実は今日はお休みでした。
つまり連休だったから、昨日は遠出出来たってコトなんだけどね(笑)
って訳で今日も当然のようにプチツーから一日の始まりですw

今日は昨日以上に暑い一日になりました。
で、このハナシはこれでおしまい、、
これから書くハナシはちょっと重くて長くなります。
賛否両論あると思うんで、まぁそれも承知の上で書きますね。
・・・
という訳で、、
昨日広島でのサミットが終わりました。
国際情勢を語るには私などの一般庶民には程遠い立場ですが、ニュースで見る限りだとまずは成功という高評価が大半というところでしょうか。
で、今回の一番のサプライズはやっぱりゼレンスキー大統領の電撃訪問でした。
確かに私もびっくりしましたが、今回の来日で一番考えさせられたのが大統領の服装を見た時です。
他の各国の首脳が皆、当たり前ですがフォーマルなスーツだったのに対し、彼は自国にいた時と変わらないラフな軍服?で訪れたんですね。
あれを見た時、いまだあの国は戦時だというリアリティを感じた訳です。
平和ボケしたといわれて久しい日本ですが、それでもやっぱり戦争は現実に身近にあるという緊迫感をまざまざと見せつけられました。
で、ここで話したいことは武器の必要性と戦争についてです。
このみんカラやってる皆さんは皆戦後生まれだとは思うんですが、当然私も戦後世代、私の世代だと親が戦前生まれということだけです。
親や祖母からは戦争の体験談をよく聞かされましたが、どんなに戦争はいけないコト、絶対にしちゃいけないと言っても、体験がない以上、ホントの悲惨さは分かるはずもありません。
だからどんなに戦後世代で反戦や平和主義を唱えても、それは一種の綺麗事になってしまう恐れがある訳です。(あくまでも日本の場合です)
戦争には武器が必要ですが、太古の昔から人間は武器を取って争いを繰り広げてきました。
今の核は究極の人類最後の武器といえるでしょう。(核兵器廃絶については難しい問題なのでここでは省きます)
戦争には様々な理由があります。
歴史的な審判は様々ですが、時の当事者にとっては各々に正義があったはずです。
それは当時の日本もそうだしアメリカにもあった。そして今のロシアやウクライナもですね。
それぞれが己の信ずる正義と愛国心の下に戦っている訳です。
今、防衛費増強が叫ばれて、平和を愛する人々からは反対意見もかなりあるご時世だけど、果たしてそれがホントにいけないコトなのか?
こちらの意に反して向かってくる相手に対して、武器を手にすることは人間の防衛本能として当然のことだと思います。
武器っていうのは使う人間の心次第です。
昔の武士は皆帯刀でした。
元々は領土を守るため、敵と戦うことが宿命だから当たり前です。
当然刀は人を殺めるための武器ですが、同時に武士にとっては魂でもあります。
刀を捨てることは自分自身の否定になる訳です。
考えるにそれは一つの抑止力であって、それは今の核と同じ存在といえるでしょう。
ただ、一度抜刀したら必ず戦わなければいけません。
だから座右の銘といって、人と対面する時は必ず右に刀を置くという言葉もあるんですね。
戦争は当然いけないコト、武器は持っちゃいけない、、
当たり前のコトですが現実は違います。
各国がウクライナに武器を供与しているのが今の現実です。
ウクライナは自国の正義のため、愛国心から戦っている訳です。
それは当然ロシアも同じでしょう。
全世界のありとあらゆる武器を捨てるというなら賛同です。
でもそんなのは絵空事でしかありません。
武器って使わないならそれに越したことはないけど、使わなきゃいけない時もある、、
それが現実です。
一つだけいえるのは、純粋に戦闘機や様々な武器、映画やアニメの戦闘シーンを見て単純にカッコ良いと感じてしまう感性すらも人間(というか男?)の側面だということです。
違うかな?
・・・
長くなりました。
私は別に右派でも左派でも極端な平和主義者でもないけど、ちょっと書いておきたくて今回の駄文を認めました。
この国を愛するイチ庶民としてね。

まぁ考えてみると、バイクも現実という敵と闘うウェポンなのかもしれません(笑)
Posted at 2023/05/22 21:22:50 | |
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