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ドライブへ行こうのブログ一覧

2017年08月21日 イイね!

ハワイ メモ 3日目 50mmにて。 ショアバードとともに。

ハワイ メモ 3日目 50mmにて。 ショアバードとともに。
イイねを頂き御礼を申し上げます。賜るばかりで、イイねの返礼が滞り気味となっており申し訳ございません。近日中にお伺いさせて頂くとして、今宵は作成済みだったブログをUPして就寝致します。拝



 α7R II + Planar T* FE 50mm F1.4 ZA SEL50F14Z
 RX1 R









まずは大きな玩具店があるというカハラモールに、トロリーバスで来た3日目。





カリフォルニアピザキッチンで朝食兼昼食を済ませ、お店を出れば




外人の少しおねいちゃんがアクロバティックに体操をしているその刺激を受け、






我が子も挑戦。




印象的だったらしく、この旅から一ヶ月ほど経つ先日「ハワイでいた外国のおねいちゃんがしていた体操の練習だよ」と、覚えていたようで、湯船で回転していました。




分身の術もグレードアップを見せ、




玩具売り場到着です。



後進のところに生まれる姫へのお土産と、夏休み中に遊びに行く友へのお土産も選んで、






ゲームセンターへ。




洋服は現地調達する構えで、少な目で来ましたが、結局買うことなく、ママがホテルに2台しかない洗濯機で苦労して洗ってくれていました。





後日、日本に帰ってドーミーインホテルの洗濯機を使えば、なんと快適なことでしょう、とママが言っていました。近年のリゾートホテルはどこも洗濯施設が縮小傾向のようです。





ということはお構いなしに、離れたがらないので、しばしゲームセンターを満喫しました。納得するまでやってみる、やらせてみる。後日もゲームセンターがありましたが、このときで納得したのか足が向きませんでした。




行き帰りのバスでは、ジープとFJクルーザーの発見に全力をあげて注力し、駐車場奥の奥に止まっているジープまで発見する索敵性能を見せます。なお子供語として「エフククジャー」に加え、自転車を「ディテンシャ」と言いますが、これもいつまで言ってくれることやら。直さなくていいですよ、そのままでいてほしく。





移住、もしくは長期滞在。を、想像してみると私は2週間で限界そうです。




以前はセダンや、オデッセイのようなワンボックス系のタクシーが多かったような記憶ですが、バリエーションがだいぶ豊富になっていたような印象を受けました。経済が斜陽する日本とは異なり、景気がよいようです。





体勢が我が家のブッタに見えた瞬間。あくまで「我が家の」そして「体勢」がです。





ホテルまでの1区間、体力温存のため、トロリーバスを乗り継ぎました。




ホテル下の個人経営チックな雑貨店でコーラを仕入れ、



一息ついた後は、前日に16-35をつけたレンズを単焦点50mmに付け替えて、カメラをコンデジから持ち替え、




軽快な重装備でいざ。




24-70の標準ズームから16-35の広角ズームを使い、そして50mm固定という順番。だいぶ狭い画角で、限られた切り取りしかできないように感じます。




癖がないと言えば聞こえはいいですが、撮れる範囲も狭めな上に、望遠のように圧縮効果で迫力が出るわけでもなく、パースがついてメリハリある奥行きがある写真が撮れるわけでもなく、最も平凡に撮れやすいとも言われ、ゆえに難しいともされる50mm。しかし子供撮りにおいて、もっとも魅力を写せるように思い、もっとも好きな画角です。




「最も基本にして、最も難しい画角が50mmである」という方もいるようです。そのような50mmでもプールの中からパインアイスを食べているところをローアングルで頂きました。なお、こちらのプールは腕輪にライフジャケットは可ですが、浮き輪は禁止されています。






改めて意識してみると、難しい画角です。よくぞ50mm一本だけ持って旅行をしたことがあるな、と振り返って思います。



平凡になりやすい難しさの一方で35mmのような使いやすさもない画角。ゆえに面白味も深みもあるのかもしれません。




35mmの頻度が増えていたので、50mmを子供撮りに使うと、子供の成長とも相まって、一段と被写体との距離感が難しく感じます。プールのあとは、夕暮れに向かうワイキキをバスで一周しながら、夕食に向かいます。




さて、前回の続きな放言を引き継ぐと、あくまでも副業的な取り組みとして、本業は別になる中で、様々な投資案件、投資話、あるいは詐欺話しおよびこれに準ずるような戯言に、無数に接するうちに、




ある不動産会社の社長氏と出会いました。これがあとにして思えば大当たりです。




お相手は豪快な性格の持ち主で、70歳に迫ろうかというご年齢。片や私は20代後半に向かっていくとき。孫のような年齢差のビジネスパートナー誕生です。なお行列は「丸亀うどん」です。かなり人気のようです。





この不動産会社社長氏が買っていく不動産の金主をやることになりました。スポンサーのようなものです。



平たく言えば、自分は能力があり、客もあり、儲かるネタもあるが、お金がない。ついては不動産購入資金として事業資金をどんどん投入してもらい、一緒に儲けないか、という話しです。




不動産業界の、さらには主に売買を生業にする人というのは、奥方の口座に残してあるケースもあるかと思いますが、銀座で飲んでクルーザーで尾根遺産と遊んだりするために散財する等、宵越しのお金は持たないタイプや、不景気で一気に財産を無くすケースも少なくないかと思います。



あれやこれやとリスクヘッジも考えながら、金主と言うと口幅ったいですが、協力をすることにしました。




その社長が不動産を仕入れる一切と売却の一切を行い、私が資金を出す。不動産の名義は私にする。そして売る。転売です。




一番初めの取引時は、売却時の契約に同席もして、そして売却先企業から入金された銀行までそのまま同行して、取り決め分を受け取りました。カメラを変えてもう一枚、と思っていると、あれよあれよという間に虹が見えなくなっていきます。一瞬のことでした。




不動産の世界は非常に恐ろしく、先日は大手企業も地面師に大きくやられるほど、当たり前のように詐欺師もうようよいるので、油断できません。



10日でお金が倍になる、それを繰り返し、さらには最終売却時に大きく儲かる。というスピード感でこれをリピート演奏です。




70歳に届こうかという豪傑な社長氏は、気の強い20歳は離れた奥方もいて、まだ大学生のご息女もいました。




ご息女が運転する車で送ってもらう車中、親子喧嘩にも遭遇したり、それも今思えばよき思い出です。



この社長氏はもう旅立たれましたが、「社長もう一声つけて下さいよ」と言えば「分かったよ」と一言で三千万円乗せてくれ、さらに「もう一声お願いしますよ」と言ってみれば、これも「もう分かっよー」とさらに同じ額を乗せてくれたりもしながら、というとにかく細かいことは気にしない性格で、多大に儲けさせてもらい、これはなかなかないであろう、という出会いだったと思います。千三つどころか、千一かもしれませんが、金脈はあるものです。




不動産業界でもこれだけ美味しい案件はそうはないかと思い、タイミングもよかったと思いますが、買い付けに売却、その交渉、価格、そして利ざや、誰にでもできた仕事ではないと思います。仕事をまとめる人、儲ける人、そうでない人。この社長氏を思えば「仕事のやり方」で結果が大きく異なってくることを目の当たりにもしました。





虹も見えた、サンセット。



シルエットバージョンも含め、シャッターチャンスです。が、なかなか言うことを聞いてくれません。




家人とのツーショットなども撮りながら、20分ほどディナー待ちをしていますが、タイミングよく砂浜でサンセットに遭遇できました。




遭遇できるようで、なかなか遭遇できない、マジックアワーも見られるであろう、砂浜のサンセットなシチュエーション。湘南の砂浜でサンセットに遭遇して以来2年振りです。




惜しむくらいは、このレンズでフラッシュを用いて撮りたかったものの、手抜きしてフラッシュをもってこなかったことでした。RX1Rのフラッシュで凌いで家族写真を撮りますが、後日またこの場面に遭遇できる機会があり、そのときはフラッシュをレンズ違いながら持参できました。





ワイキキビーチ沿いにある、アウトリガーリーフホテルの一階にある、


DSC01355 A7R2 Planar T* FE 50mm F1.4 ZA SEL50F14Z
ショアバードという、自分でステーキを焼くお店です。




リザーブもすることができますが、このときは20分ほどで入れました。最ハイシーズンはもっと待つ可能性があるので、ホテルで予約を取ってもらうのも一考かもしれません。






ハワイに来ると、ここには必ず二回は来る我が家のお気に入りですが、




後日「またお肉のところ行きたい」と我が子も気に入った様子で、さらには日本に帰国してからも「また行こうね」と催促するほど、我が家お気に入りが引き継がれ維持されそうです。と思いきや、2017年9月末で閉店のようです。極めて残念ですが、次の新しいレストランに期待しつつ、お店の最後に子供と行けたことと、子供と同じ趣向を確認できたことは幸いに思います。




開け放たれた海辺のお店。お肉も美味しいですが、ロケーションに雰囲気も抜群です。お酒を飲んで、ビュッフェを軽く摘まんでいると、割り当て分のお肉到着です。




風上の煙がこない側で、焼きに入ります。子供がいるのでよく焼きのため、片面で10乃至15分ほどじっくり焼いていきます。たしかミディアムレアで7分ほどがスタンダードかもしれませんが、説明をしてくれます。



グリルの見学が長時間必要ないようで、焼いている間は、子供とふらふら外を眺めたり。



そして焼きあがったステーキを食べて開口一番「いい肉だね」などと、一丁前のことも発する姿を見て、感慨深くなりました。テーブル担当のおねいさんともたくさん絡んでもらい、楽しいひと時が過ぎていきます。




楽しく美味しく心地よいディナーが終わりました。



海辺を歩いてホテルまで戻ります。アウトリガーリーフから、いくつかのホテル前を通り、モアナサーフライダーまで大人の足で10分、子供と一緒だと20分前後です。かなりの暗がりもある中で50mmF1.4開放で撮りながらビーチ散歩します。





子供先導で歩いていきます。





南国のリゾート地にあっても、少々フォーマルな雰囲気があるハレクラニの横を通り、





「パパ、危ないよ!もっと内側歩いて!」などと注意を受けながら、



自分は海を覗いたりしつつ、この日は写真メインで帰ります。



DSC01521 A7R2 Planar T* FE 50mm F1.4 ZA SEL50F14Z
後日、同じルートで帰る時に、私は二ヶ所で道を間違えそうになりました。




「違うよ、パパこっちだよ」と暗がりに、一ヵ所はホテルを通り抜けなければいけないカ所、一ヵ所は暗く狭い歩道の入口を記憶していて、




浮かれて楽しそうに歩いていたかと思ったのに、その正確な記憶にかなり驚いた次第です。記憶力でもかないそうにありません。





シェラトンワイキキの中を通り抜けて、「パパ今度ここでジュース飲みたい」とオーダーを受け、




フラダンスを横目に、




先導についていきます。




浜辺に出て、



ロイヤルハワイアンの前を通り、



さらに浜辺を歩きながら、




リーフのほうではない、アウトリガーワイキキビーチリゾートの前を通り、




波の音を聞き、




「パパ、葉っぱの影だよ」と、照明も明るい中、



我々が泊まるモアナサーフライダーに到着です。




足を洗って、プールサイドを通り、



いつものようにダッシュもして、



シャワーを浴びれば、さらに夕食。スパム食べたい、




サンドウィッチも食べたい、おかしも、とこの日以降、怒涛の食欲で、ディナー後に部屋に戻ってまた食べるということを繰り返します。スパムやサンドウィッチは念のため用意してある、私の夜食用非常食です。段々男の子の風合いが強くなってきたのかもしれません。




私は電話報告を受けて、




カメラで遊びながら、三日目が終わっていきました。そして楽しみにしていた、この旅のメインイベントへ、



つづく





Posted at 2017/08/21 00:57:32 | コメント(4) | トラックバック(0) | 海外旅行 | 日記
2017年08月19日 イイね!

ハワイメモ 2日目。広角にて。

ハワイメモ 2日目。広角にて。




 α7R II + Vario-Tessar T* FE 16-35mm F4 ZA OSS SEL1635Z
         RX1 R













2日目。「パパ、背中乗ってあげるよ。もっと下?幸せ?」と13キロほどの指圧を受けて、「そろそろ出かける?パパ眠そうだよ」などとも言われながら、前夜に広角ズームレンズに付け替えたカメラを持って出かけます。




今回の旅はSONYだけで行くことにしました。




7R IIのバッテリーグリップもはずし、ポケットに予備のバッテリーを放り込んで、軽量性を重視してのスタイル変更。



レフ機に大口径レンズを着けても、夏場以外は特段重いという感覚もなく来ましたが、フルサイズコンデジたるRX1Rを使うようになってから、AFは弱点ながら、画質に妥協することなく軽量にフルサイズを持ち出せるということで、これに体が慣れて来ると、




キヤノンの肌色は捨てがたいながら、レフ機を持ち歩く気が失せてきています。加えて、暑い夏場を乗り切るために、軽量スタイルで体力の温存を計ります。



ホテルから大人の足で10分前後、子供と一緒だとその倍はかかるのでしょうか、散歩しながら、チーズバーガーインパラダイスでゆっくりな朝食兼早めの昼食としてお腹を満たすことにしました。南国では一日二食傾向です。ポテトに「パパ、ソースつけてみな。めちゃくちゃ美味しいよ!」と、新たな言葉、どこで覚えるのか。






RX1Rからα7機に変わると、なんとAFが楽で速いことだろう、と感想を抱きますが、一方で思ったところにピンを持っていく、という点ではレフ機の方が一日の長があるように思いつつ、何よりカメラ任せで楽な撮影ができるところもSONY機の魅力です。クルマでいえば、MTとATのような差を思います。




日系人が創業者のABCストア。年間150億円の売上をあげているようです。で、おもちゃを仕入れて、




大きなトラックや工事現場などを見学しながらホテルに戻ります。



広角は、水平垂直、平行の乱れが助長され、この点もなかなか難しく思いますが、




余計なものも写りやすい、余分に入りやすい、という点も難しく思います。少しでも慣れたく思い、シャッターを何度も押しながら移動します。




我が家のマイケルジャクソン氏。つまりは私にとって敬愛してやまないエンターティナーの光り輝く太陽神でありカリスマ、後日のショーに向けて、オフを満喫します。



概ねワイキキビーチ沿いは一通り泊まりましたが、



このモアナサーフライダーに我が家の場合は落ち着くことになり、原則としてハワイでの選択肢はこのホテルだけですが、子供のためにもう一巡もあるやもしれません。ハワイ挙式のときも泊まった思い出もある白亜のホテルです。



「あっホイール一緒だよ」との指摘に見れば確かに近似しているデンザイでした。子供は何を見ているか、予想がつきません。



手取り十数万円のアパレル経理職。若い女性らしくおしゃれもしながら、三年間で貯めた300万円。デート代は私持ち、かつ実家住まいゆえできた側面もあろうかと思いますが、なかなかの貯蓄能力に助けられ、全額妻持ちで挙式をした若い思い出。



水平垂直に平行。垂直はお休みして、水平と平行の練習。平行があまり言われないのはなぜゆえか。



お腹も満たし着替えて、いざ。



前日24mmで撮ったあたりから16mmで。



学生の頃に付き合っていたときは、ほぼ毎日送っていきました。毎月のガソリン代10万円、走行距離10万キロ超。



DSC00350 α7R II  SEL1635Z
広角の迫力を出すために、ファインダーかつ寝そべるぐらいのローアングルで撮りたいところですが、そこまでの度量はありません。




結婚し共に暮らすようになってからはもちろん、その前からほぼ毎日会っていたので、若い頃からずっとほぼ毎日人生を共にしている、お互い加齢してきた人生のパートナー。




子供が生まれてからは、その関係性も大きく変わりつつ、若い頃は「子供が出来ても妻が一番である」と思い、またそうであるべきだと考えていましたが、完全なる前言撤回です。素直な感情としても、考えとしても。



構図待ちで撮ることも。フレームインしてくれ、こちらを向くのを待って、かついい表情で撮れるまで、案外にファインダーを覗く待ち時間。




飛び込み、バタ足、塩素が入った水しぶきがレンズにつき、太陽で塩素が固まり、という苦闘はフィルターのおかげで考えないことにして、プールの中で待機しながらも。なおα7R IIの動画撮りは、直射日光で黒いボディの過熱が加速したのか、10分ほどで停止しました。



「Perfect」と声掛けを何度かもらった腕輪にライフジャケットのダブル仕様。両方だと浮力が扱いづらいようで、本人には不評でした。そしてこの旅でお気に入りとなり、後日の伊勢湾フェリーでもあざとく見つけたパインのアイスを食べている途中でも、





わざわざプールに入り、写真を撮ります。プールの中に入りプールサイドの写真を撮ると、普段はなかなか取れないローアングルの写真が撮りやすい発見をグアムでしました。




プールの中から、プールサイドにいる、もしくは歩いている家族の超ローアングル写真、引いても一枚。





そこそこ長丁場だったプールをあがり、



この日は寝ないでさして堪能できないラウンジを堪能。以前は長らく毎々に宝生舞氏に似たスタッフ氏がいましたが、見当たらなくなっていました。泊まる人、働く人、所有する人が変わっても、そこにホテルはあります。この子が大人になっても、改修されながらきっとまだまだ現役なことでしょう。




サービスに、調度品。ワイキキの中にはもっとよいホテルもあろうかと思いますが、あるいは人により感ずることはそれぞれですが、このホテルの気品の中にあるほどよいルーズな雰囲気が気楽さを生み、そして何よりバニヤンツリーと呼ばれる木が鎮座する中庭で、夕刻から夜に飲むお酒と、爽やかな6時代の朝食が世界一級のような気がします。朝食の一級度合、それはもちろん味ではありません。




時のドン、と言ってもいいであろう、小佐野氏が所有をしていたこともあったホテル。日本がそれほどにパワーとハングリーに溢れる日は、あと1000年は来ない気がします。



しかしやがては、地球上に数ある国と民族の中で、再度トップクラスに頭角を現していくのだと思われ、そこにこの国のすごさと、根底にある民族の優秀さを思います。



ジープ。の一方で最近は「黒いベンツのGクラス、パパ買いないよ。」と誘導を受けています。セダンは触手がまったく湧かないようで「シルバーのは売っていいよ、いらない」とまで言われています。長きに渡り愛されている武骨なデザインGクラス。素敵な一台ですが、乗り心地に不安が残ります。とくに後席のロングドライブが心配です。



他方でカメラ。少しずつ、基本は崩さないながらの光りもルーズにしてみたり、という取り組みをしてみたく、ゆっくりと次のステップも目指してみたいと思っています。




日本では見れない配色を撮りたかったようですが、何が撮りたいのか分かりません。とホテル周辺を散歩したあとは、部屋に戻り一休みして、




サンセットが終わった時間帯に「夜ごはん行きたい、お外の行きたい」ということで、ノープランで夕食を目指して散歩に出ます。



何を食べようかと歩いているとラーメンが食べたい、という具体的要望で辿り着いたこの日の夕食「えぞ菊」。フードコートにて。高田馬場にある老舗の有名店がハワイに出店をしたようです。



そして犬も歩けばジープに当たる地域。




DFSに寄ってみることにしました。




ここの運営主体も既得権益と言えるほど、不動の立地に地位を各所で。ポイント切り替えがあるよ、と電車ごっこです。




ハワイに来たときは、必ず記念にと、のぼせ上がって腕時計を買っていましたが、今ではなぜに買っていたのか分からないほどまったく興味が湧きません。もともと現金派でしたが、海外に来たときはカードが便利だと気づき、しかしあまり高額な物をカードで買ったことがなく、世間一般に無制限と言われる色のカードでも、実際は300万円ほどがリミットというケースも多くあると聞いていたので、念のため問い合わせてみれば「お客様のカードは限度額無制限です。ご安心してお買い物をお楽しみください」と言われたこともありました。




という張りぼてな価値に価値を見出したこともなく、あるいは周りにも多くいたので感覚が麻痺して特殊な色であるという認識もなくなっていましたが、今となってはなお更にどうでもいい要素にも思えてなりません。




10年以上、家人にも持たせてきましたが、一度も使うことなくカードを使う時はノーマルな色という、人間性。





家人の、つまりは当時若い薄給なOLの貯金でハワイにて挙式あげ、日本で披露宴も執り行い、そして私も社会人として幾ばくかの経済力をつけてきた中で、家人の口座に移してみても、何も変わらない人間性。お金を余分か多分に持つと人間、あるいは行為態様も変わりやすいと思いますが、




つまりは、お金があろうとも、なかろうとも、多少旅行は多くなりましたが、それ以外はさして変わることがない人間性という点について、ある日これはすごいことなのではないか、と思いこっそり尊敬するようになりました。あなたのママのいいところ、その一つですよ。繰り返しますが、これはすごいことなのではないか、と思います。私は思い返せば、飲み歩くことも含め、ずいぶんと行為態様が変わってしまったときもあるように感じます。






時計はたくさん買いつつも、カード会社へと問い合わせした時に色違いで買った一本と、社会人になったときにお祝いでもらった一本を残して、すべて周りにあげてしまいました。あげた時計以上に稼がせてもらったので、そのときどき安いものだ、という感覚でした。





私の父は通りすがりの人に腕時計をあげ、私はそれは間違っている戦果を残した身の周りの人にあげるべきだと思い、がしかし親子二代間違った行為態様だったと思い、そういうことをしても多くの場合、何にもならない、と後世たる子供には伝えておきたいと思います。しかしいかなる時も大切に時計をつけてくれている後進を見れば、嬉しくも思い。いま残してある妖艶な雰囲気もある時計。これは子供にと思い、残してありますが、そもそも腕時計などしない時代かもしれません。





フランクミューラーを単に頂いたこともありますが、金のカルティエに文字盤にはダイヤやルビーをあしらったそれはそれは派手な腕時計を、




「お前からは無担保で借りたくないから、これ渡しておく」と、10歳上の知り合いから100万円を貸す代わりに預かったこともあります。





この人はご息女が三人いる中に、自分の子供より年下とは付き合わないというすぐに崩れることになるポリシーとともに、モデルかアイドルの卵としか付き合わないというハウスルールも持ちつつ常に彼女も数名いて、




年収が1億円のときもあれば、財布に数十円しか入っていない時期もあるという、宵越しのお金をもたないにもほどがある、あればあるだけお金を使ってしまう、稼ぐ能力がある一方で貯蓄能力がゼロというなかなかにアップダウンの激しい方です。完全なるキリギリスタイプだと思います。




私が「高倉健」と呼んでいたこともある硬派な家人は、長年共にしていても、余計なことは言わず、汚い言葉使いも聞いたこともなく、人のことも悪く言わない人ですが、後にも先にも「私ああいうお調子者嫌い」と、若い頃に家族ぐるみで食事した際に癇に障ったようで言っていたのが印象的です。いつもネタで家人には内情を伝えていたので、向こうの奥方や子供を慮った言葉かと理解しています。





「パパ、散歩行こうよ。喉かわくから一口なんか飲んでいきな」と言われながらの要望に応えて、子供と夜の散歩です。22時。思えばローマ字を先に覚えてしまいましたが、最近はひらがなも覚えてきました。「ふ」はフォントによっては「これは3?」と聞いてきますが、なるほど、大人の目線では忘れていたことです。





質屋に入れれば期間が短く、本人としてはまた稼いで取り戻すには、私に預けて一時的にお金にしておくことが一番安全で確実であると判断したのだと思います。




お付き合いも続きながら、2年か3年待ったあたりで、どれぐらいのものなのか、時計買取店に持っていきました。あまりに派手でニーズもあるのか不安に思い、30万ぐらいかと思っていたら、




百数十万円の買取価格。「どうしますか」と問うてみると「また稼いで新しいの買うから、どらちゃん!売っていいよ」ということで、私は一生付けることはないであろう、ど派手でケバイ時計、結局幾ばくか結果として儲かってしまったこともありました。





私は金融業は営んでおりませんが、お金の無心というものは、それはそれは数えきれないほどに、たくさんの人が来られたと思います。社会人となり間もないと言ってもいい、25歳の頃には、「あそこの若が助けてくれる」という口コミで、方や「あの人を助けてあげてくれないか」と、望まざる来客の毎日だったこともあります。






社会勉強といえばそうですが、ショックでした。「大人とはこんなにもお金に困っているものなのか」「だらしないものなのか」「社長と呼ばれる人でも、こんなにもお金に困っている人が多いのか」と、世間を何も知らない中で、大変なショックを覚えました。




不動産とセルシオを担保にするから、どうしても助けてほしい、とお金を貸したあとに、連絡が取れなくなった社長氏もいました。




セルシオは使わないので、周りの人にプレゼントすれば、嬉しかったのか、時おり出先まで迎えに来てくれ助かったりもしましたが、不動産は売りに出してみれば、貸したお金の数倍の金額で処分でき、なぜにこれを担保に入れてお金を借り、蒸発したのだろう、と今でも不思議でなりませんが、流動性の課題もあったのでしょう。しかし担保価値を割りすぎて、資金調達しているわけですから、もったいないと思ってしまいます。結局、借り手の方の「人」がよかったのかもしれません。





不動産業界では名を鳴らしたこともある、丸の内のインテリジェントなビルに豪華なオフィスを構える、とある金融業を営む社長氏からは「今月の給与5000万円が足りないから」と無心を受けたこもあります。はた目からはそう見えないわけで、あるいはそこで働くほとんどの社員はその実情を知らず、怖いことでもあると思ったものです。




ときにはビジネス、つまりは会社を担保に来る方もいます。利息を狙いこれを生業とすると、少々グレーな領域に近づくことになるかと思いますが、これらが端緒となり、投資もするようになりました。




投資先を募る。これが大盛況で、朝から晩まで、まさに行列が絶えないかのごとく、キリンさんやハイエナさんが群れを作るかのように、毎日来る日も来る日も、人が訪れるようになりました。





ビジネスとして成り立たない、可能性が低い、論理的整合性に欠ける、など納豆の糸にも引っ掛からないと判断される案件ばかりですが、




中にはすごいと思える技術を持っている企業もありました。ホテル散策もう一本中。




技術としては間違いない、しかし大人の事情でそれが世に広まる可能性はない、と判断されるものが大半です。ご本人はその「技術」の傑出性にだけ目がいっていますから、類似の技術や代替え技術の競合性、あるいは大局的かつ多角的、かつ戦略的な視野でも考えると、非常に厳しいのではないかと私は当時判断しました。などということも思い出しながらのハワイ、


つづく


Posted at 2017/08/19 21:20:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | 海外旅行 | 日記
2017年08月18日 イイね!

ハワイ初日の海と、夜の散歩スナップ。生きる大変さを思いながら。

ハワイ初日の海と、夜の散歩スナップ。生きる大変さを思いながら。




 α7R II + SEL2470GM + SEL1635Z
         RX1 R










ハワイの一等地、その中でも凡人がさらに格別に思う場所。





DSC09669 α7R II
ロケーション、レイアウト、ミュージック。そして世界一美味しいであろうチチ。プライバシーに配慮して、高コントラストにしております。





すぐ横は波の音。




「当機はあと1時間ほどでダニエル・K・イノウエ空港に着陸態勢に入ります」旨の機内アナウンスに慣れない中、訪れたハワイ。羽田発に続いて、今夏より成田発もANAのホノルル線は787-9になったようですが、




2019年からはANA成田・ホノルル間でA380が導入される予定とのことで、わざわざ成田まで行く価値を思いつつ今から楽しみですが、それまで飛行機好きが維持されているのかは未知数です。





グアム線は羽田がないのですが、限られた羽田の枠に加え、日米間の航空交渉の結実な都合や、そもそもビジネス需要もなくシーズン外での安定的な収益性を確保しにくく、さらにはビジネスクラスが安価な傾向で、この点からも収益性がよくなく、などエアラインの都合を知ると、それもまた面白いものです。




機内アナウンスといえば、エアドゥでは一度、素敵な機内アナウンスを聞いたことがありますが、ANAの「山形機長」という方が、その名言ぶりに有名なようで、一度搭乗をしてみたいものです。





毎々、飛行機の離着陸時は動画を撮り続けています。「この度はANAをご利用下さいまして、誠にありがとうございます。」と飛行機ごっこで機内アナウンスをするのですが、その教材がてら録画していますが、今のところ一度も日の目を見ない動画になってしまっています。





お姉さんが水を出してくれる、袖も触れ合う旅の楽しさ。







旧日本兵スタイルの新しい水着でプールを愉しみます。従前の水着のほうが可愛いと思いつつ、かつまだサイズとしても着れますが、こちらのほうが日焼けしないであろう、という母心のようで。




ときを同じくして偶然に、近くのホテルにはお世話になっている方が米国との打ち合わせでハワイへ来ていました。こちらの単なる観光とは様相も世界も違います。という性格も有するハワイという立地。




グアムでは海、ハワイではプールがメイン。ホテル前の砂浜は、波が強く浅瀬が続くというよりも、傾斜がきつめで子供向きではないかもしれません。海は遠浅でプールに滑り台もある、グアムのほうが子供向きと言えるかもしれませんが、





プールはかなり満喫し、腕輪をつけながらも泳ぐのがかなり速くなりました。




部屋からプールが見えれば行きたい、ということで早々に泳いだわけですが、考えてみれば、幼稚園をしっかりとこなし、ばぁばの家に遊びに行き、飛行機に揺られ、機内ではトーマスとドラえもんを視聴し、ハワイまで来てそのまま到着初日にプールと海まで、がんばりました。




プールからあがり、シャワーで体を温め着替えてラウンジへピットインすれば、私の胸で即寝。豊胸手術をしておくべきでした。ちなみにラウンジもだいぶチープチックになった様子でしたが、ただ酒なので文句は言えません。








お昼寝から起きれば、外はもう暗く、ママが買っておいてくれたスパムやらで「ベランダで食べようよ」というベランダピクニックのお誘いをもらい、夜景を見ながら初日は軽い食事で済ませます。




乳児の頃から多分にドライブや旅行にと連れ回してきたつもりですが、離乳食のときは一度だけファミレスでお世話になったぐらいで、それ以外は一度も出来合いの物は食べさせず、



離乳食が終わってからも、コンビニのおにぎりやお弁当はほとんど口にさせずに来ました。昔はそのような便利なものはなかったわけですが、現代はついつい頼ってしまいそうになるところ、ママがんばってきました。





今でも極力は口にさせないようにしていますが、たまにならというマインドで。そして夜が更けてきた辺りで、ママ寝てていいよ、と我が家の王子がママにキスをして、




パパと二人で、少々夜の散歩です。




新婚旅行でハワイに来ているというお兄さんに声をかけてもらい、少しお話してもらいました。



「旅は色々な人に会えるのが楽しいんだよ」と自宅でぽつりと私に教えてくれるほど、かなりの旅人ぶりに成長してきました。




また翌夜に一緒に散歩することになるとして、一旦部屋に戻り、子供を寝かしつけて、即寝できるタイプの家人を横目に、まだ寝るわけにいかない私はさらに夜の散歩スナップを続けました。




寝るわけにはいきません。スタートアップしたばかりの報告電話が掛かってくるまでは。



若い頃は旅先でも電話ばかりしていましたが、電話を待つほどにこうして旅先で仕事を気にかけて、後進に申し訳なくも気になるのは久しぶりです。せめて思いだけでも感謝と労う気持ちも伝えさせてもらいながら。



後進だけでなく、協力者ともやり取りしました。つまりは旅先で仕事をしなければならない状況も久しぶりです。有り難いことにご協力を頂いたおかげで2/3000となりました。サンゼンブンノ二です。




スタートアップした仕事。10年振りになるのか、面接というものを自らする機会を頂いてさせてもらっています。



10年前は朝から晩まで面接をしていたときもありました。夜は二次、三次面接がてらの会食続きも。




新卒や中途、ハングリー精神あふれる高卒の男の子、赤子のような大学生に御曹司、ドクターを持った元研究員、まだ学生な女子、などなど若い子を中心にレパートリーも豊富でした。



今、面接をさせてもらっているのは20代から50代あたりまでの男性中心。新卒は皆無です。




少々浮世離れして人生を歩んできてしまっていることも自覚しつつですが、




40代、50代の方々と面接をさせてもらっていると、思うことは「生きる大変さ」です。まだ小さいお子さんがいる50代の方もいます。あと20年、がんばらねばなりません。





若い頃は誰しも、仕事に困ることもなければ、選び放題であり、いくら疲れても寝れば回復し、あるいは仕事が大変だと思っても、生きていかねばならぬ大変さはそう実感するものではないような気がします。あったとしても、楽しく感じることや刺激のほうが多い時期と言えるかもしれません。



それに比べことに50代は、ただただ生きる大変さを、それを強く実感する年齢、のような気がし、生きて行かねばならぬ必死さ。それが伝わってきます。




若い頃は歳を重ねて生きるのが大変そうな方を見ても「自業自得である」かのような一本鎗な考え、いや竹やりのような感想でしたが、



私も幾ばくか年輪を重ねて来ると、人生そう簡単ではない、ということも分かり、しかもそういう方は大勢いて、



加えて、同じ人間、苦しむために生まれてきたわけでも、ただただ苦しむために生きているわけでもなく、ましてやそれを望んでいるわけでもなく、と思うようになり、必死に、もしくは「とにかく」という表現を使ってもいいかもしれませんが「生きている」姿を見るにつけ、



その気持ちがどこか分かるようになりました。そして、ときに全力で、ときに私の役割として何かしらのお手伝いをできればとどこか思いながら、




そして敬意を思いながら、面接をさせて頂いております。




気持ちが伝わるのか、単なる説明だけで感服しました、という感想をくれた人生の先輩もいました。



人はみな対等だと思います。しかし私は「申し上げます」という表現を、文章でも口語でもあるときよりするようになりました。




すべての人に敬う気持ちを持ち、人間はすぐに勘違いし思い上がる生き物だと思いますから、自らを戒める意味も込め知らぬ間に思い上がることがないよう、対等だと思いつつも、すべての人は自らよりも上であると思い、



あるいは感謝の念も込めるつもりで、敬意を持って接するようになりました。そう思い至るようになった人生の旅時を歩んできたと言えば、そうであり、あるいはそれも含めて自然とそう思うようになりました。



物事は目標値を持ち、それに対してストイックになったほうがうまくいくという経験則もありますから、




若干は若々しい気概も持って5年で3000の雇用を作ることに社会貢献したいとも思って、あるいはこれを通じて利潤も得て、苦労ばかりかけている後進の人生にも寄与したく、



しかし言うほど若くもなく、肩に力を入れるわけでもなく、理想でごまかしたり酔うわけでもなく、頭でっかちでもなく、



多少は機微も感じれるようになってきたところで、ニュートラルな気持ちで仕事するように、今のところは至りました。といってもあまりしていませんが。しかし本日は12時間労働というものを久しぶりにすれば、ここちよい疲労感にも包まれました。



仕事のエンジンもかかり、ギアも変わってきたような気がしつつ、9月から幼稚園がはじまれば、年末までは送迎もあります。これもうまくやり繰りしながら、




3000という、いやそれは苦労という意味でも大変なことかと思いますが、その何割かで



仕事をする大変さはあっても、どうやって生きて行けばいいのだ、子供もまだ小さいのに、と絶望を感じることを和らげるという意味では、生きる大変さが少しでも減退する人生となるように、



少しでも役立てれば幸いにとも思い、仕事をさせてもらえればと思っています。と思う父。



つづく





Posted at 2017/08/18 23:10:56 | コメント(3) | トラックバック(0) | 海外旅行 | 日記
2017年08月14日 イイね!

思い出いっぱい、休みがない夏休みのスタート。ハワイ到着編

思い出いっぱい、休みがない夏休みのスタート。ハワイ到着編




         RX1 R










仕事を終えて私もなんとか間に合った、7月中旬の盆踊り大会をこなし、夏休み中ダンスのマインドもグロウスなステージを感じさせることとなり、







明けて、夏休みに向けた幼稚園最終日の朝、登園のため送り、




「今日からハワイ行くんだよ」と子供が伝えたのであろう「本当に今日から行くのですか」と先生から聞かれたお迎え。




新旧の因果が入り混じる不思議な7月と、夏休み開始日なったこの日も因果を感じることになりながら、送迎のあとは少し留守をするのに備え一仕事して、「はわいまだ?」「はわいまだ?」と聞き倒されるひと時。





「はわいからかえったらすぐくるからね!」とばぁばに顔を見せ、うどんでも食べていくか問われれば「うどんはひこうきでたべるよ」とやんわりと辞退し、「ドコモだ!ビルをみて」と指示も受け、「ここの景色も好きなんだ」と聞けば、それも撮り、




大井のあたりでは「ドクターイエローみえないよ、だって車庫のおくにいるから」という理解は示すのに「ジープとFJクルーザー買うから今の車はいらない」と暴言を吐く車中、「羽田国際線ターミナル?」と聞く、その空港付近まで来ました。




夕焼けの羽田空港周辺。




仕事としてはスタートアップの時期、大切なタイミングであるにもかかわらず、申し訳ない気持ちとともに後進へ託し、お願いし、謝りながら、この子の今しかできない情操教育の一つとして、





いろいろな物を見聞き感じる旅に出ることにしました。




「いいこと思いついた。スーツケースはAちゃんがころころして、かばんに玩具いれるから、安心していっぱい玩具もっていけるよ」とママと交渉した結果、バイク一つのみの着地点。玩具のお土産で埋め尽くされるであろう、スーツケース一つは現地調達する構えで、出発です。





駐車場からターミナル内への移動中「あっモノレールだよ、見た?」と聞かれ、その瞬間を鉄道写真家中井氏きどりで飄撮。





前の晩は後進の新しい奥方を我が家に招き、粗宴な晩餐をしていれば新妻がいる傍では大好きだった後進前妻の名をけして言わない、大人の配慮。を思えば、なんと成長したことか、と思いました。





男同士になったとき、一度だけ「Rちゃん元気?」と、聞いたのみで。なかなかの宇宙遊泳です。




バイクを持ちつつも、飛行機好きな男の子。そのアピールぶりは帰路で花開き、実利に繋がっていくことになります。




しばし空港で遊びながら、



夕食を物色しつつ私は空港スナップ、略して空スナップ、つまりエアースナップ、さらに略してプにも勤しんで、



思いの外、混んでいるお店多数で食べログ難民。




入園直前春先に行ったグアム撮影総枚数21,400枚、動画も合わせたデータ量366ギガバイトに対し、入園後はじめての夏休みたる今般のハワイ旅行は撮影総枚数8,740枚、動画を含めたデータ172ギガバイト




ざっくり写真は半減以下の三分の一に向かっていこうかという減退ぶり、データは半減。




これを二回ほど堪能していると、案外に時間が無くなってきました。




我が家の機長と空いている洋食店へ。





揚げたてのエビフライをタルタルソースで頂いて、




水平垂直、平行を水準器なしのなる早で到達したい練習の日々。



撮影枚数が大きく減ったのは、その分動画を多く撮ったことに加えて、機材も要因かもしれません。RX1Rはピントが遅いので、シャッターを押すまでに時間がかかります。






休みがない我が家の夏休み。その開幕となる出国です。



「簡単でした~荷物検査」倒置法で表現し、




13回目となるフライト。やんちゃ坊主系ながら、結果として少しずつ慣れてきた成果が試される7時間超のフライトにトライです。




搭乗する111番ゲートに着いた瞬間に後進から電話が掛かってきて「111」に関する報告を受ける、不思議。




搭乗ゲートもお手伝いをもらいながら、自分で通り、おじぎも二回して、




この日乗る787と記念撮影もして、



機内へ向けて猛ダッシュ。このシャツ、CA諸氏から「あら飛行機好きなのね」と評判よく声を掛けられながら入場することになるのですが、大人用も探したいところです。




自前のヘッドフォンでトーマスの映画を見出し、



離陸に向けてタキシングもはじまりました。



         RX100M4

家族三人、別々のコンテンツを見て、横並びでほぼ終始別々の脳内を過ごすひと時がこのように早く訪れるとは思いませんでした。別々の時間、成長を感じ、嬉しくも寂しい一瞬でした。あと何回、こうして三人並んで座ったフライトができることか、とも思えば貴重な今にも思い。





トーマスの映画を見た後は、ぐっすり寝てくれ、思いのほか私は映画を二本も見ることができ、まさかそのようなときがこのように早く訪れるとは、これも同じく以下同文。




機内食もいただき、




空が明るくなってきたところで、



軽食ももらい、一昔前よりも機内サービスのコストダウンを経済的な座席でも随所に感じ、



着陸するときに上から風力発電の「風車見えたよ。宮古島で見えたのと同じやつだよ」と二歳の誕生日に行った宮古島で見た光景を覚えているのか分かりませんが、ハワイに到着しました。思いのほか、苦痛にも感じず、私も楽しかった7時間。イタリアぐらいも行けるのではないか、と欲が出てきます。





社会勉強。



「いいの撮れた」と、向かいのおとうさんにカメラ目線をもらった子供作。「よし、今回はポートレート系で行こうか」という心の声も聞こえてきそうなひと時、我が家の先生、後日秀作を発表なされます。






旅行代理店のラウンジまでのバス、私は仮眠してしまっていたところ家人が撮ってくれて。





次はホテルに向けて、風を感じつつのトロリーバスに乗り、




大好きなジープを見つけ、




ホテル着でまたジープ。ここもグアム同様、ジープ大国です。





簡素なチェックインを済ませ、




部屋に到着。「あぁ~気持ちいい」と寝転んで、




親の靴まで揃えてくれて、





眠くなってしまう前にお出かけです。ホテルにあるスーツケース店に目星をつけに立ち寄って、





昼食を頂きに、常夏を歩きます。





細々とは変わっているワイキキ。しかし大きくは変わっておらず、とも言える中、



ハワイ上陸、第一号の食事は適当に決めた新しいお店へ。あとで確認すると、人気シェフロイヤマグチ氏という方がオーナーのEating House 1849 という多国籍料理店でした。



DSC05452 RX1R
このお店での写真を見ていると「ここハワイ?、何食べた?」と聞かれ、なんだっけと思い出す努力をしようと思えば「枝豆だよ」と、お通しのピリ辛ごま油で和えた一品を平らげていたのを私も思い出す、早く我が家の頭脳担当を交代したい日々。




幾度も行っている箱根。箱根という響きにも、そこで頂く美味しい食事にも、何らの高揚感もワクワクする気持ちも発生しません。ハワイも同じく。飽きてこなくなったハワイ、久しぶりでしたが、気候的にも、雰囲気的や解放感も思うところがありません。強いて言えば、加齢により五感が鈍化してくるとグアムでいいかなと思う、中年心。




しかし子供と過ごす楽しさ、子供が楽しんでいるひととき、子供と一緒に来たハワイ、格別の旅先にも思いました。




 α7R II + SEL2470GM

部屋に戻り、着替えて、


 α7R II + SEL2470GM

プールと海に繰り出します。



つづく
Posted at 2017/08/14 16:20:34 | コメント(9) | トラックバック(0) | 海外旅行 | 日記

プロフィール

「久しぶりに安達太良山の姿を拝めました。やっぱり素敵🤩」
何シテル?   06/18 08:37
ドライブへ行こうです。 子供と出かけた全記録です。 よろしくお願い申し上げます。
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カテゴリ:静岡お店
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