SONY NEX-5 + サムヤンAF 35mm F2.8 FE
週末が過ぎて行けば、退屈な平日日中がもれなく付いてきます。
いや、有難く感謝であることも重々思いつつなのですが、
こうして以前に中古で買った古いデジカメを引っ張り出して、四苦八苦してやり過ごします。
お坊さんというものは人の死に関わる仕事をしてくれている。
人の死で食べていく人は、日々特別な修行を積まないとならない。
だからお坊さんは日々修行を積んでいる。と言われて育ち、だからたとえば葬儀業はやるべからずとセットで母親から教わってきましたが、加えて母の祖父から教わったという、時代背景もあったのだと思いますが「人様の口に入るものは商売するな」という教えもありつつ、
葬儀業の他に、遺品の整理業やお墓を作る職人さんや、幾多かのお仕事なくして我々は人生を人間らしく全うしづらく、有難い職業や業務に思います。
これら誤解を生む表現が含まれるかもしれませんが、本旨としては安易に人の死に関わることで儲けようなどと安直に考えるでない、ということなのだと理解していますが、
GFX100S + GF110F2
その一方で若い頃は、お坊さんへ謎の憤りを持っていました。
お坊さんから一度もお説教というのをもらったこともなく、あるいはお坊さんというものは見渡せば実に温和で柔和で優しい普通のおじさんやお兄さんばかりなのですが、
テレビの中ではその昔激しく除霊をするやら、悩む人を厳しく叱責したり、なんだか偉そうに説教するような映像が流れることが多く「おいおい、一所懸命稼いでる社会人に向ってなんだ。檀家が減って困っているんだろう?お前世の中のサラリーマン様のほうが偉いじゃないか。朝から満員電車に乗って、上司やお客から叱られて、一所懸命に社会に貢献しておまけに賽銭までくれるんだぞ。それを偉そうに説教して、のんきに朝から掃き掃除してお経唱えてる坊さんより、サラリーマンのほうがよっぽど修行を積んでいるのがわからんのか」ばりに、謎の憤りを持っていました。
EOS 7D2 + EF24-70F2.8
今にして思えば、テレビに出てくる説教臭いお坊さんに限らず、昭和のおやじはほぼキレキャラのマウント体質だったと思いますが、同様に若い頃は神職へも謎の憤りを持っていました。
GFX100S + GF110F2
これも同様に何ら言われたことがあるわけでもないのに、
EOS 7D2 + EF24-70F2.8
やはり昭和型おじさんのキレキャラマウント系みたいな様子で「神聖なところで、写メを撮るとは今の若者はけしからん!」みたいな論調を目にしたとき、
「何が神聖だよ。日本書紀とか嘘っぱちから始まっているおとぎ話じゃねーか。この嘘つきが偉そうに」と思わずにはいられませんでした。あるいはお寺、神社の賽銭泥棒に「神聖な場所で人としてありえない。」と憤りをもってニュースのインタビューを受けている住職さんや神主さんを見れば「お前ら困っている人や人生を少しでも助けるのが役割で、神や仏の使いじゃないのかよ。賽銭泥棒しなければならないほど同じ人間が困窮していて、なのに感情的に怒るだけで、税金も払ってないのにはした金に怒って、なんて未熟なのだ」と、お寺や神社も商売の要素があることなど想像もしていませんでしたので、これまた謎に憤ったりしていました。
ところが後年、こうした人類、正確にはホモサピエンスのフィクションが、
アミニズムに始まって「神の子である王はやまたのおろちを退治した」「偉大な王を中心にクニ作りをしよう」と大きな連帯感や、大きな集団を生むのに必須の要素であり、ホモサピエンスが他の種族と違い大きな集団を形成するようになり、大きな集団としての力を生み、ホモサピエンスより優秀であったネアンデルタール人などダンバー数に留まっていた他のホモ族を滅ぼし、我々ホモサピエンスが発展してきたのだ、我々ホモサピエンスには嘘をつけるという認知革命があったのだ、という、
X-T3 + フジノンレンズ XF35mmF1.4 R
説得力を思う、強烈な考え方が登場しくることになります。
コミュニティ数の限界値であるダンバー数を越える仕組み化の出発点にして、肝が嘘・フィクションであり、それが我々人類の知恵、いや能力なのだという考え方。いうなれば、人類発展の土台が神社であり、お寺であり、神聖であるという雰囲気を大切にすることである、といえるわけです。
現代のビジネス社会における企業理念やクレド、行動規範なども、これに類するものなのではないかと思うところです。あるいは国や政府という概念、憲法や法規、人権や民主主義、正義や自由、仮想敵国などもこれに類すると言ってしまってもいいのかもしれません。もしくはプロパガンダと呼ばれることもあるのかもしれません。国家、つまり権力だけは人を殺す正当化を得る土台もフィクションで構成され、はたまた国会や裁判所の「神聖な厳粛さ」というものもこれと同類のような気がします。もっと身近でいえば「社会人」とか「社長、正社員」とかこれらの概念、広く「常識」とか社会を形成するに必要なツールだと思ってきましたが、現代にも残る「占い」含め、一同にこれらはすべて概念という衣で修飾したフィクションであると言い切ってしまっていいようなレベルの妄想による幻想なのかもしれません。そしてそれこそが人類繁栄の礎であり、能力なのだと、考えるのだと思われます。
5thレンジに搭載のマッサージ機能。はじめて車のマッサージで気持ちよいと思える性能に出会いました。
日々生きて行く中で、人の嘘を恐れ、嘘に傷つくことがあったり、嘘と出会いたくなかったり、嘘がないことが信頼や誠実であったりとする中で、
2歳だったのか、3歳だったのか、何の嘘だったのか忘却の彼方ですが、
この子が初めて嘘というものをついたとき、「おぉすごい、すごいよ。嘘をつく知恵をもったのか」と面白く思うと同時に、それはそれは嬉しい気持ちになりました。
この日、車中から飛び出した嘘は、
昨年半ばごろ新たにオープンした
小さいスーパーがあるのですが、
そこへ「この間、友達4人と行ってさ。レジに並んでいたんだけど、
レジ打ってもらったら機械で分かるみたいでさ、丁度オープンから5万人目のお客様ですって、『おめでとうございます』って200円のサービス券もらった。友達4人は2組に分かれてレジ並んでいたんだけど、俺とYが丁度五万人目だって」
という、訳の分からない嘘。
オープンして十カ月ぐらいの小型店、徒歩2分もしないところに同じスーパーがまたあって、商圏も狭いことが想定されそうで、
計算してみると日に180人ペース、ちょっと少ない気もするけどそんなものなのかなぁ、とつい思ってしまう、計算してしまった、嘘でしたが、ホモサピエンスとしての能力を垣間見せたともいえるのかもしれません。
あれもこれも瞬時に「マクラーレンだよ」と認識、些細な認知能力もすべて敵わなくなる一方です。
昨年あたりからだったか、唐突にドライブ中の車中で、
「どうも、山〇重国(しげくに)です。よろしく、お願い、致します」と偽名を生み出し、
昭和チックな重厚感ある固い名前と、令和の小学生のギャップに笑いを生み、
このネタがなかなかに余韻を持って笑いまでくれて、
思えばこれもホモサピエンスとしての能力と考えることができるかもしれません。
これだけカメラがあるのにママが「カメラ博あるってよ」と教えてくれた日があって、
なんという有難い妻だ、と感謝しつつ、
「池袋のマーベルショップ行きたい」とこれを履行したあとに「いいよ、パパ行こうよ」と我が子も言ってくれて、クラシックカメラ博と銘打った会場へ足を運んでみました。ジャンクコーナーにも行ってみて、初めて触る二眼カメラのウエストレベルから「うぉすげー見える」といろいろなカメラを楽しみ、
巻き上げ音とシャッター音もそれぞれ楽しみます。
家の中でわき腹を負傷して一週間経った頃で、
幸いにして思っていたよりまだ回復力があったものだ、と思い、
一週間寝て過ごしていましたが、少しずつ動けるようになってきたので、
リハビリがてらゆっくり出たときでした。
アベンジャーズ、カメラ博のあとは、トランポランドでトランポリン。
俺のスマホで動画で撮って、スローで撮って。手軽に撮れて、
手軽にその場でスーパースロー再生。時代です。
ひとしきり体を動かして、アイスで冷却し、親分「天ぷら食べたい」ということで、
引き続き動画チェックをしたり、アプリで遊んでいるのか、ゲームをしているのか、
天ぷら到着です。以前にロングサイクリングして、お風呂に寄れば「帰りに
天ぷらちょっとつまんでいきたい」お前は遊び人かという日があったのを思い出しました。
とんかつもちょっとだけ食べたい、ということでお裾分け前提で私は要望に則したオーダーにしました。
私の父、つまりはこの子の祖父も天ぷらが好きだったようで、その血を引いているのか、
車好きも同様に祖父の血か「パパ横に一緒に座ろうよ」と、荷台でしばし過ごし、
「パパ小さい頃、ばぁばが離婚してこの辺住んでいたんだよ」というあたりを通ってアベンジャーズ、カメラ博、トランポリン、天ぷら、と何気に濃密なドライブ兼リハビリの日となりました。
X-PRO3 + ULTRON Vintage Line 28mm F2 Aspherical + VM-X Close Focus Adapter II
私のフィギュアを撮って、
我が子のアベンチャーズフィギュア、パーツ管理システムを撮って、この日が過ぎて行きました。