今週末は天気が悪そうでしたが、久し振りに妻と鹿児島県の薩摩半島までドライブ旅行です。
日向市を出発し南下していると高岡町辺りから路面に降灰が見られるようになり、都城市内に入ると
新燃岳が噴煙を上げる様子を見る事ができましたが・・・
去年の7月に直ぐ近くにある高千穂峰や韓国岳の山頂から新燃岳火口を眺めていたんですよね(怖
これ以上の被害が出ない事を祈りつつ、更に南下して錦江湾まで出て来ますと
通常モードで噴火中の桜島を横目に垂水方面へ走って行きまして
桜島へ上陸。溶岩道路を走り
桜島フェリーに乗って
対岸の鹿児島市へ上陸。国道226号線を南下して
指宿市内でランチタイムです。お昼はこちらのお店に入ってみましたが
私達2人で満席となり次々にやって来るお客さんは順番待ちとなっていまして偶然にも運よくギリギリセーフで座れたようです(汗
見た目よりあっさりした豚骨ラーメンを美味しくいただいたら
次の目的地である魚見岳へ向かいますが
中腹の山中にあるらしい旧海軍の遺構は暴風雨の為探索を断念し、頂上の展望台まで登ってみるもガスっていて何も見えずw
晴天時にはこのように
知林ヶ島を一望できるみたいでした。※画像はネットより拾ったものです
ちょっと残念でしたが想定内でしたので気を取り直して次の目的地へ到着。
こちらは第106震洋隊のスロープ跡です。
特攻艇「震洋」の基地跡は地元にも3カ所ありますが、ここまで大規模なものは初めて見ました。
次は田良浜の駐車場へ到着。
ここで知林ヶ島の全容を眺めつつ
案内板を見てみると先ほど登って来た魚見岳の麓には防空壕跡が多数残されているようなので見てみたかったのですが・・・
大荒れの天気な為探索を断念しまして
次の目的地へ到着です。
ここはかつて旧指宿海軍航空基地のあった所でして
当時防空壕として
使われていた所が
今も現存しており
その上には慰霊碑や
当時の様子を伝える
資料や
遺書が展示されていました。
私も最近まで知らなかったのですが
ここ指宿には海軍航空隊の基地(水上機の基地の為滑走路等は無い)があったようでして
大東亜戦争末期になると何と水上機にまで爆弾を抱かせ、しかも3名も搭乗したうえでここから特攻出撃して行ったとの事で・・
フロートの重量に加えて空気抵抗も大きい水上機は特攻機に向いているとは言い難く、沖縄に向けて飛び立った水上機は、たちまち近海で米戦闘機に撃墜されてしまったそうです・・
この無謀な特攻作戦により82名もの若き特攻隊員の命が失われたそうですが
さぞ無念だった事でしょう・・・(涙
当時に想いを馳せながら慰霊碑に手を合わせ
防空壕の
周辺を
見て
まわります。
ここは駐機場(エプロン)があったとされる所で
こちらは「すべり」という
水上機の滑走台があったとされる所です。
次は指宿エコキャンプ場の駐車場へ移動しまして
次の目的地である
知林ヶ島へ向かいまして
暴風雨の中、海中から出現した砂州へ到着です。
遠くに見えるのが知林ヶ島でして
3月から10月にかけての大潮や中潮の干潮時に長さ800mの砂の道が出現し知林ヶ島へ歩いて渡る事ができるそうなので今回そのタイミングを見計らって訪れたのです。
早速歩いてみますが実はもう一つ個人的に重要な目的がありまして。
それはその干潮時にのみ砂州に現れるという「水上機の残骸」だったのですが・・・
監視員の方に聞いてみたところ、この辺りにあるのですが残念ながら最近は砂に埋もれて見えなくなっているとの事でして(汗
砂州は常に動いているらしく何時でも見れるというものでもないようなので、またツーリング等で近くを通る事があったら確認しに行ってみたいと思うのでした。
ちなみにこんな感じの残骸が埋もれているそうです。
※画像はネットより拾ってきたものです。
気を取り直して800mにも及ぶ砂州を歩いて行きますが
この砂州に打ち上げられている貝殻を2つ合わせて
ハート型になると願いが叶うとかなんとか?言われているようなので早速拾い集めて試してみたところ、こんな感じになりましたw
以前訪れた事のある「
小豆島のエンジェルロード」を思い出しつつ
歩いて行きまして
知林ヶ島へ到着しました。
振り返って
歩いてきた砂州を眺めたりしながら戻りますが
帰りは傘も差せない位の暴風雨となり二人ともズボンから靴の中までびしょ濡れになってしまいました(寒
車に戻ってエアコンで衣類を乾かしつつ移動しまして
次の目的地である揖宿神社へ到着です。
こちらはかなり歴史ある神社のようで
今年の大河ドラマ「西郷どん」でお馴染みの
薩摩藩主「島津家」との
関わりも
深いようですが
私の目的は本殿に残されているという
「機銃掃射の跡」なので本殿の方へ行ってみますと・・・
ありました。基礎の部分に多数開いた穴がその跡との事で
柱にも貫通した跡が
多数残されていました。
他にも色々と教えて頂いた宮司さんに感謝しつつ、揖宿神社を出ますと石碑が見えましたので行ってみると・・・
「大東亜戦争戦没者の慰霊塔」でしたので慰霊塔に手を合わせまして
次の目的地へ到着です。
ここは湯権現神社という所でして調べてみますと・・・
温泉の恵みに感謝し温泉の神様を祭った神社で1800年(寛政12年)に第9代藩主・島津斉宣(なりのぶ)公の命により、濱崎家第五代湊太左衛門貞章が長井に造営し、1801年(享和元年)4月落成。
第10代藩主・島津斉興(なりおき)公が、1831年(天保2年)長井温泉行館をこの地に移した折、同時に移築されたそうで
その直ぐ近くには藩主島津公別墅趾の石碑がありまして
ここに島津家の別荘「長井温泉行館」があった事を今に伝えるように
旧島津公温泉跡である
二月田温泉「殿様湯」がありまして
その後ろには何と
薩摩藩主「島津家」ご用達の
「殿様湯の跡」が
当時のまま
残されており驚きでした。
そして更に移動し、大雨の中あちこち探し回りまして
「摺ケ浜平射砲台跡」を見つける事が出来ました。これにて指宿の戦跡巡りは終了としまして
次の目的地へ向かいます。
湯前温泉編へ続く