ちわ、新4年の中島です。
みんカラでは随分ご無沙汰しておりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
すっかり春ですね。時の流れというのは早いもので、飯田橋駅前にある桜もすっかり芽吹いてきました。近くにある湯島天満宮では梅まつりが行われるなど、春の訪れを各所で感じます。
春っていうのは良い季節ですよね。自分も秋の次に好きな季節です。花粉を除いては(迫真)。
近頃自分は花粉に眼と鼻と喉を冒されながら、部活動と就職活動とアルバイトと卒業研究を同時にこなす日々を送っていますが、おかげさまで何とか元気に過ごしております。
そんな話はさて置き、今回は3月12日(日)に有志で実施したジャガーの整備の様子をお伝えします。
何故今ジャガーを整備しているの…?と思った方も多いでしょう。
実はあのジャガーに久々の晴れ舞台が用意されたからです!(なんということでしょう!)
何とかの有名な俳優でタレントの堺正章さんが主催するクラシックカーラリーに、弊部のジャガーが招待されたのです。非常に光栄なことですね。
最近HUACはメディア露出の機会が増えてきました。気が引き締まりますね!
このクラシックカーラリーは3月26日(日)から翌27日(月)にかけてクラシックカーで六本木ヒルズ-富士スピードウェイを往復する大会で、日本国内に存在する実動のクラシックカーを堺さんが集めて行うというもの。
芸能界でも屈指のクラシックカーマニアとして知られる堺さんが主催するというだけあり、他の参加車も半世紀以上前のクラシックカーばかり。
大学自動車部では弊部の他に慶應義塾體育會自動車部さんがフォード(なんと1930年代の車らしく、ジャガーよりも一回り歴史のある車です!)で出場されるようです。
お互い完走できるよう頑張りましょう!
さてここまで散々ジャガーの名前が出てきましたが、弊部のジャガーについてご存知ない方も多いかと思いますので、次の項目で紹介します。
【ジャガーってどんな車?】
弊部にいるジャガーは、イギリスにある自動車メーカー「ジャガー(旧:SSカーズ)」から1938年(昭和13年)に発売された"Jaguar MarkⅣ 3+1/2L saloon"という車種で、弊部の個体は1948年に生産されたものと言われています(諸説あり)。
エンジンは3.5L直列6気筒OHVツインキャブレターで、これは弊部に存在する部車の中では最大の排気量を誇り、同時代に販売されていたジャガーMk.Ⅳの中でも最上位グレードにあたります。
ボディタイプは車名にある通り「サルーン」に分類されます。
サルーンの名称は、近年ではトヨタ・クラウンなどのセダンのグレード名に一部残る程度であまり馴染みのないものではありますが、現代でいうところの「セダン」とほぼ同義であると思っていただいて差し支えありません。
実際ジャガーも4枚のドアと独立したトランクを持つため、自分が乗っている日産・サニーをはじめ、クレシーダやアルティマと同じセダンということも納得がいくでしょう。
Mk.Ⅳは1948年に生産を終了しましたが、高級サルーンの血統はMk.Ⅴ、Mk.Ⅵと脈々と受け継がれ、Mk.Ⅹ(420G)以降はFセグメントのXJ(国内で一般的に見られる丸目四灯のセダン)に引き継がれ、現在はX531という形式になっています。
そんなジャガーMk.Ⅳが弊部にやってきたのは1966年(昭和41年)のこと、美々薬局の藤沢臣明氏から寄贈されて弊部での活躍が始まりました。
しかし1970年代に入ると劣化が激しくなり、一時は廃車寸前の状態になってしまいました。
この状態を見たOB会がレストアを決意。1979年(昭和54年)にレストアが敢行され、ナンバーも取得したことでジャガーは生まれ変わり、それ以来自動車部のマスコットかーとして第二の人生を歩み始めたのです。
【整備の流れ】
今回の整備には昭和49年度卒の平野先輩及び、昭和61年度卒の池畑先輩にもお越しいただき、両名からのご指導をいただきながら整備を進めました。
まずは手押しでジャガーを一車身前に出し、以前の整備で発覚したアイドリング不調の原因を調査しました。

ボンネットを開ける池畑先輩。ロングノーズのボンネットフードは、現代の金属とは異なり非常に柔らかくたわむため、開ける際も細心の注意を払う必要があります。
ボンネットが左右独立して開く形であったため、スパークプラグの付いている右側のボンネットを開け、3番及び4番プラグを外して状態を点検しました。
すると2番キャブレターから吸気している4番プラグは問題なく碍子が焼けていたのですが、1番キャブレターから吸気している3番プラグが若干カブり気味であることが発覚。
恐らく冬季にエンジンを始動した際、キャブレターの燃調を濃くしたため被りやすくなってしまったのではないかと平野先輩が分析されていました。
ひとまずプラグに付着したカーボンを拭き取って再度装着して様子を見ることにしました。

非常に長いジャガーのボンネットには直列6気筒エンジンと補器類が収められています。
エンジンを見た吉川の感想「4tのエンジンと同じサイズ感だね」
次にボンネット内部の清掃を行いました。
濡れタオルでルーム内のホースなどを丁寧に拭き上げ、オイルの滲んだエンジンヘッドはパーツクリーナーを染み込ませたペーパーで拭き取りました。

現代の車と比べると電装系のパーツが少ないです。
年式相応の塗膜劣化により、雑に拭くと塗装が剥がれてしまうため、非常に気を使いました。

ジャガーを拭く中島。あまりゴシゴシと拭くことができない分、アルバイトで洗車の拭き上げをする時よりも気を使いました。

ボンネット内部右側面につけられたジャガーの銘板。
今の車とは違い、大判の金属板で作られたエレガントな仕上がり。銅色のプレートがピアノブラックの車体色に映え、英国高級車の威厳と粋な高級感を引き立てています。
そしてスペアタイヤや積載物の確認を行いました。
ジャガーのトランクは上から下に開くようになっており、ハンドルを90度回して引っ張って開けました。
トランクの蓋の内側はなんと工具箱になっており、現代の高級車にも通じる非常用工具の置き場所がこの時代から専用で作られていたことに感嘆しました。
残念ながら工具はほとんど残っておらず、エンジンの手動始動に必要なクランキングハンドルが残されていました。
スペアタイヤは現代の車と同じくトランクの下に格納されていました。
しかしジャガーの場合はトランクの下に独立してスペアタイヤを収納するスペースとドアがあり、特殊な工具を用いてドア両端のロックを解除して取り出しました(これが数十年ぶりに開けるとあってまた固い固い…)。
弊部のジャガーは日本のナンバープレートをつけているため、トランクを若干上げながらスペアタイヤのドアを開けないと干渉することが判明。
流石に欧州車、欧州のナンバープレート(いわゆるユーロナンバー)の装着が前提になっている設計なのだなと改めて感じました。
トランクスペースの底には数箇所でねじ止めされた前後分割式の底板があり、これを外すと車体前方側はサービスホールになっていました。
ここからリアのデファレンシャルにアクセスすることができ、プロペラシャフトやドライブシャフトの結合部分を見ることができました。
故障した際にも簡単に駆動系にアクセスできるような設計がされているという点からも、工業水準が現代ほど高くない当時の高級車の設計思想が垣間見得て興味深く感じました。史学科の人間はそういう点ばかりに目が行ってしまうのです。
余談ですがトランクスペース後方の底板の下は燃料タンクになっていました。
なので、ジャガーの車体後部は上から順にトランクスペース、燃料タンク、スペアタイヤの三層構造になっているということが分かりました。
非常に大きい車ではあるのですが、限られた車内空間をこうして有効に利用しているという点は現代の自動車の設計思想にも通じるものを感じます。

自転車のタイヤのように思った方も多いでしょう。
でも実はこれジャガーのスペアタイヤなのです。
まだフォントが変わる前のブリヂストンで作られていたタイヤのようで、長年保管されていたため空気が抜けきっていました。
そこでこのタイヤに空気入れで空気を入れました。
バルブに空気入れを取り付ける際にタイヤから若干空気が漏れるのですが、その際に出てきた空気は自分が生まれるより遥か前に入れられた空気なのだなと思い、感慨深い気持ちになりました。
気味が悪いですかね、申し訳ないです。
ジャガーのタイヤの適正空気圧は2kPaなので、四輪はその値で合わせ、スペアタイヤは少し高めの2.4kPaまで空気を入れました。
その後スペアタイヤを元の場所に戻そうとしてのですが…入らない(どうして…)
恐らく出した際は空気が抜けきっていたため、タイヤが凹んで上手く取り出せたのですが、空気を入れてタイヤが膨らんだため入らなくなってしまったのでしょう。
バンパーが干渉して入らないという点を考えると、日本の車検に合わせて後付けしたバンパーなのではないかと先輩は分析されていました。
結局タイヤは入らずじまいで、当日は随行するサポートカーに載せていくことになりました。
タイヤに空気を入れた後は軽く内外装の清掃を行い、エンジンを始動してバックさせて、ジャガーを元の位置に戻して作業は終了しました。
【最後に】
普段中々見ることのできないジャガーのメカを見ることができ、また先輩方からこれまで聞いたことのなかったジャガーや自動車部の話を聞くことができ、非常に勉強になりました。
平野先輩及び池畑先輩には、遠路遥々大学まで足をお運びいただき、またご指導を賜り誠にありがとうございました。
25日までの段階で更に現役で外装などの仕上げを行い、晴れ舞台で最高のコンディションで走れる様にしてまいります。
以上報告でした。
シタ