その①からの続きです。
次の目的地へ到着です。
ここは
石原岳山頂にある
佐世保要塞の内のひとつである
「石原岳堡塁」(いしはらだけほうるい)です。
佐世保要塞とは
佐世保軍港の防備のため設置された
大日本帝国陸軍の要塞ですが
ここは
石原岳森林公園として
整備されている
珍しい場所です。
公園内にはキャンプ場もありますが夜は怖そうです(怖
堡塁には
階段で降りて行く事が出来まして
その上に
あるのが
砲台跡のようでした。
東屋から
全体を見渡してみました。ちなみにここは実戦での使用は無かったようですが、独特の雰囲気があり当時に想いを馳せながら次の目的地へ向かいます。
しばらく走って行きますと・・・
次の目的地である巨大な「三本の塔」が見えて来ました。
逸る気持ちを抑えつつ、目的地へ到着です。
ここは国指定重要文化財である
旧佐世保無線電信所(針尾送信所)でして
旧日本海軍が大正7年から11年にかけて建てた
送信施設です。
日露戦争を契機として無線連絡体制の強化が必要となり
総工費155万円(現在の約250億円)を費やして建設されたそうで
大東亜戦争の開戦を告げた「ニイタカヤマノボレ1208」を
送信した施設として有名な反面、そのことに関する資料はなく実際に送信したかどうかは不明なんだそうですがガイドさんのお話によると、実際に父がここで働いていたという人物が数名訪れた事があるそうで、「ニイタカヤマノボレ」は確かにここからも送信されていたと言っていたのを覚えていると言っていたそうです。
現在遊歩道等を整備中のようで完成したら他の塔の近くまで行けるようになるみたいでしたが、ここは以前から気になっていた所でしたので訪れる事が出来てよかったです。大満足で次の目的地へ向かいまして
※画像は電信室です。
到着です。
丁度工事中のようでこちら側からは入る事が出来なかったので
正規の入り口から入ってみます。
ここは川棚町の片島にある
1918年に開設された魚雷発射試験場跡でして
佐世保海軍工廠や
三菱長崎兵器製作所で製造された
魚雷の発射試験が行われていたそうです。
こちらの建造物が
魚雷発射試験場のようです。
ここは魚雷の調整池でしょうか?似たような施設が大分県日出町にある人間魚雷「回天」
大神基地跡にもありましたが・・・
こちらの建物は
本部の跡のようですが
屋根は戦後の資源不足で鉄泥棒の被害に会った[戦艦三笠]と同じように
金属類は全て泥棒もとい、撤去されてしまったのか
屋根部分は全て無くなっていました。
ここで合格となった魚雷のみが船で佐世保鎮守府に送られていたそうで
真ん中に2本ある線はレールが通っていた跡のようでした。他にも近くに観測所が2カ所あるようでしたが時間が無かったので急いで次の目的地へ向かいまして(残念
次の目的地へ到着です。
ここは同じく川棚町にある
川棚魚雷艇訓練所跡です。
敷地内には資料館と
「特攻殉国の碑」があります。
大東亜戦争中、小串に置かれた海軍特攻隊の訓練に励み、遠く南海の果てに散った三千人もの隊員を顕彰する鎮魂の碑で、昭和42年、南海の激戦地コレヒドールと沖縄の石を使って建立されたそうです。
資料館は閉まってましたが
壁には当時使われていた用材が展示されていました。
こちらが特攻艇震洋ですが我が地元にも
特攻121震洋隊の基地があったので、ここも訪れたい所だったのですが
日本が戦後1度も戦争をせず自衛隊も他国へ向けて1発の銃弾も撃つことなく平和に暮らしてこれたのは過去の戦争によって犠牲となった多くの人々の歴史の上に成り立っていることを、決して忘れてはなりません。
特攻は絶対にあってはならない事ですが当時強い愛国心と信念を持ち国の存亡を賭け散華された特攻隊員と強い愛国心を持った日本国民の存在があったからこそ現在でもその壮絶な歴史が日本という小さな国を他国からの侵略から護る最大の抑止力となっている事に感謝しなければなりません。
そして我々日本国民は戦後GHQの洗脳教育から目覚め「大和魂」を取り戻し、
日本を支えてこられた諸先輩への心からの尊敬と、日本はとても素晴らしい国であるという事に誇りを持ち、全ての国民が改めて日本という国のありかたを再認識しなければならない時期に来ていると感じます。
遠い長崎の地にて様々な想いを馳せながら最後の目的地へ向かいますが
ハウステンボスを通過して
せっかくなので、あえてこのお方の会社の前を通過してw
何とか暗くなる前の17:30頃に
隠居岳キャンプ場(無料)へ到着です。本日の走行距離は460.9kmでした。
貸し切り状態でしたので乗り入れさせてもらい、夜露対策で立木の下へ急いでテントを張りグロムも立木の下へ停めまして
夕飯の準備に取り掛かります。
疲れていたので夕飯は簡単に準備しまして
かんぱ~い♪
ここは標高が高く冷え込んできたので固形燃料に火をつけて
適度に換気しながら
暖かいテントの中で一人二次会を開催しまして
時より吹き付ける突風にドキッとしつつ
飲み進んで行きまして
早々に撃沈です。
その③へ続く
Posted at 2017/11/05 19:15:50 | |
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