2011年10月12日
10月9日の、787Bデモランイベントでは、その他にも広島市交通科学館所蔵の、マラトン・デ・ラ・ルート、ニュル84時間レースへと参戦したコスモスポーツのレプリカ車両も走行しました。
このニュル84時間のお話も、前日の記念トークショーで行われていました。
世界初のロータリーエンジン搭載量産車を世に示すため、その耐久性をアピールするために、マツダが選んだのが、ニュル84時間。
当時、ロータリーエンジンの開発に携わっていた松浦さんは、いきなり、このレースに参戦する様、上司に言われたそうです。
参戦するにあたって、準備段階として、国内で84時間走行のシュミレーションを行ったそうですが、その時感じたのは、これは車の耐久ではなく、人間の耐久だという事。メカニックは実際、3日間寝られないほど過酷なものだったそうです。
しかし、その参戦の結果、外国人組の1台が4位入賞!いきなりの好成績を示し、安全車賞というのも受賞したそうです。
ただ、松浦さんの弁によると「もう一台の日本人組の車が、パンクして止まってるのに、安全って云うのもなー」と思われたそうです(笑)
そんなイベント時に、交通科学館で限定特別展示されていたマツダからの貴重な資料をまとめてみました。
そのマラトン・デ・ラ・ルートのトロフィーなどもひょんなことで見つかったとかで、展示されてました。
Posted at 2011/10/12 23:09:21 | |
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車 | クルマ
2011年10月12日
10月8日、広島市交通科学館で行われた、「ルマン優勝20周年記念 スペシャルトークショー」にて、MZ Racingさんから発売される「NEVER STOP CHALLENGING 飽くなき挑戦」、執筆の裏話もお話がありました。
著者のピエール・デュトネ氏が、この、ルマン優勝20周年を記念して、その記録を記した本を執筆したいと、マツダ・ヨーロッパへと話を持って行った所、そちらはあまり乗り気ではなかったそうです。
そこで、寺田さんへと相談、日本、マツダ本社に話を通した所、それは是非と、とんとん拍子にすすんだとか。
日本のマツダで、この優勝がどれだけ価値があるか、そして、それをどれだけ大事に思っているかを示すエピソードですよね(^^)
執筆のため、デュトネ氏は日本まで来られ、その当時のメカニック一人一人と実際に会い、寺田さんを通訳に、濃密な取材を行ったそうです。
その結果、本は凄い厚さへと昇華しました。
そして今年、ルマンへと寺田さんが訪れると、デュトネ氏が、本が出来上がったから、持って帰れと来たそうです。
本を見てみると1冊何と3kg。それを3冊持って帰れと言われた寺田さんは、すぐさま、「おくってよ~」と頼んだそうです(笑)
その実際の本が、10月9日の、マリーナホップでの787Bのデモラン時、MZ Racingさんのブースに展示されていました。国内初お目見え?
で、その本を見て思ったのが、これは懐かしの百科事典だなーという事。まさにその大きさ、濃密さでした。
ロータリー、レーシング史の百科事典ですよね。
まだ、予約数は残っている様なので、ご興味のある方は是非。
そして、マツダ側から、嬉しいコメントが出ましたよね。それを引用すると、
「ロータリーを止めちゃうのか・・・・と思われるかもしれません。でもそんなことはありません!RX-8の生産は来夏に終了しますが、これはロータリーエンジンの終わりではありません。
ロータリーエンジンは、飽くなき挑戦を続けるマツダのかけがえのない魂のひとつなのです。今後も引き続いて研究・開発を続けていきます。
これからもロータリーエンジンとマツダを応援していただければ嬉しいです。」
飽くなき挑戦は、まだまた続く様ですね(^^)!
Posted at 2011/10/12 22:52:19 | |
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ル・マン | クルマ
2011年10月11日
ロードスター、車検終了し、引きとってきました(^^)
この所、ずーと120に乗っていたので、感覚、おかしくなってるかなーと思いきや、流石に2年乗って来た愛車。普通に運転できました(^^;)
ただ、ロードスターが非常に軽く感じます。ダイエットして、走った時、あっ、軽い!と思う感じでしょうか?
加えて、ハンドリングの違いも。
120はコーナーリングの全てで、タイヤを路面に押し付けてコーナリングを続けるというイメージなんですが、ロードスターの場合はハンドルははじめのきっかけだけ、後は車が勝手にコーナー曲がっていくとう感じ。ハンドルを戻すタイミングも非常に速く済みます。この辺がヒラリ感に繋がるという印象です。
そんな走行で、一度だけ失敗が。何と、ウインカーを出す時、間違ってワイパーを動かしてしまいました...(笑)
そして、帰って来たロドに、先日購入した787B、優勝20周年ステッカーの一つを貼りました。
うちのロドには右側にはロードスター20周年記念プレートが貼ってあり、今回左側にはルマン20周年、そして、うちのロドが20歳と、これで20×3になりました(^^)
後、広島でのデモラン時、MZ Racingさんの売店でロードスターの2012年度カレンダーが置いてあったので、買ってきました。
白のNAが表紙と中に1枚ずつ、出演しております。

しかし、現状NA,NB,NCと3シリーズなので、1シリーズ2枚ずつとなってますが、NDが出たら割りきれませんね~。
これは1月1枚にして、1シリーズ3枚にするしか?
Posted at 2011/10/11 22:12:21 | |
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ロードスター | クルマ
2011年10月11日
10月8日、広島市交通科学館での「ルマン優勝20周年記念スペシャルトーショー」にて、寺田陽次郎さんが、29回のルマン参戦において、強く記憶に残っているのは1991年の優勝時と、1982年の参戦だそうです。
マツダが自社の技術を示すために、どのカテゴリーでかと考えた時、F1なども考慮した結果、マツダは耐久だろう、という事で、挑戦開始。
ニュルブルくリンク84時間、スパ24時間と進み、シグマの参戦を目にして、ルマン参戦へと移行していきました。
しかし、当初、マツダにはルマン参戦できるマシンが無かったため、寺田さんは、RX-7をそれ用に改造し、ACO側に働き掛け、IMSA GTというクラスを造り上げ、参戦開始したそうです。
とはいえ、その後は予選落ち、リタイヤ続き。悔しい結果が続いていきました。
そして、この1982年に初めて、マツダスピードとして、完走を果たす事になったそうです。
この当時、ルマンのレギュではミッションは交換してはいけないというものになっていて、破損した場合はギアを修理して走らないといけない状況でした。
この82年のマシンも、ギアがだんだん不調になってきて、最後にはドライバーの一人、モファットは、「俺はもういいから、寺田と従野ではしってくれ」と発言、結果、二人でギアをいたわっての走行となったそうです。
しかし、不調は進み、エンジンも不調に万事休す。
ルマンはチェッカーをくぐらないと、ゴールとはされないレギュ。そこで、寺田さんは、トップがゴールした後、チェッカーをくぐるために車をコース外に止めます。
その様子を見たオフィシャルが、危険だという事でマシン撤去にやってきました。ここで、マシンを動かされてはかなわないと、寺田さんは思いっきり、ブレーキを踏み込んだそうです。
それでも、撤去しようと押すオフィシャルに対し、てこでも動かないぞという寺田さん。
結果、オフィシャルも分かった分かったと諦め、イエローフラッグを降り始めてくれました。
自身の脇を、凄いスピードで車が走り去る凄い光景に驚いていた寺田さん。そんな時、オフィシャルが寺田さんに対し、「先頭がゴールしたから、今から行けば、ゴールだぞ!」と促されて、寺田さんはエンジンをかけます。
エンジンをかけると燃料ポンプの音がするはずなのに、それがしない。寺田さんの、頼む、動いてくれ、の願いが届いたのか、燃料ポンプの始動音が。
その結果、エンジンがかかかり、よろよろとマシンはゴールにたどり着いたそうです。
それが強い思い出に。
そして、マツダは次の年から、C2クラスに参戦。GTでの参戦は、この参戦で一区切りとなりました。
そういった話を聞いた後、会場を出て、交通博物館のお土産売り場に行った所、何と、その82年参戦マシンが3000円で売られているではありませんか!それもスパーク製!
この流れから来ると、そりゃー、ゲットでしょ(笑)
このRX-7、ノーズにアルファの8Cのグリルの様な、ロータリー形状のグリルが付いているんですが、それがかなり格好良いです(^^)!
後、その参戦が実を結んだ787Bのデモランの様子をまとめてみました。
Posted at 2011/10/11 21:58:54 | |
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ル・マン | クルマ
2011年10月10日
昨日の787Bデモランイベントで、予想通り、散財してきました(^^;)。いやー、見極めて、無駄遣いは控えようと思ったのですが、実際目にすると手が自然と伸びて(笑)
まずは、記念ミニカー。今回が初お目見えとの事。ただ、製作はIXO。IXOのものは持っている上、出来がHPI製が出た今、かなりイマイチなんですよね(^^;)
だから、記念切手セットが出た時、手を出さなかったのです。
で、実際のものを見て、値段と相談と予定。その価格、5800円...ちょっと、お高い(汗)
ただ、そのパッケージと、土台に額装されたプレートに価値を見出し、清水の舞台から飛び降りてみました。
後で気づいたのですが、ナンバープレートが付いていて、私のは193/300。戦。まさに、お財布と戦って買ったものです(笑)
限定数って事で、あっという間になくなるかなーと思っていたのですが、流石に値段が値段なので、昼前になっても結構残ってました(^^;)
4980円位の方が良かったかも?
加えて、これはと買ってしまったストラップ。CHARGEカラーがクール。実際使う事はほぼないとはいえ、デザインがクールなので買ってしまいました(^^;)
あと、ステッカーセット。これの内、一枚をロドに貼りたいなーと思っての購入。
いやー、散財三昧です(笑)
そして、787Bの勝利に向かってのトークショーで聞いたお話をば。
ロータリーの参戦は当時91年で最後となっていた訳ですが、実はその以前に89年で終わりと言う話がマツダスピードに伝わっていたそうです。
そして参戦した767B、767が7、9、12位と、マツダ車の最高位を獲得。
マツダスピードにおられた松浦さんは、ああ、いい結果で終えられると思ったそうです。
しかし、90年も参戦可能となり、えー、という体制で参戦決定。
787はマツダ車初のカーボンモノコックだった訳ですが、そのモノコックはイギリス製だそうで、90年参戦時、それが中々出来上がってこず、来たのはルマン寸前。
急いでマシンを組み立てたとはいえ、テスト走行もできず、787での走行はルマンがまさにぶっつけ本番だったそうです。
当然、熟成も何もという事で成績は残らず。これで終わりかと思った所、新規格Cカーが集まらずで91年の参戦と相成ったのは有名な話。
ここで、ルマンのストレートにシケインが二つ入った結果、今まで350km/hでなかったら、話にならんといったマシン開発の方向性が変わりました。300km出ればいいという世界に。
そして、787から787Bにおいて、コーナーを曲がるマシンという方向性に変わったそうです。それはタイヤの径変化や、カーボンブレーキの装着など。
もちろん、以前書いた、787のハンドリング改善のためにボディ補強をおこなったり。そのお話もあり、剛性強化のための解析結果や、CADデータなども見せていただきました。あの複雑なリアサスアッパー形状もその一環だったんですね~。
ちなみにルマンでカーボンブレーキを装着して、初めて勝ったのは787Bということです。
そして、最後に向けての挑戦で、寺田さんら、ドラバー陣にも、勝つための要求をした結果、「走りは何とかするから、室内の温度を下げて欲しい」との意見が。
クローズド&ロータリー・マシンは熱が凄いそうです。これは雨さんのRX-7でもそうでしたよね。
寺田さんも走っているときは集中しているから気付かなかったけれど、降りてみると足が痛い。見てみると、足が低温やけどしていた、という事が多々あったとか。
その意見により、空気を積極的に取り入れるように改良。
そして787Bのテストとして、ポールリカールを選択したのですが、当時、湾岸戦争が勃発!そんな年だったんですねー。
その結果、テストはかなり遅れての開催となってしまったそうです。
で、さあ、テストとなったら、何と連日の雨(^^;)
あーあ、となる訳ですがそれが恵みの雨に。
何と、走行すると、車がぷすんと止まってしまいます。原因究明してみると、室内冷却のための導風孔から水が侵入、CPUを壊し、止まったという事がわかります。
もしこれが決勝日に分かったら...あの優勝は無かった事になった可能性も。このテストが逆に僥倖となったとのお話でした。
Posted at 2011/10/10 12:57:00 | |
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ミニカー | クルマ