増床しますよ」など、自発的かつ能動的かつ積極的にまさにどんどん進めてきてくれました。皆には「ボスにやらされた」と謙遜していますが、
一度も不平不満も言うわけでもなく、仕事できるアピールもなく、結果を見てくれというマインドオンリーなのか、それにしても復路で実感した名阪間の距離感、何度も京都にも寄りながら往復してれたであろう、営業車だと辛いからということで、途中から300馬力の自家用車を使い、その自家用車だけで三ヵ月で2万キロという動きを土日も多大にしてくれ、ちなみに後進は関東を一年で5万キロ顧客のところを方々走ってくれ、あるいは帰路に大阪、京都、名古屋、とすでに取引も頂いている顧客拠点が目に入ったり、敬意を実感する旅路となりました。
友人関係の頃から、いつしかボスという呼称を頂くようになり、当初は「恥ずかしいからやめてほしい」と何度か懇願しましたが、聞き入れられず、最近は電話すると「あっボスすみません、今面接中なのであとでかけなおします」と、面接にきた方が「どんなどころに面接きたんや」とびっくりするから、やめてほしいと再度申し入れをするという笑いのネタにもなるときも。
この我が友が人をボスと呼ぶ割には、また誰の言うことも聞かないめちゃくちゃなおっさんなのですが、
「愛人に発注させた名刺を、奥方に取りにいかせる」という、もう少々詳細としては、出来上がりを奥方に取りにいかせたあとに、愛人の方も働く事業所へ奥方にもってこさせ、奥方が少々不満をこぼせば「うっさい!」と封殺するという、たかだか名刺印刷の話一つとっても、逸話になってしまうというこのストーリーぶりに、文字に記すととんでもないおっさんに思えますが、実際とんでもないおっさんでありつつ、しかしエネルギッシュで、仕事も遊びも全力で、片方30キロのダンベル計60キロを軽々と上げ下げする筋力トレーニングも欠かさず、水上バイクが大好きで、5乃至8名様との乱れた交わりが基本コースな、はちゃめちゃに愛嬌も持っている、口癖は「日に何度、新規いきたい、いうんですか」と指摘する後進へ、「歯が痛ければ歯が痛いと自然と発するようなものだから」と私になりに解説し、
私の周りにいる方の中でも指折りな遊び人でもあります。奥方、愛人ともにさらなるとまらない浮気は公認の中、従って少なくとも友の側には不貞という言葉は当てはまらない状況だとすれば多貞または繁貞という文字が適当なのか、分かりませんが、土日にがんばってるんだから平日の昼間にした人妻との情事は見逃してくれてもいいやんけ、と誰も何も言ってない中に防戦まで含まれた最近の活動記録をお伺いし、
物欲は一切なくその分もそちらの欲望に配分されているのではないかと思う土台に、
九十歳を数えるころにはクルーザーで陸が見えないところまで行って「最近いい若いのつかまえた」と六十歳ほどのマダムと情事な日々を過ごすことになるであろうと、と皆で未来予測すればまた笑うことになり、
子供が買ってくれたみかんも後進共々頂きながら、友のバイタリティーに苦労、努力に能力を見て感じ、たくさん泣くほどの笑いももらい、後進とは多くの時間広い話題で人生を話せ、
片道プラス翌日に新しい顧客の関西拠点へご挨拶へ行ったのを合わせ46リットルで、
業界で難しいとされているとある事項は、業界トップクラスに惰性でできるほどの流れが確立できたかと思い、まとめのガストでもたくさん泣かせて頂きながら「生きててよかった」と率直に思いながら、
次のタームではとある取引地位を確立したあとは、品質を高めることだけに集中していくことで、全国的な取引網に広げながらスイッチングして、圧倒的ポジションを狙って行こう、との意見集約も行われ、これらを盟友と呼べる仲間とともに目指せること合わせ、人生最良の出張となりました。
金曜日の英語教室少し前は「October」「December」を覚え、過日は自己紹介を教えてもらったらしく、有難く長引いた商談で、予定よりだいぶ遅くなってしまった帰路「ばぁばの家泊まりいく」と途中連絡も入り、
三日ぶりに会えたさきほどは、まずはお互いに抱きしめ合って、それから届いた玩具を「注文してあったやつだよ」とみせてくれ「どの辺りかずっと心配していたよ」と耳元でささやいてくれ、さらにはぐしていれば「いっぱい汗かいたよ」と頭を少し離しそのようなことも気にするになったのかと記念を思い、
私が親として教えれることは経営かと思い三歳から少しずつ意識してビジネスの観点から諸事項を伝えていますが、しかしもし我が子の頭脳が一歩抜き出ているものを持っていれば商売ではなく、私も子供の時に夢見たことある宇宙物理学者あたりにでもなってくれ、頭脳をそのように社会貢献に使ってくれれば、それもまた幸いに思いつつ、私の遠足完了いたしました。
「もっと早く行ってよ」と家人からご指摘の「いっちゃおうか」という我が子の提案、これから思いつき、18時だよ日帰り温泉ビジネスホテル一泊の家族旅行へ行ってきます。