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白悪兎のブログ一覧

2012年11月11日 イイね!

さよならだけが人生だ。。。

さよならだけが人生だ。。。午前中の民間治療の授業を終え、帰宅中に雨が降り出した。

やはり季節的に、この時期の雨は色んな意味で堪える。

しかし、まさかこの日に雨が降ろうとは予測しえなかったが、ある意味心情の表れなのかもしれないなと、ふと心奥で呟く。

雨が酷くなる前に帰宅を急ぎ、私はすぐさまガレージ内のNS400Rを引っ張り出してカーポートの下に移動させた。土曜日の日に暫く洗車していなかった洗車をして、随分と綺麗になった為か、28年前のバイクの割にはそこそこ状態が良いようにも思えた。



実はNSを手放すことを決心した。

今年の抱負の中に、一応それでもNSの車検取得を入れていたつもりだったが、YBRが来たこともあり、情熱が少し冷めていたのかもしれない。否、冷めたというよりはむしろ・・よそう。。こういうのは言い訳にもなる。ただ私の不埒な生活の代償として、NSを手放すことになったことは少し理由として含まれていることを書きとめておく。

しかし迷いはあった。少しの整備で乗り出すことは可能であったし、またあの2サイクル特有のサウンドや加速、オイルの焼ける香り、そんな物に後ろ髪を引かれた。

でも、結論は手放すことにしたのだ。

理由は冷めていたのかもと少し書いたけれど、実は最近、以前から引っ掛っていた答えが心の中にストーンって入ってきて「そういうことだったのか。。」という答えが明確に分かったのだ。

YBR125を買う前にYD125という欲しいバイクがあった。このバイクは何年か前に自分が一時期所有していたバイクで、燃費もよければ乗りやすく、ツーリングにも通勤にもつかえ、季節を感じながらトコトコト走るにはものすごく良いバイクだった。

気軽に乗れるバイクも欲しかった。来年の転勤のこともあったので通勤車両としての燃費が良いバイクが欲しかった。だからネットでYDを物色していた。そして何度も程度の良い個体が出たり、陛下とあだ名をつけるくらいものすごく良い個体も見つかったのだが、そのとき何か引っ掛って買えなかった。買いたい買いたいと思いつつも、どうしても買うことが出来なかったのだ。

だが、その答えが今回ハッキリ分かったのだ。そしてそれはNSと決別する別の意味でのもっとも大きい動機でもあった。

私はMVXもNSもYDも一時期所有していたのであるが、どんな理由であれ、好き嫌い関係なく自ら手放したのだ。決別をしたのだ。

そう、私は自ら手放したものを、再度欲しいと願っていたのだ。

そう、後ろを何度も振りかえっていたのだ。

だからNS決別をすることに心を固めたのだ。

そういう答えが分かると流れは速かった。

私はちょっと事情があり、午後から会社をサボったのだが「取り合えずNSのナンバーを外して税金が掛からないように・・」と陸運局に出向くのだ。しかし寝ぼけていたのか、どういった訳かナンバーは持っていったのに肝心の車検証を忘れてしまったのだ。しかも次の日も、ちょっと仕事が出来る塩梅ではなかったので、社会人としては失格とわかりつつサボリを決め込んだ。

次の日の金曜、自身の私用でフラフラし、ある場所で待ち時間を過ごしている間にスマホの電話帳のデータを整理をしていた。旧携帯からデータが移行しているので、文字の並びや不要の店の電話番号等が気になったからだ。そこである男性の番号を見つける。

この男性はSさんと言う。かれこれ約20年の付き合いになるだろうか。否、付き合いというのはおかしいかもしれない。実際は私が困ったときに現れるのだし、お会いしたことはこの約20年の間で4回なのである。

約20年前にバイク雑誌の個人売買でSさんと知り合った。私が当時MVXからNSに乗り換えた時のことで、金銭的に余裕もなかったこともあり、使わないMVXの社外品パーツを売りに出したのである。そのときに買っていただいたのがSさんだった。

その後、何事も無く月日は流れていった。

そして約6年前だろうか。不意に偶然にも再会するときが遭った。当時の私も相変わらずとバタバタしており、今通っている民間治療の勉強と、そこで知り合って結婚を約束していた女性を同時に手放し2年くらいの月日が流れた時で、まだ下を向いて生活を送っていた時だった。しかし、ある程度落ち着きを取り戻した時に色々と処分を決め込んだ私は、ヤフォークにバイクのパーツやら車体を出品したのだ。そのときに、またSさんと繋がるのである。私は全く記憶に無かったのだが、苗字が珍しいこともあったのかもしれないが、Sさんは私を覚えていてくれたのである。私は不意の再会と、私を覚えていてくれたことの複雑で不思議な気持ちであった。

それでも、確かその前にお宅に一度遊びに行ったこともあるから、覚えていてくれたのかもしれない。それに「結婚をやめました。。」ってメールの連絡もしたような気がする。しかし不思議なことに、どうして当時メールのやり取りがあったのか。。。連絡先を知っていたのか。。。またどのような関係で繋がっていたのか全く記憶が欠如している。それだけ下を向いていたのかもしれない。ただ、メールのやり取りで慰めてくれたり、元気を分けて頂いた、そういうことは記憶に残っているのだが・・・・

そんな訳で、約6年前のその時もSさんにバイクを譲ったのだ。2度目に買って頂いた時のことである。

Sさんにとりあえずモバイルメールにて打診してみる。一応声を掛けてみて、無理そうならばNS仲間に声を掛ければいいと思っていた。否、本来はNS仲間に声を掛ける予定だったのだが、その前に何故か携帯データーを整理していて偶然Sさんと繋がったのだ。だから私の中ではSさんが引き取ってくれるだろという、妙な確信があった。Sさんはメールの趣旨を理解し、二つ返事で了解し、私は「とりあえず車体を確認していただいて、それで決めていただければ・・」と言うやり取りをし、日曜に会う約束をした。

そして先日ナンバー返納が出来なかったので、急いでその日のうちにナンバーを返納した。

降り出した雨が一時的に曇り空になる。この様子だと、商談中は雨に降り込まれることは無さそうな気配だ。

しかし一時的に雨が止んだのはSさんの人柄おかげなのだろうか。なんとなくそんな気がする。と頭の中で考えているところに、Sさんと奥さんと小学生の息子さんが2トン車トラックに乗って現れた。

不思議なものだ。随分と会っていないはずなのだが、何故か初めてお会いした時と変わっていない。疎縁になっていた感覚もない。実質4回しかお会いしたことがないのだが、なんだかものすごく長いお付き合いをしている知人にも感じる。

挨拶はそこそこ、そして暫く談笑し、SさんはNSを拝見する。

その後、何故か絶句の間が続く。

私は当初、絶句している意味が分からなかった。

しかし奥さん曰く「こんな綺麗なバイク・・Sには勿体ない。。でも凄い。。」とのことだった。

私の中では、もう少し手を掛けて綺麗にしてあげたかったのであるが、人の見る部分が違うのだろうか。それとも感性の違いなのだろうか。その辺りはよく分からない感覚だった。

Sさんは多くのバイクを所有しているのであるが、話によるとNSを一度も所有したことがないそうだ。
何度も何度も憧れつつも、いつも手に入れられず、もともと生産台数が少ない上に、状態の良い個体も見つからず、そういう思いのまま何十年もの月日が流れたらしい。そしていつかは手にしたいと、いつも願っていたそうだ。

MVXもNSRシリーズもガンマシリーズもRZシリーズ(RZV)も手に入れたことがあるらしいのだが、NSだけは手に入らなかったらしい。

私は様々な2サイクル車を所有しているSさんだったので、てっきりNSも所有していると思っていたのであるが、その意外な事実を初めて知った。Sさんから見たら、かなり状態の良い(らしい)NS。もうこのような固体のNSにはお目に掛かれないらしい。

そこでやっと私はSさんの絶句の意味を理解した。



私は、NSのパーツ類を確認してもらう為にガレージや倉庫に入れておいたそれらを運んで、確認をしてもらう。

パーツを細かく一通り説明し、バイク談義に花を咲かせ、そして1時間ほどたった時だろうか、そろそろNSを2トン車トラックに載せこむ準備をすることになった。

ユニッククレーンを使い、NSを荷台に載せこむ。私はクレーンを操るSさんを見守りながら、これで二度と触れることのない愛車を支えつつ、クレーンの行先を見守った。

もう、これでお別れなのだ。

泣いても笑っても決別なのだ。

刻々と別れの時が近づいていた。

自ら決めたことなのだ。

出会いも縁ならば、別れも縁なのだ。

そんな時に私は、ふとSさんと私との奇妙な縁の話を振っていた。Sさんは「縁」という言葉に少し反応したようだった。

思えば確かに奇妙な縁だ。

私は、今回のことを含め、Sさんにはかなり助けられている。助けられたと実感をするくらいに、本当に助けられている。こんな時にお金の話もなんだが、金額ですらこちらの提示した金額をふたつ返事で了解してくれた。それに、この日記を書いている時にメールを頂いたのであるが「○万円でも少ないくらいでとても嬉しいです」とも謙遜してくれた。。そして縁についての想いや考え方も、そのメールには書いてあったのだ。だからあの時、Sさんは「縁」という言葉に反応したのだ。

縁は努力という人が居る。

私はそれは違うと感じる。

縁には大よそのベースがあり、それにしたがっているようにも感じる。

またその人の状態によっても縁が変わってくるようにも感じる。

もし努力と言うんであれば、それも縁のうちなのだと私は思う。

「縁」と「緑」は似ていて気になって調べたことがある。

もちろん、漢字の成り立ちなのだから、ものすごい理由があったわけでもなかったが、そんな中、面白い解釈をしているHPを見つけた。



それによると

お父さんは「青色」

お母さんは「赤色」

そして生まれてくる子供は「無色透明」

そこで親子という「縁」が出来、子供は初めて「緑色」になるんだそうな。

そして様々な出会いを経て、「緑色」は様々な「色」に変化していくという。

色の三原色というのがある。

「赤」「青」「緑」

テレビのモニターから映る色も、これが基本になっているという。

この三色でどんな色も作れるらしく、最終的に混ぜ合わせてどんな色になるかというと

それは「白」なんだそうな。

なるほどな・・と思う。



曇り空だった天候が、小雨になってきた。

ぽつりぽつりと音を発て、私の着ているブルゾンに落ちてくる。

SさんはNSが濡れないように、シートを掛け始める。

私はそれを見つめながら、最後の別れにNSへ声を掛けた。

「俺がこんなへタレなせいで・・ごめんな。。」

「お前には色々と助けられた。。」

「何もしてあげれなかったが。。。楽しい時間をありがとう。。」

「達者でな。。」

Sさんは愈々全てのシートを掛ける。



これが、、お前を見る最後だ。。


もう、二度とお前を見ることが出来ないのだ。。。。




そして最後に見たのは、NSの赤いテールカウルだった。。




それは自分で塗った場所だった。




全ての準備が整い、雨も本降りになってきた。



シートを叩く雨音が、頭の中でやけに響く。

そして、心の奥底でも響いているようだった。


私は無言のまま、シートに包まれた、元相棒を見つめていた。


キュルルル・・・・ブロロロロ。。。。



Sさんはトラックのエンジンを掛け始めたようだった。


私は、帰る前に手渡すつもりでいたサービスマニュアルとパーツリスト、そしてナンバー返納書類と譲渡証明書。そして最後のひとつは、Sさん家族が「帰りの道中にお腹が減っては。。」と思い、近所のコンビ二で購入しておいた3人分の「どらやき」を手渡した。


それら全てを手渡して、最後にお互い向かい合った時に

どういったわけか、Sさんは右手を差し出し握手を求めてきた。



もしかしたら。。。何か心の奥底で本人が分かりえないものを感じていたのかもしれない。

もしかしたら。。。長年夢にまでみたNSを譲っていただけたことの感謝かもしれない。



でも、どちらでも良かった。



Sさんはとても苦労されてるようだが

でも前向きに

そして偽善も無く

毎日がんばって

真直ぐに生きているように感じる。

純粋なクリクリとした目がそれを思わせる。



私は気恥ずかしいなか、手を取って握手を交わした。



これが。。。最後かもしれない。。


ふと、そう思った。。


どことなくSさんの魂が

「もう、俺の出来ることはしてあげた・・後は自分の力で・・」

そう言ってる風に思えた。。

私も感謝無しではいられなかった。。

「本当にありがとうございました。。」


Sさんはトラックに乗り込み、そして車内から軽く会釈をし

来た道に車を方向転換し

そして車内から、奥さんと子供さんと一緒に手を振って走り出した。


私は雨が降りしきる中

NSが乗っている2トン車トラックを

交差点を曲がって見えなくなるまで見守り続けた。





「ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない」 (寺山修司)



この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」 (于武陵)(井伏鱒二訳)


Posted at 2012/11/11 22:17:09 | コメント(7) | トラックバック(0) | NS400R | 日記

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